勉強不足
「お父様……私が言いたいのは、そういったことではないのです」
つい口から出る声が低くなり、父の眉がピクリと動く。
普段は何事にも動じず、周囲から“鬼”と恐れられ、私も娘でありながら一定の距離を保って接することの多い父だけれど。今回ばかりは、そんなことも言っていられない。
私は使用人から新たに渡されたナイフの刃先を父の方へと向けると、真正面から自分と同じ色の父の瞳を睨みつけた。
「不敬罪という言葉……ご存知ですよね? 今回父上のした行いがもしも不敬罪として訴えられたら、どうなさるおつもりなんですか?」
ギラリとナイフの刃先が煌めく。
これまで何度か取引相手に刃物を突きつけられたことのある父も、娘の私が相手では勝手が違うのか、目に見えて狼狽えているようだ。なんとか平静を装ってはいるものの、落ち着きなく瞬きを繰り返している。
「どうすると言われても……あちらは我が家から支援されているわけだし、普通はそんな相手の家を訴えたりはしないだろう……」
だからまずは落ち着けと、父が私にナイフを置くよう促してくるけれど、私は首を横に振った。
普通とか、普通じゃないとか、そんなことは関係ない。私が言いたいのは、そんな風に貴族の爵位を軽く見ていると、いずれ痛い目に遭うかもしれないということだ。
それを父は全く分かっていない。
今回だって、必ずしも訴えられないと、まだ決まったわけではないというのに。
「たとえ訴えられなくても、不敬を理由に無理やり婚姻を迫られたり、半永久的な金銭的支援を強制されたら、どうなさるおつもりなんですか? そういった場合は断れば罰が下され、受け入れれば言いなりにならなければいけなくなるのですよ? お父様はそれでも良いと仰るの?」
「それは……良くはないが……」
俯き、まるで拗ねた子供のように父は小声で言い返してくる。
お金のことに関してだけは鋭く、尊大な態度を取る父も、貴族社会については勉強不足なのを自覚しているため、こういう時だけ毎回声が小さくなるのだ。
「でしたら今回、ご自分がどれだけまずいことをしたのか、お分かりですよね?」
父を追い詰めるようににっこりと微笑むと、父はそれには返事をせず、一気にグラスのワインを煽った。
そうして、ダン! と勢いよくテーブルにグラスを置くと、荒々しく口元を拭い、言い放つ。
「大丈夫だ。馬鹿の親は馬鹿でしかない。お前が心配することなど何も──」
不意に、父の言葉が途中で途切れた。
どうしたのだろうと父を見つめると、その目は私を通り越して背後を見ているようで。
不思議に思い、振り向くと──そこには母が立っていた。
「ミディアちゃん、ただいま」
「お母様、おかえりなさい!」
近寄ってきた母に抱きしめられ、私は大好きな母の匂いを存分に吸い込む。
母のことは大好きだ。
綺麗で、優しくて、それでいていつも私のことを守ってくれるから。
そして今回も──。
「ミディアちゃん、お食事中に申し訳ないんだけれど、ちょおっとこのろくでなし、借りていくわね」
言うが早いか、母は父の首根っこを掴み、ずるずると引きずるようにして食堂から連れ出して行く。
連れ出されていく最中、父は半泣きの表情で「ヒ、ヒルダごめん。ごめんなさい。謝るから許してくれ……」と言っていたけれど、母は一言も言葉を返さず、食堂のドアが閉まったことで後悔にまみれた父の声は途切れたのだった──。




