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将来の夢

――1月中旬、日曜日――


「香澄ちゃん。話があるんだけど、いいかしら?」

 

 家の掃除をしている私に、ゆうちゃんのお母さん――おばさんが声をかけてきた。ちなみに、ゆうちゃんは治験バイトに出ている。

 私は一通り掃除を終えると、おばさんはリビングのソファに座っていた。

 私は、テーブルを挟むようにしておばさんと向かい合って座る。

 おばさんはふっと微笑を浮かべる。


「目の具合はどう?」


「はい、問題ありません。手術とこのメガネのおかげで今まで通り、生活できてます。科学の進歩ってすごいですね。正直言って失明するんじゃないかと思ってました」


「そうよね。大昔じゃ考えられないわね。香澄ちゃんが瀕死の時はもうダメかと思ったけど、よく持ち堪えたわね」


 おばさんは『ふふ』と笑みをこぼしたあと、少し寂しそうな表情で――


「ゆうちゃんが無事に大学卒業できたら……私、大学病院を辞めて、近くのクリニックに時短で働こうかと思うのよね。さすがに年だから体力的にキツくてね。今までほとんど家にいなかったから、これからは家でゆっくり休めそう」


「そうなんですね。そういえば、ゆうちゃんの事……おばさんが1人で支えてきたんですよね。おばさんは本当にすごい人だと思います」


「全然すごくないわ。私は最低の母親よ。今もそう思ってるわ」


 おばさんは苦い顔でうつむいた。


「ゆうちゃんとは仲直りしたけど……私たち、離れてる時間が長すぎたのよね。今も、私たちはどこか距離があるように感じるのよ」


「そんなの、これから距離を縮めていけば……」


「香澄ちゃん。全てはね、子供の時に決まってしまうのよ。私たちがこれから親子関係を築こうと思っても――もう遅すぎるのよ。今でも後悔してるわ。どうしてあの時、離婚しなかったんだろうってね」


 おばさんはとても切ない表情だ。今まで近くにいたはずなのに、なんて悲しい親子なんだろう。おばさんはゆうちゃんのために必死で頑張ってきたのに……


「おばさん。私のかつての生徒の中には親の虐待で苦しんだ子がいます。その子は今、新しい両親のもとで仲良く、幸せに過ごしてます。新しい両親は、とても素敵な夫婦でした。それでも……それでも、最初は大変だったんです。だから、諦めないでください。私も出来る限り協力します」


「不思議ね。香澄ちゃんにそう言われると、これから頑張ろう、て思えるわ。ありがとう、香澄ちゃん」


 おばさんはキラリと涙を浮かべた。


「あの、おばさん。私、一つ……心配している事があります」


「何かしら?」


「ゆうちゃんはどうしてお医者さんになりたいって思ったんでしょうか?」


「……そうね。ゆうちゃんは最初、柳木病院を継ぐつもりだったからね。そのために医師になるって言ってたわね」


「それはゆうちゃんのやりたい事じゃないですよね。多分……」


「どうしてそう思ったのかしら?」


「以前、家の掃除をしてるときに、これを見つけました」


 私が差し出したのは……小学生だった頃のゆうちゃんの夏休み自由研究ノート数冊。おばさんはノートを受け取ると、パラパラとノートを眺める。


「解毒薬の作り方と効能について――なんだか小学生にしては随分とアレな研究だけど……なるほど。ひょっとしたら開発や研究の方に興味があるのかしら」


「ゆうちゃんはコツコツ努力する性格だから、慌ただしいお医者さんより、コツコツ研究職の方が向いてるのかもしれません」


「そういえば、父さんもそういうタイプだったわね。父さんも本当は研究をやりたかったのかもね……」


 ゆうちゃんのおばさんはノートを閉じたあと、苦笑いを浮かべた。


「香澄ちゃん。ありがとう。なんだか目が覚めたわ」


「え?」


「恥ずかしい話……ゆうちゃんが本当にやりたい事、今まで考えた事なかった。父さんや母さんのように医師を目指しているものだとばかり思ってたわ。そうね――研究職の仕事ならいくつか紹介できるけど、それには臨床医としての経験は必要不可欠。もし、ゆうちゃんが医師を辞めたくなったら……私は母としてゆうちゃんのやりたい事を応援しようと思うわ」


「はい! おばさんがそう言ってくれるのなら、ゆうちゃんは大丈夫かもしれません」


――


「あ、そうだわ。香澄ちゃん」


 おばさんが突然手を『パン』と叩くと――


「孫が出来たら、思いっきりおばさんを頼ってもいいのよ? なんなら、ずっと孫の面倒を見てあげるからね? 香澄ちゃんが学校の先生を続けたいのであれば、遠慮なく言ってね」


 おばさんはキラキラと顔を輝かせた。


「え? 孫!? そ、そんな……」


 私は顔が熱くなった。



――2月初旬、金曜日――


「一郎、相談があるんだが」


「優一から相談なんて珍しい事で。んで、何よ?」


 優一()と一郎は『バッハバー』のテーブル席で向かい合ってお酒を飲んでいた。

 俺はビールをゴクリと飲み、グラスをテーブルに置く。


「俺、医師免許を合格したら、香澄にプロポーズしようと考えてるんだが……」


「へぇ、そうなんだ……――って、うえぇぇえ!?」


 一郎は、ビールのグラスをダン、とテーブルに置いた。


「一郎! 声が大きいぞ!」


「ごめん。あまりにも突然でビックリした――てかさ、その言い方だと、不合格だったらプロポーズしないって事か?」


「縁起でもない事を言うな。そもそも、俺は医師免許を落とす気はない。確かに医師免許は国家資格だし、試験問題は難しいが、合格率は90%超えだ」


「まあ、医師になりたくて医学部に入ったヤツらがワンサカ受けるワケだから、そうなるか」


 医学部は医師になりたい人が受験するものだ。当たり前と言えば、当たり前なんだが……

 例えば、両親をガンで亡くし、ガンで苦しむ人を救いたい者、世界中の子供たちが不治の病で苦しんでいるのを救いたい者……誰かを救いたいという意思を持って入学する人が多い。ただ、俺のように父さんの病院を継ぐために医師を目指す者、両親が医師だから医師を目指す者、給料が高いから医師を目指す者……そういう人達もたくさんいる。


 今まで、考えてこなかったわけではない。

 あと1年で卒業――卒業を間近に感じる今だからこそ、より強く考えてしまう。


 俺は、何故、医師になりたいのだろうか? と……

 今までは父さんの病院を継ぐために目指してきたのだが――今は親戚の医師が院長をしている。俺は病院を継ぐ必要がなくなった。だとしたら、俺は医師になって、何がしたいのだろうか……


「ところでさ、優一。相談て何? プロポーズの事だろ?」


「ああ、そうだったな。思い出に残るようなプロポーズってどうしたらいいと思う?」


「は? そりゃあ……花束かプロポーズ専用リング持って『俺と結婚してくれ』てひとこと言うだけで十分なんじゃないか?」


「一生に一度あるかないかの一大イベントなんだから、なんか思い出に残るようなプロポーズがしたいと思ってるんだが……」


「お前、案外そういうの気にするんだな。そうだなぁ……思い出の場所を訪れてプロポーズなんて胸が熱くね?」


「すまん。俺と香澄にとっての思い出の場所は……ろくな思い出がない」


 まず、俺が小さいころに遊んでいた公園。あそこは、香澄を突き放した思い出がある。なんか嫌だ。

 次に高校の隣の公園。あそこは香澄が大地にプロポーズされた場所だ。腹が立つから嫌だ。

 次に遊園地。遊園地の帰りに泊まったラブホで、香澄は大地から変態プレイを押し付けられた。ますます腹が立つから嫌だ。

 極め付けは星空と海。香澄が血の涙を流している姿が思い浮かぶ。思い出したくないから嫌だ。


「じゃあ……卒業式終わったあと、家でまったり過ごしながら『俺のために味噌汁を作ってくれ』とか言うのは?」


「香澄の料理はクソまずだ。たとえ愛情があったとしてもクソまず味噌汁なんか飲みたくない」


 俺の胃袋はとっくの昔に諦めている。


「うがー! じゃあ……熱々温泉のプロポーズプランはどうよ!? 温泉の中、可愛いお猿さんに囲まれてプロポーズって良くない? あのプラン、大人気なんだぜ!」


 熱々温泉は、香澄が大地と旅行で訪れた場所ではあるが――愛くるしいお猿さんに囲まれてプロポーズ……それは思い出に残るかもしれない!


「それだ! ありがとう、一郎。これで心置きなくプロポーズができる!」


「それはよかったな! プロポーズ頑張れよ! 1年後、いい知らせを期待してるぜ! ゆうちゃん!」


「ゆうちゃんはやめろ!」


 プロポーズの前に卒業試験と医師免許をパスしないとダメだがな。



――翌日、土曜日――


「ふぁーあ、おはよう――て、もうお昼の12時なのね……」


 俺がリビングのソファで本を読んでいると、ひどい寝ぐせの母さんが入ってきた。


「おはよう。お昼ご飯は冷食パスタだ。冷凍庫から出してレンチンして食べろ」


 俺がそう言うと、母さんは冷食パスタをレンジで温め始めた。

 俺は母さんの姿を眺める。ヨレヨレのTシャツにスウェット。相変わらず色気のかけらもなく、ひどい姿だ。病院で働いている時と大違いである。


 瀕死の香澄を助けたあとの母さん――青白い顔に鋭い目つき。全身から溢れる疲労感――あの姿が医師の仕事の重さを物語っていた。


――


 昼ごはんを食べ終えた母さんは、俺から少し距離を空けてソファに腰掛ける。


「ゆうちゃん、香澄ちゃんはどこに行ったの?」

「香澄なら買い物に行ったよ」

「あら、香澄ちゃん1人で? 喧嘩したの?」

「してない。服をじっくり選んで買いたいから1人で行きたいと言われた」

「へえ、本当は一緒に行くつもりだったけど、断られたのね」

「そ、そんなワケないだろ!」


 ぐ……母さんの言う通り、本当は一緒に行くつもりだったが、香澄に断られたのだ。

 香澄め。どうして1人で買い物なんか……

 今日は母さんと二人っきり。親子なんだから、別にいいんだが、何だか緊張するな。


「ゆうちゃん、さっきから何の本読んでるの?」

「ああ、これか。『月刊 ドクドク』だ」

「何それ……」

「新しく発見された毒物や、絶滅した毒物等を紹介している月刊誌だ。毎月楽しみにしてる」

「母さんにも見せて」


 俺は母さんに『ドクドク』を手渡すと、母さんは真剣な表情で『ドクドク』を読む。


「まあ、母さんの知らない毒物がこんなにあったなんて……母さんもまだまだ勉強不足ね」


 思ったより、母さんの反応がいいな。もしかして、面白いのか? てっきり『こんな物騒なモノ読むんじゃありません!』て怒られるかと思ったが……


「はあ、なるほどね。香澄ちゃんの言った通りだわ」


 母さんは俺に『ドクドク』を返すと、笑顔になる。


「ゆうちゃん、将来の事……悩んでるでしょ?」


 俺は母さんの言葉にドキリとする。何故わかった? あと、香澄の言った通りってどういう事だ?


「自分は医師になって何がしたいのか? ――わからなくなってるのね?」


「……まあ……そうだと思う」


「ふふ、素直に答えたわね。じゃあ、大先輩の私からアドバイスを送るわ」


 母さんは後頭部で手を組む。


「まあ、とりあえずでいいから医師になりなさいな。たくさんの患者を救いたいとか、立派な(こころざし)を持つ必要はないわ」


「それじゃ、ヤブ医者になってしまうじゃないか」


「あら、そうとは限らないわよ。立派な志を持って医師になる人をたくさん見てきたけど、そういう人でも辛くて辞める人は多いわよ。逆にゆうちゃんみたいに宙ぶらりんな人もたくさんいたけど、そういう人で名医になる人だっているんだから」


「そ、そういうものなのか?」


「そういうものよ。それとゆうちゃんは医師の仕事の重さに不安を感じてるんでしょ?」


 俺は黙ってうなずく。


「それって実はいい事なのよ。それだけ父さんや母さんの仕事をよく理解しているって事。不安にならない方が不安だもの」


 そうなのか? 俺は黙って母さんの話を聞く。


「そんで、本題。ゆうちゃんは毒性学の分野の研究に興味があると見た」


 小さい頃からずっと魅了されてた分野だからな。大学での毒性学の授業は楽しかった。


「なら、尚更。まずは医師になるべきよ。そうねぇ、例えば――食塩は適度に取る必要はあるけど、非常識なくらいの大量摂取は体に毒よね?」


「そうだな。心臓、肺、脳に大ダメージを与えるから」


「そうそう。それで、そういった人を治すのは最終的には病院でしょ?」


「……確かに」


「研究する前に、まずは医療現場を――患者を知ることが大事よ。母さんの知り合いに研究者はたくさんいるけど――もともと医師や薬剤師をやってたのよ」


 まずは患者を知る事。今までそんな風に考えた事なかったな。


「母さん、ありがとう。何だか心が晴れたよ。俺は……医師になるよ」


「その意気よ。がんばんなさい」


 話の区切りがついたところで、俺はある質問をする。


「ところで母さん。香澄の言った通りってどういうことだ?」


 母さんはニヤニヤしながら、数冊のノートをテーブルに置く。


「な! こ、これは!!」


 俺が小学生の頃に書いた夏休みの自由研究ノートだ。解毒薬の作り方と効能、その他諸々が書かれていた。


「これ、香澄ちゃんが家の掃除をしたときに見つけたらしいのよ。そんで、ゆうちゃんは本当は研究職に向いてるんじゃないかって言われたのよ。母さん、全部読んだけど、子供らしい内容で微笑ましくなっちゃったわ。テーマはアレだけどね」


 母さんはずっとニヤニヤしている。

 ぐあ! 恥ずかしい! 自由研究の中身をよく見たら、誤字脱字とか色々間違ってるじゃないか!


 クソ! 香澄め。明日八つ当たりしてやる。


――翌日、日曜日、午後1時――


「ゆうちゃん! ごめんなさい! 夏休みの自由研究を見られたくなかったなんて知らなかったの!」


 手錠付きの首輪をつけた香澄が、俺の部屋のベッドに横たわり、俺に許しを乞う。

 俺はそんな香澄を真剣な表情で見おろしている。


「香澄、知ってるか?『知らないは罪』だって」


 俺は電気マッサージ機を香澄の弱いところに当てた。スイッチはまだ入っていない。


「え? それはソクラテスの言葉で『無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり』だよね? 意味は『学んで行動する人が成功する』でしょ? 使いどころ違うよね?」


「香澄のくせに真面目に口答えするな」


 俺は電気マッサージ機のスイッチを入れた。


「うきいぃぃ! 許して! 許してぇ! ゆうちゃああん!」


「許さない。俺の気がすむまで絶対に」


 香澄の猿のような悲鳴を聞いて、俺は笑顔になった。

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