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優しい人

 俺は柳木優一。H大学5年生だ。

 刑務所を訪れた俺は、恋が実らなかった優しい男の真実を知る。


――7月、月曜日、午後2時――


「久しぶりだな。優一。元気そうじゃねぇか。大学はどうしたんだ?」


「大地は少しやつれたな。今日の講義や実験は終わったんだ」


 俺は大地と面会するため、刑務所に来ている。久しぶりに見た大地は相変わらずのアホ面である。


「大地。今日はお前に聞きたい事があって、ここに来た」


 大地は『ん?』と首を傾げる。


「大学卒業式の日。お前はどうして、香澄と心中しようと考えたんだ?」


 俺の問いを聞いた大地は、笑顔になる。


「優一さ、愛する人が五体不満足で苦しむのを見るの、耐えられるか? 俺は耐えられないぞ。だから、心中しようと考えた」

「あのな……それなら、なぜ、以前、お前の変態プレイを押し付けたり、香澄を監禁したんだ。香澄はもとの優しい大地に戻ってほしくて、苦しかったんだぞ」

「まあ、そりゃあ、苦しんでるのを見るのが耐えられないとは言ったけど……その頃からの俺は余裕がなくなってたんだよなぁ……香澄が俺を愛してくれないと俺は呪いで消えるんだよ」


 呪いだと? バカバカしい。バカバカしいが……俺は大地の話が妙に気になった。


「俺の両腕と両脚には、自分にしか見えない呪いの刻印があるんだ。町の人たちはご先祖様の呪いだって言うんだよ。俺たちのご先祖様はどうして、俺とるりだけにこんな呪いが降りかかったんだか……わかんねぇよ」


 呪いをかけられたのは大地と妹だけ……何か意味があるのだろうか?


「この刻印はさ、両思いになるか、結婚するか、愛する人の手脚を切り落として閉じ込めてしまうか……そのうちのどれかを選べば、刻まれる事はないんだ」


「プロポーズした日の夜、俺の体に刻印が刻まれていたのを見て、驚いたよ。俺と香澄はお互いの両親に会って、結婚の約束をした。俺が愛情をたくさん与えれば、香澄はそのうち俺を愛するようになって、呪いは消えるだろうって甘く考えてた。だから、呪いのことはあまり考えないようにしてたんだ」


 大地が周りの忠告も聞かずに結婚にこだわる理由。

 大地が一方的な愛情を香澄に押し付ける理由。

 大地が抱えている魔物の正体。

 それは、全て呪いなのだろう。


「でもさ……香澄はお前の話をすると、穏やかな女性の表情なんだ。俺と話すときは、ずっと穏やかな先生の表情なのにな。俺はだんだん不安になってきたよ。香澄が愛しているのは、優一なのかもって」


「大地。その呪い、最後はどうなるんだ?」


 大地は腕まくりをしたあと、腕を眺める。しかし、大地の腕には何も刻まれていない、綺麗な腕をしていた。


「親父から聞いた話だと――刻印は最初は赤色をしているんだが、そこから徐々に色が変わって最後は真っ黒になる。そうなったら、手脚が引き裂かれ、最後は俺自身、灰になって消える。そして、人々の記憶から俺の存在が消えてなくなるんだ」


「ちなみにさ、色が変わる速度は人それぞれなんだ。俺のはまだ赤いから、変わっていく速度からしてあと5年くらいは生きていられる。5年という年月は長いようだけど、あっという間だ」


 大地は陰鬱な表情になる。単細胞バカの大地がこんな顔をするのは初めて見た。いつもアホ面だっただけに、複雑な気持ちだ。


「だけど悲しいよな。優一や香澄や悟――家族の記憶から俺の存在が消えるんだぜ? このまま記憶から消されるくらいなら、さっさと死んだ方がマシだよ」


「香澄と離れた直後――最初は1人で死のうと考えた。でも、1人で死ぬのが寂しくなってな……その時、また香澄にまた会いたい、もう一度香澄を迎えに行ってやり直したい、て思うようになった。そんで、ミナトの葬儀の時に会った時、香澄からハッキリと優一を愛してる宣言を受けた。そんとき、俺の中の何かが切れたんだよ。もうダメだ、こうなってしまっては……香澄の手脚を切り落として閉じ込めてしまおう、て思った」


「ところが、優一の家を突き止めた日、香澄の姿を見た時は舞い上がったよ。そのあと、思ったんだ。やっぱり……香澄の手脚を切り落として閉じ込めるなんてできない……いっそ、一緒に死にたい、て考え始めた」


 なんて自分勝手なヤツだ。しかし、大地の言葉の端々から、深く悲しい闇が感じられた。そのせいか、俺は大地を強く責めることはできない。俺はため息をつく。


「大地は相変わらず人の気持ちを考えないな。勝手に死ぬのは身勝手だぞ。そんな事情があるなら、どうして俺や香澄、青倉に相談しなかったんだ?」


「……そうだな。でもさ、その時に呪いの話をしたところで、お前たちは信じたか? 刻印だって、俺にしか見えないんだ。俺に出来ることは香澄に結婚を申し込む事だけ」


 世間から見たら、大地は香澄を誘拐して傷つけた加害者だが、大地もまた被害者であった。

 香澄から、桜田の自殺未遂の話を俺は聞いた。

 高校生だった大地は桜田の自殺を止めるのを手伝った。しかし、呪いに冒されてからは闇の中でもがき、自死を考えるようになった。ご先祖の残した身勝手な呪いは大地を哀れな魔物に変えてしまった。


「大地。その呪い、何とかならないのか? 俺に出来ることがあれば、協力する。あ、香澄の愛情以外でな」


「そんな前提条件つけられたら、何とかする方法なんかあるワケないだろ。あるとわかってたら、香澄と心中しようなんて思わないからな」


 あっさり無いと言われた。本当に無かったのか?


「それにさ、俺はもう諦めたよ。香澄は優一への揺るがない愛情を俺に示した」


 大地の言う揺るがない愛情とは――香澄の目を傷つけられる前……香澄が小声で大地に呟いた内容だ。

 大地は綺麗な腕を見つめながら、乾いた笑みを浮かべる。



「卒業式のプロポーズ……俺の運命はその時点で終わってたんだな」



 大地のつぶやきを聞いた俺は唇を嚙みしめる。

 呪いなんてこの世に存在するかどうかはわからない。しかし、自分の運命を決めるのはバカバカしい呪いではない。


「大地。ご先祖の身勝手な呪いに甘んじるな。その呪いを何とかする方法……一緒に考えないか? あ、香澄の愛情以外でな」


 ありきたりな慰めだ。こんな慰めが大地の心に届かない事は知っている。だが、俺はどうしても大地を放っておけなかった。今の大地は、昔の俺なのだ。

 俺の慰めの言葉に反応するかのように、大地は俺に視線を向けたあと、微笑する。


「ふん、いつも澄ました優一にしては熱いセリフだな。つーかさ、香澄の愛情をいちいち付加すんな」


 大地の心に届いたかはわからないが、大地の目には少しだけ……光が灯っているように見えた。


「……俺からも質問していいか? 優一は理想の家族像を持ってるか?」


 大地の問いは、なんてことはない問いだった。しかし、大地にとっては意味のある問いなのだろう。


「俺の理想の家族像は、仲のいい家族だ。俺は子供の頃から寂しい思いをしてきたからな。ずっと憧れていた」


「あ、俺と一緒だな。うーん、子供はな――俺は3人兄妹だから、同じように3人がいいな。一姫二太郎が理想よ」


「この単細胞バカめ。養育費にいくらかかると思ってんだ。せいぜい2人が限界だろ」


「なんだよ……人の夢にイチャモンつけんな! この変態陰湿ストーカー野郎!」


 このやり取り……懐かしい。


 呪いに怯えていたにもかかわらず、大地は香澄の手脚を切り落とすことはしなかった。

 香澄と一緒に死ぬと言ったわりには、大地は香澄を殺さなかった。

 もし、大地が呪いに怯えていただけなら、とっくに香澄の手脚を切り落として、自分の実家に閉じ込めていただろう。

 香澄に一方的に愛情を押し付けたり、青倉を事故死させたり――大地の愛し方はとても褒められたものではなかったが……それでも、大地の香澄への愛情は――プロポーズは本物だった。俺は今更ながらに、それを痛感した。

 まさしく、命懸けの恋、であった。


 ……


「そろそろ時間だな……大地。また来てもいいか?」


 大地は俺に向かってアッカンベーをする。


「はあ!? もう来んなよ。優一を見ると、香澄を思い出してしまうわ。ハッキリ言って辛すぎんだよ。あと、俺に気を遣って呪いを消す方法を探る、ということもやめろよ」


 俺に来るなと――もう何もするなと――大地からハッキリと言われた。大地は生きる事を諦めてしまったのだろうか……もう、俺にはどうする事もできないのか?

 ただ、俺は大地の気持ちが痛いほどわかる。だから、俺は――


「そうか。大地がそう言うなら――もう大地の前には現れない。呪いの事も全て忘れる。香澄にもそうするように伝えておく」


「おう! 優一は話が早くて助かるぜ。ミナトなら、しばらくダダをこねてたかもな」


 しばらくの沈黙が流れたあと、大地はクス、と含み笑いをする。


「ミナトの事。あれは事故だったんだが……俺は取り返しのつかない事をしちまった。夢の中の見知らぬおばさんから、ミナトを手抜き工事の現場の近くまでおびき寄せて事故死させろって言われたんだ。笑っちゃうよな。どんな理由があるにせよ……俺は悪魔に魂を売っちまったんだな」


 夢の中の見知らぬおばさんか。夢を信じるなどバカだな、と言いたいところだが……それだけ、追い詰められていたのかもしれない。

 しかし、妙だな。大地は夢の見知らぬおばさんの言う通りに行動し、青倉を事故死させた。

 大地の見た夢って一体? 気になるが、ここで聞いてしまえば、また深みにはまってしまう。これ以上、聞いてはいけない……忘れるんだ。


「なあ、優一。呪いを消す方法――さっき、あるワケないって言ったけど、実は思い当たる事はあるんだ。ただ、俺にとってはとても辛い事なんだけどな」


「何だ? これで最後なんだから、教えろ」


「俺は香澄を愛した。だから、俺は香澄を憎む。愛の真逆の状態になれば――呪いは消えるんじゃないかなぁって」


「……そんなんで大丈夫か?」


「だから言っただろ。思い当たる事なんだって。実は昔な、優一との関係について、香澄にキツく問い詰めた時があってな――頑なにしゃべらない香澄に対して、俺は憎悪の念が湧いてきて襲い掛かったんだ。その時気づいたんだ。腕の刻印が薄くなっていたの。ひょっとしたら、香澄を憎む事で呪いはなくなるかもしれない。そのためにも――お前たちとはもう会わねぇよ」


 人を愛する事は難しいのと一緒で……一度愛した人を完全に憎む事もまた難しいはずだ。

 大地にとっては辛い試練だが、可能性が1%でもあるのなら……やむを得ないか。


「そうだな。俺たちはもう大地とは会わないが――せめて、大地が幸せに生きる事を祈るのは許してくれ」


 大地を忘れない事……それが大地の存在の証明になる。


「……お、おう! 俺に関わらなければ何でもいいぜ。じゃあな、優一。お前とのおしゃべりは楽しかったぜ」


 大地はアホみたいな笑顔で笑った。作り笑顔ではない、いつもの大地の笑顔だった。


「俺もだ」


――夕方――


 刑務所から出た俺は、沈みゆく夕日を眺める。まともに太陽を見たのは久しぶりであった。

 こんなに清々しい気持ちは何年ぶりだろうか……忘れてしまったな。


 俺は香澄の待つ家に帰って行った。

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