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妖怪鬼ばば、再び

――


 ……


 香澄()はふと、目を開く。

 周囲を見渡すと、辺りは暗闇に包まれており、どこまでも静寂が広がっている。

 ここはどこだろう? 私は前方へ歩みを進めた。


 ――私、確か佐々本くんに目を切られて――海に落ちたんだっけ……

 少しずつ記憶を整理していくうちに、自分は死んだのかもしれない、と考えるようになった。


 ゆうちゃんを置いて死んでしまうなんて……ゆうちゃん、大丈夫かな?


 不安な気持ちを抱いた私は立ち止まる。すると、前方から見覚えのある女の子が私に近づいてくる。

 その人は、私のよく知っている中学生の女の子――月子ちゃんだった。



「香澄」


「月子ちゃん! 私、死んじゃったのね? うう……」


「はあ、香澄ってば。いい歳して……ここで泣かないで。ほら、後ろ向いたら、ひたすら真っ直ぐ進むのよ。それで、現世に戻れるから。まったく香澄は手間がかかるんだから」


 月子ちゃんは私の背後を指差した。

 月子ちゃんのキツい物言いに、私は懐かしさで胸が一杯になった。


「うん、わかったわ。月子ちゃん。ありがとう」


 少しの間でも、月子ちゃんとお話しできて良かった。私は後ろを振り向こうとすると……


「あら、香澄ちゃん。現世に戻ってもいいのかしら?」


 また聞き覚えのある声。私の前方から、年老いた女性が近づいてくる。

 月子ちゃんは表情を険しくさせ、その女性を睨む。


「何しに来たのよ?」


 その人は……洋子おばさんだ。月子ちゃんの実の母親であり、ゆうちゃんの育ての親である。そして――ゆうちゃんの話によると、佐々本くんの叔母でもある。


「あら、月子ちゃん。ひどいじゃない。実の母親に向かってなんて口の聞き方かしら」


「私は貴女を母親と思ったことは一度もないわ!」


 月子ちゃんは洋子おばさんを拒否しているようだ。私から見た洋子おばさんはとても優しそうなのに……


「ねえ、香澄ちゃん。現世に戻ったらどうなるか知ってる? 香澄ちゃんは目を傷つけられた。そう、アナタはいつか目が見えなくなるかもしれないのよ」


 私は佐々本くんに目を傷つけられた。いつか失明する時がくるかもしれない……これから先、私は厳しい現実に直面するだろう。


「……わかってます。でも、私はゆうちゃんを置いて死ぬ事はできません」


 私の言葉を聞いた洋子おばさんは穏やかな笑顔を浮かべる。


「プッ! 何言ってんの? バカじゃないの? バカ香澄♪」


 私は洋子おばさんを凝視した。洋子おばさんは雰囲気はいつも通りだったが、口調や声が変わり果てていた。信じられない……これが、優しかった洋子おばさん?


「本性出たわね。香澄、これがこの人の正体なのよ」


 月子ちゃんは至って冷静だ。ひょっとして、月子ちゃんは洋子おばさんの事知っていたの? あ、でも実の母親だから知っていても不思議ではない。


「目が不自由なバカ香澄の面倒を誰が見ると思ってんの? 他の誰でもない、優一とその母親でしょうに。これから先、バカ香澄は死ぬまでお荷物になるだけよ♪」


 洋子おばさんの言う通りだ。私はこれから不自由な生活を強いられるかもしれない。ゆうちゃんとゆうちゃんのお母さんの助けが必要になる。


「優一はまだ甘ちゃんだから、愛の力で何とか出来るかもしれないけど……優一が大学卒業して、本格的に医師として仕事したらどうなるかしらねぇ? 仕事が忙しくなって……バカ香澄の面倒見るのが嫌になるかもね♪」


 洋子おばさんの言い方はさておき、あながち間違ってはいないのかもしれない。ゆうちゃんはまだ大学生である。勉強で忙しい身ではあるけど、まだ時間を作れる。大学を卒業して、お医者さんになったら……どうなるかはわからない。


「香澄! その女の言う事を聞かないで! 優一はそんな子じゃないわ! 私がよく知ってるもの!!」


「あらぁ、月子ちゃんが知ってるのは、子供の頃の優一じゃない♪ 今はどうかしらね?」


「そもそも、貴女は子供の事全然見てないじゃない。貴女は優一のこと、わかってるの?」


「んー? もちろんよ。優一はねぇ、口が悪くて、ふてぶてしくて、そんでもって根暗ね。あ、でも見た目だけは良かったわね。うふふ。ホント、惚れ惚れしちゃう♪」


 これが洋子おばさんの本音……私は洋子おばさんの豹変にただ、困惑するだけだった。


「んふふ。私はねぇ、あの女――優一の母親と優一がブッ壊れるのが楽しくてしょうがないのよ♬」


「どうしてですか?」


 私は洋子おばさんの話を聞いてみる事にした。

 私はまだ信じられないのかもしれない。私の知っている洋子おばさんは、優しい人だったもの。

 月子ちゃんは、『話を聞くのはやめた方がいい』と言いたげな表情で私を見つめていたが、私は月子ちゃんに笑顔を向ける。


「だってぇ、あの女は、修一(しゅういち)さんの奥さんで、優一はあの女の実の子供。修一さんが本当に愛しているのは私なのに……私は愛人よ? おかしくない? あの2人を見ると本当に憎たらしい。あ、でも――あの女の悪口を優一に吹き込んでる間、笑いを堪えるの大変だったのよ。優一はいいオモチャだったわね♪」


 柳木 修一、ゆうちゃんのお父さんの名前だ。2人は本気で愛し合っていたのか――私にはわからないけど……でも、洋子おばさんは本当にゆうちゃんのお父さんを愛していたのだろうか?

 私は洋子おばさんの様子に違和感を感じる。


「あの、洋子おばさん。その……ゆうちゃんとゆうちゃんのお母さんは、オモチャじゃありません。人間です」


 私の訴え――洋子おばさんには届かないだろう。きっと。


「バカ香澄はいつも綺麗事ばかりね。お前のそういうとこ――イラつくし、目障りね」


 ……やっぱり届かなかった。


「あ、そうそう。バカ香澄。私の姪っ子のるりちゃん、一途でいじらしいわね。洋子おばさん、夢の中でるりちゃんにエール送ったのよ」


 るりちゃんの夢に?


「桜田くんをそんなに好きなら、手脚を切り落としてしまえばいいのよってね。桜田くんの好きな人だっけ? その子には毎晩悪夢を見せて心を壊してあげたの。悪夢から解放されたければ、浅浦町の海帰りの崖から身を投げなさいってアドバイスしてあげたわ。ぷっぷっぷ。すっごく楽しかったわぁ」


「そんな……」


「他にもあるわよ。青倉くんだったかしら? 青倉くんは大地くんの障害になるから殺してしまいなさい……手抜き工事しているビルがあるから、そこで青倉くんを鉄骨の下敷きにしろって――夢の中で大地くんに言ったのよ。大地くん、よほどバカ香澄に会いたかったのねぇ。ホント、可愛いこと」


 私は身震いが止まらない。穏やかな笑顔で恐ろしい事を嬉しそうに、淡々と話す洋子おばさんが怖かった。


「……なんて事を」


「香澄。ごめんなさい……私では、あの人を止められなかったの……ごめんなさい」


 月子ちゃんは両手で顔を覆い、震えていた。月子ちゃんの悔いが嫌ってほど伝わってくる。


「私の生まれ育った浅浦町」


「私はもの心ついた時から忌子として、暗い場所に長年閉じ込められていたのよ」


「私が18の誕生日の日。私は見張りの男を誘惑して殺した。そして、町から脱走したわ」


「それから10年経って、私は運命の出会いを果たしたのよ♩ そして、2人の愛の結晶ができた」


 洋子おばさんは恋する乙女のようだ。


「反吐が出るわね」


 月子ちゃんの顔はとても暗かった。


「だけど、あの女がいつも邪魔するのよね。ホント町の連中とあの女とその子供。みんな許せない。地獄の苦しみの中でもがいて生きていくがいいわ」


 洋子おばさんは静かに呟く。その姿はとても恐ろしかった。


「私にとって、一番邪魔なのはバカ香澄なのよ」


 洋子おばさんは私の目の前に立つと、相変わらずの穏やかの笑顔で私に話を続けた。


「私、小さい頃から優一に色々吹き込んでいるんだけど……優一ってば、なかなか完全に壊れてくれないのよ。それはね、バカ香澄がバカな事をたくさんやっているせいなのよ」


 え? 私、そんなにバカな事をしてたっけ……?


「身の程を弁えずに月子ちゃんの友達になったり、クソまず飯を優一に押し付けたり、優一の遊び相手になったり――挙句の果てには月子ちゃんに代わってお姉ちゃんの座を乗っ取ろうとしたり……」


「そんな! 料理はともかく……他はバカな事じゃありません!」


 私は耐えきれず、洋子おばさんに反論した。

 すると、洋子おばさんは私の手を掴むと、私をグイっと引っ張りながら歩き始めた。


「ちょっと! どこへ行くんですか? 離してください……」


「香澄! このまま黄泉の国へ引きずり込むつもりね! させないわよ!」


 月子ちゃんは私の空いている手を掴み、踏ん張る。しかし、洋子おばさんの方が力が強かった。

 私は洋子おばさんの手を離そうと必死で足掻くが、おばさんは決して手を離さない。

 洋子おばさんの華奢な体からはとても想像できないくらいの強さだ。


「無駄よ。バカ香澄に月子ちゃん。ここは現世と黄泉の国の境目。怨念でも邪念でも何でも……心の強い魂が強いのよ。そう、香澄ちゃんはこのまま死ぬの。そしたら、優一は完全に壊れ、柳木一家は完全に崩壊。あぁ、修一さんに見せてあげたいわぁ」


 洋子おばさんの強さはきっと……柳木一家の崩壊とゆうちゃんのお父さんへの思い。

 私は足を踏ん張る。


「あら? バカ香澄。まだそれほどの心の強さを持ってたの? さっきのやり取りで心をすり減らしたと思ってたのに」


「私はゆうちゃんを1人にできないわ」


 洋子おばさんの話を聞いた私は、ゆうちゃんを置いて死ねないと更に強く思うようになった。

 私がこの先、失明しようがどうなろうが関係ない。


「よく言うわね。大地くんの人生を壊した張本人のくせに♬」


 洋子おばさんから放たれた一言は私の心をえぐった――が、私には心に決めた事がある。それを垣間見た佐々本くんは私に失望した。


「私はゆうちゃんを守るためなら、どんな汚い事でもやるわ。佐々本くんや、洋子おばさんになんと言われようと関係ない」


 月子ちゃんは私の手を力強く握る。


「香澄……香澄のくせに……そんな事を言うなんて……」


 私の言葉を聞いた洋子おばさんは表情を豹変した。穏やかな顔から、鬼の形相に変わる。


「バカ香澄が! バカ香澄のくせに! キェァァアア!!」


「香澄! 負けてはダメよ! このままだと、黄泉の国に飲み込まれるわ!」


 洋子おばさんはさっきとは別人のように雰囲気に変わった。そのせいか、更に力強く私を引っ張る。うう、負けたくない! 負けたくないのに!


 ……


「あれ? 柊先生?」


 聞き覚えのある声が響く。私は声の方向を見ると……


「ミナトくん!」


 片手にバットを持ったミナトくんが姿を現した。

 どうしてバットを持ってるのかしら? もしかして、黄泉の国にもバットが存在するのかしら?


「あ! やっぱり柊先生! もしかして……先生も死んだの!? うがあぁぁ」


 ミナトくんはものすごいスピードで私と洋子おばさんに近づいてくる。


「ミナトくん、私はまだ生死の境にいるの」


「え? そうなんですか? じゃあ、早く現世に戻らないと……柊先生が死んだら、柳木が鼻水垂らして大泣きするんじゃないですか?!」


「洋子おばさんが手を離してくれなくて……おばさんの力が強くて、離れられないの」


「こら! おばさん! 柊先生の手を離せよ! 柊先生はまだ死んでないでしょうが!」


「うるさいわね! 外野は引っ込んでちょうだい!」


 ミナトくんはバットを落としたあと、洋子おばさんと私の手首を掴む。

 それから私と洋子おばさんの手をアッサリと引き離した。


「え?」


「ん? なんかアッサリ離れた……せ、先生……?」


 ミナトくんは、不安な表情で私を見る。


「え?……あ、ありがとう、ミナトくん」


 私は踏ん張るだけで精一杯だったのに、ミナトくんは私と洋子おばさんをアッサリ引き離してくれた。


「な、な、な……私の力が全く通用しないわ……何なの? このガキ!」


 洋子おばさんは激しく動揺している。

 もしかして……これは、ミナトくんの鋼メンタルのなせる技?


「ミナトくん。どうしてここに?」


「え? ああ、俺、あの世に来たばっかりでする事がなかったんで、とりあえずバットで素振りをやってたんですよ。そしたら、とある方向からものすっげー怨念を感じて本気でブるってたんですけど、その怨念の中に懐かしい感覚を感じて――そんで気になって行ってみたら、柊先生がいた、というワケです」


 怨念で震えてたわりに、アッサリ来るんだ……ミナトくんの鋼メンタルは死んでも健在だった。

 ひと通り説明したあと、ミナトくんはバットを拾い、月子ちゃんの方を見る。


「あの……そちらの女の子は誰ですか? 先生の知り合い?」


「初めまして。柳木月子です。優一の姉と香澄の友達です。中学の頃、事故で死んでしまったの」


 月子ちゃんは笑顔で自己紹介を始めた。


「なんと! そうだったのか……中学生という若さで……俺、青倉ミナトです。よろしく。柳木の知り合い兼、柊先生の元生徒です」


 呆然とする洋子おばさんを前に自己紹介する2人。なんとも言えない光景だわ。

 自己紹介を終えたあと、ミナトくんは洋子おばさんに近づき、顔を覗かせる。


「おばさん、なーんか、どこかで見たことあるような……」


「はぁ? アンタみたいなクソガキ、一度も会ったことないわよ!」


「絶対どこかで見たんだよな……うーん……」


 ミナトくんはしばらく考え込んだあと、思い出したかように手をパン!と叩く。


「あ! 思い出したぞ! 小さい頃、怖い絵本で見た! おばさん、『妖怪鬼ばば』だな!?」


 え!? 私と月子ちゃんはミナトくんの発言に驚愕する。ミナトくん? 洋子おばさんは人間であって、妖怪では……


「よ、よ、よ、妖怪鬼ばば!?」


 洋子おばさんも驚愕していた。

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