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誓いの言葉は終わりのない茨の道

自慰注意

――夜10時――


「ゆうちゃん……」


 香澄()は1人、暗闇の中で警察の到着を待っていた。ゆうちゃんに連絡してから、1時間が経過した。私は恐怖を紛らわすように、ゆうちゃんの名前を呟く。


 私は今、金田くんの別荘の個室の中に避難している。他にも身を隠せる場所がないか探したけど――金田くんの別荘以外にいい場所がなかった。

 玄関には鍵がかかっていたため、大きな石で窓ガラスを破った。そして、ガラスの破片で手を縛っていたロープを切り、窓の鍵を開けたのだ。

 ああ、窓ガラス、あとで金田くんに弁償しなきゃ……


 佐々本くんもいつか、この場所にたどり着くかもしれない……私はそう考えると、怖くて怖くて仕方がなかった。


 私は月子ちゃんの事を思い出した。月子ちゃん……小さい頃からずっと一緒にいた私の大事な友達。月子ちゃんは屋上から事故で亡くなった。月子ちゃんは最後、どんな気持ちで死んだのだろうか? 怖かったのかな。


 私は次にゆうちゃんの事を思い出した。ゆうちゃん……悟くんを助けるために、自ら危険な場所に入り込んだ上に、包丁を持ったるりちゃんに果敢に立ち向かったゆうちゃん。怖くなかったのかな。


 2人は私なんかよりも遥かに強い人たちだ。私なんて、足がすくんでとても動けないわ。ゆうちゃんたちは私を強いと言うけれど、違う。私は臆病者だ。臆病な心を必死に抑え込んでるだけ。

 私に2人の……立ち向かう勇気が、10分の1でもあれば……

 臆病者である自分の情けなさに、涙がホロリと流れる。



 ――ギシ。


 ――――ギシ。


 ――――――ギシ。



 微かな足音が響く。少しずつ、ゆっくりと歩みを進めている。

 佐々本くん? 恐怖が全身に伝わり、鼓動が一気に加速する。


 私は声を押し殺しながら、個室のクローゼットに身を隠すと、クローゼットの隙間から外の様子を観察する。

 しばらくすると、個室に人が入ってくる。


「あんれー? 香澄、ここにもいないのか」


 やっぱり佐々本くんだ。別荘の窓ガラスが割れているのを見て、中に入ったんだ。お願い……このまま立ち去って……


「……」


 佐々本くんはしばらく無言でその場から離れない。

 どうしたの? もしかして、私がここにいた事――気づいたの? 沈黙のあと、佐々本くんは個室の探索を始める。


 私は佐々本くんの片手にある物を持っている事に気づいた。それは――ノコギリである。私の手脚を切り落とすつもりなんだ……全身の力が抜けていくのがわかる。私は息を殺す事で精一杯だった。


「――はあ、疲れたな。ひと休みするか」


 佐々本くんはそう呟くと、ベッドに横たわる。

 よりにもよって、どうしてここで休むの? 早く出て行って!


「あーあ。息子がずっと元気なんだよなぁ。香澄に電気マッサージ機押し当てられたせいだなぁ」


 え? 嘘……まさか……嫌な予感がする。

 佐々本くんはうつむきながら、モゾモゾと動いている。

 やめて! こんなところでしないで! 私は耳を塞ぎ、目を瞑る。時々、佐々本くんの声が耳に響く。私は胸が熱くなってくる。


 もうやだ……やめて……


 ……


――


 しばらくしたあと、佐々本くんはしかめっ面で窓の外をジーっと眺める。そして、ノコギリを片手に個室を出て行った。

 もしかして、警察が来たの? 期待で胸を膨らませた私はクローゼットから出ると、呼吸を整える。


「はあ、はあ……はあ……頑張れ、私」


 私は自分を励ますかのように、鼓舞する。頑張れと言っても佐々本くんに立ち向かえないのは知っている。ゆうちゃんが私の居場所を知っている――その事実を希望に私はここから立ち去る勇気を振り絞る。


 個室のドアをそっと開けると、私は周囲を確認する。誰もいない。私は個室を出ると、玄関に向かう。


「もう少しよ……早く外に出なきゃ」


 私は玄関のドアを開け、外へ一歩踏み出す。すると――


「香澄、どこ行くの?」


 私の背後から低い声が聞こえた。私の中の希望は一瞬にして砕け散った。

 佐々本くんに見つかった……!?

 私は周囲を見ず、無我夢中で走り始めた。


――


「――はあ、はあ、は、は……」


 高鳴る心臓を無視して、必死で走る。足が思うように動かなくなってきた。でも、逃げないと……どうなるか……私は今、恐怖と限界を天秤にかけている。


「――あ!」

 

 私は石につまづき、前方に思いっきり転んだ。うつぶせの状態から立ち上がろうとするが、足が震えて叶わない。

 お願い! 私の足! 動いて! 私は心の中で思いっきり叫ぶ。


「香澄ぃ。もう終わりか?」


 佐々本くんの声が私の上から降ってくると、私の背中に何かがのしかかる。

 佐々本くんが私の上にのっかったのだ。そして、ノコギリを私の顔の横に立てる。ノコギリは月明りに照らされて鈍い光を放っており、波の音だけが静かに響き渡る。


「クローゼットの中に身を隠していたところまでは良かったのに、急に油断したよな。俺が窓を外を見たから、警察が来たってうっかり思っちゃったか? 香澄は本当に可愛いよなぁ」


 佐々本くんの言葉――私がクローゼットの中に隠れていた事、全部知っていたのね。

 私に見られているのを知っていて、ベッドの上であんな事をしたのね……私の心は虚しさで満たされる。


「これ以上追いかけっこしたって、疲れるだけだって。そろそろ休まないとダメだろ。目ぇ真っ赤にして……今の香澄の顔とても見られないくらいひどいぞ」


 私は佐々本くんに顔を向けると、彼は笑顔である。そして、どこか惚けている。私の心情とは正反対だ。


「佐々本くん、もうやめて……こんな事したら、佐々本くんもるりちゃんと同じように……罪を償わなきゃいけないのよ」


「香澄、心配はいらないよ。だって、俺は香澄と一緒に旅立つんだから」


「どこに?」


「さあ。天国か地獄か……どこだろうな」


 それってもしかして……! 佐々本くんの言葉に私の心は揺さぶられた。


 ……


 ――もうダメだ。全身は言う事を聞かないし、今の私に佐々本くんを退ける術はない。


 ゆうちゃん。


 優……


 ……


――夜12時――


 ――♪♩♬


 静寂が広がるリビングにスマホの着信音が空しく響く。スマホを確認すると、警察からだ。


 優一()は家で1人、香澄の帰りを待っている。どうしてだろうか……心のざわつきが治まらない。こんな時間になってもちっとも眠気がこない。

 ただ無事を祈って待っている事がこんなにも辛いとは思わなかった。こんな事なら、一郎の静止を無視してでも香澄のもとに行けば良かった……今はそんな気持ちでいっぱいだった。


 一郎は家に戻った。一郎は一緒に待っていると言ってくれたが、俺は帰るように促した。

 母さんは、手術やら病人の面倒見で忙しい身だ。簡単に病院から離れる事はできずにはいたが、先ほど、家に帰ると連絡がきた。


 俺は電話に出る。


「もしもし。はい、はい……――え!?」


 電話の内容を聞いた俺は、ただただ、自分の耳を疑った。


 ……


――


「ただいま、ゆうちゃん! 香澄ちゃんは無事なの!?」


 警察からの電話を終えたと同時に母さんが家に帰ってきた。声からは心配と焦りが感じられた。


「母さん、これから一郎の別荘まで出かけてくる」

「一郎? ああ、金田くんね。何かあったの?」

「大地が俺を呼べと……そうしないと香澄の命はないと……警察からそう連絡がきた」


 警察が駆けつけた時――大地がちょうど香澄にノコギリを振り下ろそうとする瞬間だったらしい。警察の到着を察知した大地は、香澄を盾に取ったとの事だった。

 その後、大地は俺を呼べと要求してきた。一体、何を考えている?


「そんな……危険よ!」

「危険なのは香澄も同じだ。それに……大地は話がしたいだけと言ってたらしい」

「ゆうちゃん。私は医師である前に、ゆうちゃんの母親よ。いざという時は――自分の命を大事にしてちょうだい。月子が死んでしまって……ゆうちゃんまでいなくなったら……私は……」


 母さんはうつむいた。泣きたいのを我慢しているように見える。


「……行ってくるよ」


 俺は『わかった』と言えなかった。正直、俺はどう答えていいのかわからなかった。はっきり言って、俺や香澄がこの後どうなるかわからない。嘘でもいいから『わかった』と良かったのだろうか……



――深夜12時――


「あの……香澄は……!」


 一郎の別荘の近くに車を停めた俺は、近くにいた警察官に状況を尋ねた。


「あ、柳木さん……申し訳ありません。状況は変わらずです。下手に刺激して、柊さんに何かあっては大変ですから……」


 警察官からそう言われ、俺が案内された場所は――見覚えのある場所だった。

 5年前、姉さんをいじめていた女たちが落ちた崖。

 これは運命のイタズラなのか? 崖の先には、海側を背に大地と香澄が立っていた。大地は香澄を盾にしており、香澄の首にはノコギリの刃があてられている。

 香澄は精魂を搾り取られたような表情をしている事から、精神状態が良くないのがわかる。

 対して大地は、憎たらしくもアホ面で笑顔であった。


「優一。来たな」


「……俺に何の用だ?」


 俺は大地に近づこうとするが、警察官が俺を引き止める。


「なあ、優一。最後に確認させてくれよ。5年前……この辺りで行方不明になった人がいるんだってな」


「……――!」


「優一。犯人はお前じゃないのか? 行方不明になったその人たち――優一のお姉さんをいじめてたんだろ? お姉さんは不幸な事故で死んだとか言ってたけど、本当はいじめのさなかの事故で死んだんだろ? そして、お前は恨みでつい……やっちまったんじゃないか? 香澄だってお前がやったんじゃないかって疑ってるんだぜ」


 大地が俺を呼んだ理由。何となく見えてきた。

 警察が来て、後がなくなった大地は……大人しくせず、警察を呼んだ俺に『嫌がらせ』をしようとしている。

 警察官の前で、俺の過去の事を晒して……俺を逮捕させるつもりだ。

 このままだと大地だけが逮捕され、香澄は俺のもとに戻る。そうはさせまいと――大地は考えているな?



「大地。俺はやってない。あの人たちは、クスリでおかしくなって、そのまま崖から落ちた。当時の捜査の結果だ。恨んではいるのは事実だが、復讐するだけの度胸を持ち合わせてはいない」

「本当か? クスリでおかしくなったのはいいとして、お前がそのまま後ろから突き落としたんじゃないのか? お前がやってないって証拠はないんだぜ?」

「それを言うなら、俺がやったという証拠もないんだが。この単細胞バカめ」


 俺の周囲にいる警察官はざわつく。中には当時の事を知っている警察官もいるかもしれない。

 5年前の事故。今となっては、何の証拠も残されていない。俺は思考を巡らせる。


 俺がやったと言えば……大地は香澄を解放するだろうか?

 どうする? いっその事、俺がやったと言ってしまおうか?


 もし、それだけで香澄を無事に開放してくれるなら――俺は本望かもしれん。


 しばらくの沈黙のあと、俺は口を開きかけると、香澄が微かに口を動かす。


「違う。ゆうちゃんはやってないわ。ゆうちゃんは無実よ……5年前の事は事故だったのよ」


 香澄は俺の無実を訴えた。俺の事を信じてくれているのか?

 香澄の訴えを聞いた大地は笑顔から一転し、困った顔で香澄を見つめる。


「何だよ、香澄。昔言ってたじゃんか。『ゆうちゃんがやったんじゃないか』ってな。あれか? 優一を信じてるとか――そういうヤツか?」


 香澄は更に口を動かす。声が小さすぎて聞き取れない。


「――ッ!!」


 香澄の言葉を聞いたであろう大地は――苦痛に満ちた表情になり、ボロボロと涙をこぼす。


「う、香澄ぃ……どうしてだよ? どうしてアイツのためにそこまでするんだよ……俺は、そんな最低な香澄を見たくなかった!」


 大地の言葉からは悲しみが伝わってくる。香澄の言葉にショックを受けたのだろうか?

 大地は俺や香澄の言葉をあまり聞かず、自分の思った通りに真っ直ぐに突き進む男だ。そんな大地が……香澄の言葉を受けて取り乱した。香澄は一体何を言ったんだ?


 大地は手に持っていたノコギリを落とす。それを見た警察官は一斉に飛び出そうとする――が、大地はスーツのポケットから、サバイバルナイフを取り出し、警察官はピタっと立ち止まる。


 大地は俺に視線を向けると、いつものように間抜けな笑みを浮かべる。


「優一。病める時も健やかなる時も優一がどうなろうと……香澄は優一を愛してるんだとさ。なら、優一は香澄を愛せるか?」



 大地、一体何をするつもりだ?


 嫌な予感が走る。


 ――その時。

 

 大地は香澄の両目にサバイバルナイフの刃を走らせた。



「あぁ、ぅあ"あ"あぁ!!」


 香澄の悲痛な叫びが、満天の星空まで響き渡る。その叫びは、決して千切れない、無数の茨となり俺の心臓を強く締め付ける。


「香澄!!」


「柳木さん! ダメです! 危険です!」


 俺は警察を振り払い、香澄のもとに走る。なんて事を……大地は香澄の角膜を傷つけた。このままでは香澄は失明してしまう。

 香澄がこんな事になるなら、大地と刺し違えてでも、さっさと香澄を助けに行けば良かった! 5年前の事……俺が殺したとさっさと言えば良かった!


 大地は香澄を手放すと、香澄は血の涙を流しながらフラフラと揺れ、そのまま崖から足を滑らせる。


「あ!」


「クソ!」


 俺は香澄の手を掴もうとするが、間一髪間に合わず、香澄はそのまま海に落ちていった。


「香澄!!」


「柳木さん! 夜の海は危ない! 飛び込むのはやめなさい!」


 俺は警察官の制止を聞かず、夜の海に飛び込んだ。

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