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ロマンチックなファーストキス

――10月25日、土曜日――


「ふふ。ゆうちゃ……じゃなくて、ゆういち、喜んでくれるかな」


 午後2時。ゆうちゃんが高校の友人と会いに行っている間、香澄()は、町のデパートにてある物を買いに来ていた。


「あれ? 柊センセイ? 久しぶりじゃなーい?」


 聞き覚えのある女性の声が私の名前を呼ぶ。私は思わず、声のする方向を見ると――


「桃園さん!」


桃園さんが、ニコニコと手を振りながら私に近づいてきた。


――


「びっくりしたー。まさか柊センセイとデパートで再会するなんて」


「ふふ。そうね。桃園さんが元気そうで安心したわ」


 私と桃園さんは、デパートに内接しているカフェで一息中だ。昔話で大いに盛り上がっている。


「そういえばセンセイ。柳木センパイは元気ですかぁ?」


 桃園さんはメロンソーダを一口飲んだ後、ゆうちゃんの近況を尋ねてきた。

 私はパフェをひとすくいした後、桃園さんの言葉に驚く。

 桃園さんは、私とゆうちゃんの事を知ってるの?


「アタシ、全部知ってますからね。佐々本センパイの事や、柳木センパイの事……ぜぇーんぶ」


「もしかして、ゆうちゃんから聞いたの?」


「せいかーい♡ 柊センセイと無事に付き合う事になったから、もうくだらない事で連絡するなって言われちゃいましたぁ♡」


 ゆうちゃんてば。別に桃園さんと連絡したっていいのに。


「ふふふ。それだけ愛されてるんですね。お熱い事で」


 桃園さんってば。顔が熱くなってきた。

 桃園さんはニヤニヤしながら、私を見つめる。


「ねえねえ、柳木センパイとどこまでいったんですか? あ、最後までいっちゃいましたぁ?」


 う! それは……


「まだキスもしてない……」


「はあ? 信じらんない! 早くチューくらいしてくださいよ」


 桃園さんは唇を突き出す。


「ええと、私にとっては、ファーストキスだから……ロマンチックな場所でしたいなぁ、なんて……」


 私はモジモジしながら、うつむく。


「センセイ、なんかワガママです。柳木センパイに無理ばかりさせてないですか?」


 桃園さんの言葉から放たれる棘のムチは、私の心にチクチクと刺激を与えた。


「キスは恋人の大事な証なんですよ? 場所なんてどこだっていいじゃないですか。好きな人とキスできる事自体がロマンチックなんですからぁ」


 好きな人とキスできる事自体がロマンチック……桃園さんの考えに、私は感銘を受けた。


 そして、更に桃園さんは小悪魔な笑顔を浮かべると――


「センセイ、知ってますか? センセイと付き合う前の、柳木センパイの女性遍歴」


「え?」


「そりゃあ、ひどいもんですよぉ。アタシと付き合ってた時なんか、他に体だけの関係だった女性が1人、他にも言い寄ってきた女性がいたら、暇さえあれば相手していたみたいですよ?」


 ゆうちゃん……私が大地と付き合っている間に、そんなとんでもない不良になっていたなんて……ああ、私はなんて事を……

 私はショックのあまりに倒れそうになったが、必死で我慢した。


「柳木センパイ、お父さんの件があってから――女性関係を全て終わらせたみたいだしぃ。ストーカーしてまで片思いしてたセンセイと付き合うようになって、ようやく落ち着いたんですよぉ? それなのにセンセイときたら。何がファーストキスはロマンチックな場所ですか。柳木センパイ、相当我慢してますねぇ」


 私はゆうちゃんをとんでもない不良にしてしまった上に、我慢をさせていたなんて……ああ、ゆうちゃん、私を許して。


「桃園さん……確かに……私がバカだったわ……」


 私の意識、頑張れ……


「あ、やっとキスする気になってくれたんですね♡ 良かったですぅ!」



――


「ただいま」


 優一()は家のドアを開け、靴を脱ぐ。


「……」


 いつもなら、香澄が『おかえりなさい』と言って出迎えるのに、今日は何も無い。具合でも悪いのか?


 リビングに入ると、俺は香澄の姿に驚いた。香澄はソファの上にて仰向けで横たわっている。


「香澄! どうしたんだ!?」


 俺は香澄の近くに寄り、香澄に目線を合わせるように床に座る。


「あ、お帰りなさい……」


 香澄の顔色は真っ青である。おでこには冷えピタを貼っており、鼻の両穴には血染めのティッシュが詰め込まれていた。目はうつろで天井を見つめており、瀕死の状態である。


「ゆうちゃんがとんでもない不良になっていたなんて……全部、私のせいね……ごめんね」


 な! とんでもない不良!? まさか……俺の過去を知ったのか?

 香澄はまた俺を『ゆうちゃん』と呼んでいたが、そんなことはどうでもよかった。

 俺は香澄の鼻から血染めのティッシュを取る。鼻血は止まっているようだ。ついでに冷えピタも取った。


「香澄。今日何があった?」


 俺は淡々と香澄に質問する。


「今日、デパート行ったらね、桃園さんに会ったの。それで、桃園さんとカフェでお話ししてたら、ゆうちゃんの昔のお話しを聞いてしまったの……」


 何だと! 桃園め……香澄に余計な事を……


「私ってば……ゆうちゃんをとんでもない不良にしただけでなく、私のワガママでゆうちゃんにたくさん、我慢をさせていたのね。キスとか色々……もし、私を許さないなら、気の済むまで首絞めても構わないのよ?」


「何言ってんだ。俺が首絞めたいって思っているのは、俺の身勝手な性癖だ。キスしたいのも、色々したいのも、そうだ。香澄のワガママなんてかわいいものだぞ」


「ううん。私はとんでもないワガママよ。私は一度、ゆうちゃんを見捨てて、佐々本くんの元へ行ったのよ。佐々本くんの純粋な気持ちを利用して。そして、今度は佐々本くんを見捨てた……これ以上ワガママな事ってあるかしら?」


 香澄はボーっと天井を見つめている。俺は香澄のある言葉を聞き逃さなかった。


「香澄……今、大地ではなく――『佐々本』と……」


「私にとって、ゆうちゃんは何があってもゆうちゃんだけど……佐々本くんは過去の人。文芸部の元副部長で元生徒よ」


「香澄……もういいよ。自分の部屋でゆっくり休め」


 俺は、もう呼び名でグチグチと考えるのはやめた。


「あ、ゆうちゃん。来週、ゆうちゃんの誕生日でしょ? 今日デパートに行ってきたのは、ゆうちゃんの誕生日プレゼントを買うためだったのよ。プレゼントを渡したくて、ここで待ってたの。何とか意識を失わないように耐えてたら、鼻血が出てしまったわ」


「香澄。俺の誕生日を覚えてたのか? 俺自身ですら、忘れかけていたのに……」


「当たり前じゃない。ゆうちゃんの誕生日を忘れた事なんて一度もないんだから」


 香澄はリビングにあるテーブルの方を指差す。

 俺は香澄の指差す方向を見ると、テーブルの上には黒く艶やかなやかんが置かれていた。やかんの取っ手にはリボンが巻かれてある。よくよく考えたら真っ先に目につくのだが、香澄が瀕死の状態だったから、それどころではなかった。


「こ、これは……俺がずっと欲しかった……『どんなインスタントコーヒーでも喫茶店のコーヒーの味になる魔法のやかん』じゃないか! 売れすぎて、どこ行っても買えなかったのに……」


「ふふ。喜んでくれて良かった。そのやかんについてネットサーフィンしてたら、デパートでネット予約開始する情報を見つけたの。そして運よく予約できたの」


 香澄は俺に顔と目線を合わせ、静かに微笑む。


「ちょっとだけ早いけど……お誕生日おめでとう。ゆうちゃん」


 姉さんが亡くなってから……長い間、顔を合わせて、誕生日おめでとうなんて言われた事などなかったな。

 俺の心に、懐かしさと嬉しさと愛おしさがこみあがってきた。


 俺は香澄の頬を触ると、香澄の小さな手が俺の手を包み込むように触れる。香澄の心地よい体温が、俺の心臓が高鳴る。

 これだけで心臓が高鳴るなんて……今までなかったのに。


 香澄の顔に近づくと、香澄は一瞬だけ驚いたように目を大きく開かせるが、すぐに優しい眼差しで俺を見つめる。その瞳は瑞々しく潤いがあり、とても綺麗である。

 俺の中の黒い魔物が一番欲しているものだった。



――


 ゆうちゃんとキスした。

 初めてのキスは……柔らかくて温かいものが入ってくるような感触だった。


 …………え?


 私の口の中に……何かが入ってくる!

 温かくて柔らかいものが私の舌を優しく巻き込むと、激しく絡みついてくる。そのトロリとした感触に私の意識が吸い込まれそうだ。


 ダメ! 全身が沸騰しちゃう!


 ゆうちゃんの吐息が私の口の中全体に伝わる。


 ひょええ! ここここここれ以上は……………………


 ピーーーーーー!!


 …………


――


「はっ!」


 しまった! つい舌を入れてしまった!

 冷静になった俺は、顔を少しだけ離す。


 香澄は鼻血を大量に流しながら白目を向き、意識を失っていた。


「香澄! しっかりしろ!」


 ダメだ。香澄の意識は戻らない。俺は、香澄の鼻に細い棒状に丸めたティッシュを詰め込み、おでこには冷えピタを貼っておいた。


 何という事だ……香澄の口の中に舌を入れただけなのに……アホ面で意識を失うなんて……もし、この先の展開までいってしまったら、香澄は天に召されてしまうのでは……!?


 香澄を覆う鉄の箱は想像以上に手強いぞ!


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