古くも、新しい恋の始まり
私は柊 香澄。
私立の高校で教師をしています。今は学校を休職し、実家で休養中です。
――8月2日――
午前11時。
家の掃除を終えた私はリビングでくつろいでいると、起きたばかりのお父さんがリビングに入ってくる。
「おはよう、お父さん」
「おはよう、香澄――て、どこかへ出かけるのかい?」
「忘れたの? 今日、ゆうちゃんがここに遊びに来るのよ」
「あ! ごめん。すっかり忘れてたよ。ゆうちゃんに会うのは何年ぶりかなぁ。晩御飯は気合い入れないと。何がいいかな……」
お父さんが腕を組み、晩御飯のメニューを考える。
久しぶりに見たお父さんは、シワがかなり増え、そして痩せたように見える。
まだ60手前だと言うのに……なんだか60過ぎたおじいちゃんのようになってしまった。
あまりの老けこみに心配した私は、お父さんに病院行くように勧めると、お父さんは『まだまだ元気だよ』の一言だけ。本当に元気なのかしら……?
実家に戻ってから3ヶ月が経ち、私は心身共に回復中だ。
あれから大地とは会ってない。最初は胸にポッカリと穴が空いたようで不安だったけど、月日が経つにつれて徐々に大地の事を忘れていく。
不思議ね。あれだけ大地の事を好きだった……今となっては……もう遠い昔のよう……大地もきっと……同じ気持ちかもしれない。
私の実家は、閑静な住宅街の中にある二階建ての一軒家である。町並みはどちらかというと、田舎である。野生の動物は出ないけど。
ちなみに、実家のある町は、ゆうちゃんの家から少し離れた場所にあり、車・電車でおよそ30分かかる。
――
「ゆうちゃん!」
「おお、香澄。お迎えご苦労」
「ゆうちゃん、偉そう」
昼の12時頃。町の駅にたどり着いた私は改札へ向かう。ゆうちゃんがちょうど、改札口から出てきたところだ。
ゆうちゃんは、白い無地のシャツに細身の黒いズボンを穿いている。髪は染めておらず、清潔感のある黒髪だ。視力はあまり良くないらしく、細身の青淵メガネをしている。身長が高く、端正な顔立ちをしているから、オーラが出ている。……高校の時からあまり変わらないわね。
はあ、私もゆうちゃんみたいなオーラが出せたらな……そしたら、スーツがパリッと似合うカッコいい柊先生になれるのに。ああ、ゆうちゃんのお母さん、本当にカッコ良かったなあ。
私とゆうちゃんは駅周辺の食堂でお昼ご飯を食べたあと、駐車場へ向かう。
駅周辺にはそれなりに建物があり、お土産屋さんや野菜を売っている店、食堂が連なっている。また、駅の入り口の前には大きな駐車場、その先に大きな道路がある。そして、その向こうには田畑が広がる。
「なるほど。香澄はこんな田舎に住んでるのか。香澄の雰囲気が芋くさくなってきたワケだ」
ゆうちゃんは辺りをキョロキョロしながら、失礼な事を言い出した。
「もう! ゆうちゃんったら。いいじゃないの。ここは空気やご飯、野菜が美味しいんだから」
「ぷっ。香澄が料理したら、せっかくの食材が台無しだな」
ゆうちゃんは私を見下すように視線を向ける。
ゆうちゃんは相変わらず素直ね……もしかして、私が緊張しないように、気を遣ってくれてるのかしら……ううん、考えすぎかな。
私とゆうちゃんは車に乗ると、シートベルトを締める。私は運転席、ゆうちゃんは助手席だ。
ちなみに、私の車は中古車として売りに出した。一応、大地が発信器をつけてないかは確認しておいたけど――大丈夫だと思う。今乗っている車は、お父さんから借りてきた車である。
「香澄、これからどこに行くんだ? 一体こんな田舎に何がある?」
「フッフッフッ。田舎と侮ってはいけないわ。ここにはね、国で唯一の毒物博物館があるんだから!」
「何? それは本当か!? 毒物博物館の存在は知っていたが、こんな所にあったとは!」
「ゆうちゃんなら、絶対楽しめるはず」
「香澄! 早く行こう!」
ゆうちゃんの目が少年のように輝いた。
――
「香澄! 赤信号だ! 止まれ!」
「ひあ!」
私は急ブレーキを踏んだ。ブレーキに反応するように、車はキュッと停止した。
はあ、後ろに車がいなくて助かった……
「あのさ、香澄。何ボーッとしてんの?」
ゆうちゃんは、呆れた表情で私に視線を向ける。
「ご、ごめんなさい。ゆうちゃん……」
今、私とゆうちゃんは車の中で2人きりだ。私は今更ながらに緊張している。何故だろう? 相手はゆうちゃんなのに……
私の頭の中には『何を話そうか、何を話そうか、何を話そうか』という言葉で埋め尽くされていた。
ゆうちゃんは視線を前方に向けた後、『はあ』とため息をつく。
「まったく、これだから香澄は。信号越えた先にコンビニがあるから、そこに向かえ」
「うん……」
私ってば……本当にダメね……うう……
――
コンビニに着いた私とゆうちゃんは一旦車から出ると、ゆうちゃんが私のそばに寄ってくる。
「香澄。車のキーを貸せ。ここから先は俺が運転する」
「ゆうちゃん――毒物博物館の場所、わかるの?」
「この車に装備されているカーナビはお飾りか?カーナビさえあれば、俺でも運転できる」
「そんな……おもてなしをされるゆうちゃんに運転させるなんて……何だか悪いわ」
ゆうちゃんは深いため息とともに、私の目をしっかりと見ながら話す。
「あのな。ようやく香澄が元気になってきたのに、ボケボケしてる間に事故ってみろ。香澄に何かあったら困るし、香澄のお父さんが悲しむだろ」
――トクン。
…………?
私の心臓が一瞬だけ、波打った。
「……そ、そうよね。じゃあ、運転よろしくね! 私、飲み物買ってくるわ! 何がいい?」
私は、笑顔――作り笑顔でゆうちゃんに車のキーを渡す。
「アイスコーヒー」
車のキーを受け取ったゆうちゃんは笑顔で答える。良かった、私の作り笑顔に気づいてないよね?
「了解!」
私は気持ちを落ち着けるため、駆け足でコンビニへ入った。
――8月2日、午後2時――
私とゆうちゃんは毒物博物館に到着した。いつもテンション低めのゆうちゃんだが、この時だけは異常にテンションが高かった。
「ああ、なんて素晴らしいんだ! 毒キノコがこんなにたくさんあるぞ!」
私たちが見ているのは、毒キノココーナーである。美味しそうなものから、気持ち悪いものまで……様々な毒キノコが強化ガラスの中で立派に生えている。すごい光景だわ。
「あら。この毒キノコ、ナメコみたいで美味しそう」
「この美味しそうな見た目に騙されるな。これはニガクリタケと言って、食べると強い腹痛、激しい嘔吐、下痢、悪寒などでもがき苦しみ、重症化すると最悪、死ぬぞ」
「え!?」
こんなに美味しそうなのに……キノコがこんなに恐ろしい食べ物だとは思わなかった。
ゆうちゃんはニガクリタケを恍惚な表情で見つめたあと、不穏なセリフを呟く。
「クックック。ニガクリタケを食した香澄はどんな苦しみ方をするのかな……」
!?
ゆうちゃん? な、なんて事を……ひょっとして私の事、まだ許してないのね……
コンビニでゆうちゃんに一瞬だけときめくなんて。私はなんておこがましいのかしら……
――
「すまん、香澄。さっきの事は――冗談ではないんだが……ニガクリタケを香澄に食べさせてやろうなんて、本当に考えてる訳じゃないからな」
博物館内にある小さなベンチで私とゆうちゃんは隣りあって座る。が、私はゆうちゃんから離れて座る。
「あの、冗談ではないってのはどういうことかしら?」
私は落ち込んだ気持ちを隠しきれず、ゆうちゃんに尋ねる。
「それはだな、毒キノコを見ながら香澄が悶え苦しむ姿を妄想して興奮してたんだ。つまり俺の性癖だ。以前、言っただろ? 一度目覚めた性癖は、もう正常には戻らないと」
ゆうちゃんは真剣な表情で私に訴える。
「本当にごめんなさい、ゆうちゃん。私が悪かったわ」
私は両手で顔を覆った。
ゆうちゃんをこんな風にしてしまったのは私のせいなのね……ゆうちゃんへの申し訳ない気持ちで一杯になった。
「そうだ! ソフトクリーム買ってきてやるから、元気出せ」
ゆうちゃんは笑顔でそう言うと、一人でさっさとソフトクリーム売り場へ並びに行く。ソフトクリーム売り場はそれなりに人が並んでいて、時間がかかりそうだ。
ネット小説でも読んで待ってよう。私はスマホを取り出した。
――
しばらくして、ゆうちゃんが紫色の禍々しい雰囲気のソフトクリームを両手に持って戻ってきた。
「待たせたな。毒なんか入ってないから安心しろ」
「あ、ありがとう、ゆうちゃん」
私はゆうちゃんからソフトクリームを受け取ると、ソフトクリームを口に含めた。ソフトクリームを食べた私を見たゆうちゃんは、クスと笑ったあと、私の近くに座る。
「何だ? さっきからジロジロと。俺の顔に何かついてるか?」
私はソフトクリームを食べながら、ソフトクリームを頬張るゆうちゃんに視線を送っていた。
「ゆうちゃん、さっきソフトクリーム売り場で並んでた時、何人かの女の子に声かけられたでしょ? ゆうちゃんはホントにモテるなぁって。高校の時も、告白されてるところを何回か見たし」
私の言葉を聞いたゆうちゃんは、ニッコリする。
「なんだ、そんな事か。うっとおしいだけだぞ。さっきだって、あまりにもしつこかったから『彼女と来てるから邪魔するな。でないとニガクリタケを食わすぞ』って言ってやった」
ゆうちゃんってば。そんな事ばかり言ってると、月子ちゃんが天国から説教しに来るわよ。
それにしても私の事を彼女って……。もうすぐ30の芋くさい彼女にモデルのような風貌の大学生の彼氏か。なんかちぐはぐね。
「そういえば、ゆうちゃんって彼女どれくらいいたの? あれだけモテるんだから、数えきれないくらいいたんじゃない?」
ゆうちゃんはため息混じりに答える。
「……香澄は俺を何だと思ってるんだ? 俺がちゃんと付き合った人は――桃園と父さんの知人から紹介された彼女の2人だけだ」
「ゆうちゃんってば私より少ないのね。私は3人よ」
まあ、ゆうちゃんて意外に恋愛に奥手なのかしら? ふふ。私は優越感に浸る。
私の言葉に反応したかのように、ゆうちゃんは私に鋭い視線を送る。
「言っておくがな、俺はキスを始めちゃんと最後までやったぞ。香澄はまだキスすらした事ないじゃないか。しかもそのうち2人からは1ヶ月くらいでサヨナラされたんだろ? 大地に至ってはいきなり変態な目に遭わされるしな。香澄に寄りつく男は皆、ろくでなしだな。香澄は『黒いGホイホイ』ならぬ『ろくでなしホイホイ』だ」
「ほっといて! しかも何で1ヶ月で別れた事知ってるの!?」
「調べた」
ゆうちゃんって暇なの? いつも勉強していたように見えたけど……
「桃園は見た目だけなら文句のつけどころが無いし、2人目の彼女は品のいい綺麗な人で優しくて、しっかりしてて、将来の夢は小児科医師で、しかも料理上手な完璧な女性だったぞ。香澄とは雲泥の差だな」
「ふふ。そうね」
ゆうちゃんは笑顔で生意気な事を言ってきた――とは言うものの、完璧ハイスペックのゆうちゃんに釣り合うレベルの女性たちだ。私は何も言えなかった。
「でも、2人とも俺なんかとは釣り合わないよ」
ゆうちゃんは私の思っている事と真逆な事を言いだす。
「桃園は、香澄への嫌がらせで利用するつもりで付き合っただけだし、2人目の彼女に関しては彼女自身が完璧すぎてな……俺にも完璧を求められてしんどかったよ。だから、幸せな家族像を思い描くことはできなかった」
まだ大学生なのに、そんな事を考えてたの? 大学生だった頃の私は――何も考えてなかったわ……
「何よりも一番ダメだったのは……俺が子供の頃から集めてる『毒物パラダイスシリーズ』の本を、彼女は全部捨てようとしやがったんだ。『こんな物騒な本、教育に悪いから捨てなさい!』つってな。俺はそれがどうしても許せない」
ゆうちゃんは当時の事を思い出したのか、表情には苛立ちが滲み出ていた。
「ゆうちゃん、まだその本集めてたんだ……」
「まあな。そもそもあのシリーズは姉さんの方が好きだったからな」
確かに月子ちゃんの、『毒物パラダイスシリーズ』に対するハマりっぷりはすごかった。でも、本自体は知らない毒物がたくさん書かれてて、面白かった。
そういえば、大地と一緒にいた時、私は大地との将来を考えていただろうか? 私は大地が大学卒業して、しばらくしてから結婚するつもりでいた。
だけど、肝心の結婚後の生活を今まで思い描いた事がなかった――というよりも、思い描けなかった?
大地と結婚するつもりで一緒にいたのに、大地と一緒に生活する姿が浮かばない……家庭像が描けない……どうして?
私は愕然とした。




