硬い絆ほど簡単に崩れる
食事中の方注意。
えげつない表現注意。
――5月初旬、GW最終日――
時間は午前10時。俺は香澄のアパートにたどり着いた。
今日は俺は父さんの車を借りて来た。気分が悪くなるから、今まで乗りたくなかったが――仕方ない。
俺は香澄の部屋のインターフォンを鳴らした。
「ゆうちゃん?」
香澄の声だ。今日は素直に反応した。
「ああ、俺だ。入れてくれ」
香澄の部屋のドアが開くと、更に様子のおかしくなった香澄が姿を現した。
いつも瑞々しかった唇はカサカサに乾いており、顔色は死人のように真っ青だった。ヨレヨレのTシャツにジャージを着ており、髪は寝癖が少しだけついている。
「具合でも悪いのか?」
「私は大丈夫よ……あがって」
大丈夫そうには見えないが……俺はとりあえず、香澄の部屋に入ると、リビングの床に座り込んだ。
香澄は、あらかじめ用意していたであろう、俺と香澄の分のお茶をテーブルに置く。そして、香澄は自分のベッドに座り、話し始めた。
「ゆうちゃん。昨日の朝、大地がここに来たの」
まさか、俺がここに来たのがバレたのか?
「私に会うために、予定よりも早く帰ってきたのよ」
予定より早く帰る……その可能性は考えてはいたが――実家をすぐ離れる事はないだろうと考えていた。俺の考えが甘すぎた。俺が最初に香澄の部屋に来た時に、香澄を部屋から出せば良かった。
「大地は、私の部屋に来た後、すぐに隠しカメラの映像を確認して……ゆうちゃんがここに来た事、ゆうちゃんが隠しカメラを取った事、ゆうちゃんが私に言った事――大地は全て知ってしまった」
香澄の声は弱々しくなっていく。
◆◆◆
「香澄。また俺を裏切ったんだな」
大地は悲しそうな表情で私を真っ直ぐに見つめる。
「大地。私は裏切ってないわ。私はずっと……大地が好きよ。私は、昔の大地に戻ってきて欲しいだけよ」
「俺を好き? じゃあ、なんで優一を香澄の部屋に入れたの? 優一と話してんの? 優一に告白されてんの?」
「大地。ゆうちゃんは……私の大切な人、月子ちゃんの弟よ。大地も悟くんや、紗英さん、るりちゃん、お兄さん……大切な人たちでしょ?」
「香澄。俺にとって優一は違う。悟やるりと一緒にするなよ」
大地は表情を険しくさせる。私は大地の表情を見て、恐怖を覚えた。
「香澄。俺は傷ついたぞ。言ったよな? 次はお仕置きするって」
大地はそう言うと、大きな旅行バッグから、一本の大きな瓶取り出した。中には……ある物体が入っていた。
「これってまさか……」
私は口を押さえた。
「香澄。今日はこれを俺だと思って食べろ」
大地は屈託のない笑顔で瓶を私に突き出した。
嘘……! 大地がこんな事を……
「香澄。最後のチャンスをやる。明日、優一がここに来るんだろ? アイツに別れを告げて来い」
ゆうちゃん……
私は瓶の中身を1日かけて、食べきった。それを一口入れるたびに嘔吐しかけたけど、何とか堪えた。
「香澄。偉かったぞ。愛してるよ」
◆◆◆
「……」
何が最後のチャンスだ。愛してるだ。
俺のしたことは、全て俺が勝手にやった事だし、香澄は大地を裏切ってない。
香澄の話を聞いた俺は、大地に対する嫌悪感で心を支配していた。
「ゆうちゃん」
香澄は笑顔で俺を呼ぶ。俺を不安にさせまいと必死なのが伝わってくる。そして、笑顔を崩さずにつぶやく。
「もう昔の大地には戻らないのかな……」
香澄の目から大粒の涙が溢れる。
「ごめんね……私、もうどうしていいか……わからなくて……」
香澄は頼りなくて臆病だが、弱音を吐く人ではない。香澄は大地を信じていた。しかし――今、その心はボロボロだ。
俺は立ち上がった。
「香澄。もう少しだけ頑張れるか? 数日分の着替えと貴重品をキャリーケースに入れたら、それを持って外へ出てくれ。後はここを出てから話そう」
ここには隠しカメラがあるから、迂闊な事は話せない。香澄は弱々しく頷く。
――
俺は香澄の部屋の外で待っていると、部屋のドアが開く。
「お待たせ」
香澄が大きなキャリーケースを片手にドアから顔を出す。身だしなみは綺麗に整っていた。
「キャリーケース、俺が持つよ」
俺はキャリーケースを香澄から受け取ると、歩き出す。香澄は俺の後ろをついて行く。
「香澄の車はここに置いていく。大地が香澄の車に発信器をつけている可能性があるからな。大地は一人暮らしの大学生だから、機械をホイホイ買えるほどのお金があるとは思えないが、念のためだ」
「わかったわ」
ちなみに、俺が香澄の車につけた発信器は外しておいた。
俺は大地が今日ここに来たかの痕跡を確認したが――見つからなかった。良かった。
俺と香澄は父さんの車に乗り、シーベルトを閉める。
「ゆうちゃん、これからどこに行くの?」
「そうだな、まずは病院だ。香澄の食べた物は……細菌感染を引き起こす可能性があるし、最悪死ぬ事もある。とりあえず検査した方がいい。そのあとは、俺の家に避難だ。俺の家なら、大地に知られてないから、ひとまず安心だ」
「もう、大地とは終わりなのね」
香澄は悲しそうだ。大地が大学に入学した時から、築き上げてきた2人の絆。それが、こんなにもあっさりと脆く崩れるとはな。人生ってわからないな。
俺は父さんの車のエンジンをかけ、香澄のアパートから離れた。
――月曜日、夕方――
大学近くの喫茶店。俺は一人でコーヒーを飲みながら、本を読んでいる。俺はここで大地が来るのを待っていた。
俺は先ほど、大地にメッセージを送った。『お前は香澄とはもう会えない』とな。
――カラン、と客の訪れを知らせる音が聞こえる。
来たか。
「優一」
大地が俺に近づいてくる。
「大地。待ってたぞ。まあ、座れ」
俺は笑顔で大地を歓迎する。
大地は鬼のように恐ろしい形相だ。こりゃ、かなり怒ってるな。まったく、怒りたいのは俺なんだが。
大地は俺に向か合うようにして、無言で座る。
「大地。要件だけを伝える」
「……」
「大地。お前はプロポーズが本物である事を証明できなかった。お前の愛情は歪んでる。だから、香澄との関係は今日限りで終わりだ。香澄とは二度と会うな」
大地は俺を睨む。鬼になったこの男は、俺を殴りたいかもしれない。まあ、殴りたければ殴るといい。
「優一。俺の愛情が歪んでるってどういうことだよ? それに……香澄は今どこにいるんだ?」
俺は笑顔を崩さない。大地は俺を睨み続ける。
「俺が香澄の居場所を教えるワケないだろ。それに大地、自分の過去を振り返ってみろ」
「過去?」
「大地は今まで、香澄の気持ちを考えた事はあるか?」
「あるに決まってるだろ。俺は香澄が喜ぶ事を常に考えてるし」
「いいや。今までの大地や香澄の話を聞く限りだと――ないね」
「何だと!?」
「大地。お前は自分の愛情を香澄に一方的に押し付けるだけで、香澄がどんな気持ちでいたか、一度も考えてない。しかもだ。お前の愛情は段々と歪んでいって、ついに香澄を傷つけた」
大地は俺を真っ直ぐに睨む。
俺の話は通じない、という事か。香澄の話もまともに聞かない男だ。俺の話なんて尚更聞かないか。
「大地。本当は昨日、警察に行こうと思ったんだ。でも、香澄に止められた。俺や香澄はお前に助けられた事実がある。それに免じて……これが最後の忠告だ。香澄との関係は今日限りで終わりだ。香澄に二度と近づくな。もし、お前が破ったら……俺もただでは済まさんぞ」
大地は鬼の形相から一転、いつものアホ面に変わる。
どうした? ついに頭がおかしくなったか?
「優一。お前、優しいのな。まあいいや。俺、就職活動とか色々忙しいしさ」
大地はアホ面で笑い出す。
香澄から手を引く、という事でいいのだろうか?
とても信じられないな。大地は今まで『香澄、香澄』と言い続けてきた。そんな大地が、俺の忠告だけで大人しく引き下がるか? これは注意深く観察する必要があるな。
――
「ただいま」
時間は夜の8時。大学の図書館で課題をやってたら、こんな時間になってしまった。
「おかえりなさい、ゆうちゃん」
おかえりと言われるのは何年ぶりだろうか。
香澄が俺を出迎える。格好は……ヨレヨレシャツにジャージだ。色気も何も無いな。
「香澄。高校はどうだった?」
俺はリビングにて、コンビニで買ってきたパンを頬張る。
夜遅いし、ご飯を作る気になれなかった。かといって、香澄の手料理は勘弁だ。
ちなみに、香澄はレトルトのお粥を食べたらしい。
「うん、休職届出してきたわ。あと、お父さんへの連絡もしておいた」
「おじさんの反応は?」
「かなり驚いてたわ。それから、もう大地とは会わないようにって言われた」
たった一人の大事な娘が酷い目に遭わされたんだ。当然の反応だな。
「ゆうちゃん。私、今住んでるアパートを出て実家に戻ろうと思うの。大地は私の実家を知らないから――あ、しばらくはゆうちゃんの家に迷惑をかけてしまうけど……」
香澄の実家はここから少し遠い場所にある。
昔は、俺の家の近くの家族向けのアパートに住んでいたが――香澄の高校進学と同時に引っ越した。
「ははは。香澄が俺に迷惑をかけるのは今に始まった話じゃないだろ」
「ゆうちゃんたら! もう……」
香澄の顔色は悪いままだが、表情がほぐれてきたようだ。




