お前もか
――午後1時30分――
「ハア、ハア」
俺は香澄のアパートにたどり着いた。自転車で全力疾走してきたから、疲れた。勉強の日々だったから、日頃の運動不足がたたっている。
香澄のアパートの部屋は3階の端っこである。この完全疲労状態でさらに階段を登るなんて……
香澄の部屋のドアの前に立つと、俺はインターフォンを鳴らす。インターフォンは俺から見てドアの左側にある。
「……」
反応がない。いないのか?
俺は嫌がらせのごとく、高速でインターフォンを鳴らし続ける。すると――
「ゆうちゃん」
インターフォンのスピーカーから、香澄の弱々しい声が俺を呼ぶ。インターフォンのモニターで俺の姿を確認したのだろう。
「香澄。今日はどうしたんだ? 約束の時間から2時間経っても来ないし、電話も出ないしで心配したんだぞ」
「ごめんね。私、もうゆうちゃんと会ってはいけないの。連絡してもダメなの」
香澄の様子が明らかにおかしい。何かに怯えているようだ。まさか、大地とまた何かあったのか?
「香澄。ドアを開けてくれ」
「ダメ。ゆうちゃんを私の部屋に入れたら……ゆうちゃんまで酷い目に遭うの。だから、入れる訳にはいかないの」
俺まで酷い目に?
「香澄。俺の心配をしている場合じゃないだろ……頼む、ドアを開けてくれ」
「ダメ! お願い、帰ってちょうだい……」
香澄の強情っぱりめ! 何かあったら俺に話せって約束しただろうが! やっぱりハリセンボン釣ってくれば良かった。少しくらい俺を頼れ!
香澄の様子が明らかにおかしいとわかった以上、俺は引き下がる訳にはいかなかった。何としても香澄の無事な姿を見て話がしたい。
俺は一旦、アパートから外に出ると、香澄のアパートを観察した。香澄の部屋は……3階の端っこだ。何とか3階まで登れたら……ダメだ。ハシゴの代わりになれそうな物はない。都合よくサスケみたいな事はできないか。
それに、香澄のアパートは、防犯カメラがついているらしいし、部屋のドアはオートロックだ。困った。どうする?
しばらく悩んでいると、香澄のアパートの前に宅配便トラックが停車する。
「!」
ある事を閃いた俺は宅配員に近づいた。
「あの……310号室宛に荷物って届いてますか?」
310号室は香澄の部屋番号である。
「ちょっと待ってくださいね――あ。ありますよ」
なんという幸運! そんな幸運の送り主は……香澄のお父さんだ。
俺は宅配員に向かって、こう説明した。
『彼女』と喧嘩して、仲直りしたいんだけど、『彼女』がドアを開けてすらくれないから、宅配員について行きたいと。
――
――ピンポーン
「A運輸です。柊香澄さんにお届け物です」
宅配員がインターフォンを鳴らす。俺は宅配員のそばに、かつインターフォンのカメラに映らない場所で待つ。俺がカメラに映ったら香澄はドアを開けないだろうからな。
香澄の部屋のドアが開く。
「はい……あ!」
香澄は宅配員のそばにいる俺を見て驚愕する。俺は笑顔で香澄に手を振ってみたが、無視された。
「柊香澄さんですね? えーと……柊真斗さんからお届け物です。あと、こちらにサインをお願いします」
「……はい」
香澄は言われるがままにサインをする。
「ありがとうございました! では、これで。お兄さん、無事に仲直り出来るといいですね!」
宅配員が俺に笑顔で声をかける。
「はい、ありがとうございます」
俺は宅配員に笑顔で返事した。
「……」
宅配員の姿が見えなくなるのを確認したあと、香澄はドアを閉じようとする――が、俺は閉めさせまいと力強く手で押さえた。
「香澄。ひどいじゃないか。手を振ったのに無視するなんて……結構傷ついたぞ」
俺はニッコリ作り笑顔で香澄に話す。
「ゆうちゃん……帰ったんじゃ……」
香澄は困惑した様子だ。
「俺を甘く見るなよ。俺は陰湿でストーカー野郎なんだから」
変態は言わない。変態は大地が勝手に言ってるだけだからな。
「今はそんな冗談を言ってる場合じゃ……」
俺は香澄の姿を確認する。大きな配達物を抱えた香澄はヨレヨレのTシャツにジャージを穿いている。顔や細い腕は綺麗な状態である。殴られた形跡はない。髪は少しだけ寝癖がついている。
「すまんが、勝手に部屋に入るぞ」
「待って! ダメ!」
俺は香澄の持っている配達物を強引に奪い取り、玄関ボックスの上に配達物を置く。
香澄の部屋に強引に入った俺は部屋の状態を確認する。綺麗に整頓されていて、荒れている様子はなかった。
ちなみに、香澄の部屋に大地はいなかった。アイツは本当に実家に帰ったのだろうな。
俺はふぅ、と一息ついた後、リビングの床に座り込んだ。
「ゆうちゃん……どうして?」
香澄が俺のそばに来る。
「約束したじゃないか。今日、大地について話がしたいって」
俺と香澄はリビングの小さなテーブルを中心に向かい合って座る。香澄はうつむいている。表情はとても暗かった。
俺はいつも通りの態度で、笑顔で香澄に尋ねた。
「さて。俺もこうして、危険領域に入った事だし、全部話してくれるな? 遊園地に行った日から」
「……」
香澄は、うつむいたまま、口を開いた。
◆◆◆
――3月初旬、土曜日、深夜――
遊園地に行った日の深夜。気を失った香澄は、ふと目が覚めた。
「うーん、トイレ……」
私は寝ぼけたまま、トイレに向かった。
――
「ふう。ここはどこかしら? もしかして、大地が適当にホテルの部屋を借りてくれたのかな?」
用を足した私は、トイレ内の手洗いで手を洗い、そしてトイレのドアを開けた――すると、ドアを開けた先には、大地がいたの。その時の大地の様子は、驚いていて……私をじっと見つめていた。
「大地? どうしたの?」
大地は無言だった。目線は……トイレの向こうを見ているようだった。私はトイレのドアを見た。
「!」
私は血の気が引いたわ。トイレのドアには、便器が見えていたの。
どうしてトイレのドアが透けてるの!? もしかして、私が用を足していたのを見たの!?
血の気が引いた後は、恥ずかしさで全身が熱くなってくるのがわかる。私は大地のいる方向を向くと
「あの、ごめんなさい! 私、寝ぼけてて……トイレのドアがこんな風になってるなんて、気づかなくて……じゃあ、私、寝るね。おやすみなさい」
そう言って、その場を立ち去ろうとした。
「待って。香澄」
大地は、立ち去ろうとする私を引き止めるようにして、私の腕を掴んだ。力強く。私は心臓が飛び出そうになった。
大地の顔を見ると――大地はどこか哀愁を漂わせた表情で私をじっと見ていた。
◆◆◆
「もしかして……その後……」
香澄の話を聞いた優一は、香澄にその後どうなったかを聞く。絶対聞きたくないような展開になるんだろうな――とは思った。
香澄はクスっと含み笑いをする。
「あのね。きっと普通なら、ベッド行って服を脱がされ……といった展開になるのかもしれないけど、実際は違うの」
俺の想像とは違う事が起こったのか?
「大地が無理やり、私をトイレに引き摺り込んで、大地の気が澄むまで、その……私はただ、大地のしていた事の一部始終を見ただけなの」
「……は?」
香澄の言っている意味がわかるような、わからないような……俺は素直な反応を示した。
「まだキスをした事のない私には……あの時の光景はショックだったわ。色んな物を出してる時の大地の顔、なんだか怖かった」
香澄にそういう性癖があったのなら、ともかく――まだキスの経験もないのに、そんなモン見させられたら……トラウマになるだろうな。
大地は、香澄のトイレを覗いたのをトリガーに、変な性癖に目覚めたのか。
『ああ。俺は香澄と結婚するまでは、手ぇ出すつもりはないからな』
ある意味、大地は嘘を言ってないというか、何というか。
大地よ……俺の事を変態とか散々抜かしやがって。お前のほうが変態じゃないか。
「その日を境にね、大地は毎週土曜日に私の部屋に泊まるようになったの。私に見られるのが癖になっちゃったのかしら……私は気持ち悪さを我慢して、大地の気が済むまで付き合ったわ」
香澄は苦笑いだ。
「遊園地に行った日から大地は少しずつ変わっていってるけど……いつかは、元の優しい大地に戻って欲しい――私は、大地の優しさを知ってるからお友達から始めたの。何かいい方法がないか探したくて……ゆうちゃんに連絡したの」
「香澄、キツイ事を言うよ」
話をひと通り聞いた俺は、香澄に残酷な現実を伝えようと思った。下手に慰めたら――香澄が壊れるかもしれない。
「一度目覚めた性癖は、もう正常に戻らないよ」
俺の言葉を聞いた香澄はひどく落ち込んだ。
「そんな……」
俺は更に続ける。
「だから、今後、香澄が選ぶ選択肢は3つだ。まず一つ目は、香澄が我慢し続ける事。二つ目は、大地を説得して他の女で異常な性癖を発散させるようにする事。そして三つ目は、香澄が大地から離れる事、だ」
香澄には辛いだろうが、この3つの選択肢から選ぶしかない。
俺としては、三つ目を選んで欲しい。そして、他の、しっかりした人と一緒になった方が、香澄は幸せになれると思う。
「二つ目については訴えたの。でも、大地は聞かなかったわ」
◆◆◆
「大地、お願い。もう、こんな事は嫌……大地が我慢できないなら、他の……同じ性癖を持つ人で発散させて……――それなら、私、我慢できるから」
トイレから出た香澄と大地。私は、吐き気を抑えながら大地に自分の本音を語った。
すると大地は、悲しげな犬のような表情になる。そんな顔されると……大地はずるい。
「香澄ぃ。そんな悲しい事言うなよ。俺言ったじゃないか。浮気はコリゴリだって。俺は香澄だけを愛するって決めたんだから」
◆◆◆
二つ目の選択肢は消えたな。
という事は――香澄が我慢するか、香澄が大地から離れるかの2択という事になる。
「今すぐには決められないか」
「そうね……」
遊園地に行った日の件はわかった。そして、俺は更にもう一つの疑問を香澄にぶつけた。
「それで、香澄。今日はどうして『俺ともう会っちゃいけない』て言ったんだ? 何かあったのか?」
香澄は無言になり、左手で髪を耳にかけた。その時、香澄の左手の薬指にあるペアリングの宝石が悲しげに光輝いた。




