愛情フィルターの正体
「ジェットコースターもっと乗りたかった!」
目を覚ました優一は顔を素早く上げる。
ここは2年D組――俺が高校の時にいたクラスだ。俺は廊下側の1番後ろの席。教室には誰もいない。
俺は片頬をつねる。痛くない。これは夢だ。
「俺は、確かラブホのソファで寝ていたはず……」
ブツブツと独り言を呟いていると
「優一」
中学生くらいの髪の長い少女が席に座っていた。その少女はセーラー服を着ており、大人びた雰囲気を漂わせている。少しつり目が印象的でまるで日本人形のよう。俺はその人をよく知っている。
「……姉さん!」
俺はその人を呼ぶ。姉さんの姿を見て、俺は目頭が熱くなった。例え、これが夢だとしてもだ。
「優一とまともに話し合えるようになって嬉しい。優一と香澄の夢は長い間、闇に覆われていて、まともに話ができなかったの。まず、優一に謝りたいわ。私のせいで辛い思いをさせてしまった……ごめんなさい」
「何言ってるんだよ。姉さんこそ……」
姉さんは『ふふ』と笑う。久しぶりに見た姉さんの笑顔。中学生なのに、大人っぽくも品がある。
「ところで姉さん」
「何かな? 憎たらしい弟よ」
「憎たらしいって言うなよ。気になる事があるんだ」
姉さんは笑顔から一転、険しい表情になる。
「佐々本くんの事?」
俺は頷く。
「大地は、心に魔物を抱えている。俺よりも大きくて純粋な魔物を」
「佐々本くんの夢はとても綺麗だったわ。だから純粋すぎる闇に気付かなかったのね」
姉さんは長い艶やかな髪を耳にかけると――
「私ね、佐々本くんの夢に入ったのよ。佐々本くんなら優一と香澄を救えるかもしれない、て僅かな希望を持ってね。だから、佐々本くんに色々教えたのよ。優一や香澄、私の事を」
大地の夢に? 今、俺の目の前にいる姉さんは夢なのか? それとも……
「その結果、優一と香澄は救われた。これは事実よ」
姉さんの言う通りである。実際、俺と香澄はアイツに助けられた。
「でも、私と優一と香澄が……佐々本くんの中の魔物を引き出してしまった」
そうだ。俺たちがアイツの中に眠っていた魔物を引き出した。俺たちと出会わなければ、アイツはいいヤツのまま、平穏に生涯を送っていたかもしれない。
「優一。このまま手引き下がる事だってできるわ。お母さんと和解できて、やっと平穏な生活が送れるのよ? 危ない橋を渡る必要はないわ」
姉さんは不安な表情でそう言うと、俺は眉間に力を入れる。
「このまま香澄と大地を放っておけと?」
「弟を辛い目に合わせるのは、姉として心が痛むのよ」
「あいにく、辛い目なら慣れっ子だよ。俺は香澄の幸せを見届けるまでは、引き下がれないね」
「優一は相変わらず、生意気ね」
姉さんは微笑を浮かべながら、まつ毛を伏せた。
……
大地の異常さに気づいたのは、バレンタインの前の土曜日。
◆◆◆
香澄が俺の家に来た日。
俺は香澄の作ったクッキーを俺の作ったクッキーにすり替えた。
そして、俺はもう一つ、クッキーを作った。香澄のクソまずい味を再現したクッキー、溶かさないバターに塩200グラムを入れた激味クッキーだ。
別に大地を幻滅させようと思った訳ではない。大地に香澄の料理の腕の上達を実感してもらおうと思って作った。
クソまずクッキーの味見をした俺は悶えた。
こんなクッキー食ったら……100年どころか、1万年の恋も冷めるわ! と思わせるようなクソまずだった。
そして、バレンタイン前の土曜日。
「はい。大地。これが私の作ったクッキーよ」
香澄が渡したクッキー。これこそ、香澄のクソまず味を再現したクッキーだ。大地が悶えた後、俺は香澄が作った本物のクッキーを渡すつもりだった。
「うわ! 手作り感がある!」
表面をボコボコにするのに苦労したんだからな!
「香澄、下手くそだろ?」
「これでいいんだよ! 一生懸命作った感じがいいの!優一のは綺麗すぎて気持ち悪いんだよ!」
大地はクソまずクッキーを口に入れた。
「!」
「どうかしら?」
「なんだか粉っぽいし、美味しくないけど……香澄の愛情を感じるよ」
すごく嬉しそうに食べている……少しも悶えずに。
そんな大地の様子に、俺は背筋が凍った。
「良かった! 嬉しい!」
「……え。あーっと……要はまずいんだな」
一瞬うろたえたが、俺は必死でいつも通りを装った。
その後、大地はますます嬉しそうにクッキーを食べる。しかも、全部食べた。
異常だ。
味覚音痴とか、愛情フィルターの一言で片付けられるようなもんじゃない。
そういえば、大地は香澄と結婚したがっていた。
気持ちが通じ合って、付き合ってそれから結婚ではなく……いきなり結婚だ。
それって、香澄を重い鎖で縛り付けたいという、大地の異常な愛情の表れである。
それからして、俺は香澄からクッキーを貰った。想定外な事に歓喜した俺は顔を伏せた。
◆◆◆
「あ、もう時間だわ」
姉さんは窓を見る。
「優一。もう二度と自分に負けないでね」
姉さんは穏やかな表情だった。
「姉さん! まだ話したい事が……」
俺は姉さんのある方向に手を伸ばした。風景がぐにゃりと歪む。俺はその歪みに飲み込まれる。
そして、目の前が真っ暗になった。




