もはや性癖
――土曜日――
午前10時。私、柊香澄はスーパーに来ている。
カートに買い物カゴを乗せ、製菓コーナーをうろうろ。カゴには大量のチョコ菓子材料が入っている。
「うーん、たくさん失敗するだろうから……こんなもんでいいかな」
お会計するためにレジに並ぶと……
「香澄」
背後から声が聞こえた。この声は――私は振り向く。
「ゆうちゃん!」
買い物カゴを片手に持った柳木優一こと、ゆうちゃんが私の後ろに並ぶ。
ゆうちゃんの最近の事は大地から大体聞いた。お母さんと仲直りした事。大地とは今まで通り、関わっている事。ただ、二人がどんな事を話しているのかまでは聞いていない。
お母さんと仲直りしたせいか、以前のような怖さをゆうちゃんから感じない。
「なんでそんなに大量のチョコ買ってんの? ストレス発散? ――あ、さては今年のバレンタインは手作りがいいって大地から言われたか?」
う、ゆうちゃん鋭い。
「そうなの。ゆうちゃんも知ってるでしょ? 私の料理の腕。でもね、出来ることなら、少しでも美味しく作りたいから――いっぱい練習しようかなって……」
私は料理が下手だ。男の人は結婚した後、奥さんが料理下手だと知った途端にショックを受けて幻滅する、という話をよく聞く。もしかしたら、大地もショックを受けて幻滅するかも。
料理の腕を上げたくて今まで練習してきたけど、全然美味しくならない。本当は料理教室に通いたいんだけど、職業がら継続して通うのは難しいし――困った。
「諦めろ。香澄一人だとどうせクソまずチョコしか作れないんだから」
グサ! ゆうちゃんは満面の笑みでひどい事を言う。
「なんて事言うの! 作ってみなきゃわからないじゃない!」
「……」
ゆうちゃんは大量のチョコをただ、ひたすらに、じっと見つめていた。
――
会計が終わった私とゆうちゃんは2人でスーパーを出た。
「ゆうちゃん。またね」
私はゆうちゃんに『またね』と言った。
以前、関わらないでと言ったけど――小さい頃の可愛かったゆうちゃんに戻ってくれたのなら……こんなに嬉しい事はない。
「待て。クソまずチョコをなんとか美味しく作れるよう、俺が教えてやる。中学から家事全般、俺一人でこなしてたから、香澄なんかより遥かにうまいぞ」
「まあ! ゆうちゃんってば、勉強も出来て、生徒会もやってたのに――すごい! 私も見習わなきゃ」
「ははは。俺は要領いいからな。香澄には真似できないよ」
ゆうちゃんってば相変わらず素直。
「でも、ゆうちゃん。大学のお勉強もあって色々大変じゃない? 別に無理しなくてもいいのよ?」
ゆうちゃんは無表情で私の顔を見た後、爽やかな笑みを浮かべる。
「なめるなよ。香澄。俺は要領いいから気にすんな」
そういうもんなのかしら。
「あ、ゆうちゃん」
「まだ何かあるのか?」
「ほら、昔はお互い幼かったから、月子ちゃんの家や私の家に行ったりできたけど――ゆうちゃんは今お年頃の男の子なんだし……その……昔のようにホイホイ家に行くなんてできないでしょ」
「俺ん家なら問題ないだろ。今、母さんが家にいるからな」
「ゆうちゃんのお母さんが?」
ゆうちゃんの本当のお母さん。ゆうちゃんの本当のお母さんはいつも家に居なかった。だから面識はない。
「母さん、香澄に会いたがってたぞ」
私は月子ちゃんの友達だけど、お母さんは月子ちゃんに複雑な感情を抱いているはず。そんなお母さんが私に会いたがっているなんて……
「いいのかしら……ゆうちゃんのお母さん、辛い思いするんじゃない?」
「そんなの気にすんな。母さんがそう言ってるんだから、来いよ」
「お母さんがそう言ってるなら……」
ゆうちゃんは穏やかに笑った。ゆうちゃんの穏やかな顔を久しぶりに見た気がする。
「さあ、ゆうちゃん。後部席空けといたから、乗ってちょうだい」
スーパーの駐車場。私はゆうちゃんが座れるように車の後部席を片付けた。
「は? 何で後部席なの? 助手席がいい」
「ええと、助手席には大量のチョコを乗せちゃったし」
それに私にとって、助手席は特別な席、という感覚がある。もしかして、私が真面目すぎるのかしら?
「俺が後部席に乗ったらどうなると思う?」
「え?」
ゆうちゃんは目を細めて私を見つめる。そして、不敵な笑みを浮かべた後、左手を上げて細長い指をバラバラに動かす。
「俺、後部席から香澄の細い首を絞めて失神させちゃうよ。後部席だと香澄の首まですぐ届くんだから。香澄は運転中だから首のガードできないでしょ? 助手席なら距離もあるし安全だよ?」
ゆうちゃんってば――な、な、な、なんて事を! 私は戦慄する。
私はとりあえず、助手席にあったチョコを後部席に移動させると――
「ゆうちゃん! 助手席へどうぞ!」
ゆうちゃんはニッコリ微笑んだ。
「お邪魔します」
――
午前11時。俺、柳木優一は香澄と一緒に俺の家に入る。
ちなみに母さんはどこかへ出掛けていた。ハッキリ言っておくが、母さんがとこかへ出掛けているのはたまたまだからな。
香澄は姉さんの遺影に線香をあげて、手を合わせている。香澄がこうして線香をあげるのは久しぶりだろう。
遺影の姉さんは中学生のまま、時間が止まっている。香澄も俺も成長した。姉さんだけは今もこの後も永遠に変わらない。
――
午後12時半。昼ご飯を食べた俺と香澄はキッチンでチョコ作りの準備を進める。
「香澄はどんなチョコを作りたい? 」
「えーとね――ベタだけど、ハート型のチョコを作りたいわ。えへへ」
「却下だ。チョコチップクッキーにしろ」
「ええ!?」
クソ! 大地め! 香澄は『あのバカ』のために料理の腕を上げようと必死で努力をしている。大地が羨ましい! 許せん! 香澄が俺に作ってくる料理はどれもこれもクソまず料理ばかりだ!
スーパーで香澄と会った時、香澄が大量に買い込んだチョコを見てふと思った。香澄の味を俺の味に染めてやるとな。
「香澄。この板チョコを細かく切り刻め」
「はい! ゆうちゃん先生!」
香澄は板チョコを包丁で切り刻む。チョコを押さえている手はしっかりと握りこぶしになっていた。包丁の基本は押さえているらしい。
――
「香澄! バターはレンジで溶かせ! 塊のまま砂糖を入れて混ぜようとするな!」
「ひゃ! ごめんなさい!」
香澄はせっせとバターをレンジに入れる。レシピをちゃんと確認しろ。まったく……
俺は砂糖の入った容器を見た。……なんか、砂糖の量多くないか? 砂糖の重さを測る。
「ゆうちゃん先生! バターをレンジで溶かしてきたわ」
「香澄」
「何でしょうか? ゆうちゃん先生」
俺は砂糖の入った容器を香澄に突き出した。
「何で砂糖が200gもあるんだ! 砂糖は75gで十分だと言ったはずだ!」
「砂糖を多く入れた方が美味しくなるんじゃないかと思って……」
「こんなに砂糖入れて糖尿病で殺す気か!?」
しかもそれは砂糖ではなく、塩だった。
香澄め! 危うくクソまずチョコチップクッキーになるところだった……
――
「できた! チョコチップクッキーができたわ! ゆうちゃん先生」
「見た目はブサイクだけどな」
「見た目だけで判断してはいけないわよ!」
俺の前に並べられたチョコチップクッキーの山。表面はひどくボコボコ。形も大きさも不揃いだ。何故こうなるのか……まあ、見た目で判断してはいけないな。
俺はブサイクなクッキーを一つ口に入れた。
「!」
「どう? 美味しい?」
「まずい」
「ええ!?」
「だが、クソまずではない。耐えられる」
俺はもう一つクッキーを口に入れる。
「ゆうちゃん! やったわ! 耐えられるまずさまで腕が上がったのね! 良かった」
「おお、そうだな。香澄がこんなに料理の腕を上げるなんて1ミリも思わなかったぞ。ハハハ」
香澄は俺に抱きつこうとしてきた。俺もそれに応えるかのように腕を広げた――――かと思いきや、香澄がハッと我にかえり、俺から離れた。
「ご、ごめんなさい! ゆうちゃん! 私ってば嬉しくてつい……」
「……」
ちっ! このまま抱きついてくれば良かったものを! 香澄の肋骨が2、3本くらい折れるまで抱きしめてやるのに!
「ただいまー」
母さんが帰って来たようだ。母さんはそのままリビングに入って来た。
「あら? もしかして、香澄ちゃん?」
「ゆうちゃんのお母さん!」
「初めまして。優一と月子の母です。何だかおかしいわね。香澄ちゃんは何度も家に来ているというのに……」
母さんは優しい顔で香澄に挨拶をしたあと、香澄も深々とお辞儀をしながら、挨拶をかわす。
「初めまして! 月子ちゃんの友人の香澄です。――ゆうちゃんのお母さん、若々しくてカッコいいですね。身長高くて、モデルさんみたい」
「あら、それはありがとう。でも、最近、体の言う事がきかなくてね。なんだかんだで年を感じてるわ」
若々しくてカッコよくてモデル……普段の母さんを見ている俺からすると、それは気のせいだと言いたい。休みは基本的に昼まで寝てるし、家事はあまりしないし、料理なんて香澄のクソまず料理といい勝負だ。ま、仕事が仕事だからしょうがないんだが。
「そういえば、母さん。今までどこ行ってたんだ?」
母さんはリビングのソファにドサっと座ると――
「父さんの面会よ」
「ゆうちゃんのお父さんの?」
「そういえば香澄に言ってなかったな。父さん、5年の懲役が決まったんだ」
「え? ゆうちゃんお父さん、賄賂で捕まったよね? 賄賂は確か3年以下の懲役だったんじゃ……」
「実はね、あの人、医療ミスもやらかしてたのよ。全く……若い頃はそんなヘマする人じゃなかったのに、洋子さんと出会ってから、段々腕が落ちていったのよ。女と遊びたいなら、医者なんかやめてしまえば良かったのよ……はあ」
母さんは呆れた様子でため息をついた。
「それに、父さんはもうダメね。何もかも失って廃人のようになってるわ。あの様子だと、刑務所から出たとしても――精神科に入れないといけないかもしれないわね」
「あの……柳木病院はどうなんですか?」
曇った表情の香澄は、母さんに病院の状況を尋ねた。
「今は親戚の人が院長やってて、信頼回復のためにあれこれやってるみたいだけど……経営は苦しいみたいね」
「そうですか……」
香澄は俯いた。
「暗い話してごめんなさいね。香澄ちゃん、久しぶりに家に来てくれたんだから、ゆっくりして行ってね」
母さんは力強く笑う。
「はい」
香澄はキッチンに向かい、自分が作ったクッキーのラッピングをする。
「ゆうちゃん、ちょっと」
母さんはリビングのソファーに腰かけた後、俺に向かって人差し指をチョイチョイと動かす。俺は母さんの近くに寄ると、母さんは小声で話す。
「父さんから聞いたんだけど、アンタ、父さんの知り合いの医師の娘さんと付き合ってるとか付き合ってないとか? 早くゆうちゃんを結婚させろってうるさいのよ」
……まだそんな事言ってたのか。
「ああ、彼女とは一昨年の12月に別れた」
「あら。そうだったの。どうして?」
「このまま結婚してもお互い不幸になるだけだ」
「んま! ゆうちゃんってば、生意気言うようになっちゃって」
母さんはそう言うと、一瞬だけ香澄に視線を向ける。そして、俺に視線を向け、クスリと笑う。
「……まあ、ゆうちゃんの好きにすればいいと思うわ」
母さんの返事はそっけないものだった。母さんは俺の気持ちに気付いているんだか、いないんだか……




