最後に愛が勝った。
――2月、インターンシップ5日目――
「佐々本くん、お昼一緒に食べない? アタシ、お弁当作ってきたんだ!」
お昼休み。俺はインターンシップのオリエンテーションが行われた部屋で一人、コンビニ弁当を食べていた。
「ごめんな。俺、食事は一人で食べたいんだ……」
これ以上、桂木さんと親密度を上げてはいかん。これは恋愛ゲームじゃないんだから。
「そうなんだ。無理に誘ってごめんね」
あっさり引き下がってくれて助かった。……てゆーか、お弁当作ってきたってどういうこと? 桂木さん、俺に手作り弁当持ってきたの?
はあ。香澄の手作り弁当なら喜んで弁当箱までしゃぶり尽くすんだが……
「!!」
はああ! そういえば……俺、香澄の手料理、一度も食べた事ないぞ!
大学2年の頃、クリスマスイブの前日にお泊まりした日があったけど、夜は俺一人で外食した。その次の日の朝は食パン焼いて食べただけ。デートなんて外食ばっかだったし、バレンタインに至ってはどこか高そうなお店で買ったであろうチョコレートだった。
なんてこった! 香澄の手料理を食べた事がないなんて、なんたる不覚! 今月はバレンタインがあるし、今年は『手作りチョコ食べたい♡』てしっかりアピールしないと!
「じゃあ、このお弁当、今日の晩御飯にでも食べてよ」
桂木さんは青いお弁当袋を、コンビニ弁当の横にドン、と置いた。
「あの、桂木さん。ごめん。受け取れないよ……その……」
「何言ってんのよ。遠慮しなくていいんだからね!」
「これは遠慮じゃなくて、俺、婚約者いるんだ。他の女性からの手作り弁当貰うってのは……さすがに彼女に申し訳ないというか、何というか……」
桂木さんは『え?』と声をあげ、驚きの表情を見せる。
俺の弁当を作ってきた桂木さんに謝らないと。正直言うと、俺が一番悪いと思う。最初に香澄の存在を示すべきだった。
「ごめん! これは受け取れない!」
「そっか……ごめんね」
桂木さんは寂しそうな表情を見せた後、青い弁当袋を持ち、俺から離れた。これで良かった。桂木さん、本当にごめんなさい。俺はホッと胸を撫で下ろした。
――夕方――
俺は一人で会社を出た。桂木さんより早く。今日からは一人で帰ろう。俺はそう思った。
「佐々本くん!」
俺を呼ぶ声が聞こえた。俺は思わず振り向いた。
「あー、良かったぁ! ねえ、このあと予定ある?」
「……ある。大学の友人と遊びに行くから」
本当は予定なんて無いんだが……今はとにかく、桂木さんと一緒に行動するのは避けたい。
「少しだけ! えっと……近くの喫茶店。少しだけ付き合ってくれない? お願い!」
桂木さんは、パン! と両手を合わせてお願いポーズをする。
「……少しだけだよ」
「やったぁ! じゃあ、行こ!」
桂木さんは俺の手を取ろうとする。
「え!?」
俺は思わず手を引っ込めた。今、手繋ごうとしなかったか!? 俺は冷や汗が出た。不思議な事に胸のトキメキはなかった。
「あ! ごめんね! アタシ、男女構わずこんな感じだから……」
いやいやいやいや! 俺、婚約者いるって言ったのに。さすがに手を繋ごうとするのは……ダメだと思うぞ。
――
会社の近くの喫茶店。俺と桂木さんは小さなテーブルにて向かい合って座る。桂木さんはカフェオレ、俺はオレンジジュースを頼んだ。
「えっと、桂木さん。今日、俺に何か用事あったの?」
俺はオレンジジュースをすすりながら桂木さんに問う。
「あのさ、佐々本くん。婚約者いるって言ってたけど……本当なの?」
「ホント」
「婚約者と私、どっちの方がカワイイと思う?」
「婚約者」
俺は即答した。俺の愛情フィルターをなめんな。
「婚約者と私、どっちの方が一緒にいて楽しい?」
「婚約者」
これも即答。確かに桂木さんは一緒にいて楽しい。しかし、香澄には無限に広がる安心感がある。こんな俺を信じてくれてるし、どんな俺でも受け止めてくれる。
「婚約者と私、どっちが好き?」
「香澄に決まってんだろうがーー! むしろ香澄を愛してるわぁぁ!!」
あまりにもバカバカしい質問に、俺は思わずクワァっと叫んでしまった。
桂木さんは涙目になり――
「うっうっ……ひどい……ひどいよ!!」
昔の俺ならうろたえたかもしれんが、今の俺は一歩も引く気はない。
「あの……俺、大学卒業したら香澄と結婚する予定だから、俺の事は忘れて」
「!」
桂木さんは顔を押さえて喫茶店から出て行った。これで、桂木さんは俺に話しかける事はないだろう。良かった。
俺は桂木さんの質問の意図がわからなかった。答えなんてわかりきってるはずなのに。俺、昼に婚約者いるって言ったんだけどな……話聞いてなかったのかな……
「大地」
優一がコーヒーを持って俺と同じテーブルに向かい合って座った。やっぱりいたのか。医学部て勉強ばかりですごく忙しいって聞いたんだけど……コイツ、いつ勉強してんだ? もしかして暇なのか?
「キッパリと突き放すなんてやるじゃないか。しかもバカみたいに恥ずかしいセリフまで吐き捨てて。『香澄を愛してるわぁぁ』って……ブフ!」
優一は口を手で抑えて笑いを堪えている。
「やめろ! 恥ずかしい! さっきの事は忘れろ!」
笑いがおさまった優一は、突如、真面目な顔になり――
「大地。桂木さんをキッパリと突き放した以上、来週からのインターンシップは恐らく居心地が悪くなる。覚悟しておいた方がいいぞ」
「え?」
俺は優一の言っている意味がわからなかった――それを知るのは、来週になってからである。
……あ! そういえば……
突然、俺はある事を思い出した。
「優一。聞きたい事があるんだ」
「何だ? 桂木さんの事か? それとも、来週のインターンシップの事か?」
「違う。それよりももっと大事な事だ!」
「それよりも大事な事?」
俺の真剣な表情に応えるように、優一はしかめ面になる。
「優一は香澄の手料理を食べた事あるか?」
優一は冷めた視線を俺に向けた。
「まあ、あるが……俺が子供の頃に……」
ガーン! 俺はテーブルに塞ぎ込んだ。
「うわー! なんて羨ましい! 俺、一度も香澄の手料理食べた事ないんだよぉぉ!」
「……大地。悪い事は言わない。香澄の手料理に期待しない方がいいぞ」
「え?」
「香澄の料理はクソまずい」
何だって!? 香澄、料理が下手だったのか!
「ああ、そっか! 香澄が俺に一度も手料理を作らないのは、まずくて俺に幻滅されたくないからか! 香澄ったら、なんてかわいいヤツなんだ……もう!」
優一の眼差しが更に冷たくなる。
「あれ? でもさ……香澄は高校の時、ご飯作ったり、家事やってたって聞いたな。料理はどうしてたんだ?」
「香澄ができるのは白米を美味しく炊くことと緑茶を美味しく淹れる事くらいだ。おかずはレトルトか惣菜か……もしくは香澄のお父さんがたまに作っていたんじゃないか?」
もう、何だよぉ! 料理が下手なら下手と素直に言えばいいのに。必死に隠すなんて――香澄のかわいい一面を垣間見た俺は顔がほころんだ。
「手料理食べたいなら香澄の代わりに俺が作ろうか? 俺の料理は美味いぞ」
優一が満面の笑みで俺に言った。
「いらねぇよ! どんなに美味くてもお前の手料理なんか食いたくねぇよ!」
くそう! 優一め! お義父さんならともかく。優一も香澄の手料理の味を知っている事が許せん!!
――夜9時――
俺は香澄に電話をかける。
「もしもし、香澄? あのさ、今年のバレンタインだけど……」
「あ、バレンタインね。実は明日買いに行こうと思ってたの」
危ねぇ! 電話してよかったわ!
「あああ! あのさ、俺、今年は手作りチョコが食べたいなぁ、なんて……」
「え!? えええええええと……手作りは、ほら、重いって聞くし、買った方が美味しいじゃない……? む、むむむ無理しなくてもいいのよ? ね? ね?」
うわ! 普段穏やかな香澄がすごく必死になってる! なんて愛おしいんだ!!
「愛の重さなら俺も負けないぜ? そんなの今更だぜ? 俺は香澄の手作りチョコが食べたいんだぜ!!」
「そ、そんな……」
香澄の声が震えてる。今の香澄がどんな様子か見れないのが残念だ。
「今年は手作りチョコ以外は受け取れないね。高級チョコよりも手作りがいい」
俺はまずくても何でもいいからとにかく手作りチョコを食べたかった。
「あの……幻滅しない?」
「えぇ? 幻滅って何に?」
まずくて幻滅するという意味だろうなとは思うけど、俺は知らないフリをする。
「うんと……あまり美味しくないというか……何というか……お口に合わなかったら、残してね」
「何だよー。まずくてもいいんだぜ。香澄の手作りって事が大事」
「そ、そう……じゃあ、来週の土曜日。手作りチョコ持ってくるから。あまり期待しないで待っててね」
「おう! めっちゃ期待して待ってるぜ!」
ふっふっふ……
きっと香澄は今週の土日、必死で手作りチョコを作るに違いねぇ! 来週が楽しみになってきた!! 俺の頭の中は、必死でチョコを作る香澄の妄想で埋め尽くされた。




