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妖怪鬼ばば

――チュン、チュン


 カーテンの隙間から太陽の光が差し込む。その光で目が覚めた。


「……」


 俺はだるい体をゆっくりと起こした。時計を見ると、針は7時30分を指していた。


 姉さんの日記を読んで、今までの事を振り返ると――俺は今まで何をしていたんだろうか。たくさんの人を傷つけた。大切な人も……

 そして、大切な人は俺から離れた。


 これは罰だ。神様は俺に、『孤独』という罰を与えたんだ。しばらくボーッとしていると、ノック音が聞こえる。


「ゆうちゃん。起きてる?」


 母さんの声だ。帰って来たのか。


「起きてるよ」


「朝ごはん作ったのよ。一緒に食べましょう」


 朝ごはん? 今、朝ごはんを作ったと言ったのか? 母さんが朝ごはんを作った事なんて、今まで一度もなかった。


 ……


 俺は胸が高鳴った。些細な事なのに、俺は嬉しかった。


――


「さあ、いただきます」

「……いただきます」


 母親と『いただきます』するのは少し恥ずかしい。朝ごはんは、パンと野菜スープとサラダだ。シンプルだが、俺にはご馳走のように感じる。


 俺はこの時、考えた。もう、香澄を忘れよう。


「母さん。本当に父さんと離婚するのか?」

「そうね。裁判の判決が出たら、離婚するわ」

「ふーん。じゃあ、この前言ってた人と再婚するんだ」

「え……ええ。そうよ」


 ――俺は母さんのわずかな動揺を見逃さなかった。母さんは俺のスープをチラチラと見ているような……? 俺はスープに視線を向けた。まさか……


「母さん」

「何? ゆうちゃん」

「その相手と遊ぶ時、誰がお金払ってんの?」


 クレジットカードと通帳は全部俺が管理している。母さんに預けるとろくな事にならない事は目に見えているが、あまり縛りすぎてもダメだ。だから母さんには生活に困らない程度のお金は渡している。


「え? それは……相手に決まってるじゃない。お医者様だもの」

「そんで? 医師免許証は見せてもらった?」


 俺はスプーンを置き、頬杖をついた。


「何を言ってるの! ちゃんと見せてもらったわ!」


 本当かな……


「これは俺の推測だが、母さんはお金が欲しいんだろ? しかも大金が」


 母さんの顔が険しくなっていく。もしかして、ビンゴか? 俺の死亡保険金と財産が欲しいのだろうか?


「だめだよ母さん。お金は大切に使わないと。何があったのさ? 相手に逃げられて借金が残ったとか? もしくはお金くれたら再婚するとか言ってきた?」


 何故大金が必要かはわからない。が、とりあえず俺の推測を全て言ってみた。


「俺の朝ごはん……母さんが先に食べてみろよ。そしたら、俺も食べるから」


 母さんはテーブルをダン、と強く叩く。


「ゆうちゃん! 母さんを疑うの!? 一体いつからそんな捻くれた子に育ったの!!」


 さあな。


「俺の朝ごはんに何も入ってないなら……食べれるはずだが?」


 俺は母さんの目を真っ直ぐに見る。母さんの顔が豹変した。


「うぅぅぅるせぇ! 早く食えよ! このクソガキが!」


 ヒステリックなカナギリ声が部屋中に響いた。

 ついに本性を現したな。その様子はまさに妖怪辞典に載ってる妖怪鬼婆(おにばば)だ。


 ……


 母さんはお金が欲しいらしい。『実の息子()』の命と引き換えに。俺は悲しかった。


 俺は母さんのそばに立つと、母さんの手を強引に引く。


「ちょっと! 何すんだよ! 離せ!! このクソガキ!! 親不孝者!!!」


 母さんの罵声を浴びながら、俺はある部屋へ向かった。そして母さんをその部屋に放り込み、ドアを閉め、鍵をかけた。


「おい! ここから出せよ!! いい加減にしろよ!」


 その部屋とは、地下室だ。

 キッチンの床には隠し階段があり、そこを真っ直ぐ降りると狭い廊下に出る。そして廊下の先にその部屋がある。部屋は広すぎず、狭すぎず。床と壁はコンクリートでできており、部屋には何もない。ドアは硬い鉄製でちょうど俺が中を覗けるくらいの四角い穴が空いている。

 姉さんが亡くなってから長年使われてなかったから、湿気がすごいし、カビ臭い。ついでにカビ臭とは別に変な臭いがする。


 母さんはドアをドンドン叩く。俺はドアの穴から中を覗きこむ。


「この部屋はね、父さんがこの家を建てる時にこっそりと作らせた部屋なんだよ。家族に内緒でね。あとここ全体の防音設備は完璧だから、母さんの馬鹿でかいヒステリック声が漏れる事はないよ」


「はあああ!? あの男は何やってんだよ!? こんな辛気臭い部屋作りやがって!! 金の無駄遣いしてんじゃねぇよ!!」


「はは。『妖怪(母さん)』を閉じ込めるにはちょうどいいじゃないか。無駄遣いではなかったよ」

俺はにっこり微笑んだ。


「ふざけんなよ! このクソガキ! アホ親父め!」


「父さん、ここに姉さんを閉じ込めて遊んでたらしいよ? とんだ変態父さんだね」


「やめろぉ! あの娼婦のガキの話すんなぁぁ!」


「少なくとも洋子さんは俺と姉さんの面倒を見てくれてたじゃないか。母さんよりも母さんらしいよ」


「は! どうだか! あの女もエロ親父の妻の座を狙ってたんだろぅが! どうせ財産目当てだったんだろ!! そのためにてめぇらクソガキ共の面倒見てやってんだろぉが! 女は時と場合によって演技すんだよぉ!!」


 はあ。母さんは本当にどうしようもないな。俺も洋子さんの子供だったらよかったのに。子は親を選べないなんて不幸な事だ。


「母さん、ここから出たいの?」


「あったりまえだ!! この〇〇〇〇が!!」


 うわ。ついに卑猥な単語を言い出した。


「じゃあ、俺の質問に正直に答えなよ。そしたら、考えてやるから」


 俺はにっこり微笑むが、母さんは醜い老婆のような形相で俺を睨む。


「じゃあ、まず最初の質問。父さんの賄賂を漏らしたの、母さんでしょ」


「違うね! どうせ、病院にいる誰かだろ? アイツ、最近、医師としての評判悪いみたいだもんな!」


「何で母さんが父さんの評判を知ってるんだ?」


「大学病院で聞いたんだよ! 悪いか!?」


 大学病院で聞いた? まさか再婚相手か? もしかして、本当に医師なのか?


「二つ目の質問だ。俺の朝ごはんに毒を仕込んだな?」


「……ああ、そうだよ」


「その毒、どこで手に入れた? 母さんのような一般人が毒薬を買ったり入手するのは困難なはずだ」


「…………」


「黙秘? しょうがないな。じゃあ、ここで余生を過ごせ」


「わかった! わかったよ! 毒は、その……私が大学病院から勝手に持ち出したんだよ!!」


「下手な嘘つくのはやめろよ。詐欺師の医師からもらったんじゃないのか?」


「私が勝手に持ち出したのよ」


「……じゃあ、何の毒物を持ち出した?」


「テトロドトキシン。フグやトリカブト等から抽出される猛毒。中毒の経過は4期に渡る。第1期は唇や舌の痺れ、唾液過多(だえきかた)や腹痛が起こる。第2期には痺れが広がり手足の麻痺が起こる。第3期には麻痺が神経筋肉系および呼吸器系にひろがって、構音障害(こうおんしょうがい)筋線維(きんせんい)束性攣縮(そくせいれんしゅく)、低血圧 、血管運動ブロック、不整脈(ふせいみゃく)を伴う。第4期の末期には呼吸麻痺、極度の低血圧、痙攣(けいれん)脊髄反射(せきずいはんしゃ)の消失を経て死にいたる」


 テトロドトキシン。母さんの説明の通りだ。

 俺は母さんの流暢な説明に驚いた。父さんと洋子さんから、母さんは遊び回ってばかりいるとだけ聞かされていたが――今の母さんの言い方はとてもそんな人とは思えなかった。

 俺は多分、動揺していた。


「……最後の質問だ。母さんはどうして結婚した? 父さんがお医者さんだから? 院長だから?」


 母さんはうつむいた後、弱々しい声で答える。


「……違う。愛してたから」


 予想していない答えが返ってきた。

 今俺の目の前にいるのは、妖怪鬼婆ではなかった。その姿は……恋する乙女だった。


「……は? どういう事?」


 あまりにも、予想外な答えが返ってきた俺は、素直な反応を示した。


「あーあ。ゆうちゃんに財産を譲って親子の縁を切ったあと、父さんと一緒にこの家を出るつもりだったのに。だんだん話が矛盾してきたわね。私、女優の才能が無いのかしら? それとも、ゆうちゃんがそれだけ成長した、という事かしら」


 母さんは頭をポリポリ掻きながら、無邪気な笑顔を俺に向けた。俺は表情を変えなかったが、心が揺さぶられた。

 思えば、俺が物心ついた時、両親の仲が既に破綻していて、家にほとんどいなかったし、両親の馴れ初めを聞いた事がなかった。


「母さん、父さんを愛してたから結婚したのよ。父さんとは、同じ大学で同じ医学部で知り合ったの。とても真面目で素直で努力家で……それに人見知りが激しい人だったわ。そんな父さんに段々と惹かれていって、そして母さんから父さんに告白したのよ。その時の父さんの顔、今でも忘れられないわ。顔中真っ赤になって、とても可愛かったわよ」


「それから6年後、大学を共に卒業した時に父さんからプロポーズされたの」



『僕と結婚してくれませんか?』



「もう、唐突のプロポーズでびっくりしたわよ」


 母さんはクスクスと笑う。


「それから籍を入れた私たちは、しばらく研修医として共働きしてた。父さんは、自分の親が経営していた柳木病院、私は大学病院だった。お互い、忙しかったけど何とか時間を作ってはデートしたりしてたの。あの頃は良かったわ」


「そして、母さんが33歳の頃だったかしら。母さんのお腹にゆうちゃんが出来たのよ。それはもう嬉しくて嬉しくて。どんな子に育てようか、どんな名前にしようか、毎日が幸せだったのよ」


 母さんは穏やかな声で語った。俺はこんなにも穏やかな母さんを初めて見た。


「でも、幸せな日々は続かなかった」


 母さんの顔が曇った。


◆◆◆


――20年前――


「あーあ!」


「ゆうちゃん、あーあじゃなくて、ママよ」


「ま、あ!」


 優一が生まれて1年が経った頃。私は勤めていた大学病院を辞めて、優一の子育てに奮闘していた。


「パパはお医者さんだから、なかなか家に戻れないけど、ママがずっとゆうちゃんのそばにいますからねぇ」


 しばらくした後、玄関のドアが開く音が聞こえた。


「パパが帰って来たのね」


 私は父さんが帰って来たと思い、玄関まで赴くと……そこには、父さんと6、7歳くらいの女の子がいた。


「お帰りなさい。えと……そちらのお嬢さんは?」


「僕の娘だよ」


「む、す、め……?」


 私は父さんの言っている意味がわからなかった。だって、私が産んだのは優一だけ――という事は……


「誰と誰の子供なの!?」


「僕と洋子さん」


 私は女の子に視線を向ける。その子は無表情でまるで日本人形のように綺麗な女の子だった。どことなく父さんにも似ていたが、母親は綺麗な人である事は容易に想像できた。


「さあ、月子。この人が今日から君のお母さんになる人だよ」


 お母さん……この人は何を言っているの? 私は一瞬にして奈落の底に落とされたように感じた。


「さあ、月子の弟に挨拶に行こうか」


 父さんは、月子の頭を丁寧に撫で回す。


「嫌よ! やめて! 月子を優一に会わせたくない!」


 私は無我夢中で叫んだ。父さんは溜息をついた後、私に冷たい視線を送る。


「何言ってるんだい? 月子にとって優一が弟なのは揺るがない事実だ。君はいつからそんなひどい母親になったんだい?」


 私はその場に崩れ落ちた。


「大丈夫? お母さん」


 月子は私に触れようとしたが、私は月子を受け入れる事ができなかった。


「触らないで! 汚らわしい!!」


 私は月子の手を思いっきり突っぱねた。


「おい! 月子の綺麗な手になんて事をするんだ!! 月子に謝れ!!」


 父さんは月子の手を優しく撫で回した。この異様な光景を見て、私はこの男を生理的に受け付けなくなった。


◆◆◆

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