お姉ちゃん
――日曜日の夕方
「母さん、今日も遊びに出掛けてるのか……」
優一は弁護士との打ち合わせから家に戻ってきた。
打ち合わせは柳木院長こと、父さんの裁判についてだ。父さんのために弁護士を雇うなんて腹立たしいが、賄賂の内容によっては罰が重くなる。最悪、俺たち家族が破産する可能性がある。まったく父さんは何やってんだか……
家は相変わらず静寂に包まれていた。姉さんが亡くなり、香澄が来なくなり、姉さんの母親が来なくなり……それ以降、家の様子はずっとこうだ。
それにしても母さん。しばらく家にいろって何度も注意したのに――やっぱり脳の手術してもらった方がいいんだろうか。それとも縛りあげて、この家から出られないようにしてやろうか。
「はあ、裁判が終わったら――大学やめて、この家を出た方がいいかもな」
もう疲れた。
俺は食卓で一人、夕食を食べる。食事は……カップ麺だ。父さんが逮捕される前は自分で適当に作っていたが、今は食事を作る気になれない。
「……」
俺は無言で麺をすすった。
大地から受け取った姉さんの日記……唯一の形見だ。姉さんの字は教科書のように綺麗だから、一目で姉さんの日記だとわかった。
日記には、姉さんがいじめを受けていた日々が書き連ねられていたが、恨み言は一つも書かれていなかった。あるのは、香澄に対する心配がほとんどだった。
姉さんへのいじめが始まったのは――同級生の女の子の好きな男の子が姉さんを好きだからという理由である。俺はいじめの発端を知っている。何故なら……姉さんをいじめた女自身の口から直接聞いた。
姉さんはいじめられても動じなかったらしく、香澄を脅していじめに加担させたとあった。
日記を読んだ後は……やっぱりな程度にしか思わなかった。しかし、今更――姉さんの字からそんな事を知ったところでどうにもならない。
あと、俺への心配もたくさん書かれていた。親の愛情をまともに受けない俺は、愛し方と愛され方を知らない人間になるのでないか――そんな事が書かれていた。
愛し方と愛され方……
「何だ、それ……俺、どうしたらいいんだよ……」
そして、俺は自分の昔話を思い出した。
◆◆◆
――16年前――
「ただいま」
「おじゃましまーす!」
家に二人の女の子の声が響く。
「お帰り、月子。あと、香澄ちゃんもいらっしゃい」
二人の女の子を出迎える声。姉さんの母親である洋子さんだ。
「香澄。わたしの部屋に行こ」
「うん!」
――
「あ、優一。ここで遊んでたの?」
「わるい?」
この時の俺は5歳になったばかりである。姉さんは11歳。部屋は俺と姉さん、共用である。
「ゆうちゃん。こんにちは」
「なんだ……ブス香澄も一緒かよ」
――ごつん!
「いってえ! 何すんだよ! ねえちゃん!」
「こら! 優一! 女の子にブスって言っちゃダメだって何回言えばわかるの! そんなんだから幼稚園で女の子に嫌われるのよ! あと、ちゃんと『こんにちは』て返しなさい!」
「ブスにブスって言って何が悪いんだよ!」
「クスクス」
「香澄? ……何がおかしいの?」
「ゆうちゃん、素直でかわいいなぁって」
「はあ!? うるさい! ブス香澄!!」
「ふふふ。優一。香澄には敵いませんなあ」
俺が物心ついた時には既に姉さんと香澄が俺のそばにいた。
――
「さあ、月子ちゃん、優一くん。晩御飯ができましたよ」
ご飯を食べる時は姉さんと洋子さんの3人だ。洋子さんは線が細く幸の薄そうな綺麗な人だった。
父さんと母さんは家にいる事の方が少なく、家の事や俺たちの面倒はこの人がしてくれていた。俺は最初、洋子さんのことをただのお手伝いさんだと思っていた。
姉さんは厳しい人だったが、洋子さんはとても優しい女性だった。
「洋子さん。おかあさんは今どこにいるの?」
「お母さんはねぇ、月子ちゃんたちをほっぽっていつも遊びに行ってるのよ。本当に困った人だと月子ちゃんのお父さんも呟いていたわ」
「ふーん……」
洋子さんの話を素直に聞いていた俺の隣で、姉さんが口を開く。
「優一……あのね……」
「ん? なに? ねえちゃん」
洋子さんは優しく綺麗に微笑む。
「月子ちゃん。ご飯食べたら、あとで私が宿題を見てあげますね。お父さんから2人のお勉強の面倒も見るよう、頼まれてますから」
洋子さんは俺たちのお勉強の面倒も見てくれていた。家をほっぽって遊びに行っている母さんとは大違いだった。
しかし、この時の姉さんはひどく暗い顔をしていた。
――12年前――
「姉ちゃん。最近、香澄来ないけど――喧嘩したの?」
「優一。大丈夫よ。そのうちまた家に来るから」
この時の俺は9歳。姉さんは15歳。
「それだけじゃないよね。姉ちゃん……制服汚したり、怪我して帰ってくるよね? 学校で何かあったの?」
「ふふ。私、最近やんちゃしてるのよ。でも、心配してくれてありがとう」
姉さんは笑顔で俺をぎゅっと抱きしめた。
――数ヶ月後
「姉ちゃん……」
数日後、姉さんは事故で死んだ。俺は学校に行く以外、自分の部屋に引きこもるようになった。
姉さんたちが屋上で悪ふざけしていた際に老朽化していた柵が壊れ、姉さんだけがそのまま落ちたらしい。俺は姉さんがそんな危険な場所で悪ふざけをするのがとても信じられなかった。
姉さんの物は母さんが全て捨ててしまった。洋子さんは姉さんの葬式が終わった後、家に来なくなった。俺が最後に見た洋子さんの姿は……姉さんの部屋で段ボール箱に黒い本を入れている姿だった。その時の洋子さんの顔……何故かナイフのように鋭かった。
姉さんが亡くなったあと、父さんと母さんは相変わらず家にいない。父さんがお手伝いさんを雇ったが、淡々と完璧に家の事をしてくれる。しかし、俺はそのお手伝いさんの事を好きになれなかった。
――数日後
家に呼び鈴が鳴り響いた。
「はい、どちら様でしょうか?」
「月子さんの同級生の柊香澄です。月子さんにお線香をあげに来ました」
俺は懐かしい声に心が震えた。香澄が来た! 俺は自分の部屋を出た。
「香澄!」
「ゆうちゃん。久しぶりね。元気だった? ……なわけないよね」
香澄の姿を見て、俺は嬉しい感情で胸がいっぱいになった。
姉さんの遺影に線香をあげ終えた俺と香澄は、俺の部屋でゲームをしていた。
「ねえ、ゆうちゃん。お姉ちゃんから私の事、何か聞いてる?」
「え? そうだなあ。香澄はそのうちまた家に来るって言ってたぐらいだったよ」
香澄は苦しそうな顔をした。
「ねえ、ゆうちゃん。お姉ちゃんからゆうちゃんへの伝言を頼まれたの」
「伝言?」
『優一に伝えて。優一を愛する人がいつか現れるって。それまで生きることを諦めないでって』
俺は姉さんの伝言に涙が出た。香澄は穏やかな顔で俺を抱きしめた。
「じゃあ、また明日ね。ゆうちゃん」
俺は香澄を玄関まで見送る。
「え? 明日も来てくれるの?」
香澄は笑顔になる。
「もちろん! これからは月子ちゃんの代わりに私がゆうちゃんのお姉ちゃんよ。まあ、でも月子ちゃんほどチェスやゲーム強くないし、頼りないかもだけど……」
「姉ちゃんから何か言われたの?」
香澄は姉さんが亡くなった事で俺に気を遣っているのだろうか? 俺はそう思うと嫌な気持ちになった。
「違うわ。月子ちゃんからは伝言を頼まれただけ。私がゆうちゃんのお姉ちゃんになりたいのは、私の意志よ」
「香澄……それ、ホント?」
「ホントよ」
香澄の言葉を聞いて、俺は心にくすぶっている暗い感情が晴れていくのがわかった。しかし、心の晴れは長く続かなかった。
――12年前――
俺は公園のブランコで一人、立ちこぎをしていた。香澄とは週2日、遊ぶ約束をしている。
もちろん、俺は週2日で問題なかった。香澄が来るまでは寂しい毎日を過ごしていたから。
「香澄、遅いなぁ。何してんだよ」
俺はしばらく独り言をブツブツと呟いていると、若い女性の声が聞こえた。
「ねえねえ。月子がいなくなって精々したんじゃない?」
「えー!? アタシは月子がいなくなって、寂しいわぁ。だって、月子をトイレの個室に閉じ込めて水かけたり、靴にカミソリ入れたり……楽しかったんだけどなぁ……」
姉さんの名前だ。ブランコから降りた俺は声のする方に向かい、公園にある木の影に隠れる。
3人のセーラー服を着た女子生徒が公園の外の歩道を歩いていた。そしてその少し後ろに香澄が歩いていた。
「ねえねえ、香澄もそう思わない?」
一人の女子生徒が香澄の方を見ながら、香澄に話しかける。
「え? 私は……」
香澄は、戸惑った表情でうつむく。
「香澄、月子の肩持つんだぁ。そういえば月子が死ぬ前、香澄逆らったもんねぇ。香澄もあの時月子の仲間に入れておけば良かったかなぁ」
「ごめんなさい……あの、私もそう思います」
「そうだよねぇ。香澄もアタシたちと同じ事を月子にしたもんね。香澄はアタシたちの仲間よねぇ」
……嘘だ。
姉さんが制服汚したり、怪我したり帰ってきたのは……いじめを受けていたから。そして、香澄は……黒い感情が俺の心を包み込み、浸食しようとしていた。
俺はブランコに戻った。
「あの……私はここで」
「公園? まあ、いいや。じゃあね、香澄」
――
「あ、ゆうちゃん! 遅くなってごめんね」
香澄は何事も無かったかのように俺にに近づいてきた。
「香澄。姉ちゃん、いじめられてたの?」
香澄の顔は真っ青になった。
「ゆうちゃん……もしかして、聞いてたの?」
「香澄も姉ちゃんをいじめてたのはホント?」
俺は香澄を鋭く睨んだ。
「ゆうちゃん……ええと……」
香澄は表情にかげりを見せた。違うなら、違うと言って欲しかった。言い訳があるなら、言い訳を言って欲しかった。香澄は何も言わなかった。
それじゃ、香澄も姉さんをいじめていたって事を認めるようなもんじゃないか!
香澄に失望した俺はブランコから降りて、家に帰ろうとした。
「待って! ゆうちゃん! 月子ちゃんは……」
「香澄。もう家に来ないで。会いたくない」
「ゆうちゃん!」
この日を境に俺は香澄を拒否するようになった。
――
それから毎日、家の呼び鈴が鳴る。香澄だ。しかし、お手伝いさんが香澄を家に上げる事は無かった。
俺がお手伝いさんに香澄を家に入れるなと指示したからだ。
そして香澄が高校受験を迎える頃、香澄は家に来なくなった。
――5年前――
高校1年になった俺は学校の帰り道を歩いていると、とあるカップルが目に入った。
香澄と彼氏と思われる男が二人並んで歩いていた。二人は程よく距離を開けており、手を繋いですらいない。
「あれは……香澄」
数年ぶりに見た香澄は中学の頃からあまり変わっていなかった。変わったところをしいてあげると言えば……髪型か。中学の頃は長い髪を下ろしていたが、今は後ろ一つに束ねられている。
俺はなんとなく二人の跡をつけてみた。
「……」
俺は香澄が楽しそうにしているのが面白くなかった。俺は何年も一人で寂しくて面白くない毎日を送っていた。それに引き換え香澄は……
「香澄を幸せにしてやらないよ」
俺は男の写真をスマホで撮ると、家に戻った。そして父さんが贔屓にしている探偵事務所に電話した。
「はい、村井探偵事務所です」
「あ、村井さん? 優一だけど、一つ依頼があるから家に来てくれる?」
――
村井さんが家に到着すると、俺は村井さんを家に入れる。そして、彼をリビングに通した。
「それで優一くん。依頼て何だい?」
村井さんは探偵特有の笑みを浮かべながら、ソファに腰を落とす。俺は村井さんに向かい合うようにソファに座る。
「この男の素性を探ってほしい」
俺はスマホの画面を村井さんに見せる。
「あの、優一くん。依頼があるて言われたから来てみたけど……お金はあるのかい? お父さんにはいつもお世話になってるから、割引はするけど」
「株で稼いだのがある」
俺は現金の入った封筒をテーブルに置いた。俺は両親の同意のもとで未成年口座を開き、株をやっていた。
「うわ! 優一くん、やるね。わかった。日数かかっちゃうけど、善処してみるよ」
――数日後
「はい。優一くん。調査結果だよ。これでいい?」
俺は香澄と一緒に歩いていた男についての資料を眺める。
「ふーん、今週末に合コン行くんだ。面白いね。十分だよ。ありがとう」
「ああ、その男、合コン常習犯みたいだよ。今、彼女いるらしいんだけど……ひどい男だね。あと、飽きっぽい性格らしくてね。前の彼女なんて、1週間しかもたなかったみたいだよ」
「へえ」
なんだ、香澄はろくでもない男に引っかかったのか。これなら、俺がちょっかいかけるまでもないか。
香澄の泣き顔を見るのが楽しみだ。
――日曜日
俺は香澄と彼氏が日曜日にいつも行っているというレストランに行ってみた。俺は香澄と彼氏の姿を確認すると、帽子を深く被り、近くの席に座る。香澄と彼氏からは穏やかでない雰囲気が出ている。
「香澄、ごめん! 他に好きな子ができたから別れてくれ」
「え?」
「友人から合コンのメンツ足りないからて頼まれて……その、合コンで出会った女の子に惹かれちゃって……ホントにごめん!」
はあ、よく言うよ。進んで合コンに参加したくせに。
あと、香澄の事……付き合ってみたらキスもできないつまらない女だって周りに言ってたみたいじゃないか。あーあ、香澄がかわいそうだね。
「そっか……わかったわ」
「ここの料金は俺が払っておくよ。この後、その子と待ち合わせがあるからさ! じゃあな! 香澄!」
男はそそくさと料金を支払った後、レストランを出て行った。
「……」
俺は香澄の方を向いた。香澄は落ち込んではいたが、泣いてなかった。
「……くす。香澄ってば哀れだね」
香澄の惨めな姿を見て、俺は胸が熱くなった。
久しぶりに面白い光景を見れて、俺は上機嫌だ。
◆◆◆




