ロマンチストお義父さんとの約束を忘れていた
「香澄ぃぃぃー!大好きだよぉぉぉー!!結婚してくれぇぇぇー!!!」
目を覚ました俺は顔を素早く上げる。
ここは2年A組――俺が高校の時にいたクラスだ。俺は窓際の1番前の席。教室には誰もいない。俺は両頬をパン、と叩く。
「俺…確か香澄の部屋にて、布団敷いてもらってそこで寝てたよな……」
ブツブツと独り言を呟いていると
「ちょっと!」
後ろから少女の怒声が耳に入る。俺は冷や汗を流しながら後ろを振り向くと、そこには――中学生くらいの髪の長い少女が席に座っていた。その少女はセーラー服を着ており、大人びた雰囲気を漂わせている。少しつり目が印象的でまるで日本人形のようなのだが、その顔は鬼の形相だった。
「貴方!香澄に何してくれてんの!あの時、途中でやめてくれたから良かったものの……もしあのまま香澄がキズモノになったらどう責任取ってくれるのよ!!」
「ひぃぃっ!ごめんなさい!!許してください!!ついでに俺を呪い殺さないで!!」
俺は少女の前で土下座をした。
中学生になった少女は優一に瓜二つであった。間違いない。この少女は柳木 月子。優一のお姉さんだ。
少女は『ふぅ』とため息をつく。
「……なんてね。貴方にちゃんと言わなかった香澄も悪いのよ。お互い様ね。最後はうまくおさまったようだし、結果オーライてところかしらね」
「月子さん!」
少女の怒りがおさまったと思った俺は顔を上げ、少女の名前を呼んでみた。
「貴方に名前呼ばれるの気分悪い。やめて」
うっ……やっぱりまだ怒ってるのかもしれない……
「えー……じゃあ、柳木さんでいいの?」
「それなら耐えられるわ」
――
「そういえば……柳木さんは事故で亡くなったと聞いたんだけど」
俺は柳木さんに質問すると、柳木さんは無表情で俺を見つめる。優一に似て端正な顔立ちをしているから、美人という言葉がよく合う。
「そう。私は事故で死んだ」
柳木さんは無表情のまま、淡々と語った。
◆◆◆
ある日…私は学校の屋上に呼び出された。屋上には、怯えた香澄を含めた女の子4人と私。そして、3人の男子。全部で8人いた。
「ねぇ。柳木さん。これから楽しい事しましょーよ」
彼女たちのグループのリーダーの女の子が私に携帯カメラを向けた。
「何?私、貴女たちと違って暇じゃないんだけど」
「はあ?調子乗ってんじゃないわよ!!そのすました態度もいつまで持つかしら」
「ねぇ、もうやめようよ……こんなこと」
弱々しい声で彼女たちを止めるのは、震えている香澄だった。
「何?香澄。私たちに逆らうの?」
「ひっ!ごめんなさい……」
「ねえ。柳木さんってモテるんでしょ?どれくらいの男子を食べてきたの?」
女の子が私に携帯カメラを向けてくる。私はこれから何をされるか想像がついた。
「食べたことないわ。人間の肉ってまずいらしいじゃない」
「何なの!?マジでムカつく!ちょっと!この女早くヤッてちょうだい!」
3人の男子が私の周りを囲った。
「柳木さん。俺、ずっと憧れてました!」
背後から1人の男子が私に抱きつくと、他の男子は私の足を触り始めた。
「ちょっと!やめなさい!」
私は負けじと男子の顔を踏みつけた。
「いってぇ!何すんだよ!この!!」
必死に抵抗した私は男子の腕から逃れると、屋上の隅まで逃げた。屋上には、落下防止のための柵が建てられている。高さは私の肩ぐらいまであった。私は柵に背をつける。
「どうする?もう逃げられないわよ。観念しなよ?」
グループの女の子たちが携帯カメラを私に向けて、ニヤニヤしている。男子たちはジリジリと私に迫ってくる。
「もうやめて!月子ちゃんを傷つけるのはやめて!」
突然、香澄が男子に飛びついた。私は驚いた。彼女たちに怯えていた香澄が私を庇うなんてね。
「うるさいわね!アンタは引っ込んでなさい!」
グループの女の子の一人が香澄の腕を引っ張ると、香澄はそのまま尻もちをついた。
「きゃ!うう……だめだよ……」
「……」
こういうのって、やられる側が抵抗するから面白いのよね。ならいっそのこと、抵抗しないで大人しくヤられた方がいいのかもと考えていた――その時。
ガコっ!
私の背にあった柵が折れた。柵は経年劣化していた。
「え?」
私は折れた柵と共に体が落ちていくのがわかる。
「月子ちゃん!」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。香澄の声だ。香澄は腕を伸ばして、私の腕を掴んだ――が、私は足を滑らせた。
「きゃあ!」
私は片腕を香澄に掴まれたまま、屋上にぶら下がってしまった。ぶら下がった反動で香澄は尻もちをつき、私の腕を引っ張ろうとする――が、力が足りない。
「だ、誰か!先生呼んできて!お願い!」
香澄が必死で叫ぶ。
「……」
「あ、あたし、知らない!柳木さんが勝手に落ちたんだからね!知らない!!」
女子たちは顔面蒼白で走り去る。
「そうだ……俺たちも……しーらない!」
男子たちも続々と逃げ去った。冷静に考えれば、助けを呼ぶのが普通なのだろうけど……突然の出来事に彼女たちは、どうすればいいのか――わからなくなっていたくらいに混乱していたのかもしれない。
「嘘!誰か!誰か来て!お願いします!お願い……」
香澄の悲痛な叫び声が虚しく響いた。
「香澄。手を離して。香澄まで落ちるわ」
「だめ!月子ちゃん。絶対に離さない!」
私は香澄の顔を見ると、香澄は大粒の涙をボロボロこぼしていた。あの時の香澄の顔といったら、ひどかったわ。
「ごめんなさい……月子ちゃん……傷つけてごめんなさい」
香澄の腕が震えていた。香澄の力では長くはもたない。そして、助けが来るのは絶望的。何よりも香澄を巻き添えにするわけにはいかない。
「香澄。ごめんね。こうするしかないわ。優一に伝えて。優一を愛する人がいつか現れるって。それまで生きることを諦めないでって」
「香澄も。幸せを諦めないでね」
私は胸ポケットに刺してあったシャープペンを取り出し、香澄の手を思いっきり刺した。
「痛い!…………月子ちゃん!月子ちゃん!!月子ちゃん!!!」
――ドシャ
◆◆◆
俺は話を聞いて、胸がちくちくした。
「どうして呼び出されて素直に屋上行ったんだ? 無視すればいいのに」
「無視なんかできないわよ。私が行かないと、あそこで男子たちに弄ばれるのは香澄だったのよ」
「そんな……」
どうする事もできなかったんだ。柳木さんも、香澄も。
「先生には?両親には?何か言ったのか?」
柳木さんはやれやれと言わんばかりに首を振る。
「先生には言った。そしたら彼女たちは、次また先生にチクッたら香澄も同じ目に合わせてやるってさ。あと私の親は――自分たちの欲が満たされればそれでいいし、何もしなかったわ。身勝手な人たちなんだから、そんなものなのかもね」
両親の話をしている時の柳木さんは黒い影をまとっているようだった。本当にひどい話だ。
「勘違いしないで欲しいけど、私は彼女たちを恨んでいないわよ。中学卒業したら彼女たちとはどうせ会わなくなるんだし。私は香澄と同じ高校へ行って、一緒に過ごすつもりだったわ」
彼女は穏やかに微笑んだ。本当に香澄の事が好きだったんだな。あ、いや、そういう意味ではなくて……友達としてな!
「あーーーーーーー!!」
俺は突然、恐ろしい事を思い出してしまった。しまった!!俺は何という事を……
「どうしたのよ。バカみたいな声あげて」
「どうしよう……俺……香澄のお義父さんからキス以上の行為は禁止って言われたんだ……エッチはまだ未遂だからいいとして……その……どさくさに紛れて香澄とハグしてしまった……」
俺はお義父さんの約束を破ってしまった罪悪感で胸が押しつぶされそうになった。柳木さんは冷たい表情で俺を見る。
「バカじゃないの。そんなの黙ってればいいじゃない」
『君が大学を卒業するまでーーキス以上の行為を求めるのは禁止』
『キス以上の行為を求めるのは禁止』
俺は香澄のお義父さんとの約束を何度も思い浮かべていた。お義父さんに結婚を認めてもらえないという絶望感に心を痛めていた。
「だーかーらー! そんな事、黙ってればいいでしょ!」
柳木さんが俺に怒鳴りつける。
「柳木さん。俺、そんな大事な事を黙っていられるほど器用な人間じゃないよ……桃園さんの事だって、いつか香澄にばれるんじゃないかと、内心穏やかじゃないんだ。ぐううう!」
俺は両手で顔を覆った。
「……はあ。香澄のお父さんの事なら知ってるわ。香澄のお父さん結構ロマンチストなのよ」
お義父さんにそんな一面があったなんて。
「ロマンチストなのはわかったけど、それと約束がどう関係してるんだ?」
「キス以上がハグとエッチその他諸々なんて、貴方の価値観でしょ」
……は? 柳木さんは意地悪な笑顔を浮かべる。
「香澄のお父さん、キスが一番尊いものと考えてるのよ。香澄のお父さんて少女漫画大好きなのよ」
は? は?
「はあーー!?」
「香澄のお父さんも性格悪いわよね。香澄のお父さんからしたら、キス以上はキスしか無いんだもの。ま、大事な娘の連れて来た人が大学生の男の子だから、少しいじわるしたくなったんじゃない?」
柳木さんは大笑いしながら話す。
「あ、じゃあ……お義父さんとしてはハグとエッチはいいんだ……」
「そういう事。どう? 少し気持ち晴れた?」
晴れたような……何というか……俺は複雑な気持ちになった。
「そういえば、柳木さん。優一の事で聞きたい事があるんだ」
恐らく幽霊であろう柳木さんなら優一の事……何か知ってるかもしれない。俺はそう思った。
「柳木さんをいじめた彼女たち……今も行方不明なんだろ? もしかして優一が……」
柳木さんはまつ毛を伏せる。
「ごめんなさい。私はこんな存在だけど……何でも知ってる訳ではないの。本当に優一がやったかはわからない。ただ、彼女たちが海の底で、ひたすらに呻いていたのは見たわ」
柳木さんでもわからない事はあるんだな。海の底でうめいていた……という事は、既に死んでいるのか。
「私が出来ること、ていうのは――例えば人が死ぬ瞬間を見届ける事くらいで、あとは普通の人間と変わらないわ。下手したら、生きてた頃よりも不便かも」
幽霊って不便なのか。自由な存在だと思ってたけど……
「そうか。じゃあ、優一は、香澄ではなく、香澄の周囲の人間ばかりを傷つける。何故なんだ?」
「わからない。ただ……優一は葛藤してるのかも」
「優一にとって、香澄は私の友達であり、もう一人の姉のようなものなの。もしかしたら優一の中にある、家族愛が香澄を傷つけさせたくないんじゃないのかしら」
「あの……それってすごく身勝手だよ」
俺は優一に苛立ちを感じた。本当に身勝手だ。
悟、ミナト、金田たち、桃園さんを巻き込んでいい理由にはならない。
「ふふ、その通りね」
「柳木さん……優一の目を覚まさせる方法は無いのか?」
柳木さんは『ふう』とため息をつく。その姿はとても儚げである。
「香澄が私を裏切ったのかもしれない。私は死んで、優一は親たちからも誰からも愛されずに生きていく。香澄だけが幸せになるのは絶対に許さない。優一は長年そう思ってる。そんな事は絶対ないのに……」
それは、優一を愛する人がいつか現れる、と言いたいのだろうか?
小さい頃から香澄を知っているのならば、香澄の事情くらい、いずれ理解するはずなのだが……小学生の優一が受けた衝撃はあまりにも大きかった――という事なのかもしれない。
「私の日記を優一に渡して。黒い表紙で厚みがあって紙は茶色く変色してるのがそれよ。そして、その日記は香澄が大切に持っているわ」
俺はその本に心当たりがある。俺が高校にいた時、香澄がよく読んでいた本があった。その本の特徴は、柳木さんの言う日記の特徴と一致している。
「あの……柳木さんの言ってる事、よくわからないけど……その日記を優一に渡せばいいんだな?」
柳木さんは無表情でうなずいた。
「あ、もう時間だわ」
少女は窓を見る。
「今日はここまでね。佐々本くん。貴方の夢はとても綺麗だったわ。ありがとう」
少女は穏やかな表情だった。風景がぐにゃりと歪む。俺はその歪みに飲み込まれる。
そして、目の前が真っ暗になった。




