『先生、俺と結婚してください!』
――12月23日、夜8時――
学校の仕事を終えた香澄は、重い足取りで駐車場へ向かう。
昨日、ゆうちゃんからもらった封筒。結局、中を見なかった。ゆうちゃん、大地に何かしたんだと思うけど……大地はいつも通りである。――とすると……ダメ。考えたくない。
駐車場が見えてくると、一人の男が私の車に寄りかかっている――大地だ。大地は私に気が付くと、近づいてくる。
「大地。お待たせ。寒かったでしょ」
「……今来たところだから、いいよ」
大地の顔はむすっとしているように見えた。
――
私たちは、アパートに着いた。
私の住むアパートは、女性の一人暮らしに対応できるよう、オートロックや防犯カメラ等、セキュリティがしっかりしている。
「はい、どうぞ。上がって」
私は自分の部屋の玄関ドアを開けると靴を脱ぎ、電気を点ける。玄関の先には少し広いキッチンがあり、更にその奥には洋室がある。部屋の間取りは1Kで、一人暮らしにはちょうどいい広さだ。
「……お邪魔します」
大地は脱いだ靴を揃えたあと、洋室に入り、小さい四角いテーブルのそばにあるクッションに腰掛ける。大地の視線の先にはテレビがあり、大地の後ろにはベッドがある。
私は脱衣所で部屋着に着替えた後、洋室に入る。
「あの、ご飯はどうする?」
「いらない。食べて来た」
「そう……じゃあ、お茶淹れるね」
私は2人分のお茶を小さいテーブルの上に置くと、大地の左横に座る。大地はずっと不機嫌だ。原因は私ね……
「香澄。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか? 俺の知り合いから聞いたんだけど……香澄、ストーカーされてるんじゃないのか?」
大地は私を真っ直ぐに見つめる。いつもの犬のような大地ではない。
「知り合い?」
「ああ。しかも、その知り合いは、香澄のストーカーと思われるヤツから脅されて……やりたくない事をやらされていたんだ」
大地の言うストーカーて――きっとゆうちゃんね。私の知らない所で、ゆうちゃんがまた……
「大地。彼は、私のストーカーじゃない。彼は、あることがキッカケで壊れたの。彼は私以外を傷つけて、私が苦しんでいる姿を見るのが楽しいのよ。私をオモチャにしか感じてないのだと思う。その……猫がネズミを殺さないように弄ぶ感じかしら」
大地は険しい顔で私の話を聞いたあと、目を細めながら言葉を強める。
「彼って誰だ?」
「ゆうちゃん。柳木優一くんよ」
「優一? 元生徒会長の? 嘘だろ……」
大地はゆうちゃんの名前を聞いた瞬間、目を大きく開かせた。
「やっぱり、ゆうちゃんと面識があったのね。大地から見たゆうちゃん、とても真面目でしょ? 信じられないよね」
「優一……もしかして、香澄を苦しめるエサを得るために……俺の行きつけの喫茶店に? そんで、俺と香澄の事を探ってたのか?」
大地はブツブツつぶやいた。
「香澄。もしかして……悟も? 悟は香澄とよく話してたよな?」
「そう。悟くんのいじめの首謀者はゆうちゃんよ。私はゆうちゃんと金田くんが悟くんのいじめの話をたまたま聞いてしまったの」
「マジかよ……唐突な話で信じられないけど、でも……香澄の話は不思議と筋が通ってる」
大地はしばらく頭を抱えたあと、ゆっくりと顔をあげる。
「香澄。優一とはどんな関係なんだ? アイツが壊れたキッカケとは何だ?」
私の恐れていた質問がきた。
言わなきゃ、てわかっているのに……口が動かない。その話をしたら――大地は私を軽蔑するかもしれない。
「ごめんなさい。言えない――言いたくない」
大地は徐々に険しい顔になる。苛立ちを抑えきれないのがわかる。
「……ちょっとコンビニ行って頭冷やしてくるよ」
大地はそう言うと立ち上がり、コートを羽織った。
――
大地モヤモヤとした気持ちで靴を履く。
クリスマスプレゼント一緒に買いに行くと約束した――昨日電話した時、香澄は『いつも通り』と言った――なのに突然、理由も言わずにしばらく会えないと言い出した。どう考えてもおかしいだろ……何かあったとしか思えないだろ。
そして、香澄のストーカーの正体は優一だった。ゆうちゃんとか親しげな呼び名で言うなよ。しかもとどめにヤツとの関係を頑なに話したがらない。あれじゃまるで……頭と腹が煮えそうだ。
俺は立ち上がると、自分の左横にある玄関ボックスの上に厚みのある封筒を見つけた。封は少しだけ開けてある。俺は封筒を手に取る。
「何だこれ? 差出人の名前も住所もない……――っ! これは……」
興味本位で少しだけ開いた隙間を覗き込むと、隙間から――桃園さんの顔がチラリと見えた。俺は封を開ける。中に入っていたのは――俺と桃園さんの合体写真。
この時、俺の中でプツっと何かが切れる音がした。
怒りと苛立ちと悲しみと気持ち悪さと……とにかく負の感情全てが俺の心を支配していった。封筒を玄関ボックスの上に戻した後、香澄のいる洋室にもどる。
「どうしたの? 忘れ物?」
香澄は空になった2つのカップを片手に、不安そうに俺を見ている。俺は香澄の腕を強引に引っ張ると、カップは床に転がる。
「きゃ! 痛い!」
俺は香澄をベッドの方に放り投げるように突き放した。香澄はベッドに腰を落とし、後ずさった後、背を壁につける。香澄は怯えた表情で俺を見る。
俺は香澄に近づき、彼女が逃げないように両手を壁につけた後、目線を香澄に合わせる。
「香澄。玄関にある封筒、優一から直接貰ったのか?」
「……そうよ」
「中を見たのか?」
香澄はうつむき首を横に振る。
恐らく香澄は嘘をついていないだろう。中を見ていたら――さすがに取り乱すし、こんな写真とっくに捨てるだろう。香澄にとって衝撃的な写真である事は間違いないのだから。
「香澄。もう一度聞く。優一とはどんな関係なんだ? アイツが壊れたキッカケとは何だ?」
香澄はうつむいたまま、俺に目線を合わせようとしない。
「あのな。香澄の話黙って聞いてりゃ、香澄と優一は変態の関係にしか見えねぇんだよ。優一はサディストで苦しめられる香澄はマゾヒストか?」
「違う……」
「じゃあ何だ? 言えよ。香澄が他の男に黙って弄ばれているなんて聞いて、俺が冷静でいられると思ってんのかよ!?」
「ゆうちゃんは……」
優一の名前を聞いた途端、感情が溢れた俺は香澄の二の腕を掴み、彼女の頭を枕の方向にして香澄を倒した。驚いた香澄は四つん這いになろうと、うつ伏せの姿勢になる。下ろした髪の隙間から見える首は震えていた。俺は香澄の首に顔を近づける。
「ひっ! やめて! ごめんなさい!」
俺は忘れた。お義父さんの約束と自分の決意を。
うつ伏せの香澄は俺から逃げようと必死に足をばたつかせる。しかし、俺は香澄に体重をかけて押さえつけた。
「あぐっ!ひっ!」
やばい…欲が制御できない。――全部香澄が悪いんだ。
今まで理性で抑えていた日々は何だったんだ…――全部香澄が悪いんだ……
「――うっうっ…うぐっ!うぅぅ……」
香澄のしゃがれた声に反応して、俺の手と足がピタリと止まる。
俺はゆっくりと香澄の顔に視線を移す。香澄は枕に顔を埋めている。香澄の髪と衣服は乱れていた。
「ううぅ……うっ。ごめんなさい……ごめんなさい……」
香澄のごめんなさいの言葉に俺は自我を取り戻した。何があっても泣かなかった香澄が初めて泣いた。
俺は香澄の頭を触ろうとしたが、直前で止めた。
「ごめんなさい……大地……傷つけてごめんなさい」
俺、何て事をしてしまったんだ……俺はゆっくりと香澄から離れた。
そして、香澄に背を向け、両手で自分の顔を覆った。
「ごめん。俺……何でこんなひどい事を……」
――
私は涙を必死で抑えこむと、呼吸を整えながら大地を見る。大地は私に背を向け、うずくまっている。
私はゆっくりと起き上がり服を直すと、ゆうちゃんに言われた事を思い出した。
『男って基本的に弱くて脆い生き物だよ。香澄と違って。傷つけられたら――どうなるかわからないよ?』
私は大地を傷つけてしまった。
大地は私の身の危険を心配して私の傍にいるのに……どんなに良くない話でも聞くつもりでいてくれたのに……
私が拒否した。
私ってバカね。軽蔑されたくない――そんな私の身勝手で大地を傷つけてしまった。
私は後ろから大地を抱きしめ、広い背中に左頬を寄せる。
「ごめんなさい。私は大地に軽蔑されたくなかったの。私の事……全部話すわ」
――ドクン
背後から香澄に抱きつかれ、俺の心臓が高鳴った。俺は夢の中で言われた事を思い出した。
『なーに言ってんのよ。大事な事を忘れてるじゃない』
『ねえ。貴方は香澄の事、好きなの?』
『その気持ちは本物?貴方は本当に香澄の事、好きなの?』
そういえば俺、香澄に自分の気持ち伝えてない。そう、俺は結婚したいと言っただけ……俺の気持ち、香澄自身に一度も言ってない!
ホント、バカだな……俺。俺がちゃんと自分の気持ちを伝えてないから――香澄を不安にさせてしまったんだ。
俺は香澄の手を優しく振り解くと、香澄と向き合う。
「香澄」
俺は香澄を正面から抱きしめ、左手で香澄の小さな頭を包み込んだ。
「俺、香澄の事、好きだよ」
……
――――
「大地は悟くんと小さい頃から仲が良かったんだよね?」
「ああ。悟は小学生からの仲だな」
俺と香澄は洋室の小さなテーブルで向かい合って座っている。
「あのね。私にもいたの。小さい頃から仲の良かったお友達が」
「そっか。香澄にもそういう人がいたんだな。……で、その人は今何してるんだ?」
香澄にも心許せる友達がいたんだと、心を和ませた。しかし、香澄は目を伏せた。
「……死んだの。中学3年の頃、学校の屋上から落ちて……そのまま……。しかも、私の目の前で」
「…………」
俺はなんて言っていいかわからなかった。学校の屋上からって……それじゃまるで……
「彼女はいじめを苦に自殺したと学校では囁かれていたけど、実際は事故だったの――でもね、彼女は同級生の女の子からいじめを受けていた。それは事実だったの」
香澄は顔を一瞬にして曇らせる。
「そして、私も……いじめに加担したわ。いじめっ子たちに脅されたの。彼女と関わると、彼女の分まで私をいじめてやる……て。当時の私は臆病だったの。だからその子たちの言うことを聞くことしかできなかった。ひどい話よね。どんな理由であれ、小さい頃からずっと仲の良かった友達を裏切ったんだもの」
俺は胸が痛くなった。香澄が頑なに過去を話したがらない理由はこれだったのか。
香澄は――悟を必死になって助けた。紗英の大事な物を壊したと言って紗英に頭を下げた。俺は香澄の話を……香澄を信じる。
「そうだったのか……でも香澄。その友達の事と優一の事と何の関係があるんだ?」
香澄は寂しそうに微笑んだ。
「私の友達の名前は、柳木 月子。ゆうちゃんのお姉さんよ」
柳木?月子?俺はデジャブを感じた。
『私は月子て言うの。香澄の友人、てとこかしら』
夢に出てきた女の子……どこかで見た事があると思ってた。あの子……優一に似てたのか。
「月子ちゃんとゆうちゃんは腹違いの姉弟なの。その……二人とも両親から愛情をまともに受けずに育ったわ。家庭環境は複雑で崩壊していたと思う」
「でも、2人は仲が良かったの。だから、月子ちゃんが生きていた頃のゆうちゃんは素直な子供だったのよ。私と月子ちゃんとゆうちゃんでよく一緒に遊んだの」
「お姉さんが死んで……優一は壊れたのか?」
「それもあるけど……月子ちゃんがいじめを受けていた事実を知った事……なによりも友達の私が月子ちゃんを裏切った事が一番大きいのかもしれない」
香澄が中学生となると、優一はまだ小学生だったはずだ。しかも、良くない家庭環境の中で……子供心に深い傷ができたんだろうな。
「お姉さんをいじめた他の子たちは――何もなかったのか?」
香澄は首を横に振る。
「彼女たち全員、3年前から行方不明なの。海に遊びに行ってそれっきり……彼女たちのご両親が捜索願いを出したけれど、手がかりは見つからず……その後1年くらいで打ち切られて――今も手がかりは見つからないみたい」
香澄はテーブルにひじをつき手を組む。その手は小刻みに震えていた。
「私、ゆうちゃんが何かやったのではないかと……もし、ゆうちゃんが罪を犯していたら……私……」
話の流れからして優一が彼女たちを葬った、という推測が出てもおかしくないが、証拠が無い。これはあくまでも香澄の推測だ。
しかし――もし、香澄の推測通りだとしたら……優一はどうして香澄だけを生かしているのだろうか?
それだけでない。香澄に対する仕打ちも回りくどい事ばかりで意味がわからない。意味がわからないのは、優一が壊れているからなのか?
正直、俺は香澄にかける言葉が浮かばなかった――でも、これだけは香澄に伝えたかった。
「香澄。あのさ、卒業式のプロポーズ覚えてる?」
「ええ、覚えてるわ。ホントにびっくりしたんだから」
香澄は笑顔で答えた。そして俺はその瞬間を思い出す。
『先生、俺と結婚してください!』
「俺の気持ちはずっとあの頃のままだ。今――この瞬間も」
香澄の瞳から一筋の光がホロリと落ちていくのが見えた。




