憧れるは強い人
――16時55分――
「桜田くん!」
海帰りの崖に到着した俺たちは崖の先に視線を向ける。悟はそこで1人ポツンと体育座りをしていた。
「佐々本くん、目閉じて。耳も塞いで」
俺は頷くと、先生の言う通りに――しなかった。
先生が悟のいる方へ向かうのを確認すると、俺は薄目になり、耳は隙間を少しだけ開けた状態で塞ぐ。
「……柊先生? それに大地」
悟は崖の下の海を見つめたまま、俺たちの名前を呼ぶ。
「桜田くん」
先生は少しずつ悟に近づく。悟はか細く弱々しい声で淡々と話す。
「僕、死ねなかった。心の奥底から『死にたくない!』て込みあがってきたんだ……それに……僕にはまだ、やりたい事があるんだ……」
悟は、震えていた。悟は、ついさっきまでは本当に……死にたいと考えていたのだろう。しかし、いざ死ぬとなると……死にたくないと本能が勝手に訴える。人間ってのは、簡単に死なないようにできている。理性と本能ってのは別の生き物なのかもしれないな。
「桜田くん、帰りましょう。お父さんとお母さんが帰りを待ってるわ」
「……はい」
悟は立ち上がり先生の方向を向こうとしたその時――風が陸から海の方向へ吹き出した。
「うわ!」
悟の体はバランスを崩し、風の吹く方向へ倒れていく。悟の後ろは――深い海だ。
「桜田くん!」
「悟!」
悟は足を滑らせ、そのまま海へ落ちようとする――が、先生は悟の手を捉え、悟を持ち上げようとする。女性である先生は力が足りない。両手で悟の手を掴み、その場に座り込むのがやっとである。
「柊先生! 手を離してください! このままだと先生まで……」
「だめよ、桜田くん。絶対に離さないわ!」
「柊先生」
「クソ!」
先生の力で男の体を持ち上げるのは無理がある。俺は悟に走って近づく。
「悟! 警察が来るまでの辛抱だ!」
俺も悟の手首を掴む。
「ぐっ、悟細ぇのに……重い……」
「大地」
俺と先生で悟を持ち上げられるかと思ったけど、現実は甘くない。悟は俺よりも背が高く、重さは60キロ以上はある。2人で支えるのがやっとである。ちゃんとスポーツやっとけば良かったと後悔した。
――
あれからどれくらい時間が経ったのだろう。俺の全身を汗がつたう。腕が痺れてきた。
先生をチラッと見ると、真っ赤だった顔が青ざめてきている。先生は限界なのかもしれない。
「大地、先生。手を離すんだ……そしてどうか……僕の事、忘れないで」
「バカ野郎! お前、小さい頃から警察官に憧れてたんじゃねぇのか!? 警察官になれなくても、警察に関わる仕事がしたいって言ってたじゃねぇか!! ここで全部諦めるのは許さねーぞ! もし死んだら……お前の事、綺麗さっぱり忘れてやる!!」
「大地」
悟は泣くのを必死で耐えている。
クソ! 腕がそろそろヤバくなってきた。俺の意志とは反して、腕が言う事をきかない。先生は顔色が完全に真っ青である。先生は限界だ。
「――!? 君たち! 何をしているんだ!?」
後ろから男の声が聞こえた。声の正体は――警察官だ。しかも2人。警察官が足早に俺たちに近づいてくる。
「!! これは……」
1人の警察官が崖に落ちかけている悟を俺たちが必死で持ち上げようとしている状況を察知すると、俺の横から腕を伸ばし、悟の腕を掴む。
「もう大丈夫。後は私たちに任せてください」
俺と先生は悟から手を離す。
もう1人の警察官はというと――無線で何かを喋った後、悟のいる方へ向かい、悟を持ち上げた。
――19時30分
「皆さん、悟を助けていただき、本当にありがとうございます」
悟の家の前。悟の父親が涙を浮かべながら、深々とお辞儀をする。
「あぁ、悟! 悟……」
悟の母親が悟に抱きつき、大泣きする。
「父さん、母さん。心配かけてごめんなさい」
悟は親の心配と愛情を実感したのか、涙をほろりと流す。
「では、私たちはこれで失礼します。また何かあったら、呼んでください」
警察官は敬礼すると、悟の家の前に泊めてあるパトカーに乗り込もうとする。
「あ、先生方も乗って行きますか? 送りますよ」
「あ、いや、結構です! 俺の家、近いんで!」
「私も自分の車まで歩いてすぐなので、大丈夫です」
「そうですか。では失礼しますね」
警察官はそう言うと、パトカーに乗り、走り去った。
……
「大地、先生。心配ばかりかけてごめん。そしてありがとう」
悟は自分の右手を俺に差し出す。そして、久しぶりに穏やかな笑顔を見せる。
「何言ってんだよ。友達が困ってたら、助けるのは当たり前じゃないか」
俺も右手を差し出し、悟の手を力強く握りしめた。先生はその様子を見て、笑みをこぼしていた。
「ところで佐々本くん」
先生は自分の腰を手に当てる。
「佐々本くん、目閉じて、耳塞いでって言ったのに、無視したでしょう?」
「え? いやぁ、何のことかなぁ……」
俺は先生から視線を逸らす。
「ま。シラを切る気ね。いいわ。今後、古典でわからなところがあっても教えてあげません!」
先生は小さな頬をぷくっとさせる。なんかかわいい。
「ええ! そんなぁ! せんせー! ごめんなさい! 確かに先生の指示を無視しましたぁ! だから見捨てないでぇ!!」
俺は先生の前で泣き叫んだ。
「最初から素直に言えばいいのよ。……まあ、今日は佐々本くんがいなかったら、きっと桜田くんも私も……助からなかったのかも……」
先生は優しい口調で俺に話す。
「佐々本くん。今日はありがとう。佐々本くんがいてくれて良かったわ」
先生の笑顔が眩しい。
「お、おう……それほどでも」
俺の顔が熱い。
そして突然、悟がポツリとつぶやく。
「……あ、なるほど。るりちゃんの言った通りだ」
「「え?」」
俺と先生は声を合わせ、悟を見る。
「いや。何でもないんだ。こっちの話だから。はは」
悟は手を振り、気にするなと言わんばかりの雰囲気を醸し出した。
――20時――
俺と先生は2人で海沿いの道路を歩いている。
「はあ、今日は疲れたぁ。早く家に帰ってシャワー浴びたい」
先生はうーんと背筋を伸ばす。シャワーの単語一つでいかがわしい妄想が膨らむ……
俺はもんもんとしながら歩いていると、ドサッと音がする。
「何だ?」
俺は音のする方を向くと、先生が地べたに座っていた。
「あはは。腰が抜けちゃったみたい。それに腕も……なんか力が入らないの」
「え!?」
俺は先生の所へ駆け寄る。プレッシャーから解放されて、先生にかかっていた負担が体に出たのかもしれない。俺は先生に背中を向け、しゃがみ込む。
「おんぶするよ。ほら」
「え! そんな、悪いわ! 私はしばらくここで休むから、佐々本くんは早くお家にかえ……」
「先生。この町の怪談話知ってる? 夜の海は、海帰りの崖から落ちて死んだ人や、無念を残して死んだ人の霊がさまよってるんだとよ。そんで、生きてる人間を海に引き摺り込むんだとさ」
「……お願いします」
先生の腕が俺の首にからみつく。俺は先生の膝の裏を持つと、ゆっくりと立ち上がり、歩き出した。先生の吐息が俺の首にかかる。俺は一瞬、ゾクっとした。
「佐々本くん、今日は叩いてごめんなさい。痛かったでしょ? 私は教師としてまだまだね。今度からは気をつけるわ」
「ああ、いいよ。あの時、俺テンパってたし。それに親父のゲンコツの方が痛いし」
「……先生。俺、気になる事があるんだけど」
「何?」
「先生はどうして悟がいじめられているってわかったんだ?」
俺が質問すると、先生はしばらく黙り込んだ。
「……どうしてかな。教師のカン、てところかしら」
「本当にそれだけ? だって、先生は悟にシャツめくれって指示したんだろ? もし、カンがはずれてたら、その……いじめとは別の問題になっ……」
「佐々本くん。教師のカンよ。これで納得してもらえないかしら」
先生の声は弱々しく自信が無さげだった。先生の回答に俺は納得できなかった。
悟のクラスは――偏差値の高い大学に行く生徒が所属する特進クラスだ。悟をいじめていた金田たち。
悟の話に出てくる金田たちは実は裏の顔である。表から見た金田たちは――先生や他の生徒からの信頼の厚い、優秀で真面目な生徒だ。アイツらは頭がいいから先生や周りに気づかれないようにいじめをしていたはず。
俺は悟の異変に気付いてはいた――が、体調が悪いくらいにしか思えなかった。表面上の傷跡が無かったからだ。付き合いの長い俺ですら気づかなかったんだ。まして、新任の先生が教師のカンだけでいじめを見抜けるんだろうか。
「先生。全然納得できないよ――でも話したくないのなら、これ以上は聞かない」
「あ、もし……何か困った事があったら俺に何でも言って……」
「……スー」
スー? 先生の体がさっきより重い。もしかして……寝てる!?
自分の左肩に乗っている無防備な先生の横顔を見た俺は、全身をゾクゾクさせた。いや! ダメだ! 耐えろ!! 俺!!
「スー……スー……」
よほど疲れたんだろうな。しょうがない。先生をこのままにしておけないし、俺の家に一旦帰るか。
――
「「「「……」」」」
家の玄関。親父と母さんと兄貴、るりが無言で俺を見ている。お互いに気まずい空気が漂う。
「……ただいま」
気まずい空気を何とかしたかった俺は、とりあえず『ただいま』を言ってみた。
「お、おかえり。大ちゃん」
母さんは俺の背中にいる先生の寝顔を覗き込む。
「あの……ところで、このスヤスヤ眠っている女性はどなた?」
「悟のクラスの副担任の柊先生」
「「「「はああああああ!?」」」」
その後、母さんは家の客室に布団を敷き、先生をそのまま寝かせた。
「スー……スー……ゆ……ちゃ……どうして……」
誰もいない部屋の中、先生の寝言が虚しく響くのであった。




