親父の気持ちがよくわかった
――翌日、放課後――
俺は文芸部室前の廊下に立っている。部室のドアの窓を覗くと、そこには柊先生が1人、机に座っていた。
先生は何か本を読んでいるようだった。その本は黒い表紙で厚みがあり、紙は茶色く変色しているようだ。先生は古文書を持っていると悟から聞いたから、古文でも読んでいるのだろうか。
俺は部室のドアをガラっと開けた。
「先生、話があるんだけど。悟の事で」
俺の声に気が付いた柊先生は、読んでいた黒い本をバッグにしまう。
俺は部室に入ると、先生の座っていた机の横の席に座る。そのあと、先生は俺に体を向ける。
「佐々本くん。桜田くんの事で話って何かな?」
「昨日、悟に会えました」
俺の言葉を聞いて、先生は目を丸くする。
「桜田くんに会えたのね? 良かった」
先生は手を合わせ、少女のような笑顔を見せる。いつもの穏やかな先生とは全く違う表情。先生のそんな顔、初めて見た。
「先生。悟から全て聞きました。俺、先生にひどい事言ってしまって――ごめんなさい」
「佐々本くんや桜田くんのご両親が怒るのも無理ないわ。学校含め、私はいじめを解決できなかったんだもの。謝らないで」
違うよ先生。俺は先生に八つ当たりしてただけだ。俺はそう言おうと思った――が、やめた。
「悟の両親が先生と会って話したいって言ってた」
俺の言葉を聞いた柊先生は目を輝かせた。
「ホント!?」
「――嘘」
悟の両親が会いたいという話は、嘘ではない。ただ、俺は少しだけ……柊先生にいじわるしたくなった。なんだか小学生みたいだな……俺。
「なんだ、嘘かぁ」
柊先生は残念そうにしょんぼり顔。先生、俺に怒鳴られた時は笑顔だったのに、こういう時はしょんぼりするんだ。
「ごめん、先生。冗談だよ、冗談」
先生は呆気に取られる。さすがに怒られるかな――
「えへへ」
出たよ! 謎の微笑み。しかも今度はえへへとか言ってやがる。
「先生……なんで笑ってんの? 気持ち悪い」
「あ、ごめんね。ほら、桜田くんの事があって、佐々本くんは私のことを嫌ってたみたいだから――その……冗談を言ってくれるくらいまでに心を開いてくれたんだなぁ、と嬉しくなっちゃったの」
「――っ!!」
俺は自分の顔が熱くなっているのがわかる。これは照れているだけだ。多分……そうだ。
……
――翌週土曜日、午後――
生まれ育った朝浦町唯一の駅。俺はここでとある人を待っていた。
「佐々本くん。こんにちは」
「こんにちは……」
駅に隣接する小さな駐車場から、柊先生が手を振りながら歩いてくる。俺は照れくさそうに手を振る。柊先生がこの町に来た理由は――悟の家の家庭訪問だ。
この町は道路がややこしく、車で行くと道に迷ってしまう。そのため、車を駅の駐車場に停め、そのあとは俺が悟の家まで案内する事にした。
先生の格好はベージュの薄いコートに黒いパンツスーツだ。髪型は後ろで1本にまとめている。いつもと違う先生が見れると期待したけど、そう甘くはないか。
「空気おいしい」
先生は鼻をスンスンさせながら海の方向を見る。
「そうかぁ? 港町だから潮の匂いがすごいと思うけど」
「それも含めておいしいのよ」
良く晴れた空に青い海――しかし、風がとても冷たい。俺には見慣れたいつもの光景だが、先生は違うのだろう。
「そういえば――先生、俺に怒鳴られた時よく笑ってたけど……あの時、何考えてたの?」
俺は先生に質問する。あの時、先生は何故笑っていたのか……俺は気になっていた。
「ん? ああ、あの時ね――佐々本くん、桜田くんの事で本気で怒ってくれたり、毎日桜田くんの家に行ってくれたりして……友達思いで優しいなぁ、て。桜田くんにはこんな素敵なお友達がいるんだな、て。まあ……あの状況で笑みが溢れるなんて変よね」
先生、そんな事考えてたんだ。俺は胸を焦がした。
「……先生、やっぱり気持ち悪いよ」
「え、気持ち悪い!? ……気持ち悪いかぁ」
柊先生のしょんぼり顔。なんか、先生いじるのが楽しくなってきた。
――15時30分――
私は佐々本るり。中学1年。今、悟くんと大地兄さんと3人で町を散歩中です。悟くんが久しぶりに外に出ると――大地兄さんから連絡がきたので、ご一緒させていただきました。
久しぶりに見た悟くんは、かなりやつれていました――が、整った身なりと光の灯った瞳を見て、少し良くなったのかと安心しました。あと、大地兄さん邪魔ですね。
――
「俺、商店街で何か買ってくるから、2人はここで待ってて」
商店街の隣にある公園。私と悟くんは公園のベンチに座っている。
大地兄さんは何かを買いに走り去りました。ふっ、邪魔者は消えてくれました。
「悟くん、寒くないですか?」
「平気だよ。ありがとう」
「そういえば、前におススメされた『たまごのきもち』という本、読みました! すごく切なくなりました!」
私は悟くんに向け、ガッツポーズをとりました。
「ホント? 嬉しいよ。勧めた甲斐あったよ」
ああ、悟くんの眩しい笑顔……私にとって、悟くんの笑顔は神の微笑み。
「はい! ジワジワ焼かれる卵の悲鳴が聞こえてきそうで……今思い出しても胸がギュッとします」
「あはは、わかるわかる。目玉焼きにされる卵の心理の描き方が絶妙なんだ」
久しぶりに悟くんと本の話が弾み、私は胸が踊りました。
「あっれー? 悟くんにるりちゃんじゃない? ヤッホー」
この声は――紗英さんだ。紗英さんは2人のお友達を連れ、私たちに近づいて来ました。
「悟くん、久しぶりじゃない。元気?」
「……うん。紗枝ちゃん、久しぶりだね」
悟くんは穏やかな笑顔で返事をする。私と悟くんの世界を邪魔しないでください、と言ってやりたいところですが――我慢します。
私は紗英さんが苦手です。たぶん、性格やノリが合わないんだと思います。昔はさほど気になりませんでしたが、年々……苦手意識が強くなっています。
あと――紗英さんは多分、大地兄さんを好きなんでしょう。大地兄さんの気をひかせるためにあれこれやっては、大地兄さんをよく困らせています。
幼馴染の恋愛は小説や漫画ではよくある話ですが――紗英さんの場合、ただダラダラと長い時間を過ごしてきただけでそれ以上もそれ以下も無いです。
「来週さ、ピクニックに行く予定なんだけど、2人も一緒に行かない?」
「えと……僕は遠慮しておくよ。その日の体調がいいとは限らないし……」
悟くんは不登校になって以来――外に出たのが今日が初めてです。そりゃ断りますよ。
「えー! なんで!? 行こうよ。ダイチも最近付き合い悪いし――悟くんが行くって言ってくれたら、ダイチも行くって言うかもしれないじゃない!」
「そうかなぁ、はは」
私は紗英さんの言葉に違和感を感じました。もしかして紗英さんは、悟くんを心配していないのでは――大地兄さんを引っ張り出すためだけに……悟くんを利用しているだけなのでははないかと。
そう考えた瞬間、私の……紗枝さんに対しての嫌悪感が芽を出しました。
「紗英さん。悟くんは学校で辛い目に遭ったんです。そんな悟くんに対していきなりピクニックに行けだなんて……悟くんに何かあったら紗英さん責任取れるんですか?」
「悟くんの面倒なら、他の人もたくさん来るし何も問題無いじゃない」
まるで悟くんはお荷物のような言い方……私はカチンときました。
「行きません! 悟くんも、私も……大地兄さんも!」
「ちょっと! 何でるりちゃんが全部決めるのよ!? 大体、悟くんだって家に引きこもって本ばかり読んでるからひ弱と舐められていじめられたんじゃないの? 男の子なら外でいっぱい遊んで、喧嘩するくらいでないと――この先、生きていけないよ?」
――パン!
頬を叩いた音が公園中に響き渡る。私は、紗英さんの頬を叩きました。
私は紗英さんを許さないと思いました。悟くん……そして私を否定されたように感じたからです。
「何すんのよ!」
紗英さんも私の頬を叩きました。仕返しのつもりでしょう。
「ちょ、紗英! るりちゃんも……やめなよ!」
紗英さんのお友達が私と紗英さんをなだめようとしますが、私と紗枝さんは興奮が収まりません。
私は叩かれた頬を抑えながら、悟くんを見ると……悟くんはベンチから立ち上がり、爽やかな笑顔で空を眺めていました。まるで天使が降りてくるのを見ているかのように。
「そうだよね……」
悟くんはそう言うと、ものすごい速さで走り去って行きました。
「悟くん! 待ってください!」
私は必死で追いかけましたが、引きこもりがちな女子中学生の足ではとても追いつけませんでした。
「はぁ、はぁ。悟くん……待っ……てくだ……」
「おまたせ! 美味しそうな肉まん買ってきた……て、あれ? るりに紗英たち……悟はどこ行った?」
大地兄さんが呑気な顔で戻って来ました。
片頬が赤く腫れた女子が2人、うろたえる紗英さんの友人2人、そして悟くんがいない。この状況に大地兄さんは慌てて、私に駆け寄りました。
「なあ、るり。何があった? どうして悟がいない?」
「実は……」
「ちょっと! ダイチ! 聞いて! るりちゃんたら、突然私の頬を引っ叩いたのよ! ひどいと思わない!?」
「え?」
大地兄さんが困惑した表情をする。紗英さんは私が喋ってる途中に割り込んできました。
「タンマ、紗英。愚痴なら後で聞く。今は悟だ」
「な、何よ! ダイチのバカ!! もう知らない!!」
紗枝さんはそう言って、足早と立ち去りました。
紗枝さんの友人2人も「ごめんね」と頭を下げた後、紗枝さんを追いかけて行きました。
「うえええええ!! ごめんなさい! 実は紗枝さんとケンカして……ふぅ! 恐らくそれで悟さんに何かしらの刺激を与えてしまったのかしれません……ひっぐ! 悟さんはどこかへ走って行ってしまいました」
私は顔を両手で覆い、大泣きしました。
「うぐっ。私、悟さんを必死で追いかけたんですが……悟さんに追いつけなくて……ふぐ! ごめんなさい!」
「わかった。泣くな、るり。お前はもう家に帰っていいぞ。後は俺にまかせておけ」
大地兄さんは私の肩に手を置きました。私は顔を覆っていた両手を離し、大地兄さんを見ると――兄さんは笑顔でした。
――16時15分――
「そうですか……桜田くんがいなくなると寂しくなります。お力になれなくて申し訳ありません」
「とんでありません。先生。もう決めた事ですし……私たちは先生に感謝しております。息子を見捨てないでくれてありがとうございます」
――――トゥルルルルル!
「あら、どなたかしら。少し席外しますね」
――ガチャ
「もしもし、桜田です。あら、大ちゃん? …………え!? 悟が!? そ、そんな!!」
「…………! あの、桜田くんのお母さん、佐々本くんですよね? 変わってもらえますか?」
「……はい。あぁ、悟ぅ……」
「もしもし、佐々本くん? 桜田くんに何かあったの?」
「先生? 悟がいなくなったんだ!! ごめんなさい……俺がついていながら……悟が……」
「落ち着いて。最後に見た桜田くんの様子はどうだった?」
「妹から聞いた話だと、落ち着いてたみたいだけど……」
「そう。佐々本くん、この町に自殺で有名な名所はある?」
「え!? 自殺!? えと、確かこの町には『海帰りの崖』と呼ばれる崖があるんだ。じいちゃんから聞いた話だと、昔の人は死体をその崖から落としていたらしいんだ。親父が若い頃、あそこで自殺する人が結構多かったとか何とか……」
「その崖に行った可能性が高いかもしれないわ。大体どれくらいかかるかしら?」
「自転車だと……15分から20分、徒歩だと1時間かかるよ」
――16時30分――
「先生!」
俺が悟の家に向かう途中、悟の自転車で走る先生と遭遇した。
「佐々本くん。桜田くんのお父さんから警察に連絡してもらって自宅で待機してもらってるわ。佐々本くんは早く自分のお家に帰るのよ。お父さんとお母さんが心配するわ」
俺は先生の行き先が気になり、質問をする。
「……先生はどこへ?」
「私は海帰りの崖に行ってみるわ。もし、桜田くんが自殺を考えているなら……警察が来るまで引き止めないと」
「先生! 俺も行くよ!!」
「ダメよ! 佐々本くん! あなたはお家に帰りなさい!!」
先生は鬼気迫る表情だ。
俺は先生の手元を見た。先生の手は小刻みに震えていた。先生、怖いんだ。もし、悟が……
「先生! 俺も行く!」
俺は先生に近づく。
「もし、悟が死んだら……そうなったら俺……俺…………」
――パチン!
「佐々本くん。自分の目の前で友達が死ぬのは想像以上に辛いのよ」
俺の頬が熱い。俺は先生を見た。先生の目は、ナイフのように、鋭く、真っ直ぐに俺を見つめていた。
俺に、雷が落ちた。
俺、先生の事、好きだったんだ。
――先生の一発のお陰で目が覚めた。やっぱり先生を1人で行かせる訳にはいかない。俺はそう思った。
「先生。俺、やっぱり先生について行く」
「何言ってるの! 私の話きい……」
「聞いてたよ。でも先生――」
俺はここが田舎だということを思い出した。
「夕方以降の崖の周辺て、野生の動物が出るんだぜ。獣避けの鈴とかスプレーとか……何も持たないで行くと、最悪命を落とすぜ」
「え。嘘…………」
先程の迫力はどこへやら。先生は小さくなり、全身を震わせる。
「嘘じゃねーよ。田舎舐めないでくれる? まあでも、先生が野生動物に冷静に対処できる自信があるなら……俺、お家に帰るよ?」
「――!!」
先生はうつむき、小声で言う。
「あ、あの……佐々本くん」
俺は先生を見つめる。
「ん、何?」
「……やっぱり、ついて来てくれる?」
――16時45分
日が沈みかかっている。光の当たらない海はどす黒く、海風は吹いていない。
俺と先生は自転車で走っている。俺が運転で先生は後ろだ。
先生の手は小刻みに震えている。それは俺の腰を通して伝わってくる。こんな状況だというのに……俺の心臓の鼓動は早い。
「ぷっ! クックッ……ぶぁっはははは! あー笑いが止まらねー!」
「いつまで笑ってるの! もう!」
「だってさ、最初は怖い顔で『来るなー!』つって俺に怒ったくせに、野生動物が出るとわかった途端に熱い掌返しだもんな。笑うでしょ。クックック」
「まあ! 私は佐々本くんと違って田舎育ちじゃないんですからね!」
先生がすねた。そして、先生の手の震えはいつの間にかなくなっていた。




