壊れた青春
俺は佐々本大地。高校生2年生。
俺と柊先生との出会いは4月の始業式。大学を卒業したばかりの先生は、とても初々しくて喋りもそんなに上手くなかった。スーツが様になっておらず、少し明るい色の髪は後ろで一本にまとめられていた。
俺が感じた印象は、あー、新しい先生だなー、程度だった。
――5月――
とある平日の朝。
人けのない電車がガタン、ガタンと音を立てて走る。
田舎を走る電車の中。通学中の俺は座席に座っていた。
「大地。僕、今日は部活あるから先帰ってていいよ」
俺の隣に座っている男子高校生が、俺に話しかける。
彼は、桜田 悟。俺の幼馴染である。悟は線の細い体格で身長は俺より少しだけ高く、肌は白い。優男風の品のある顔立ちをしている。趣味は読書で成績も優秀である。
「ん? ああ。わかった」
俺は悟に視線を向け、軽く返事をする。
俺は、町から遠く離れた高校へ通っていた。理由は大学へ進学したいためだ。悟も大学進学のため、俺と同じ高校に通う。
俺の生まれ育った町――地元にも高校はある。町にいる子の半数は地元の高校へ進学するが、卒業後は親の跡を継いで漁師になったり、すぐに就職したり、結婚して主婦になる人が多い。そのせいか、受験勉強できるような環境ではない。ちなみに地元の高校には、俺の幼馴染である紗英が通っている。
俺が町から遠い高校を選んだ理由は他にもある。それは――紗英から離れたかったから。
紗英は事あるごとに俺にちょっかいかけるわ、気乗りしないイベントの参加を強制するわで、正直気が滅入っていた。
紗英は、俺が遠い高校に行く事を知った途端、バカと言って泣いた。試験直前まで言わなかったのは悪いと思ったが……しかし同じ高校に行くと言われても困る。
勘違いさせるといけないから、ここで紗英のフォローをしておこう。紗英はどちらかというと、いい子なのである。誰とでも平等に仲良くできるし、イベントをやる時は全員に声をかける。そのせいか、紗英の周りにいるといじめは絶対に起きない。それは紗英のいいところであり、純粋に尊敬するところだ。だから俺は紗英を嫌っている訳ではない。
「悟。お前文芸部だっけ? 顧問の先生、確か新しい先生だったよな」
「そう、柊先生。僕のクラスの副担任でもあるけど」
俺と悟は高校は同じだが、クラスは離れていた。俺は2年A組で、悟は2年D組だ。
「柊先生ってさ……国語の先生なのに誤字脱字その他諸々のやらかし多くね? それにいつもヘラヘラしてるし。なんだか不安になるんだけど」
「はは。それは緊張してるだけだと思うけど。先生になってまだ日は浅いでしょ?」
「教育実習やったのに?」
「それはまた別じゃないかな……」
俺の柊先生に対する評価はあまり高くなかった。しかし悟は違うようだ。
「柊先生はね、洋書、古文とか……僕の知らない本をたくさん持ってるんだ。僕は柊先生と本の話をするのは楽しいよ」
「なんだ、お前と先生お似合いだな。るりがヤキモチ妬くぞ」
「な!? るりちゃんと本の話をするのも楽しいから!」
悟は顔を赤く染める。肌が白いから余計目立つ。
「冗談だよ」
俺と悟は笑い合った。俺と悟の通学はいつもこんな感じだ。しかし、そんな学校生活も長くは続かなかった。
――8月――
ある平日の朝。俺と悟はいつものように電車に乗っていた。
世間では夏休みだが、俺と悟は大学受験に向けて学校の夏期講習に出る。
「悟。ここ最近顔色悪いけど大丈夫か? 最近、休みがちだし……病院行ったか?」
「うん。大丈夫だよ……心配しないで」
悟はうつろな目で答えた。顔色は死人のように悪い。そして、何故かお腹を片手で抑えている。食中毒にでもなったのかな……
「あまり無理すんなよ。何か悩んでる事があるなら、相談しろよ」
「うん」
悟は力なく返事をする。
この時の俺は悟に違和感を感じていたが、まだ真実を知らなかった。
――
夕方。俺は1人で図書館から外に出る。夏休み中の――夕方の学校は人けがない。夏季講習自体は昼で終わるのだが、俺は模擬試験の結果があまり良くなかったため、悟と一緒に図書館で勉強していた。
「悟、用があるって先に帰ったけど、1人で大丈夫だったかな。具合悪そうだったし……」
一人でブツクサ言いながら歩いていると……
「キャアアアアア」
女性の悲鳴が響き渡る。
「な!? 一体どこから……」
声の方角は――体育館の裏からだ。そこは、人通りがほとんどないはずなのに、何故悲鳴が聞こえたのか? 嫌な予感を感じた俺は声のした方角へ走った。そして、そこには……
「ぐっ、うぅ……」
2年A組、俺の同級生である青倉ミナトが倒れていた。ミナトは、あり得ない方向に折れ曲がっていた左足を抑えている。体育館の外壁のそばには放心状態の悟が座っており、ミナトのそばに柊先生がいた。
ミナトの足の先には……金属バットが投げ捨てられている。恐らく金属バットで足を折られたのだろう。俺はミナトのそばに駆け寄る。
「柊先生! 何があったんですか!?」
「佐々本くん! 私は救急車を呼んでくるから、青倉くんをお願い!」
「あ、ああ」
柊先生はものすごい勢いで走り去った。職員室へ向かったのだろう。俺はミナトのそばに片膝立ちになり、ミナトの様子を観察する。ミナトの顔は青白くなっており、足の痛みを必死で耐えている。
俺は悟に顔を向けると――
「悟。何故ここにいる? 誰がミナトの足を……」
なるべく冷静に、悟に声をかけた。すると悟は――
「…………僕のせいでミナトくんは……」
悟の声は聞き取れないほどにかすれていた。うつろな目は俺を見ていない。
「大地……桜田は……いじめら……」
俺はミナトの言葉に心臓がえぐられるようだった。悟……いじめを受けていたのか? 脳がストーンと落ちたような感覚になる。悟の様子がおかしかったのは……いじめが理由か?
しばらくするとサイレンの音が学校に近づいてくる。
駆け付けた2年A組の担任の先生が付き添いとなり、ミナトは救急車に乗せられ、病院へ運ばれた。
――
俺と悟は、柊先生の車に乗りこむ。柊先生は運転席に、俺と悟は後部の座席だ。
衝撃的な場面に落ち込んでいた俺と悟を心配したのか、柊先生は車で家まで送ってくれると言ってくれたのだ。
「桜田くん、あなたは何も悪くないわ。佐々本くん、あんな事があったけど……どうか気を落とさないでね」
柊先生は、俺たちに顔を向けると優しく声をかける。俺は先生の言葉に良くない感情を抱いた。先生の言い方は、まるで他人事のようだった。
「ふざけんなよ!! 悟はいじめられて――ミナトは足折られて……アンタ、悟のクラスの副担任だろ!? 担任も学校も今まで何やってたんだよ!?」
俺の怒声が車中に響き渡る。柊先生は――優しく微笑んでいた。なんで笑ってんだよ。この先生……
「……じゃあ、出発するね。場所は――浅浦町でいいかしら」
こんな時にヘラヘラ笑う柊先生に対して、俺は気持ち悪さと嫌悪感を覚えた。
――10月――
ある平日の朝。俺はいつものように電車に乗っていた。俺の隣に悟はいない。ミナトが足を折って事件があって以来――悟は学校に来なくなった。
ミナトは、全治4ヶ月の骨折により入院することになった。幸いにも後遺症は残らなかった。この件は――もちろん、傷害事件として警察の捜査が入り、同高校の生徒が逮捕された。
そいつらは――悟をいじめていた連中だ。
ミナトはプロ野球のスカウトが注目している金の卵だ。この事件は野球界隈の人たちの耳に入ったあと、全国版のニュースで流れた。ニュースの内容はミナトの事件がメインだったが、関連して悟へのいじめについても触れた。慌てた学校側は急遽、会見を行ったが……内容は『いじめなんてあり得ない。我が校の防止策を徹底している』の一点張りで、ひどいものだった。
「……佐々本くん」
学校の廊下を歩いている俺に、後ろから誰かが話しかける。俺はこの声に嫌悪感を感じた。
「……何? 柊先生」
振り返ると、そこには笑顔の柊先生が立っていた。
「佐々本くんは桜田くんと小さい頃から仲が良かったって、桜田くんから聞いたんだけど――」
「俺忙しいんだけど。早くしてくんない?」
「あ、その……桜田くん元気にしてるかなぁ? て思って。佐々本くんは何か知らないかな?」
優しそうな声と喋り方に苛立ちが増す。
「……知らない」
「え?」
「知らないって言ったんだよ! 俺は毎日放課後にアイツん家行ってるけど、俺が来ても……アイツは顔一つ見せないんだ!! 悟が元気にしてるかどうかなんて知らねぇよ!!」
俺は柊先生に苛立ちをぶつけてしまった。さすがの先生もこれだけ強く言うと泣きだすだろう――俺はそう思った。
しかし――柊先生はまた優しく微笑むのである。
俺はこの笑顔が大嫌いだ。
「そう、ごめんね。あの……もし、桜田くんに会えたら、あまり無理しないでって伝えてね」
俺の強い口調に全く応えてない様子の柊先生はそう言うと、早々に俺から去って行った。柊先生の言葉にはどこか無責任さを感じた。俺は柊先生に対して、気持ち悪さと嫌悪感が増すばかりだった。
――
時刻は夕方。悟の家に寄った俺はインターフォンを鳴らすと――スピーカーから『どちら様でしょうか』と元気のない女性の声が返ってくる。声の主は悟の母親だ。
「おばさん、大地だけど」
「ああ、大ちゃん。鍵は開けてあるから入ってちょうだい」
悟の家に入った俺は彼の部屋の前に立ち、ノックをする。
「悟、調子はどうだ?」
悟から返事は無い。ドアを開けてすらくれない。悟はずっとこんな様子だ。
……
「大ちゃん、ごめんなさいね。毎日来てもらってるのに……」
俺はリビングのソファに腰かけると、おばさんが淹れてくれた緑茶をズズっとすする。
「いいんです。俺が来たくて来てるんですから――それで、悟の調子はどうですか?」
「悟、まだ部屋から出て来れないようなの」
「そうですか」
俺は緑茶の表面を眺める。おばさんとのやり取り――毎日しているような気がするけど、これで何回目だろうか。
しばらく沈黙が流れた後、電話が鳴り響く。
「あらやだ。まただわ。ごめんね、大ちゃん。少しだけ待っててくれる?」
電話の受話器を取る音が聞こえる。そして……
「何度電話してきても同じです! 私は学校からの回答に納得してません! 学校が事実を認めて、謝罪してくれるまで――悟を会わせる事はできません!!」
おばさんの強い口調が、俺の耳に入ったあと、『ガチャ!』と電話を切る音が響く。電話の切り方に、おばさんの怒りが感じられた。
電話を終えたおばさんは、ため息をつきながらリビングのソファに座る。
「おばさん、誰だったんですか?」
話の内容からすると、悟のクラスの担任の先生か、学校の校長先生か……そう思った。
「見苦しいところを見せちゃったわね――電話の相手はその……柊先生よ」
柊先生。今1番聞きたくない名前を聞いて、俺は不快な気持ちになる。
「悟が学校に行かなくなってから――こうして、週に2、3回ほど電話をくれるのよ。まったく……どうして副担任の柊先生だけが電話をくれるのかしら。私から担任の先生や校長先生に電話しても、まともに取り合ってくれないのよ……」
おばさんの話に、俺は気持ちが揺らいだ。柊先生が毎週電話を――?
「おばさん。柊先生は偽善教師ですよ。口では優しい事を言いますが……結局、悟を助けていないじゃないですか」
柊先生を思いっきり罵った。俺はきっと柊先生を認めたくなかったのかもしれない。
「そうね、そうかもね……」
……
「お母さん、大地」
懐かしい声がリビングに響き渡る。声を聴いた俺は心踊らせながら、声の方向を向く。
「悟!」
悟の姿を見たのは、いつ以来だろう。久しぶりに見た友人の姿はひどいものだった。
髪は無造作に伸びており、無精髭が目立つ。ヨレヨレのスウェットを着ており、お風呂に入っていないような臭いが漂っている。数ヶ月前の悟とはまるで別人だ。
「大地、こんなひどい姿でごめん――少し我慢してくれるかな」
「そんなの……構わないよ」
俺は悟が姿を見せてくれた事が何よりも嬉しかった。ひどい姿だなんて――そんなのは些細な事だ。
悟はソファに腰かけると、両手を組みながら、顔をあげる。
「家に電話してくれていたのは、柊先生だったんだね。でも――どうか、どうか……柊先生を責めないで欲しい」
俺とおばさんは無言で悟を見つめる。
「柊先生は僕へのいじめに向き合ってくれた唯一の人なんだ」
悟の言葉に、俺は心を激しく動かされたのだった。




