EP 9
防錆潤滑スプレーと、悪魔のコイントス
勝った、と誰もが安堵した空気が、村の入り口を包み込んでいた。
『——ピピーッ。システムに致命的なエラーを検知。特大パッチを適用し、対象を排除します——』
森の木々を薙ぎ倒して現れたのは、これまでのバグを悪魔合体させたような、巨大な『合成死蟲将軍機』だった。
「なんだ、あれは……!」
村長が腰を抜かし、へたり込む。
全高十メートル。先ほどの死蟷螂機の上半身に、死甲虫機の分厚い重装甲が重なり、下半身は死蜘蛛機の多脚になっている。さらに背中には、死放屁虫機の巨大なガス砲門まで備えていた。
『ギゴゴゴゴォォォォッ!!』
合成死蟲将軍機が咆哮を上げる。
直後、背中の巨大な砲門が赤熱し、圧縮された可燃性ガスが放たれた。
ドゴォォォォォォンッ!!
着弾した瞬間、村から少し離れた森の一角が、凄まじい爆炎と共に跡形もなく消し飛んだ。
爆風だけで、俺たちが構築したラップの壁が大きくたわみ、ビリビリと悲鳴を上げる。
「物理的な突進は防げても、あの熱量(火力)は防ぎきれねぇぞ……!」
俺のSEとしての計算が、絶望的な予測を弾き出す。
次の一撃が村の中心に撃ち込まれれば、ゲームオーバーだ。
「カナタさんっ!」
爆風に耐えながら、アマネが叫んだ。
「ポイントです! さっき村人を助けてトラップで魔物を一網打尽にしたことで、システムから『大救済ボーナス』が入りました! 一気に10000ポイントです!」
「でかした! 今すぐガチャを回せ! カテゴリーは『対装甲』か『最終兵器』だ!」
「神様、お願いしますぅぅっ!」
アマネが祈るようにランダムボックスを起動する。
黄金のホログラムが輝き、10000ポイントを全消費した箱から、三つのアイテムが転がり落ちた。
「出ました! これでボスの息の根を——って、ええええええっ!?」
アマネが再び、この世の終わりのような悲鳴を上げた。
地面に転がったのは、聖なる大魔法の巻物でも、神の槍でもなかった。
赤と白の缶にストロー状のノズルがついた『KURE 5-56(防錆潤滑スプレー)』。
巨大なクリップがついた赤いケーブルと黒いケーブルが伸びる『12V車用ジャンプスターター(大容量モバイルバッテリー)』。
そして、無骨な『シルバーのダクトテープ』。
「なんでまたホームセンターのカー用品コーナーなんですかぁぁっ! 私の10000ポイントがぁ!」
村人たちが完全に絶望し、天を仰ぐ。
「……いや。俺たちにとっては、最高のプラチナラインナップだ」
俺はニヤリと笑い、ダクトテープとバッテリーをアマネの魔法ポーチに突っ込むと、「KURE 5-56」のスプレー缶だけを手に取って前に出た。
『ピピーッ。ターゲット、ロックオン。殲滅シマス』
合成死蟲将軍機が、背中の砲門を直接ポポロ村の教会へと向けた。
六本の蜘蛛の脚を深く地面に突き刺し、巨大な発射の反動に耐えるための射撃体勢をとる。
「撃たせるかよ!」
俺はラップの壁の隙間から飛び出し、砲門のチャージで動きが止まっている将軍機の足元へと肉薄した。
そして、奴が地面に踏ん張っている前脚の周辺に向かって、スプレーのノズルを向けた。
「プシュウウウウウウッ!」
「えっ? カナタさん、そんなサビ取りスプレーでボスの足を……?」
アマネが戸惑う中、俺はスプレーで油まみれになった地面に『アパートの鍵』を突き立てた。
「ただの油じゃない。物理法則と組み合わせた、最強のデバフだ」
敵は砲撃の反動を殺すため、地面との摩擦力を極限まで高めている。なら、その数値をハッキングして書き換えてやればいい。
「システム・オーバーライド。対象、地面と脚部の『摩擦係数』。——『ロック解除』!」
カチャリ。
鍵の音が響いた瞬間、スプレーを吹き付けられた地面の摩擦係数が「絶対のゼロ」になった。
『チャージ完了。発射——』
ドッガァァァァァァァンッ!!
将軍機の背中から、特大の爆発砲が放たれた。
だが、その瞬間。
『——ギ、ヂッ!?』
凄まじい砲撃の反動を受け止めるはずだった将軍機の前脚は、摩擦ゼロの地面のせいで、バナナの皮を踏んだ漫画のキャラクターのように、ツルゥゥゥンッ!と前方へ大股開きに滑ってしまったのだ。
「ごボァッ!?」
完全に体勢を崩した将軍機は、あごから地面に激突。
その反動で砲身が真上を向き、放たれた一撃必殺の爆発ガスは、遥か上空の空気を無駄に焦がして花火のように散っていった。
「す、すごいですカナタさん! あんな恐ろしいボスの必殺技を、スベって転ばせて防ぐなんて!」
アマネが歓喜の声を上げる。
だが、俺の表情は険しかった。
「いや、時間を稼いだだけだ! 摩擦を解除しても、あの分厚い甲虫の装甲と巨大な体躯じゃ、俺が急所に触れる前に潰される!」
『ギギギギギ……ッ!!』
転倒した恥辱に怒り狂った将軍機が、ギシギシと音を立てて立ち上がる。
先ほどよりさらに危険なエラー音を鳴らし、全ての武装を起動させていた。
「俺の出番だな、カナタ」
俺の横に、青白い闘気を纏ったフェイトが静かに並び立った。
その手には、ミスリルソードではなく、一枚の『銀貨』が握られている。
「フェ、フェイト……お前、まさか」
「あの分厚い装甲。俺の今の剣じゃ、中身まで両断するのは不可能だ。だが——」
フェイトは、将軍機を見据えながら、ギラギラとしたギャンブラーの瞳で笑った。
「ここで『表』を引き当てて、俺の全ステータスが二倍になれば、あの装甲ごとぶった斬れる。俺は、この村を救うヒーローになる!」
「やめろ馬鹿! お前のこれまでの戦績は100%睡眠モードだろうが!」
「心配すんな。俺の右腕が、今回はイケると囁いてる!」
俺の制止も聞かず、A級冒険者は親指に全霊の闘気を込めた。
「見とけよカナタ。これが真のファイアウォールだ!」
キィンッ!
澄んだ金属音と共に、銀貨が天高く弾き飛ばされる。
燃え盛る炎の光を反射しながら、銀貨はクルクルと空中で回転し——俺たちの命運は、その裏表に完全に委ねられた。
「来い……『表』ッ!!」
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