EP 5
エアダスターの絶対零度と、機械虫の美味しい中身
食後の極上の余韻に浸りながら、俺は教会のソファで温かいポポロ・コーヒーを啜っていた。
『……ギギ……カチッ、カチッ、ギチチチ……』
平和な昼下がりを切り裂くように、キッチンの窓ガラスが粉々に砕け散った。
「きゃあああっ!?」
皿洗いをしていたアマネの悲鳴。
俺が飛び起きると、割れた窓枠を這い上がるようにして、一匹の異形が教会の中に侵入してくるところだった。
全長は一メートルほど。黒光りする金属の装甲に覆われた巨大な蟻だ。赤く発光する無機質な複眼がギョロリと動き、ハサミのような巨大な顎からは、床の木材を溶かして白煙を上げる強酸の唾液がポタポタと垂れていた。
「死蟻機だと!?」
ソファで腹をさすっていたフェイトが、血相を変えて立ち上がった。
「かつて神々との大戦で世界を恐怖に陥れた『死蟲王サルバロス』の軍勢……命を刈り取る完全な殺戮機械だ! なぜこんな辺境の村に!」
「たぶん、さっきの極上ハンバーグの匂いに釣られたんだろうな。……おいフェイト、解説はいいから早くそいつを斬れ!」
「任せておけ! 俺の専属料理人と、この神聖な教会は、俺が守護する!」
フェイトが輝くミスリルソードを抜き放ち、親指で銀貨を天高く弾いた。
「チャリーン……」
澄んだ金属音。宙を舞ったコインは、無情にも『裏面』を出してフェイトの手のひらに落ちた。
「……あ、ダメだ。ハンバーグの極上の旨味を消化するために、胃袋が俺の全血液を要求している。ここで激しい運動をすれば、旨味が逃げて消化不良を起こしてしまう……おやすみ、カナタ……」
「前衛ええええええええっ!!」
ドサリ、と。A級冒険者はミスリルソードを抱きしめたまま、幸せそうな顔で深い眠りについた。
まただ。またこのパターンか。死蟲機とかいう物騒な機械アリの赤い複眼が、完全に俺とアマネをロックオンしている。
「カナタさん! ランダムボックス、回します! どうか、どうか強い武器を……!」
アマネが祈りを込め、なけなしの善行ポイントを100p消費する。
ホログラムの箱からコロンと転がり落ちてきたのは、一本の細長いノズルが付いたスプレー缶だった。
「……エアダスター?」
俺は床に転がったそれを拾い上げた。
間違いない。地球のオフィスで、キーボードの隙間やサーバーラックの埃を吹き飛ばすために使う、PC清掃用の『エアダスター』だ。
「なんだこりゃあ! また攻撃力ゼロの清掃用具じゃないか!」
「ご、ごめんなさい! でも私、お掃除頑張ったから……!」
『ギヂィッ!!』
死蟻機が金属音を鳴らし、巨大な顎を開いて強酸の液を吐き出そうと身構える。
俺は逃げなかった。いや、逃げる必要がなかった。
俺のSEとしての論理的思考が、恐怖を完全に上書きしていたからだ。
敵の攻撃モーション(入力)に対する、最適な回避位置(出力)。
今朝、フェイトに徹底的に叩き込まれた『絶対死角』のアルゴリズム。
死蟻機の首の筋肉が収縮し、顎が閉じる瞬間。俺はその動きのベクトルを完全に見切り、右足の脱力だけで、斜め前方へと身体を滑らせた。
——完璧だ。フェイトの理不尽な剣筋に比べれば、機械の直線的な動きなど、処理の遅いレガシーシステムの挙動に等しい。
「ギ、チ……!?」
死蟻機の複眼の視界から、俺の姿が完全に消える。
俺は酸の弾丸を紙一重でかわし、死蟻機の懐——首関節の真下へと潜り込んでいた。
そのまま、左手に持った『エアダスター』を逆さに向け、首の金属ジョイント部分に密着させる。
「PC周りの掃除だけが、こいつの用途じゃないんだよ」
スプレー缶を逆さまにして噴射するとどうなるか。
内部の液化ガスが直接噴出し、気化熱によってマイナス五十度近い超低温の冷却液となるのだ。
「プシュウウウウウウウッ!!」
真っ白な冷気が死蟻機の首関節に吹き付けられる。
急激な冷却。熱膨張の逆——つまり、急激な熱収縮による『金属の脆化』だ。
装甲の隙間が凍りつき、ピキピキと悲鳴を上げる。
「物理防御が下がったところで、パスワードの入力だ」
俺は脆くなった首のジョイントの隙間に、スラックスから取り出した『アパートの鍵』をねじ込んだ。
「システム・オーバーライド。対象、死蟻機の装甲結合ジョイント」
ただの機械の部品だ。ボルトとナットの噛み合わせ。その『ロック』を解除する。
「——『ロック解除』」
カチャリ。
脳内に響く小気味よい音。
直後、強固な金属で繋ぎ止められていたはずの死蟻機の首が、ガシャン!という音と共に胴体から綺麗に分離し、床に転げ落ちた。
完全に動力を絶たれた胴体も、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「……ふぅ。デバッグ完了だ」
「す、すごいですカナタさん! またしても一瞬で! そのスプレー、そんなに強力な魔法具だったんですね!」
目を輝かせるアマネに、俺はエアダスターを軽く振って見せた。ただの圧縮空気だが、物理法則と組み合わせれば立派なチートだ。
「それにしても、機械の魔物か。……ん?」
俺はバラバラになった死蟻機の残骸を見て、違和感を覚えた。
装甲の内部に、ただの機械部品ではない、半透明の太い管のような『生体パーツ』が詰まっていたのだ。魔法で動くための人工筋肉だろうか。
俺が好奇心でその生体パーツに触れると、ツルリと装甲から抜け落ちた。
「……おい、アマネ。これ……」
「はい! どう見ても……殻を剥いた巨大な『エビの尻尾』ですね……」
俺たちの目の前には、ブラックタイガーを何十倍にも巨大化させたような、プリプリの美しい身が横たわっていた。しかも、ほんのりと上質な海の香りがする。
「機械虫の中身が、極上のエビ肉……? どうなってんだこの世界の生態系!」
「で、でもカナタさん! これ、すごく美味しそうです! 天ぷらとか、エビフライとかにしたら絶対に……」
「……たしかに。エビ天丼にして、甘辛いタレをかければ……」
俺とアマネが、生唾を飲み込みながら未知の食材(魔物)に目を輝かせた、その時だった。
『……ビーッ。ビーッ。ビーッ……』
床に転がった死蟻機の頭部——その赤い複眼が、突如として不気味な点滅を始めた。
警告音のような電子音が、教会の中に響き渡る。
「……なんだ? エラーコードの送信か?」
「カ、カナタさん……! 窓の外を……!」
アマネの震える指先につられて、割れた窓の外を見た俺は、絶句した。
ポポロ村を囲む、鬱蒼とした深い森。
その暗がりの中に、一つ、二つと……無数の『赤いランプ』が点灯し始めていた。
その数は数十、いや、数百。
極上ハンバーグの匂いと、仲間からの救難信号。
それを受信した死蟲機の『群れ』が、ポポロ村を完全に包囲していたのである。
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