EP 4
死角のステップと、賢者モードの玉ねぎ
爽やかな朝の陽光が、ポポロ村の広場に降り注いでいた。
「シュッ! ハッ! そこだ、敵の視線の死角に潜り込め!」
「理不尽すぎるだろ! 俺はつい先日までマウスとコーヒーカップしか握ったことのないしがないSEだぞ!」
フェイトの振るう木剣が、俺の鼻先数ミリを空を切って通り過ぎる。
『俺の専属料理人になるなら、俺が戦い方を教えてやる』。
昨晩のあのふざけた契約は、どうやらマジだったらしい。早朝から叩き起こされた俺は、A級冒険者であるフェイトによる地獄のスパルタ回避特訓を受けさせられていた。
「文句を言うなカナタ! お前の『鍵使い』は、敵に直接触れなきゃ発動しないんだろう!? なら、いかにして無傷で敵の懐に潜り込むかが命綱だ!」
「理屈はわかるが、体が追いつかねえんだよ!」
フェイトの言葉は的を射ていた。俺のスキルによる生体ロック解除は「ごボボボっ!?」と一撃で相手を屠れる必殺技だが、リーチは文字通りゼロだ。
「獣や魔物には、骨格と眼球の構造上、絶対に反応が遅れる『絶対死角』がある。力で勝てないなら、重心をずらしてそこに滑り込め!」
「……視神経の処理領域外への、重心移動のずらし……」
息を切らしながら、俺のSEとしての脳細胞が、フェイトの動きを分析し始める。
これは魔法じゃない。ただのバイオメカニクスだ。敵の攻撃モーションという入力に対して、適切な回避位置への出力を返すアルゴリズム。
なら、プログラミングと同じだ。動きの法則さえ理解できれば、俺にも実行できる。
「フェイト、もう一本来い!」
「おっ、いい目になったな! そらっ!」
フェイトの木剣が上段から振り下ろされる。
俺はあえて動かず、剣が脳天に当たるコンマ一秒前——フェイトの踏み込みのベクトルが確定した瞬間に、右足の脱力だけで斜め前方の『死角』へと身体を滑らせた。
「なっ!?」
フェイトの剣が空を切り、俺の身体は無防備なフェイトの懐にスッポリと収まっていた。
俺はスラックスから取り出した『アパートの鍵』を、フェイトの胸当ての隙間にコトンと当てる。
「……実戦なら、今のであんたの心臓のナトリウムチャネルは全開になってたぞ」
「ぞわっ……! お、お前、たった数時間で俺のステップを計算してコピーしやがったのか!?」
「ただのタスク処理だ。……だが、疲労で俺の筋肉のシステムがもう限界だ。特訓はここまでにしてくれ」
「ははっ、上等だ! じゃあ約束通り、極上の昼飯を作ってもらおうか!」
満面の笑みを浮かべるフェイトと共に、俺たちはアマネの待つ教会へと戻った。
◆
「今日の食材は、これです!」
教会のキッチンで、アマネがドンッと分厚い肉の塊をまな板に置いた。
「牛型魔獣『ロックバイソン』の挽肉です! これで何か作れませんか?」
「ひき肉か。なら、ハンバーグ一択だな」
俺の提案に、フェイトが身を乗り出した。
「ハンバーグ! ルナミス帝国のファミレス『ルナキン』にあるっていう伝説のメニューか! だがカナタ、ロックバイソンの肉は岩のように硬くてパサパサだぞ?」
「そこは俺に任せろ。それより、ハンバーグには玉ねぎが必須だ。アマネ、村の畑でもらってきてくれないか」
「あ、それならちょうど収穫時期のやつがあります! 行きましょう!」
アマネに案内され、教会の裏手にある村の共同畑へとやってきた。
青々とした葉が茂るのどかな畑。だが、そこから信じられない声が聞こえてきた。
『たまんねーなオイ! ゲヘヘッ、このエルフのグラビア、すんげぇ破壊力だぜぇ!』
「……アマネ。今、畑からオッサンのゲスい声が聞こえたんだが」
「あ、あれがポポロ村特産『たまんネギ』です!」
アマネが指差した先には、丸々と太った玉ねぎが土から顔を出し、器用に葉っぱを使って『ルナミス新聞・風俗情報版』の切り抜きを熟読しながらニヤニヤと笑っていた。
「なんで玉ねぎがエロ本読んでんだよ!! 異世界の生態系どうなってんだ!」
「たまんネギは煩悩の塊なんです。でも、これを取り上げると……」
アマネはスタスタと歩み寄り、たまんネギから新聞の切り抜きをサッと没収した。
『ああっ!? 俺の、俺の生きがいが……!』
「さあ、お料理の時間ですよー」
『……いや、待て。よく考えれば、肉の欲求など一時の幻。我々は皆、大いなる土へと還る器に過ぎない。さあ、我が身を刻み、汝らの血肉としたまえ……』
エロ本を奪われたたまんネギは、スッと目を細め、後光が差すような穏やかな表情(賢者モード)で悟りを開いた。
「賢者モードになった!? なんだこのシュールな光景!」
「たまんネギは、賢者モードになると自らの繊維を極限まで緩めるので、すっごく柔らかくて甘くなるんです! ほら、カナタさん!」
「お、おう……」
引き抜かれた悟り顔の玉ねぎを受け取り、俺たちはキッチンへと戻った。
◆
「さて、次はパサパサの硬い肉の処理だ」
俺はまな板の上のロックバイソンの挽肉に、アパートの鍵を押し当てた。
「システム・オーバーライド。対象、ロックバイソンの筋繊維。……『ロック解除』」
カチャリ。
鍵の音が響いた瞬間、岩のように硬かった挽肉の繊維(結合)がほどけ、高級和牛のようなふんわりとした柔らかい肉質へと劇的に変化した。
そこに、賢者モードの『たまんネギ』のみじん切りを混ぜ合わせ、塩と胡椒で味を調えてから、空気を抜きながら小判型に成形する。
熱したフライパンに肉種を落とすと、ジュワアアアッ!という暴力的な音と共に、肉汁の焼ける香ばしい匂いが弾けた。
両面にこんがりと焼き目をつけ、ソースの味がするという『ソーリーフ(葉)』を煮詰めた特製デミグラスソースをたっぷりと絡める。
「完成だ。ロックバイソンの極上ハンバーグ・ルナミス風」
「うおおおおおっ!!」
皿を出した瞬間、フェイトが猛獣のように食らいついた。
「なんだこれ! あの岩のように硬いバイソン肉が、口の中でホロホロと崩れていく! 溢れ出す肉汁の洪水! そしてこの玉ねぎの深い甘みが、濃厚なソースと絡み合って……最高だぁぁっ!!」
「はふっ、はふっ! 美味しいです! ほっぺたがとろけちゃいますぅ!」
二人とも、語彙力を失ってハンバーグを胃袋に流し込んでいく。
俺も一口食べてみたが、我ながら完璧な出来だった。たまんネギの賢者モードが、肉の旨味を極限まで引き出している。
「ふぅ……タスク完了だな」
俺は食後のコーヒー(アマネが淹れたポポロ・コーヒー)を啜りながら、のんびりと窓の外を眺めた。平和な午後だ。
だが、俺たちは気づいていなかった。
教会の換気扇から流れ出た、極上のデミグラスソースと肉の焼ける匂いが、風に乗って遠く深い森の奥へと運ばれていたことに。
『……ギギ……ギチチチ……』
鬱蒼とした森の闇の中。
赤く光る機械の複眼が、その匂いを感知して不気味に明滅した。
鋭い鎌と、金属の装甲を持った異形の群れが、ポポロ村に向けてゆっくりと動き出そうとしていた——。
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