EP 10
月下の宴と、深海からのデッドライン(仕様変更)
ポポロ村の広場を狂乱の渦に巻き込んだ大感謝祭は、深夜を回る頃にようやく幕を下ろした。
祭りの後。広場には静寂が戻っていたが、村を包み込む防御魔法障壁だけは、兵士たちが叩き込んだオタ芸の熱量を蓄え、淡いピンクゴールドの光を放って夜空を美しく彩っていた。
村長宅の居間。
そこには、俺が急ごしらえで作った夜食を囲む、四人のバグだらけの居候たちの姿があった。
「ほら、今日のまかないだ。屋台で余ったロックバイソンの端肉と、ポポロ特産野菜、それに冷や飯を使った『究極の黄金チャーハン』だ」
俺が巨大な大皿をテーブルの真ん中にドンッと置くと、リーザとアマネ、キャルル、そしてコイントスのデバフからようやく這い出してきたフェイトが、一斉に歓声を上げた。
「う、おおおおっ……! 米粒の一つ一つが、黄金色に輝いてやがる!」
「カナタさん、これ本当にただの冷や飯ですか!? 信じられないくらいパラパラで、お肉の旨味がギュッと詰まってますぅ!」
「ただの仕様変更だ」
俺はエプロンを外し、自分の分のコーヒーを淹れながら答えた。
「冷や飯がベチャつくのは、米粒の表面の水分が不均一だからだ。俺の『鍵』で米粒表面の油膜をコーティング・ロックして、旨味と水分を内部に完全密閉した。あとは強火のパラメーターをいじって一気に煽っただけだ」
「魔法じゃなくて、概念のハッキングでチャーハンを炒める男、初めて見ましたの……っ! はむっ、はふっ、んごぉぉぉっ! お、おいひぃですぅぅぅっ!」
オリーブ色の芋ジャージを着たリーザが、スプーンを握りしめ、顔中を油だらけにしながら涙をポロポロとこぼしている。
「もう……もう、朝六時に公園へ行って、ハトとおじさんのパン屑を奪い合わなくてもいいんですのね……。タローソンの裏で、野良犬に威嚇(シャァァッ!)しなくても、こんなに温かくて美味しいご飯が、お腹いっぱい食べられるんですのね……!」
「ああ。お前がステージで稼いできた外貨がある限り、当分この村長宅のエンゲル係数は安泰だ」
「カナタ・プロデューサー……! 一生、一生ついていきますの! 私、もう絶対にこの家から出ていきませんわーっ!」
リーザは感動のあまり、チャーハンを頬張ったまま俺の足にすがりつこうとしたが、俺はそれを軽く躱した。
「カナタさん、本当にすごいですぅ。こんな美味しいご飯が毎日食べられて、村も平和で……私、ポポロ村に来て本当によかったです」
キャルルがウサギ耳を嬉しそうにパタパタと揺らしながら、俺を見上げて微笑んだ。
「あの、カナタさん。カナタさんほどの力……いえ、知恵があれば、一国の王様になったり、大陸を支配したりすることも、絶対にできると思うんです。カナタさんの『野望』って、一体なんなんですか?」
「ブフォッ」
俺は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
「キャルル、買い被りすぎだ。俺にそんな大層な野望なんて1ミリもない」
「えっ? そうなんですか?」
キョトンとするキャルルや、チャーハンを頬張る手を止めたリーザたちに向かって、俺は深くため息を吐き、窓の外の月を見上げた。
「大陸の支配? 王様? 冗談じゃない。そんなポジションに就いたら、毎日無限に湧き出る承認フローと、終わりのないステークホルダーとの調整(政治)で、胃に穴が空いて過労死する。前世のブラック企業の二の舞だ」
「で、では、カナタさんの望みとは……?」
「俺の野望はな。——『定時に帰って、温かい飯を食って、ふかふかの布団で八時間寝る』。それだけだ」
俺はきっぱりと言い切った。
「誰かを支配したいわけでも、偉くなりたいわけでもない。ただ、理不尽なエラー(暴力や搾取)に巻き込まれず、こうして当たり前の平穏(日常)を回すことができれば、それで十分なんだよ」
俺の言葉に、居間に一瞬の静寂が落ちた。
そして。
「……カナタさんらしいですぅ。ふふっ」
キャルルが、心底安心したような、花が咲くような笑顔を見せた。
「ええ。カナタ・プロデューサーのその『究極の省エネ志向』、底辺を生き抜くサバイバーとして最高の資質ですの! 私も、この温かいお家で一生ダラダラ過ごすことを野望にしますわ!」
「リーザちゃん、それはただのニートですぅ! ……ああっ、でもチャーハン美味しいですぅ。私の凍結された財布のロック、いつ解除してくれるんですかぁ?」
「お前らの稼ぎが安定するまでだ」
月明かりが差し込む縁側で、虫の音をBGMに、俺たちは夜更けまでくだらない話をして笑い合った。
誰も血を流さず、誰も搾取されず、ただ美味しいご飯を食べて眠る。
狂気のヤンデレウサギも、ギャンブル廃人も、ガチャ中毒の聖女も、そして極貧の芋ジャージ人魚姫も、この小さな村長宅という名の『システム』の中で、確かに一つの家族として機能し始めていた。
これこそが、俺が前世でどれほど渇望しても手に入らなかった、最高の『月下の宴(当たり前の幸せ)』だった。
◆
翌朝。
爽やかな朝日がポポロ村を照らし、今日も平和な一日が始まろうとしていた。
俺はパジャマ代わりのスウェット姿のまま、欠伸をしながら村長宅の郵便受けを開けた。
「ん……? なんだこれ」
回覧板やギルドからの報告書に混じって、一通の異質な手紙が入っていた。
分厚い羊皮紙で作られたその封筒は、水に濡れても絶対に破れない高度な魔法コーティングが施されており、封蝋には『三つ首の海竜』——海中国家シーランの王家の紋章が、これでもかとデカデカと刻印されていた。
「シーラン国……? リーザの実家か」
嫌な予感が、背筋を駆け上がった。
俺は周囲を警戒しながら、宛名が『ポポロ村の責任者様』となっているその封筒を、ペーパーナイフで慎重に開封した。
中には、真珠の粉がまぶされたような豪奢な便箋が入っており、優雅で高貴な筆致で、次のような文章が綴られていた。
『——ルナミス帝国との緩衝地帯を治めるポポロ村の責任者殿。
妾は、海中国家シーランを統べる女王、リヴァイアサンである。
我が最愛の娘、王女リーザから、ルナミス帝国での素晴らしい活躍の報告を日々受けておる。娘の便りによれば、彼女は今や人間の世界において『最高峰の高貴なるアイドル』として大成功を収め、毎日満員の豪奢な劇場で、臣民たちから熱狂的な愛と富を捧げられているとのこと。
また、日々の食事も『絹のように滑らかな白き豆腐』や『黄金に輝くパンの耳(?)』といった、人間の宮廷料理の粋を集めたものをご馳走になっているとか。
妾は、娘のその優雅で完璧な成功を、海の底より誇りに思っておる。
つきましては、我が娘のその麗しきステージを一目見るため、そして娘を厚遇してくれている人間たちに直接礼を言うため——。
近日中に、シーラン国の『無敵艦隊・全三千隻』を率いて、陸地(ポポロ村周辺)へと表敬訪問に参る所存である。娘のステージの最前列には、妾の座席(玉座)を用意しておくように。
それでは、貴殿らとの麗しき邂逅を心待ちにしておる——』
「…………」
俺は手紙を読んだ後、無言のまま、ゆっくりと首を回して居間の方を見た。
そこには、朝っぱらからテレビの前に寝転がり、オリーブ色の『芋ジャージ』の裾をまくり上げてぽっこり出たお腹をボリボリと掻きながら、タッパーに入った昨晩の残りの冷たいチャーハンをスプーンで直食いしている『最高峰の高貴なるアイドル』の姿があった。
「あはははっ! アマネちゃん、この芸人さんの動き、交番前の反復横跳びに使えそうですの! それにしても、冷たいチャーハンも味が染みててジャンクで最高ですわーっ!」
鼻をほじりながら、下品な笑い声を上げる極貧地下アイドル。
優雅。高貴。大成功。宮廷料理。
女王の手紙に書かれていた『仕様書(見栄と思い込み)』と、目の前に広がる『実装コード(現実のドブ泥)』の致命的な乖離。
「……あいつ、実家の母親(女王)に、どれだけ盛った嘘の報告(ステータス偽装)をしてやがったんだ」
俺の額から、滝のような冷や汗が噴き出した。
無敵艦隊三千隻を率いる、超親バカで過保護な絶対女王。
その女王が、もしも最愛の娘が『みかん箱の上で五円玉をせびり、野良犬と廃棄弁当を巡って殴り合い、ジャージ姿で鼻をほじっている』という事実を知ったとしたら。
ポポロ村どころか、ルナミス帝国ごと、大陸が海に沈められるのではないか?
「……おいカナタ、どうした? 顔面が土気色になってるぞ」
起きてきたフェイトが、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。
「……フェイト。俺の平穏な日常が、いま、国家間戦争レベルの致命的なエラー(バグ)を吐き出そうとしている」
「は?」
俺は手紙を握りしめ、震える胃を押さえた。
ヤンデレヤクザウサギの暴走を止め、限界オタクたちをアイドル経済圏という防壁にルーティングし、ようやく訪れたと思った平穏な日常。
だが、このふざけたアナステシア世界が、俺というしがない元社畜SEに安息の有給休暇を与えてくれるはずなどなかったのだ。
深海から迫り来る、過保護な女王と無敵艦隊という名のデッドライン。
ポポロ村の命運を賭けた、次なる地獄のプロジェクトの幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
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