EP 2
仕様書(人魚姫)と実装コード(芋ジャージ)の深刻な乖離
「五円! 五円! 御縁! 御縁! ハイ!」
「五円! 五円! 御縁! 御縁! ハイ!」
交番前での見事な「カツ丼ハッキング」を目撃してから数時間後。
ポポロ村の村長宅の縁側で、定時退社後のような平穏なコーヒータイムを満喫しようとしていた俺の耳に、広場の方から奇妙なコール&レスポンスが聞こえてきた。
「……なんだ? 村で何かイベントの予定でもあったか?」
俺が訝しげに眉をひそめると、横で書類仕事(主に村の備品発注書)を片付けていたキャルルが、ウサギ耳をピクンと立てた。
「いえ、今日は特に何も……。でも、なんだかすごい熱気ですね。ちょっと見てきましょうか!」
好奇心旺盛な村長に引っ張られるようにして、俺とアマネは広場へと向かった。
広場の中央には、農家のおじさんたちや、休憩中のレオンハート獣人兵たちが黒山の人だかりを作っていた。その中心で、チャリン、チャリン、という小銭の鳴る音が絶え間なく響いている。
人垣の隙間から覗き込んだ俺は、思わず持っていたコーヒーカップを取り落としそうになった。
「銅でもない! 銀でもない! 狙い打つのは真鍮のゴールドぉっ!」
群衆の中心。
ボロボロの『みかん箱』の上に立ち、自作のマイク(ただの木の棒の先に松ぼっくりをつけたもの)を握りしめて熱唱していたのは、先ほど交番前で反復横跳びをしていた『芋ジャージに健康サンダル』の美少女だった。
「穴の向こうに未来が見える! 覗いてみてよ、私とキミのディスタンス!」
彼女がくるりとターンを決めるたびに、オリーブ色の芋ジャージがシャカシャカと虚しい音を立てる。
しかし、その歌声には奇妙な力が宿っていた。透き通るような美しいソプラノボイスが空気を震わせると、周囲に微弱な魔導の波紋が広がり、見物人たちの目をトロンとさせていく。
「絶対無敵のスパチャアイドル! 五円が積もれば山となるぅ! 御縁をちょーだいキラキラ☆キラリ! 推しの生活、支えてちょーだいっ!」
歌に合わせて、おじさんたちや獣人兵が、まるで何かに操られるように財布の紐を緩め、五円玉(真鍮貨)をみかん箱の足元に置かれた空き缶に向かってジャラジャラと投げ入れている。
「おおっ……! なんという心地よい歌声だ! この五円玉を投げ入れると、不思議とご利益(金運バフ)がある気がするっす!」
「がんばれよーっ! お小遣い、全部持ってけ泥棒ーっ!」
熱狂するファン(おっさん達)に向かって、芋ジャージの少女は完璧なウインクと投げキッスを放った。
「みんなぁーっ! たくさんの『お賽銭』、ありがとうごじゃいますのーっ! 穴の数だけ幸せあげる! 五円で繋がる無限のルゥゥープっ! ハイ! ハイ! スパチャよろしくぅ!」
「なんだあの露骨すぎる集金ソングは……」
俺はドン引きしながらこめかみを押さえた。
ただの路上ライブではない。彼女の歌には、対象の『お布施したい欲』を刺激し、少額の硬貨を強制的にドロップさせる謎の集金システム(デバフ)が組み込まれている。
「……スパチャ? 五円で繋がる、無限のループ……? なんだかその言葉の響き、私の奥底にある何かに……すごく刺さる気がしますぅ……」
俺の隣で、聖女の末裔であるアマネが、ガチャ依存症特有の虚ろな瞳をしてぶつぶつと呟き始めていた。まずい、アマネの脳内報酬系(ポイント消費欲)と、あの地下アイドルの集金アルゴリズムが、危険なレベルで同期しようとしている。
「おいアマネ、正気に戻れ。あんなみかん箱の上で『推しの生活支えて!』って芋ジャージで絶叫してる可哀想な不審者に、お前の善行ポイントを突っ込むんじゃないぞ」
俺がアマネの肩を揺さぶってデバッグを試みていると、隣で固まっていたキャルルが、信じられないものを見たというように声を震わせた。
「……ウソ、ですよね? だって、あのプラチナブロンドの髪と、透き通るような声……。間違いないですぅ、あれはルナミスのシェアハウスで一緒に住んでいた……リーザちゃんですっ!」
「シェアハウスの元ルームメイト? お前、あんな香ばしいエラーコードと知り合いだったのか?」
「エ、エラーなんかじゃありませんよ! あの子は、海中国家シーランの正当なる王族……『人魚姫』のリーザちゃんですぅ!」
「…………は?」
俺の思考のプロセッサが、一瞬完全にフリーズした。
海中国家シーラン。ルナミス帝国とも古くから同盟を結んでいる、強大な海洋国家だ。
その王女、人魚姫。童話にも出てくるような、深海の真珠と珊瑚に囲まれて優雅に暮らす、神秘と高貴の象徴。それが本来の『仕様書』に書かれた彼女のステータスのはずである。
俺はゆっくりと、広場の中央でみかん箱の上に立つ少女へと視線を戻した。
オリーブ色の芋ジャージは膝のあたりが擦り切れており、足元は百円ショップの概念で生み出されたであろうプラスチックの健康サンダル。そして、空き缶に貯まった五円玉を数えながら、「これで今日の晩御飯は、パンの耳から『もやし炒め』にグレードアップできますのーっ!」とヨダレを垂らして歓喜している。
「……仕様書(王女)の格の高さに対して、実装ソースコード(極貧地下アイドル)の不具合が深刻すぎるだろ。どんだけバグったらあんなUI(見た目)になるんだよ」
俺が頭を抱えていると、みかん箱でのライブ(集金)を終えたリーザが、ジャラジャラと音を立てる空き缶を大事そうに抱えてステージを降りた。
彼女が向かったのは、広場の端に設置されているタローソン(タロー系列のコンビニ)の店舗裏だった。
「あ! 見てください、タローソンの廃棄弁当のゴミ箱に、まだ食べられそうな『ロックバイソン焼肉弁当』が半分残ってますの! これは天からの恵みですわーっ!」
リーザが目を輝かせてゴミ箱にダイブしようとした、その瞬間。
「グルルルルルル……ッ!」
ゴミ箱の陰から、一匹の薄汚れた巨大な野良犬が姿を現した。どうやら、その廃棄弁当は野良犬の縄張り(テリトリー)だったらしい。
野良犬が牙を剥き出しにして威嚇すると、普通のお姫様なら悲鳴を上げて逃げ出すところだ。
しかし、極貧を生き抜く人魚姫のサバイバルアルゴリズムは、俺の常識を遥かに凌駕していた。
「……やんのか、コラ。その弁当は私が先に見つけましたのよ?」
リーザは大切に抱えていた五円玉の空き缶を地面にそっと置くと、なんとアスファルトの上に四つん這いになった。
そして、先ほどまで「キラキラ☆キラリ!」と可愛らしく歌っていた美声など微塵も感じさせない、ドスの効いた野太い声で、野良犬に向かって全力の威嚇を始めたのである。
「シャァァァァァァァッ!! ウーッ、シャァァァァァッ!!」
「キャンッ!?」
顔をひきつらせ、牙を剥き出しにして本気で凄む芋ジャージの少女。人魚族特有の生体プレッシャー(海の捕食者の威圧感)を乗せた本気の威嚇に、野良犬は「こいつは人間じゃない、ヤバい獣だ」と本能で察知したのか、情けない悲鳴を上げて一目散に逃げ出していった。
「ふふん、私の勝ちですの。勝者には、この焼肉弁当を食す権利が……はうぅっ!? アリさんが! アリさんがお肉に群がってますのぉぉぉ! 私のタンパク質がぁぁっ!」
廃棄弁当に群がるアリを手で必死に払い除けながら、涙目で肉の切れ端を齧るリーザ。
もはや、見ていられないほどの完全な底辺(ドブ泥)の光景だった。
「……なぁキャルル。お前の知り合い、デバッグが必要なレベルどころか、完全にシステム(尊厳)がクラッシュしてるぞ」
「り、リーザちゃぁぁぁんっ!! どうしてそんな姿にぃぃっ!?」
俺のSE的なツッコミも虚しく、キャルルは親友のあまりにも凄惨な姿に耐えきれず、ウサギ耳を振り乱しながら一直線にタローソンの裏手へと突撃していってしまった。
残された俺とアマネは、その光景をただ呆然と見送ることしかできなかった。
「カナタさん……。私、あの子の『推しの生活支えて!』って歌詞が、頭から離れませんぅ……。もっと、もっとスパチャをして、あの子に美味しいものを食べさせてあげないと……」
「やめろ、お前までバグに感染するな」
ガチャ中毒の聖女が、新たな沼(地下アイドル)に片足を突っ込もうとしているのを物理的に羽交い締めにしながら、俺は空を仰いだ。
ヤンデレヤクザウサギ、ギャンブル廃人、ガチャ中毒。
そこに新たに加わろうとしているのは、パンの耳と廃棄弁当で生き長らえる「極貧の芋ジャージ人魚姫」だ。
「……俺はただ、平和に定時退社してコーヒーを飲みたいだけなのに」
前世のデスマーチのトラウマが、胃の奥底でチリチリと焼け焦げるような痛みを放ち始めていた。
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