EP 5
三国緩衝地帯と、満月の夜の暴走
完璧な真円を描く十五夜の月が、ポポロ村の夜空に昇りきった。
「ウサァァァァァッ! なんだか全身の血が煮えたぎって、じっとしていられませんっ!」
ウサギ耳の新村長の瞳孔が完全にガンギマリになり、その口から野太い咆哮が漏れた。
「……おいキャルル。お前、さっきから無駄に庭をマッハで反復横跳びしてるが、どうしたんだ」
俺が縁側で食後のコーヒーを啜りながら尋ねると、彼女は残像を残してピタリと俺の目の前に停止した。ウサギの耳が、危険なテンションでピンと直立している。
「カナタさん! 私、新任の村長として、ご近所に『ご挨拶』と『見回り』に行ってきます!」
「ご近所って……ポポロ村の周りは、ルナミス帝国、アバロン魔皇国、レオンハート獣人王国の『三国駐留所』だぞ。村を緩衝地帯にして、三国の軍隊が常に睨み合ってる一触即発のエリアだ。夜に出歩くような場所じゃ——」
「大丈夫です! ちょっと気合を入れてくるだけですから!」
言うが早いか、キャルルは特注の安全靴で地面を粉砕し、鼓膜を破るようなソニックブームを残して夜空へと消えていった。
あとに残されたのは、突風でひっくり返った俺のコーヒーカップと、いびきをかき続けるフェイトだけだ。
「……嫌な予感しかしないな」
俺はこめかみを押さえた。満月によって全ステータスが振り切れた、あのウサギの『気合を入れる』という言葉のベクトルが、正常な方向へ向かうとは思えなかった。
◆
同時刻。ポポロ村から数キロ離れた山間部——ルナミス・アバロン・レオンハートの三国共同監視キャンプ。
本来なら極度の緊張状態にあるはずの最前線だが、実態は違った。暇を持て余した三国の兵士たちは、国境線を越えて一つのテントに集まり、酒を飲みながら賭けトランプに興じていたのである。
「ほらよ、俺の勝ちだ! アバロンの魔族も大したことねぇな!」
「うるせえルナミスの人間風情が! 次は毛むくじゃらの獣人をカモにしてやる!」
たるみきった前線基地。その静寂と怠慢は、上空から降ってきた『マッハの隕石』によって物理的に粉砕された。
ズドォォォォォォォンッ!!
「ぎゃああっ!? な、なんだ!? 敵襲か!?」
吹き飛んだテントの土煙の中から、ウサギ耳の美少女がゆっくりと立ち上がる。
月の光を背に浴びたキャルルは、トランプを握りしめて腰を抜かす三国兵士たちを見下ろし、極上の笑顔を浮かべた。
「こんばんは、近隣の皆さま! ポポロ村の新村長、キャルルです! ……随分とたるみきった勤務態度ですね。これじゃあ、いざという時に村を守れませんよ?」
「む、村長だぁ? ふざけるな小娘、俺たちは天下の帝国軍——」
ルナミス兵が魔導ライフルを構えようとした瞬間。
キャルルの姿がフッと掻き消え、次の瞬間には兵士の顎にタローマン特注の安全靴がめり込んでいた。
「月影流・鐘打ち!」
メキョァッ!!
「ごぼばぁっ!?」
顔面を粉砕されたルナミス兵が、コマのように回転しながら彼方へ吹き飛んでいく。
「なっ……貴様ぁっ!」
激怒したレオンハートの獣人兵が巨大な戦斧を振り下ろすが、キャルルはそれをダブルトンファーで軽々と受け流し、ガラ空きになった腹部に闘気を込めた膝蹴りを叩き込んだ。
「月影流・顎砕きからの、膝っ!」
ボキボキボキッ!!
「あぎゃあああああっ!」
「ひぃぃっ! ば、化け物だ! 逃げ——」
逃げ出そうとしたアバロンの魔族兵の背中を、キャルルの『流星脚』がマッハの速度で撃ち抜く。
わずか数十秒。キャンプにいた数十人の三国兵士たちは、全身の骨を砕かれ、血の海の中で虫の息となっていた。
「……ふぅ。少しは目が覚めましたか?」
キャルルは前髪を払い、満足げに微笑んだ。
だが、足元で血を吐きながら痙攣する兵士たちを見て、彼女はハッと我に返った。
「ああっ! 大変! 皆さん、こんなに重傷を負って! 今すぐ助けますからね!」
自分でマッハの蹴りを叩き込んでおきながら、キャルルは本気で悲痛な顔をして兵士たちに駆け寄った。
彼女はエプロンのポケットから『陽薬草』を取り出し、そこに月兎族の魔力と生命力を限界まで注ぎ込み始めた。
「皆さんは、村を守ってくれる大切なご近所さんです……! 私の命に代えても、絶対に死なせませんっ!」
「カ、ハッ……ゴホォォォッ!!」
突如、キャルルが大量の血を吐き出した。
他者の命を強制的に繋ぎ止める『月光薬(究極の回復薬)』の生成は、術者の生命力(HP)を著しく削る。彼女は血反吐を撒き散らしながら、ふらふらになりながらも完成した光り輝く薬液を、這いつくばる兵士たちの口へと無理やり流し込んでいった。
「飲んで、ください……! 生きて……!」
「あ、あんた……自分の命を削ってまで、俺たちみたいなクズを……?」
兵士たちが薬を飲み下した瞬間。
凄まじい光が彼らの身体を包み込み、砕けた骨が、破裂した内臓が、一瞬にして超再生を果たした。
ただ治るだけではない。極限の苦痛(死の淵)から、細胞の隅々までが新生する究極の快感へと一気に引き上げられたのだ。脳内麻薬が致死量までドバドバと分泌され、極限のサウナで『整った』状態の数千倍のトランス状態が兵士たちを襲う。
「あ……あああ……っ!」
「なんという多幸感……身体が羽のように軽い……!」
絶頂感に包まれながら立ち上がった三国兵士たちの目に映ったのは、自らの血で口元を赤く染めながら、「よかった……皆、元気になって……」と慈母のように微笑むウサギ耳の少女の姿だった。
マッハの暴力で死の恐怖を叩き込み、直後に自己犠牲の愛で究極の癒やしを与える。
それはまさに、新興宗教の洗脳アルゴリズムの極致(完全なバグ)であった。
「……あ、姉御ぉぉぉぉぉぉっ!!」
「俺たちが悪かった! 俺たちの魂は、今日から姉御のモンですっ!」
ルナミス、アバロン、レオンハート。
本来なら殺し合うはずの三国の兵士たちが、国境を越えて固く肩を組み、血まみれのキャルルに向かって一斉に土下座した。
彼らの瞳には、狂信的なまでの忠誠のハイライトが宿っていた。
◆
「……なんか、遠くの山で稲妻が光ったり、謎の歓声が聞こえたりするんだが」
縁側で二杯目のコーヒーを淹れながら、俺は遠くの山間部を眺めて呟いた。
痛みというエラーコードを強制的に叩き込み、直後に回復というパッチを当ててシステム(脳)を上書きする。
ウサギのヤンデレ気質と自己犠牲が掛け合わさった時、そこには恐るべき『心酔のバグ』が発生する。
俺はまだ、翌朝のポポロ村にとんでもない事態が引き起こされることを、知る由もなかった。
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