EP 4
泥沼の社内恋愛小説と、人参のハンカチ
バリッ、ボリッ。小気味よい咀嚼音が、のどかな縁側に響き渡る。
「くぅ〜っ! ここでガオガオンのメインカメラが涙で曇る描写、最高にエモいですぅ!」
ウサギ耳の新村長は、醤油煎餅をかじりながら分厚い本を抱えて身悶えしていた。
「……なあ、アマネ。あいつがさっきから奇声を上げながら読んでるその本、一体なんなんだ?」
夕暮れ時。俺が夕食の仕込みの合間に縁側へ顔を出すと、キャルルは完全に自分の世界に入り込んでいた。足元には、コイントスから逃亡して未だに爆睡を続ける自警団長が転がっているが、彼女は全く気にしていない。
「あ、カナタさん! あれは今、ルナミス帝国の若い女の子たちの間で大流行している恋愛小説ですよ! タイトルは『聖獣機神ガオガオンの社内恋愛事情は辛いよ。』です!」
「……なんで破壊兵器の機神が、オフィスで社内恋愛のドロドロに巻き込まれてるんだよ。設定(仕様)がバグりすぎだろ」
俺が呆れてツッコミを入れると、キャルルがバッと顔を上げ、熱弁を振るい始めた。
「わかってないですねカナタさん! 圧倒的な破壊力を持つガオガオンが、人間の女性オペレーターにだけは素直になれず、給湯室で壁ドンしながらも『……俺の冷却水が、沸騰しそうだ』って不器用な愛を囁くギャップがいいんじゃないですか!」
どうやら、ルチアナとかいう女神が神界からこっそり出版している同人誌らしいが、俺にはそのエモーショナルなアルゴリズムは理解できそうにない。
「はぁ……尊みで胸がいっぱいです。さて、休憩はこれくらいにして」
キャルルは本に丁寧に栞を挟むと、今度はエプロンのポケットから小さな裁縫セットを取り出した。
「おっ、裁縫か。村長としての事務仕事は終わったのか?」
「はい! 書類の決裁はマッハで終わらせました! 私、刺繍が趣味なんです。ちょっと待っていてくださいね」
キャルルが針に糸を通した、その瞬間だった。
シャカシャカシャカシャカシャカッ!!
俺の目が点になった。
彼女の手元が、文字通り『ブレて』見えたのだ。
100mを5秒台で走る驚異的な身体能力と動体視力。それを、まさか『刺繍』という極めて繊細なタスクに全振りするとは。高速で布を縫い上げる針の軌跡が、残像となって空中に糸の幾何学模様を描き出していく。
ミシンどころの騒ぎではない。完全に工業用の全自動縫製ロボットの挙動だ。
「……はい、完成です!」
わずか数十秒後。キャルルは満面の笑みで、二枚の真っ白な布を俺とアマネに差し出した。
「わぁっ! すごい、ワンポイントの『人参の刺繍』が入ったハンカチ! とっても可愛いですぅ!」
アマネが目を輝かせて受け取る。
俺も手渡されたハンカチを広げてみたが、その縫い目の精緻さに舌を巻いた。裏地まで完璧に処理されており、一切のほつれがない。戦闘スキルを日常の生産タスクに転用するとは、なかなかのハック思考だ。
「ありがとう、大事に使わせてもらうよ。……それにしても」
俺はハンカチをポケットにしまいながら、キャルルのルビー色の瞳を見た。
「それほどの身体能力と器用さ、それに事務処理能力があるなら、帝国の首都でいくらでもエリートとして出世できたはずだ。なんでこんな辺境のポポロ村に来たんだ?」
その問いに、キャルルは少しだけ目を伏せ、ウサギの耳をペタンと寝かせた。
「……私、元々は別の国で、王族として育てられたんです。でも、そこでは私はただの『愛玩動物』でした。綺麗に着飾られ、籠の鳥として、誰かに守られるだけの弱い存在であることを強要されて……」
彼女の小さな手が、キュッとパーカーの裾を握りしめた。
「でも、私はそれが嫌だった。自分の道は、自分の足で歩きたかった。……天は自ら助くる者を助く、です。どんなに暗く理不尽な状況でも、自分の生きる意味(希望)を見失わず、行動し続ける強さを持っていたいから」
自助論。そして、極限状態でも希望を捨てない、夜と霧にも通ずる強靭な精神性。
その言葉の端々から、彼女がどれほどの抑圧に耐え、そしてそれを己の力(物理)で打ち破ってきたのかが伝わってくる。可愛い見た目に反して、彼女のコア(深層心理)は鋼鉄よりも硬く、気高い。
「だから私、このポポロ村が大好きなんです。ルナキンの朝定食があって、優しいアマネちゃんがいて、カナタさんの作る極上のご飯があって……誰も私を縛らない、この自由な日常が、私の何よりの宝物なんです」
キャルルは顔を上げ、慈愛に満ちた笑顔を俺たちに向けた。
「俺も、この村の平穏は気に入ってる。PMとして、バグは全力で排除するつもりだ」
俺が同意して頷くと、キャルルの笑みが、さらに深く、甘く、そして……どこか『歪な形』へと変貌した。
「ええ。そうですよね。……だから」
スゥッ、と。
キャルルのルビー色の瞳から、一瞬だけハイライト(光)が完全に消え去った。
「私のこの大切な居場所を脅かす害虫が現れたら、例えそれが神軍であろうと、母国の軍隊であろうと……安全靴で跡形もなく蹂躙して、物理的にすり潰してあげます♡」
背筋に、ゾクァッ!と悪寒が走った。
ただの決意表明ではない。それは、自分の愛する箱庭を脅かす者を絶対に許さないという、重く、底知れない執着——『ヤンデレ』特有の静かな狂気だった。
俺のSEとしての危機管理システムが、「このウサギだけは絶対に敵に回してはいけない」とレッドアラートを点滅させる。
「え、えへへ……頼もしいですね、村長!」
アマネは天然なのか、その狂気に気づかず拍手をしている。俺は冷や汗を拭いながら、空を見上げた。
日が沈み、ポポロ村の夜空に、まん丸な『十五夜の月』が浮かび上がる。
「……あはっ。なんだか、血が騒いできました」
キャルルのウサギ耳がピンと立ち、その足元の特注安全靴が、ゴクリと獲物を求めるように重い音を立てた。




