EP 3
月影流・顎砕きと、逃亡する自警団長
「さあ来い、ウサギのお嬢ちゃん! 俺のミスリルソードに怪我させられないようにな!」
ポポロ村の広場の中央で、自警団長のフェイトが木剣を構えながらニヤリと笑った。
その向かい側には、パーカーのポケットに両手を突っ込んだままのウサギ耳の新村長、キャルルが立っていた。
「はいっ。フェイトさんですね、お手柔らかにお願いしますぅ」
のほほんとした笑顔で答えるキャルル。彼女の手には、先ほど俺の家の物置から見つけ出してきたという『樫の木で作られた二本の棒』が握られていた。トンファーだ。
「おいカナタ、あの子本当に大丈夫ですか……? フェイトさん、いくら普段は寝てばかりでも、腐ってもA級冒険者ですよ?」
縁側から見守るアマネが、不安そうに俺の袖を引く。
「……心配する相手が逆だ」
俺はポポロ・コーヒーを啜りながら、静かに答えた。
マッハ1で空から降ってきて無傷な生き物だぞ。物理演算がおかしいのはあっちだ。
「行くぜ! 『闘気』解放!」
フェイトの全身から、青白い陽炎のようなエネルギーが立ち上る。
瞬間、フェイトの姿がブレた。A級冒険者の筋力を限界突破させるブースト機能。瞬きする間にキャルルの懐に潜り込み、上段から重い木剣を振り下ろす。
「もらったァ!」
パァァァンッ!!
乾いた、破裂音のような打撃音が広場に響いた。
フェイトの渾身の一撃は、キャルルのウサギ耳を揺らすことすらできていなかった。
彼女は両手に持った樫のトンファーを頭上でクロスさせ、フェイトの剣を完全に受け止めていたのだ。
「なっ……俺の闘気を乗せた一撃を、微動だにせずだと!?」
「ふふっ、筋力と踏み込みは及第点ですね。でも、太刀筋が少し素直すぎますよ」
キャルルが微笑んだ瞬間、彼女の姿がフッと掻き消えた。
「消え……っ!?」
フェイトが驚愕して周囲を見渡す。
違う。消えたんじゃない。彼女は100mを5秒台で走るというバグのような身体能力で、フェイトの視界の死角——真横へと移動していたのだ。
「月影流、いきます」
キャルルが右のトンファーを滑らせ、フェイトの木剣を横に弾き飛ばして体勢を崩す。
そのまま流れるような動作でフェイトの懐に潜り込むと、タローマン特注の『鋼鉄入り安全靴』を履いた右脚が、恐るべき速度で跳ね上がった。
「——『顎砕き』」
空気を切り裂く鋭い風切り音。
闘気を纏った安全靴の先端が、フェイトの顎を完全に捉え——る数ミリ手前で、ピタリと静止した。
ゴォォォォォォォォォォッ!!
蹴りの風圧だけで、フェイトの背後にあった大木の上半分が、見えない刃で斬り飛ばされたように吹き飛んだ。
「…………へ?」
フェイトの口から、間抜けな声が漏れた。
もしこの蹴りがコンマ1ミリでも当たっていれば、自分の首から上が物理的に消滅していた。
A級冒険者の本能が、絶対に勝てない『圧倒的な死の気配』を前にして、凄まじい警報を鳴らし始める。
「あ、あれ? フェイトさん、どうしました?」
寸止めした脚を下ろし、小首を傾げるキャルル。
フェイトの顔面は、滝のような冷や汗で蒼白になっていた。
「ま、待て。タイムだ。俺の右腕が、今強烈に囁いている……!」
フェイトは震える手でスラックスのポケットに突っ込み、一枚の『銀貨』を取り出した。
「出た! フェイトさんの悪癖、コイントス逃亡の構えですぅ!」
アマネが叫ぶ。
「天よ……俺の命運を導け!!」
フェイトが親指に全霊を込め、銀貨を天高く弾き飛ばす。
キィンッ!
澄んだ金属音と共に、炎の光を反射しながらクルクルと空中で回転するコイン。
だが、落下するコインを受け止めるより早く、フェイトは自らの両手で顔面を覆い隠し、白目を剥いて地面に崩れ落ちた。
「——あ! 親友の従兄弟の隣のおばさんの……飼ってた金魚の三回忌を思い出して急に貧血が……グースー……」
パシッ。
フェイトが倒れた直後、地面に落ちたコインは、見事なまでに『裏』を示していた。
「……空中でコイントスを確定させる前に、気絶に移行しやがった。あいつ、生存本能だけはカンストしてやがる」
俺は呆れてこめかみを押さえた。
圧倒的な格上に挑んだ結果、プライドよりも命を守るための『強制シャットダウン』を選択したのだ。
「ええっ!? フェイトさん、どうして寝ちゃったんですか!? 私、何か悪いことしましたか!?」
キャルルが慌ててフェイトを揺さぶるが、A級冒険者は幸せそうな寝顔でピクリとも動かない。
「気にするな村長。あれは村のオブジェ(粗大ゴミ)だ」
俺は縁側から立ち上がり、トンファーを手にしたウサギ耳の美少女に歩み寄った。
「それにしても、見事な制圧術だった。その安全靴の蹴り、まともに食らえば城壁だって粉砕できるんじゃないか?」
「えへへ、ありがとうございます! 私、こう見えても武術には少し自信があるんです。これで、ポポロ村の平和は私がしっかり守りますからね!」
キャルルは満面の笑みで、Vサインを作ってみせた。
可愛い顔をして、とんでもない破壊兵器だ。だが、村を防衛するトップとしては、これ以上頼もしい存在はない。俺のPMとしての負担も、これで少しは減るかもしれない。
「カナタさん、キャルルさん、お疲れ様でした! お茶を淹れ直しますね!」
アマネが教会から新しいティーポットを持ってやってくる。
平和な午後だ。
マッハのウサギが村長に就任したとはいえ、これほどの戦力があれば、魔物も帝国軍も簡単には手出しできないだろう。
俺は空を見上げ、深く息を吸い込んだ。
……ん?
空を見上げた俺の視界に、夕暮れ迫る空にうっすらと浮かぶ『丸い輪郭』が映り込んだ。
今日は、十五夜。雲一つない、完璧な『満月』の夜だ。
「そういえば、キャルル。月兎族ってのは、月に関係する何か特殊な力があるのか?」
俺が何気なく尋ねると、キャルルはお茶を受け取りながら、ニコリと笑った。
「ええ! 満月の夜は、私の生命力とテンションが限界まで溢れ出して、もう誰にも止められないくらい最高に絶好調になるんです! ……あはっ、今夜が楽しみですねぇ♡」
彼女の瞳の奥で、ルビー色の光が妖しく、そして狂気的に輝いた気がした。
俺のSEとしての危機察知センサーが、かつてないほどの最大音量でエラーアラートを鳴らし始めた。
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