EP 2
ルナキン朝定食と、心音の嘘発見器
マッハ1の落下衝撃で穿たれたクレーターの中心で、ウサギ耳の新村長は「ぐきゅるるるぅぅ」と可愛らしくも盛大な腹の虫を鳴らした。
「あはは……流星脚での長距離移動は、カロリーの消費が激しいんですよねぇ」
俺は無言でフライパンを揺らし、縁側から彼女に向かって顎をしゃくった。「……冷める前に食え。ルナキン風の朝定食だ」
「ルナキン!? あのルナミス帝国のオアシス、ルナミスキングの朝定食ですか!?」
キャルルと名乗ったウサギ耳の美少女は、クレーターからポーンと跳躍すると、瞬きする間に俺の家の縁側にちょこんと正座した。
俺が差し出したプレートには、分厚いトースト、半熟の目玉焼き、カリカリのベーコン、そして山盛りの人参サラダが乗っている。横には湯気を立てるコンソメ風のスープと、ポポロ・コーヒーだ。
「いただきますっ!」
キャルルは小さな手を合わせると、トーストに目玉焼きを乗せ、大きな口を開けてかぶりついた。
サクッ、トロァァァッ。
心地よい咀嚼音と共に、彼女のルビー色の瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「おいひぃ……! 外はサクサク、中はもっちりのパンに、濃厚な黄身が絡みついて……! それにこの人参サラダのドレッシング、まさにルナキンのあのジャンクで暴力的な旨味そのものですぅぅ!」
「ハニーかぼちゃの蜜とマヨ・ハーブ、それに少しだけ酸味のある果汁を混ぜて乳化させた特製だ。塩分と糖分のコンボは、疲れた脳のCPUを強制再起動させるからな」
キャルルは涙を拭いながら、リスのように両頬を膨らませて朝定食を胃袋に流し込んでいく。
「私、ルナキンが大好きなんです……! あそこのトーストとドリンクバーがあれば、何時間でもお友達とファッション誌の通話ができるのに……この辺境の村に派遣されて、もう二度と食べられないかと思ってました……!」
どうやらこの新村長、見た目の可愛らしさと身体能力のバグっぷりに反して、中身は完全に『現代の堕落した女子大生(スローライフ志向)』らしい。
アマネが微笑ましくお茶を淹れ直す横で、キャルルは最後の一滴までスープを飲み干し、「ぷはぁっ」と幸せそうに息を吐いた。
だが、食後のコーヒーに口をつけた瞬間。
彼女の纏う空気が、ふわりと、だが確実に『鋭利なもの』へと変わった。
「ごちそうさまでした、カナタさん。……とっても美味しかったです」
キャルルは縁側に座ったまま、真っ直ぐに俺を見据えた。
その頭上で、長く美しいウサギの耳が、ピクン、ピクンと微細な動きを見せる。
「でも、一つだけ確認させてください。……あなたは、一体何者ですか?」
「ただの元社畜SEだ。今は縁あって、この村のPMと専属料理人をやっている」
「……そうですか」
キャルルは目を細め、タローマンの特注安全靴のつま先をトントンと軽く鳴らした。
「カナタさん。私たち月兎族の聴覚は、数マイル先の針が落ちる音すら拾います。そして……対象の『心音の波長』を聞き分けることで、その人間が嘘をついているか、悪意を持っているかを100%見抜くことができるんです」
アマネが「えっ!?」と息を呑んだ。
いわゆる、生体ポリグラフ(嘘発見器)というやつだ。人間は嘘をつく際、無意識に自律神経が乱れ、心拍数や血圧に微細なスパイク(ノイズ)が発生する。彼女の異常な聴覚は、それを完全にキャッチするらしい。
「この村に帝国軍を退けた凄腕がいるとは聞いていましたが……もしあなたが、他国のスパイや村に害をなす悪人なら、私は村長として、あなたをこの『安全靴』で排除しなければなりません」
キャルルは静かに言い放った。その瞳には、ヤンデレにも似た『大切なものを守るための狂気』が宿っている。
「さあ、答えてください。あなたの本当の目的は……っ!?」
キャルルが俺の胸元に全神経(聴覚センサー)を集中させた、その直後だった。
彼女のウサギ耳がビクゥッ!と跳ね上がり、顔面がみるみるうちに蒼白になっていった。
「な、なんですか……これ……!?」
キャルルがガタガタと震えながら、俺を指差す。
当然だ。俺の心音には、嘘のスパイクはおろか、動揺も、恐怖も、一切の感情の揺らぎ(波長)が存在しなかったのだから。
前世のブラック企業。
『おい高木、この仕様変更、明日の朝までに全部コーディングし直せるよな?』という上司の理不尽な要求に対し、もし心拍数を上げて動揺を見せれば、さらに無茶なタスクを詰め込まれる。
生き残るために俺が身につけたのは、感情というバックグラウンド処理を完全にキル(強制終了)し、心拍数を常に『60BPMの一定リズム』に固定する絶対のポーカーフェイス——名付けて『無の心(社畜システム・スリープモード)』だった。
「み、乱れが一切ない……!? 機械仕掛けの時計のように、完璧で冷徹な一定のリズム……! 私の月影流の殺気を向けられても、毛細血管一つ収縮しないなんて……! あ、あなたは、どれほどの修羅場を潜り抜けてきた暗殺者なんですか!?」
「だから言ってるだろ。ただの元社畜だって」
俺がため息をつきながらコーヒーを啜ると、キャルルは深く、深く頭を下げた。
「疑って申し訳ありませんでした! 『代表的日本人』にも記されるほどの高潔なる精神と、武の極致……! カナタさん、あなたにならこの背中を預けられます!」
完全に勘違いのベクトルが明後日の方向へ飛んでいったが、まあいい。敵対されないならそれに越したことはない。
俺が「俺も、ルナキンの飯が美味いと分かる奴なら歓迎だ」と笑うと、キャルルもパァッと顔を輝かせた。
「おい! 飯の時間は終わったか!」
いい雰囲気に包まれた縁側の空気をぶち壊し、庭の真ん中に木剣を構えた男が立ち塞がった。
自警団長のフェイトだ。彼はギラギラとした目でキャルルを指差した。
「空から派手に降ってきたのは認めてやる! だが、ポポロ村のトップに立つなら、このA級冒険者の俺を実力で納得させてみろ!」
フェイトの挑発を受け、キャルルは口元のケチャップを人参柄のハンカチで上品に拭き取った。
「食後の運動ですね。ふふっ、わかりました。……手加減はしませんよ?」
キャルルが縁側からふわりと飛び降りる。
俺はそっと目を逸らした。あのバカ剣士、マッハで空から降ってきた特注安全靴のウサギのヤバさを、まだ1ミリも理解していないらしい。
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