EP 2
ポポロ村の神官と、ポンコツ自警団長
「助かった、人間だ。しかも見るからに強そうな剣士までいる」
「チャリーン……」
澄んだ金属音と共に剣士が宙に弾いたコインが裏面で落ちた瞬間、「うっ、今日は体調が……」と彼は白目を剥いてその場に倒れ込んだ。
「……は?」
俺の目の前で起きている状況が、まったく理解できなかった。
空から生魚の切り身が降り注ぐ川辺に飛び出してきたのは、白い神官服を着た可憐な少女と、全身を輝くミスリル鎧で固めた偉丈夫の剣士だった。
剣士は俺の足元に散らばるピラダイの残骸を見るなり、「ほう、素人にしてはやるじゃないか」と頼もしく頷いたのだ。
そして、「だが安心しろ。ここから先はA級冒険者であり、このポポロ村自警団長である俺のステージだ!」と高らかに宣言し、親指で一枚の銀貨をピンッと天高く弾き——見事に裏を出して、秒で意識を失った。
「ふぇ、フェイトさん!? またですかぁっ!?」
小柄な神官の少女が、慌てて倒れた剣士——フェイトの体を揺さぶる。
だが、フェイトは「うーん……親友の従兄弟の隣のおばさんの友達の犬が死んだから、今日は葬式に……グースー」と、ルナミス新聞の三面記事にも載らないような意味不明な寝言を呟き、完全に熟睡モードに入っていた。
「おい嘘だろ!? 前衛の重戦士が接敵前に寝るってどんなバグだよ!」
「ご、ごめんなさい! フェイトさんのスキル『コイントス』は、裏が出ると強制的に体調不良になって寝込んじゃう呪いがあって……っ!」
泣きそうになりながら謝る少女。どうやら彼女の名前はアマネというらしい。
ツッコミが追いつかない。だが、休んでいる暇はなかった。
ズドバァアアアアンッ!!!
先ほどピラダイを倒した川の奥底から、水柱が十メートルほど噴き上がった。
血の匂いに惹きつけられたのだろう。現れたのは、先ほどの個体の倍——全長四メートルに迫る、小山のようなピラダイの主だった。
全身の鱗が赤黒く変色し、鋼鉄すら噛み砕きそうな巨大な顎から涎を垂らしている。
「ギシュルルルルウゥゥッ!!」
主の咆哮だけで、ビリビリと空気が震えた。
どう見てもレベルカンスト付近のボスキャラだ。寝ているフェイトは戦えない。アマネは後衛の神官。俺は初期装備のSE。
完全にパーティ()が崩壊している。
「あ、アマネさん!? 何か攻撃魔法とかないのか!」
「む、無理です! 私、回復魔法しか使えません! こうなったら……神様、お願いします! 日頃の皿洗いとドブ掃除で貯めた私の善行ポイント、今こそ使わせてください!」
アマネが両手を組んで祈ると、彼女の目の前にホログラムのような半透明の箱が浮かび上がった。
『ランダムボックス起動:100p消費します』
無機質なシステム音声と共に、箱の中からコロンと小さな赤い物体が飛び出してきた。
「や、やりました! 異界の神の遺産です! ……って、なんですかコレ!?」
アマネが絶望した顔で拾い上げたのは、手のひらサイズの小さなガラス瓶だった。
赤い液体が入っており、緑色のキャップがついている。ラベルには地球のアルファベットで『TABASCO』と書かれていた。
「タバスコ!? こんな時にガチャのハズレ枠引いてんじゃねえ!」
「だって100ポイントしか貯まってなかったんですもん! うぇぇぇん、食べられちゃいますぅ!」
巨大ピラダイが、地響きを立てながらこちらへ突進してくる。
俺の『鍵使い』は、直接相手に触れなければ発動しない。あんなダンプカーみたいな質量の化け物に正面から触れようとすれば、手が届く前にミンチにされる。
だが、俺の視線がアマネの握る「タバスコ」を捉えた瞬間、脳内でひとつのロジックが組み上がった。
「アマネ! それ貸せ!」
俺はアマネの手からタバスコの小瓶をひったくると、突進してくる巨大ピラダイの正面に立った。
相手は目を開いたまま、一直線に俺を食いちぎろうと大口を開けている。
その眼球——粘膜の塊に向かって、俺はタバスコの小瓶を全力でぶん投げた。
パリンッ!
小瓶は巨大ピラダイの顔面に直撃し、砕け散った。
強烈なカプサイシンの原液が、目とエラの粘膜にダイレクトにぶち撒けられる。
いくら異世界の魔獣でも、痛覚の仕様は同じはずだ。
「ギシャアアアアッ!? ギャガガガガッ!!」
巨大ピラダイは、激痛に目をひん剥いて狂乱した。
視界を奪われ、のたうち回る。だが、その巨体が持つ突進の運動エネルギー自体は止まらない。目を潰されたピラダイは、勢いそのままに俺の正面へと突っ込んできた。
「カナタさん、逃げてえええ!」
アマネの悲鳴が響く。
だが、今の俺にとって、目が見えず直進してくるだけの巨大な的など、与しやすいデバッグ作業に等しかった。
俺は半歩だけ前に出ると、迫り来るピラダイの硬い鼻先に、スラックスから取り出した『アパートの鍵』を押し当てた。
「システム・オーバーライド。対象の運動エネルギー——」
質量×速度。物理法則という名のシステムに介入する。
「——『ロック(一時停止)』」
ガチンッ。
強固な南京錠を掛けたような重い音が、空間に響いた。
その瞬間、時速六十キロで突進してきていた4メートルの巨体が、見えない壁に激突したかのように、俺の目の前一センチの距離でピタリと完全停止した。
「なっ……え!?」
アマネが目を丸くする。
運動のベクトルが固定され、空中に縫い付けられたピラダイ。
俺はそのまま鍵の先端を、停止しているピラダイの肉へと滑らせる。
これで、条件は満たした。
「仕上げだ。生体ナトリウムチャネル——」
俺は冷徹にコマンドを叩き込む。
「——『ロック解除』」
カチャリ。
二度目の、ありえない金属音。
「ごボ、ボボ、ボボボボボボッ!?」
細胞の鍵を全開にされた巨大ピラダイは、小刻みに痙攣したかと思うと、先ほどよりもさらに派手な爆発音を立てて内側から弾け飛んだ。
ドパーンッ!!
大量の白身魚のブロックが、雨のように降り注ぐ。
「……ふぅ。タスク完了だ」
俺はアパートの鍵をスラックスのポケットにしまい、肩の力を抜いた。
「す、すごいです……! 魔法の詠唱もなしに、あんな巨大な魔物を! 一体どんな大魔術を使ったんですか!?」
尊敬の眼差しで駆け寄ってくるアマネ。
その足元では、A級冒険者の剣士が「むにゃむにゃ……当たりが出たら本気出す……」と幸せそうに鼻提灯を膨らませていた。
俺は深々とため息をつき、異世界の空を見上げた。
「この世界のシステム、バグだらけじゃないか……」
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