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第9話 忍びの掟

第二章の始まりとなります。

 僕の名前は龍永。河崎に住んでいる小学校3年生の9歳。母子家庭で、お母さんは昼も夜もずっと働いている。夕ご飯の時に一度帰ってきてご飯を作り、一緒に食べてからまた仕事に戻っていく。普段は3歳年上のお姉ちゃん、一緒に暮らしているお爺ちゃん、おばあちゃんと暮らしている。女ばかりの家庭で、いつもお爺ちゃんと遊んでいる。遊ぶのは決まってサッカー。お爺ちゃんは足腰が弱いけど、いつも僕の相手をしてくれる。お母さんはいつもくだびれ、疲れ果てた顔をしている。だから、運動会や授業参観に来てと頼めないし、遊園地に連れてってとか、おもちゃ買ってなんてことも言えないでいる。お母さんに心配をかけたくない。困らせたくない。その気持ちは毎日持っている。いつも悲しい顔をしているお母さん。それでも優しいお母さん。毎日ご飯を作ってくれて一緒に食べながら、学校でのこと、友達のことを聞いてくれるお母さん。大好きだけど、僕はなんか心配しているんだ。いつか倒れてしまうんじゃないかと。


 それから1年後、お爺ちゃんが病気で倒れた。おばあちゃんも認知症が酷く、施設に入ってしまった。余計にお金が必要になったお母さんは必死で働いた。家族がバラバラになり、時間も取れず、お姉ちゃんが晩ご飯を作るようになった。


 お爺ちゃんの入院している病院へお見舞いに行った。小学校4年になった僕にお爺ちゃんが


「お前だけに話がある。きちんと聞いてくれ。」


と僕に話した。


「爺ちゃんはな、長野県から集団就職で河崎の鉄工所で働いた。その時産まれたのがお前のお母さんだ。爺ちゃんの先祖は戦国時代、真田家に仕えた忍び、今で言う忍者の末裔なんだ。いいか?龍永。男だったら大切な物を絶対守れ。誰にもバレないようにな。それが忍びの掟だ。手段は何でも構わない。これからはお前がお母さんやお姉ちゃんを守るんだ。爺ちゃんと男と男の約束だぞ。」


お爺ちゃんは小指を出し、僕と指切りげんまんした。それから3ヶ月後、お爺ちゃんは亡くなった。棺桶に入ったお爺ちゃんを見て、涙は出なかった。


「わかったよ爺ちゃん。俺、なんとかやってみるよ。」


まだ幼い龍永は一つだけ考えていた。


「お母さんを喜ばせたい。昔のように笑顔になって欲しい。」


 次の日からまたいつものように友達とサッカーをして遊んでいた。彼らは小学校にあるサッカー少年団に入っており、練習が始まるまで彼らとボールを蹴っていた。少年団の石森コーチが


「練習始めるぞー。」


と声をかけては、僕は帰ろうとしていた。その石森コーチが


「君も一緒にやろうよ。」


といつも誘ってくれている。習っている子達とほぼ互角だという事をコーチは知っていた。だけど僕は、


「お金ないし、サッカーやるとお母さんが泣くからいいです。」


と断っていた。


 週末の夕方、石森コーチが僕の家に来た。僕は部屋でボールを壁に当てて遊んでいた。その様子を見ながらコーチは母に言った。


「この子才能あると思うんです。月謝はいつでも構わないんで私に預けてもらえないでしょうか?」


母は、怒りにも悲しみにも見えそうな涙目で口調荒く僕に聞いた。


「あんたはどうなの?」


僕は小さな声で言った。


「俺、サッカーやりたい・・・です。」


母は深い溜め息をつき、


「・・・わかったわよ。よそさまに迷惑かけるんじゃないわよ。」


と、諦めたような感じで承諾してくれた。


僕のサッカー人生がようやく始まった。


 次の日、お母さんが仕事から帰ってくると、僕のスパイクとレガースを買って届けてくれた。お母さんに物ねだるのは初めてかも、と思いながら、龍永はそれを大事に使おうと決めた。


 ようやく地元のチームに入団した。同じクラスのたけしとみきおは


「やっと来たな!このやろー!」


と歓迎してくれた。練習は遅れて入団したためか、基礎練習ばかりだったが、それでも楽しかった。石森コーチからは


「君は今まで我流でやってきたんだろう。アウトサイドで蹴る変な癖が付いてる。まずはインサイドキック、パス、トラップの練習だ。その後ヘディングな。きちんと出来たら試合に出してやる。」


 僕は一生懸命練習した。眠る暇もないほど。だってサッカー楽しいじゃん。うちには何故か、サッカーのDVDが腐るほどある。龍永は、そこに映し出されている世界的名プレーヤーのプレーを毎日食い入るように見ては、表で1人真似をしていた。

 

 その内試合に出してもらった。交代でだけど。僕はその試合で3ゴールを決めた。石森コーチは興奮しながら龍永に言った。


「いきなりハットトリックじゃねーか!やっぱお前凄げーよ!これから毎日通いなさい。もっと練習すれば県選抜もプロも夢じゃねーぞ!」


ハットトリック?何それ?でも県選抜は理解できた。もっと上手くなりたい。もっと強くなりたい。その日から龍永は、片時もボールを離さなかった。風呂に入るときも、寝るときも、授業中に机の下ででもボールを触っていた。


 それから1年が経ち、小学校5年になった僕は、本当に県選抜に選ばれた。周りはほんとに上手い人ばかりで、僕が一番下手くそだったと思う。少年団の石森コーチも一緒に参加していた。僕はベンチメンバーで帯同していた。


 県選抜のメンバーはキーパーの本郷、ディフェンダーの富澤、荒木、サイドバックの篠と狩野、ボランチの福原と稲垣、ウィングの八乙女と千葉、トップ下の本間、ワントップの伊達。控えにキーパーの上遠野、ディフェンダーの森、半見、中盤の山寺、大友、山谷、フォワードに僕が呼ばれた。僕はベンチ要員だったが、試合開始直後からベンチでアップを始めていた。因みに彼らは皆、一学年年上の選手だけ。僕だけ年下の弟分だった。だが僕は決まって後半から呼ばれた。後半戦、試合が拮抗していると、


「出浦、出番だ。」


と呼ばれ、最低1点は取っていた。この辺りから身長が伸び始め、小学校6年では170cmをゆうに越えていた。6年に上がってからは、キャプテンに任命された。また、石森コーチの薦めで、河崎フロンタレスのU15チームのセレクションに参加していた。県選抜よりはるかに多い。参加人数はゆうに1000人以上いたと思う。結果は一発合格。そのことをお母さんに話した。すると、


「あっそう・・・」


いつものように素っ気ない返事が返ってきた。でもJリーグの下部組織に入れるなんて夢にも思わなかった。龍永は、


「恐らく県選抜のメンツよりはるかに上手い人が沢山いるだろう。でも俺だって絶対に負けられない理由があるんだよ!」


 龍永のプレースタイルは独特だ。誰にも負けないヘディング、長身のわりに変幻自在のドリブル、俊足、シュートの破壊力、飛び出し、裏抜けのタイミング、そして局面を打開する決定力。更にはレフティーでもある。そのプレーは、元日本代表の名選手、名古矢グランデスにいた「レフティーモンスター」こと小宮を彷彿とさせていた。


 龍永が河崎U15に内定をもらった後、石森コーチは河崎のクラブハウスを訪ねていた。龍永のプレー上の癖が未だに見え隠れし、基本が疎かになることを危惧し、U15の監督を務める横山氏に相談に来ていた。


「あの子はアウトサイドで蹴る癖が未だに治っていないんです。そちらでも、基本技術の練習を継続してもらえないでしょうか?あの子は才能の塊だと私は思っています。このまま腐らせたくないんです。どうかよろしくお願いします。」


そして、龍永の家庭の事情も話した。


「あの子のお母様は、彼がサッカーをやることに今でも反対しています。そちらのことについても一つよろしくお願いします。」


 石森コーチも、河崎のスタッフも、龍永を取り巻く環境はうすうす感づいてた。


「今は誰にも言わない方がいいですね。彼の口からきちんと話すまではお互いに黙秘しましょう。」


と、双方の意見が合致し、最後に石森コーチが深々と頭を下げ、横山監督と固い握手を交わし、クラブハウスをあとにした。


 龍永は試合こそ出るものの、全国大会を経験していない。今はただの地元で上手い選手。これからの努力次第でどこまでも行けるポテンシャルを持っていた。サッカーを始めて早3年。龍永のサッカー人生はまだ始まったばかりだ。


 一方その頃、日本代表は、地球の裏側でワールドカップを戦っていた。結果は0勝1分2敗。初戦のコートジボアール戦に逆転負けを喫し、2戦目は相手が退場になり数的有利となったギリシャとの試合はスコアレスドロー。そして3戦目のコロンビア戦は、完膚なきまで叩きのめされた。


 4年前のあの日から新生日本代表は、「ワールドカップで優勝する!」と豪語していた。その代表格が、前回エースとして君臨していた本街である。4年前のメンバーで残った本街をはじめ、サイドバックの秋葉と内野、キャプテン羽生、スーパーサブの奥山、敬助の後を継ぎ、ベルギーで大成功を収めたキーパーの川上、ベテランとなった元五輪金メダリストの佐久間と管野。そして中盤の重鎮、近藤。監督には、かつてASミラノを再興させた名称、ザックローナが就任し、アジアカップと最終予選を余裕で制し、万全に思えたかに見えたが、まさかのグループリーグ敗退。本街達の世代の考え方に、若手が、周囲が、監督までもが追いついていなかったのだ。


「あの日のことをもう忘れたのかよ!」


特に本街の苛立ちはメディアですらドン引きするほどの形相であった。日本代表は停滞期を迎えていたが、明るい話題もあった。本街を筆頭にこの世代から、海外への移籍選手が圧倒的に増加していた。唯一、センターバックだけが世界に追いついていなかった。攻撃陣やサイドバックは、今までにないほど続々と海外に進出した。そして、サッカーの母国で行われた五輪では、メダルは取れなかったがベスト4まで勝ち進んだ。


 龍永はそれらの試合を家で見ていた。家族が皆寝ている中で、テレビにイヤホンを付け、こっそり観ていた。そして思った。


「俺がいつか日本代表に選ばれて五輪にもワールドカップに出る。そしてたくさん点を取ってお母さんを喜ばせるんだ。」


隣の部屋でくたびれて眠っている母を見ながら、龍永は祖父の教え通り静かに、誰にもバレずに闘志を燃やしていた。


 ここで、龍永の先祖について簡単に紹介する。先祖の名は出浦 盛清。戦国時代、はじめは信濃の村上氏に付いていたが、武田軍に敗れたのを機に、武田側に付く。そこで、武田家の家臣だった真田家と出会う。武田家の滅亡後は織田信長の家臣、森 長可に付くが、本能寺の変後は真田家に仕えることとなった。彼は甲州透破、現代でいうところの忍者の頭領であった。一説には、有名な真田十勇士の内数名を弟子にしていた時期もあったという。関ヶ原の戦い以降は隠遁し、東軍に加わった真田 信之の元で晩年を過ごし、子孫は明治時代まで受け継いだ。龍永の祖父は、前述にも書かれたとおり、集団就職で河崎の町に出稼ぎにきていた末裔である。


 そして龍永にも、その忍びの血が流れている。彼は後に、「静かなヒットマン」と異名を持つストライカーに育っていくことになる。


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