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第8話 ブブゼラとジャブラニの音が鳴るアフリカの夕暮れ

「ジャブラニ」今大会のワールドカップ公式球。高地での開催のために新たに作られたサッカーボール。蹴りづらく、滑りやすい。出場国はこのボールの扱いに苦戦していた。日本も同様だった。


「フリーキックが蹴りづらい。」

「ボールが滑る。」

「いつものボールよりキックすると伸びやすい」


この「ジャブラニ」と大神 敬助。この2つが後の日本サッカー界を大きく揺るがす事になる。


 日本代表は初戦をカメルーン、2戦目をオランダ、3戦目をデンマークと戦う抽選となっていた。いずれも過去ベスト8に進んだ強豪国だ。大会前に親善試合を行った。相手はコートジボワール、イングランド。仮想カメルーン、欧州といったところか。試合は勝てはしなかったものの、悪くもなく、「勝ちきれない」試合だった。


「守りが盤石でも、点が取れずに終盤に失点する」いつもの日本だった。ここで小久保監督が大改革をする。キャプテンを日高から若手の羽生に変更。中盤はアンカーにジェッツや五輪で共に戦った相澤を置き、横並びにオフェンスが4枚。右から松原、近藤、羽生、佐久間。近藤以外は五輪で金メダルを獲ったメンツだ。1トップに本来ゲームメーカーの若手、次世代の五輪メンバー本街を起用。本街は本来、新村や奥寺と同タイプだが、色々と違いがある。ボールキープ、ドリブル、パス、フリーキック等被る部分は多いが、本街には別の武器もある。そこから更に


「長身で、首の太さからヘディングが出来る。」


「トラップが正確で前線でボールをためられる。」


何より


「強烈な闘争本能。」


は敬助を凌ぐものを持っており、フォワードとして起用することに特に違和感はなかった。その代わり、奥寺、岩本、竹原、新村などの黄金世代はベンチに控えていつでも準備していた。彼らは前回大会の悔しさを知っている。試合には出たいが、日本が上に行くには自分達のベンチワークこそ必要なのではないか?とそれぞれ思っていた。誰が試合に出るかではなく、選ばれた以上は


「俺達が全員が日本代表だ。」


というスタンスを取っていた。この姿勢は後に、本街や羽生の世代に繋がっていく。


 ワールドカップ本大会。敬助にとって最初のワールドカップが始まった。初戦はアフリカの「不屈のライオン」カメルーン。敬助は妻と2人の子供、弟、妹も観戦に来ていた。父は病気で療養中で来れなかった。妹は、敬助や自分達が幼い頃に亡くした母の遺影を持参していた。敬助は父子家庭で育った。サッカーで生計を立て、双子の弟と妹の大学の費用も出していたのだ。そんな敬助に家族は期待を膨らませていた。先発はキーパーに敬助、ディフェンダーに右から櫛野、高橋ケンペス、日高、期待の新人秋葉、アンカーに相澤、その前に右から松原、キャプテンに任命された羽生、ベテランの近藤、五輪金メダリストのエース佐久間、1トップに本街。土壇場で世代交代が図られた。


 試合のホイッスルが鳴った。日本は序盤押されているが、敬助の見事なファインセーブが連発。自分より大柄なカメルーンの選手を鋭い爪でねじ伏せる。遠目から無回転シュートが飛んでくるも、敬助がダイビング、触ってコーナーキック。日本は敬助を中心に耐えに耐えた。


 そして前半39分、遂にチャンスが訪れた。カメルーンのシュートを敬助がキャッチ。すぐさま右サイドの松原へロングスロー。ボールが伸びるこの地形で、敬助のこだわったロングスローが活きた。敵陣右サイド深くでこのボールをもらった松原が仕掛け、1人交わす。寄せに来た2人のディフェンダーの間を抜けたセンタリングを、期待の新星本街がゴール前でトラップからのシュート。日本が待望の先制点が生まれた。松原はフランス、本街はオランダ、そして敬助はイタリアでプレーしている。この欧州トリオで点を取った。その後も一進一退の攻防が続く。

 

 後半に入ると日本は交代カードを切り始める。19分に次世代五輪のエース奥山が松原と交代、小柄だが馬力があり、何より走れるこのフォワードは、逆サイドの佐久間と似たようなものがあり、攻撃を活性化させた。それでも決めきれず、スコアは動かない。


 すると後半32分、佐久間と羽生に代えて、奥寺と岩本を投入。彼らはU17日本代表からのコンビである。この試合では奥寺のオプションを使い、岩本の縦の突破にかけた。が、スコアは変わらず、1-0で勝利。日本はワールドカップ別大陸開催での初勝利。敬助にとってワールドカップ最初の勝利だった。なんとか勝ちを手にした日本代表。そして敬助と日本代表は次戦のオランダ戦で、ワールドカップ史上最悪の悲劇を見ることになる。


 試合後のインタビューに無失点に抑えた敬助が呼ばれた。得点の起点になったロングスローのことを聞かれた。


「いつもより遠くへ届くような気がしたので投げました。もし蹴っていたら相手ゴールラインを割っていたと思います。」


と淡々と話した。勝ったとはいえスコアは1-0の辛勝。まったく満足などしていなかった。次の相手はオランダ。アルクマール時代の顔見知りの選手も何人か選ばれている。


「次は絶対勝ちます!」


笑うこともなく静かに締めくくった。その辺は五輪の時から変わっていない。敬助は勝ちに飢えた狼なのだから。


 キャンプ地に戻り、一休みしてから軽いトレーニング、クールダウン。高地とアフリカ特有の酷暑で疲労回復に務めていた。その後、敬助や奥寺、そして現在オランダリーグで戦っている本街を中心に、オランダ戦に向けてミーティングを行った。オランダはとにかく高さがあり、身体も強い。そして機動力がある。だが、この環境に慣れていない。ゲームは中盤3人で作り、鋭いサイド攻撃が鋭角に襲ってくる。だが、センターフォワードは高さはあるが、本来はサイドの選手。往年のストライカーとは違う。中に放り込んでくるのは敬助が処理し、突破してくるものはディフェンダーが抑える。そして、サイドの攻防が鍵となることが確認された。最後に敬助が締めた。


「出来ない、やれないじゃない。やるんだ!やらなきゃいけないんだ!俺達はそのためにここに来た。誰が相手だろうと全力出して勝とう。」


チームの士気はボルテージに達した。


 そして5日後、オランダ戦。先発はカメルーン戦と代わらず。この試合のホイッスルが吹かれる前に、これから始まる悲劇を想像する者は誰もいなかっただろう。ホイッスルが鳴った。日本は立ち上がりから相手のサイド攻撃をよく防いでいた。早速櫛野がピッチで治療を受ける。オランダのフリーキックがゴールバーを越す。日本はブロックを作り中を固める。


「大神ゾーンが使えない。」


敬助は苛立っていた。更に日高が、高橋ケンペスが潰される。日本も負けじとオーバーラップした秋葉がミドルシュートも枠を外れる。左から佐久間と秋葉が、右から松原と櫛野が果敢に切り崩す。じわじわとオランダゴールに迫っていく。近藤のフリーキックから本街のヘディング、松原のボレー、本街のロングフリーキックも不発。前半終了間際、相手の右ウィング、ファン・デル・ホルストのロングシュートが日本ゴールを襲うが、敬助ががっちりキャッチ。ここが前半終了までの好機だ。と敬助は咄嗟に判断。素早くロングスローを投げると、伸びすぎてしまい、右サイドを駆け上がった櫛野に届かずここで前半終了のホイッスル。日本は徐々に押し気味になってきた。チャンスは後半。と、誰もが思っていたが・・・・


 そして、運命の後半戦が始まった。立ち上がりからオランダの猛攻を身体を張ってブロックする。シュナイダーのシュートを、ファン・ペルツのヘッドを、オランダの左右からの攻撃を、敬助も、日高も、高橋ケンペスも身体を張って防いだ。後半立ち上がりから防戦一方。そして、運命の瞬間が訪れる・・・・


 後半7分、日本ゴール前は混戦。オランダの猛攻を凌ごうと、敵味方が入り乱れていた。右サイドからのクロスを高橋ケンペスがクリア、こぼれ球を拾われペナルティエリア外に一旦戻される。ここに待ち構えていたオランダの司令塔、シュナイダーのロングシュート。ゴール右に飛んだシュートを敬助がスーパーファインセーブ。がっちりキャッチした瞬間に悲劇が生まれた。そこに詰めていたオランダフォワード、ファン・ペルツと交錯。両腕は胸元に移動していたため、右ゴールポストに頭部を強打。スタジアムに鈍い音が響き渡る。


「ガゴーーーーーーーーーーーーーン!・・・」


 敬助は、ボールをキャッチしたまま起き上がらない。意識がないので一旦ピッチ外に出される。それでも敬助はボールを離さない。AEDを使用したいが、ボールを離さないので使えずにいた。キーパーの負傷により試合は長い間中断された。日本のチームドクターがすぐさま駆けつけ、即座に✕のサインを出した。数分後、救急車がピッチに現れた。日本、オランダ、両陣営共困惑していた。それでも鳴り止まない敬助のチャント「GWD」


「守れー!防げー!止めろー!敬助ー!」


日本サポーターは敬助は必ず立つと信じて歌い続けた。敬助と共にアルクマールでプレーしていたマテイセンは、ピッチ上で呆然と立ち尽くし、ベンチにいたデゼーブとシュバールツは心配そうな顔をしていた。


 敬助がピッチを去り、交代で4大会連続出場のベテラン清雲がピッチに入った。日本のゴールキックで試合再開。が、再び同じような角度でシュナイダーがシュート。清雲がファンブルし、これが決まり0-1のされてしまった。日本の誰もが「やられた」と思った。


 ここから日本に火が付いた。左サイドの佐久間や秋葉が、フリーキックを近藤が狙う。日高も高橋ケンペスも果敢にオーバーラップする。後半20分交代カードも切る。今日は10番新村の出番だ。新村なら直接狙える。本街のポストプレー、佐久間のミドルシュート、新村のキラーパス、日高のオーバーラップからのヘディングがオランダゴールを急襲する。後半30分に奥山を投入。勝負に出る。ここで、日本の選手数名にある言葉がよぎった。


「あと3点」


後半失点してからはほぼ日本の怒濤の攻撃。しかし後半30分過ぎからカウンターを食らう。しかし、代わって入ったキーパー清雲がビッグセーブを連発。敬助の思いを継いだベテラン清雲は、まるで鬼神のようなオーラを放っていた。敬助が狼なら、清雲は虎のような強さを持っていた。


 しかし、時間は刻々と過ぎていく。高橋ケンペスのパワープレーも、奥山のボレーシュートも、オーバーラップした秋葉の突破も弾き返されてしまった。ロスタイム6分を過ぎたところでタイムアップ。日本は勝ち点と共に、絶対的守護神までをも失ってしまった。


 時間を少し遡る。敬助は救急車で近くの病院に運ばれる。スタジアムに観戦に来ていた妻と2人の子供、弟と妹をJFAの役員は探し回っていた。日本がオランダに猛攻を仕掛ける中、家族を発見。直ぐに大会の車で搬送先の病院へ向かった。病院に着くと医師は立ち尽くしている。搬送中に意識がなくなり、敬助の死亡が確認された。妻と娘、妹は泣き崩れ、弟は呆然と立って固まっていた。その時、敬助の腕からキャッチしたボール「ジャブラニ」が、息子の足下へ点々と転がってきた。息子はその「ジャブラニ」を病院の壁に当て、無言で蹴っていた。日本が敗北したという知らせをJFAの役員に伝わったが、残された親族には言えなかった。


 時間が経つと、オランダに負け、次戦に備えるはずの日本代表が病院に到着した。ある者は泣き崩れ、号泣し、ある者は拳を強く握り、悲しみをこらえていた。その中の誰かがぼそっと口に出してしまった。


「サッカーで死んじゃうんだ・・・・・」


死因は急性硬膜外血腫。


日本の守護神、大神 敬助 永眠 享年32歳


 もう夕方になっていた。息子は皆が悲しみに暮れる中、何が起きているかもわからずひたすらボールを病院の壁に当てて遊んでいた。泣くことも笑うこともなく・・・


 アフリカ最南端の地で、ブブゼラの音と息子が蹴っている「ジャブラニ」が壁に当たる音だけが延々と続いていた。その2つの音がたまらなく切なく響いていた。


 宿舎に帰った日本代表。想いは1つ。


「勝つ!」


理屈なんかもはやどうでもいい。


「3点取って勝つ!」


五輪金メダルメンバーを中心に気合いを入れ直した。


「ガミさんはサッカーに命をかけた。命をかけて守ってくれた。残された俺達が何もしないで終わってたまっかよ!」


キャプテンの羽生を中心に、相澤、高橋ケンペス、佐久間、松原、若手の本街、秋葉からベテランの日高、新村、奥寺までも声を張り上げた。そうでもしないと悲しみに押しつぶされてしまうという本能的な物だった。


更に小久保監督までもが、


「今から弱気なことを言った奴は代表から出てって貰う。」


とまで言った。どちらにしても、もう勝つ事でしか生き残れない。日本代表が「覚悟」を持った瞬間だった。そして「3点取る」という発言は、次戦で実現する。


 次戦デンマーク戦、試合前に敬助に対して1分間の黙祷が行われた。ワールドカップ史上初、試合中での事故死。この一報は世界中に発信され、多くの人々が悲しんだ。


 そして試合のスタメンは、敬助の所に彼と同じ五輪でベンチを温めていた川上。彼はこの大会後にベルギーへ渡り、その後10年に渡り、日本の守護神となる。他のメンバーは代わらず。だが、明らかに日本の蒼い11人の狼たちがデンマークを睨みつけていた。


 立ち上がりから日本の怒濤の攻撃に、デンマーク守備陣は壁になるしかなかった。前半17分と31分、本街と近藤がフリーキックでそれぞれ得点する。日本はサイドから、後方から、2列目から果敢に獲物に食らいついていく。まるで「ニホンオオカミ」と呼ばれていた敬助が11人いるようだった。後半81分に失点するが、すぐさま87分に若手の奥山が決勝ゴール。3-1。日本代表は快心の白星を挙げた。


「あと3点。ガミさん、あんたの言ってきたことがようやくわかったよ。」


 しかし、サッカーは甘くなかった。決勝トーナメント1回戦、パラグアイ戦。一進一退のままスコアレスドロー。延長でも決着が付かずPK戦へ突入。3人目の櫛野がゴールバーを叩き、パラグアイが5人決めて日本は敗退。代わって入った川上はよく守った。


 川上はこれからも日本ゴールを守り続ける存在となる。エースの頭角を現した本街は、ロシアからイタリアへ移籍し、エースとなる。また、サイドバックの秋葉もイタリアへ渡り、クラブと代表を長年プレーし続ける。奥山はイングランドで弱小チームを132年目にしての初優勝の立役者となる。日本の狼たちの戦いはこれからも続いていく。そしてこの話から10数年後、新たな狼が彼らの日本代表の元へ現れる事になる。


 一方日本では、敬助の告別式が執り行われていた。代表の背番号「21」番のユニフォームを妻が入れようとしたが見つからない。火葬まで時間がなく、フィレンターナとアルクマール、そしてジェッツのユニフォームを代わりに入れた。子供達は火葬に連れて行かないとの大神家の方針で、娘と息子は立ち会わなかった。棺桶に入って眠っているような敬助を見て、娘はまた泣いてしまった。だが息子は、「?」という顔で眺めていた。霊柩車が来たとき、息子は父が落としたボールを今度は表の壁に当てて遊んでいる。泣くことも笑うこともなくひたすら無言で、夢中で淡々と蹴っていた。


ニホンオオカミ第一章の完結になります。

次回からは第二章となります。

話はだんだんと繋がっていくのでご了承下さい。

因みに敬助の名前は新撰組総長 山南敬助から拝借しました。

敬助同様志半ばで散った隊士です。

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