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第7話 俺の居場所

 オフシーズン、次期日本代表監督に、ジェッツの監督でもあり、敬助の恩師でもあるハキムが電撃就任。敬助も代表候補に返り咲いたが、ハキム監督が


「海外の選手は今は所属チームを優先するように。」


との一報が入り、オフシーズンでの練習には参加したものの、試合には招集されなかった。ハキム監督に尋ねると、


「お前は日本の切り札だ。ハナからジョーカーを出す馬鹿はいないだろう?」


いつものハキム監督らしい言葉。来シーズンにはアルクマールとの契約が満了し、今度はイタリアリーグ、フィレンターナへの移籍が決まっていた。昨シーズンまで日本のエース、佐々木が在籍していたが、彼はワールドカップ後に引退してもういない。代わりに、五輪でしのぎを削ったイタリア代表フォワード、ジラルディーニが加入していた。

 

 イタリアリーグ、フィレンターナ。5年前、財政難のために破綻し、イタリアC1リーグに落とされてから僅か3年でカムバック。ここから新しい戦いの幕を開ける。 


 フィレンターナでのシーズンが始まった。リーグ戦、カップ戦。UEFAカップ。アルクマールと同じだ。敬助は、すぐさまレギュラーを確保。プランデッラ監督率いる攻撃的なチームは、得点を次々と叩き出し、勝ち点を奪っていった。敬助自身も、6試合無得点と、ジェッツ時代と変わらない成績を収め、フィレンターナは優勝争いとUEFAカップに身を投じていく。敬助の「大神ゾーン」は、カテナチオを誇るイタリアでも健在だ。かつて日本と五輪で戦い、現在はチームメイトになったジラルディーニは語る。


「彼がいれば完全に攻撃に専念出来る。五輪の時もそうだが、彼の足下の技術、守備範囲の広さ、そして素早く飛距離の長いロングスローはとても心強いよ。」


 前線にはジラルディーニ、ルーマニア代表ルトゥ、中盤は五輪で一緒だった松原や山口によく似たタイプのモンテリボ、セミニョーリ、アルゼンチンのウィンガー、モンターナ、ブラジルのボランチ、メーニョ、ディフェンダーにキャプテン、ダイナーリ、パスカル、デンマークのクロルドルッペ、チリのバルゴスと、豪華なメンバー。そしてイタリア独自のパスワーク。人ではなくスペースにパスを出し、そこに走り込むサッカーに敬助も後方からよく支えた。このチームではキーパーにバックパスを貰うことも多々ある。そんな時に敬助は自らドリブルして上がり、ビルドアップに加わった。自らの成長と充実感に満ち、終わってみればリーグ戦4位、UEFAカップ準優勝と結果を残した。リーグ戦での失点は、全チーム中最少失点で、月間ベストイレブンにも選ばれている。


そしてオフシーズン。敬助はアジアカップ日本代表に選出される。


 アジアカップ200×。前回大会優勝の日本は、連覇にかけて燃えていた。新たなキャプテン、日高を筆頭に、日本の10番、「和製マラドーナ」こと新村、黄金世代の奥寺、竹原、岩本、近藤に、ワールドカップの残留組田中、ジェッツのエースとなった城、ブラジルからの帰化選手サントス阿道に、五輪を共に戦ったメンバーを加え、ジェッツの所属メンバー、若手の原、加藤、江尻、金子、金沢、公文といった懐かしいメンバーも選ばれていた。


 初戦のカタール、2戦目のUAE、3戦目のベトナムと、ハキム監督の流動的なサッカーが火を吹いた。敬助も3試合連続無失点と好調だった。前には五輪で共に金メダルを獲った高橋ケンペスと代表で仲の良いキャプテンの日高。鉄壁なディフェンスと共に、彼ら2人はオーバーラップで点を取る。2人のカバーも五輪で一緒だった林と相澤が入ってくれる。あとはフォワードが点を取ってくれればという問題だった。中盤の王様は新村1人に任せて、奥寺、岩本は切り札として投入された。


 こうしてグループリーグを突破した日本代表。準々決勝は、先のワールドカップで日本を谷底に突き落としたオーストラリア。アジアに居を移した彼らとは1年前の雪辱戦。スコアレスドローのまま延長でも決着が付かず、PK戦へ。五輪の韓国戦と同じシチュエーション。ハキム監督はいつも通りロッカールームに引き上げてしまうが、やることは同じ。全部止めればいい。が、そう甘くなかった。敬助といえどPKを決められてしまう。1人目のキューレル、2人目のネイルは止めたが、他の3人には決められてしまった。日本はストライカーの竹原が外し、他は全員決め準決勝進出。


 準決勝はサウジアラビアだった。ここで敬助は日本代表を崩壊させてしまった。前半30分、ペナルティエリア外で相手フォワードを倒し一発退場。10人となった日本は、点の奪い合いにこそなったが、結局決勝点を決められ敗退。3位決定戦もスコアレスドローのままPK戦へ。同じ事は2度も続かず4位でフィニッシュ。敬助は後悔の気持ちでいっぱいになり、みんなの前で涙で謝罪した。


「本当にすまなかった。」


するとチームメイトは、


「お前1人のせいじゃねー。俺達だって点取れなかったんだ。ワールドカップ予選でまた頑張ろうぜ。」


更に同年末、ハキム監督が急病で辞任。後任は、日本初のワールドカップ出場へと導いた名将、小久保監督が就任した。

 

 失意のままイタリアへ帰る。家族とつかの間の休息をとり、迎える新シーズン、フィレンターナは今季リーグ戦、カップ戦の他に、チャンピオンズリーグに参戦が決まっていた。敬助にとって初めてのヨーロッパの強豪同士の戦いに気持ちを切り替えわくわくしていた。


 ワールドカップアジア最終予選の初戦は、クラブ事情により出場不可、その分、欧州の試合に専念することになるが、ここで事件が起こる。チャンピオンズリーグ第2戦、ステアール・ブカレスト戦の後半終了間際、ハイボールの処理から相手フォワードと交錯。負傷退場した。そのまま病院へ運ばれる。右脚ハムストリング、半月板の損傷に加え、慢性的なヘルニアが併発した。全治は最低でも半年以上かかる。敬助の周囲に悪魔のような何かが覆い被さっていった。


 一時帰国し、手術。日本でリハビリが始まった。フィレンターナはチャンピオンズリーグで勝ち星に恵まれず、グループステージ3位でUEFAカップに回り、日本代表は、監督交代直後の影響からチーム編成をやり直していたためか、なかなか勝ち越せず、苦戦が続いていた。日本でのリハビリでは、ジェッツの元チームメイト、元五輪のチームメイト、そして、アジアカップを共に戦った選手達が、毎日のように見舞いに来てくれた。現代表キャプテンの長身ディフェンダー日高、10番の「和製マラドーナ」新村、ストライカーの竹原、中盤のクラッシャー岩本、Jリーグ時代、敬助が最も手こずった「曲者」近藤、高橋ケンペス同様ブラジルからの帰化選手サントス阿道、そして「天才」奥寺。敬助の新たな仲間達だ。彼らが見舞いに来るたびに、サッカーや代表について話が絶えなかった。技術、戦術、スピード、得点、ゴール、メンタリティ、欧州サッカーはどんな感じ?等々。そして最後に皆がこの言葉にたどり着き、行き詰まってしまう。


「日本代表はどうやったらワールドカップで優勝出来んだろう?」


 日本の病院を退院し、年明けにリハビリの場をイタリアへ移した。毎日ドクターとフィジカルトレーナーと相談しながら続けていく。まだ完治はしていないが、このまま行けばあと一ヶ月で出来るだろう。敬助のサッカー人生でここまで離脱した事はない。ボールに触りたくてうずうずしていた。この休息期間を家族と過ごすことになる。3歳になった息子にサッカーボールをプレゼントし、遊んでいた。息子が小さな足でシュートする。敬助は息子を喜ばせるためにわざとゴールを決められる。2人で過ごした大切な時間。そして、妻と娘と過ごした最高の時間。リハビリも順調に進み、2月中旬には復帰が決まった。復帰戦には親子3人が応援に来ていた。危ないフーリガン達に囲まれながらも、紫色のマフラーを振り回し、声援を送ってくれた。復帰戦に勝利し、その後2試合を消化したところで、JFAから一本の電話が入る。


「日本代表がピンチなんだ。来てくれないか?」


その一報ですぐさま代表に合流した。お通夜のような重い雰囲気の中迎えたホームのバーレーン戦、敬助は代表復帰した。結果はエース新村のゴールで1-0。敬助は復帰後もブランクの微塵も感じさせないほどの圧倒的な存在感でチームを鼓舞した。


 イタリアに戻り、リーグ戦再開。敬助の復帰と共にチームは復調し、昨季と同じ4位でフィニッシュ。再び日本代表へ戻り、アウェイのウズベキスタン戦、ホームのカタール戦、最終節のオーストラリア戦を無失点で抑え、本大会出場を決める。オーストラリア戦の後、敬助はしみじみ感じていた。


「やっと戻れた。俺の居場所に。長かったなあ。」


日本に帰国後、記者会見の席、小久保新監督が開口一番、


「こんな戦い方じゃまだ勝てない。実際に勝てていない。この予選はラッキーが続いたようなものだ。この悔しさを教訓にワールドカップまで過ごしていきたい。」


まさにその通りだった。誰が悪いとかの問題ではない。何で勝てないのか、課題をもろに突きつけられた予選だった。


 現地で解散し、新たなシーズンが始まった。ヨーロッパチャンピオンズリーグ初戦、相手は前回敗れた因縁の相手、フランスのリオン。結果はスコアレスドロー。雪辱は果たせなかったが、続くイングランドの名門FCリバーサイドとの2連戦を制し、次戦のハンガリーのデブリッチェにも連勝。しかし、敬助のパフォーマンスは明らかに落ちていた。


 次は3度フランスのリオン。この日の敬助は燃えていた。野生に帰ったかのような狼のように。ペナルティエリア外を積極的に飛び出し、ボックス内ではボールに食らいつき、リオンの攻撃陣を完全にシャットアウト。虎の子の1点を守り切り、辛くも勝利。決勝トーナメントに進んだ。


 決勝トーナメント1回戦はドイツの名門バイエリン。初戦を落とすが、2戦目でリベンジ。アウェイゴールの差で2回戦に進めなかった。


「これなんだよ!日本が勝てないのは!」


トーナメントに入ると失速してしまう、現日本代表と同じような感覚だった。一方、リーグ戦は試合数増加の燃料切れで、中位から残留争いに巻き込まれ、辛くも残留。課題の残るシーズンとなった。


「ニホンオオカミ」この愛称は日本だけでなく、世界中に広まっていった。


鍛え抜かれた後ろ脚で高くジャンプし、鋭い爪でボールをかっさらい、相手フォワードに牙を剥き、雄叫びのような威圧感で敵を威嚇する。そしてなんと言っても、キーパーでありながらピッチ上を縦横無尽に駆け回り、脚や身体で攻撃の芽を摘む。まるで獲物を狙う狼のような危なさに、列強の猛者達は恐れを成していた。日本の狼が世界の荒野へ走り出す。


そして舞台は、大神 敬助こと「ニホンオオカミ」の最終章へと進む。

それは、日本サッカーはおろか、ワールドカップ史上最悪の結末になる。


敬助の所属チームのモデルはジェフ千葉、エールディビジのAZアルクマール、セリエAのフィオレンティーナです。因みに敬助のモデルはパラグアイ代表ホセ・ルイス・チラベルト他数名の日本人GKを混ぜています。

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