第18話 本当のスタートライン
「やっと戻ってきた。」
決勝トーナメント2回戦、クロアチア戦、ブラジルを撃破し、世界を震わせた日本代表。だが歓喜の影に、4年前の痛みが静かに蘇る。PK戦で散ったあの夜。涙を流した先輩達。テレビ越しに見ていたあの日の龍永。そして今、龍永は日本のエースとしてピッチに立つ。
クロアチア。4年前、日本の夢を断ち切った相手。中盤の魔術師ムドリッチ、鉄壁の守備陣の筆頭グバルディオラ、そして執念のサッカー。下馬評はこれまで日本の1分け2敗。だが今回は違う。日本には、かつてない程の団結力がある。日本には世界を驚かせたブラジル戦ハットトリックのエースがいる。仲間たちも覚悟を決めた。
「4年前の続きを終わらせる」
「ここで歴史を変える」
因縁を断ち切るのは過去ではない。未来を掴む、この一戦だ。
クロアチア戦の前日。ミーティングルームで、龍永は仲間と静かに話し合っていた。クロアチアの長身ディフェンダー、グバルディオラは屈強である。ではどうやってマークを外すか。龍永は言った。
「空中戦はやる。でも1回だけ、地上戦を混ぜたい。」
仲間たちは驚く。
「グラウンダー? あの長身ディフェンダー相手に?」
龍永は頷いた。
「そうです。 動き回って消えるんじゃない。相手の目の前で消える。 それをやりたい。ブラジル戦みたいなすり抜けるような抜け方と違う形で。」
龍永が考えたのは、長身ディフェンダーの弱点を突く重心差の戦い方。長身ディフェンダーは上からのボールには強いが、低いボールに対しては重心移動が遅い。さらに、視界の中で急に高さを変えられると反応できない。龍永はそこを突いた。
「俺がジャンプすると思わせて、一瞬で重心を落とす。 相手の視界から消える。沈んだダイビングヘッドでゴールかポストを狙わせてほしい。」
龍永は初めて自分からチームに戦術を提案したが、オフェンス陣は理解した。
「じゃあ、クロスは全部ハイボールで行く。 その中の1回だけ、グラウンダーを入れよう。」
これがたった1度の仕掛けだった。龍永は静かに言う。
「4年前の復讐じゃない。 勝って前に進むための試合だ。」
スタジアムに響く重い空気。ブラジルを倒した日本に、世界は期待を寄せる。そして今、日本は本当のスタートラインに立ちクロアチアと向き合う。
前半立ち上がりからクロアチアは序盤から日本の勢いを消しに来た。中盤の圧、身体にものを言わせぶつかる守備、経験値の高い試合運び、そして勝負強さ。日本はボールを持てるが、決定機までは持ち込ませてもらえない。龍永には常にマークが2人、時には3人が寄せてくる。だが龍永は焦らない。
「ブラジルよりはるかに重い。でも、崩せない相手じゃない。」
攻撃時に高いセンタリング、ハイボールのエアバトルを再三繰り広げる。前半30分。日本は左サイドの三浦からテンポよくつなぐ。三浦が縦へ突破し、トップ下水野がワンタッチで落とす。龍永が中央へ流れる。クロアチアディフェンダーが釣られた瞬間、逆サイドへ大きな展開。右サイド越後がシュート。だがゴールキーパーリブコビッチが弾く。惜しい。だが日本は崩せると確信した。
前半終了間際。クロアチアのムドリッチが一瞬の隙を突く。針の穴を通すようなスルーパスが日本ディフェンダーの背後へ、ここでディフェンダー阪倉と池田が重なってしまい、クロアチアのフォワードブラシッチが冷静に流し込む。0-1。スタジアムが揺れた。だが日本は下を向かない。龍永は静かにボールを拾い、仲間に声をかける。
「あと3点。 ここからだ。」
ハーフタイムのロッカールーム、しばらく誰も口を開かず静かだった、だが、冷静だった。5分ほど経って選手達が意見を出し、保坂監督がシステムを微調整する。トップ下2名が少し下がる。龍永は自分で自由に動けるスペースを作る。両サイドは高い位置を取る。前線でのハイプレスの強度を更に激しく上げる。保坂監督が声をあげた。
「4年前とは逆の展開だ!こっちに必ず勝機が訪れる。気を抜くな!点を追う方が有利なんだ!必ず勝とう!」
そして、後半が始まった。日本のハイプレスがはまり、クロアチアは守備に人数をかけ始める。徐々に前に出る日本のオフェンス陣。跳ね返し粘るクロアチアディフェンス陣。いつの間にか日本は、前半と真逆の展開を繰り広げていった。ボールポゼッションは圧倒的に日本が占めていた。そして、日本の狙いがはまった。
後半20分。日本が中盤でボールを奪い、左サイドへ展開。クロアチアディフェンダー、この日龍永をマンマークしていたグバルディオラは、龍永がジャンプして競る準備をしていた。だが龍永は跳ばなかった。むしろ、一瞬で重心を落とし、相手の膝の高さまで沈んだ。グバルディオラは完全に反応が遅れた。目の前から龍永が消える。龍永のフェイントが効いた。ボールは低い弾道でニアサイドの龍永へ届く。グバルディオラは上体が浮いたまま動けない。龍永はその一瞬で前に跳び、ダイビングヘッドで後方のゴール前へ大きく反らす。そこに走り込んでいたボランチの森崎がシュート。ゴール右隅へ突き刺さる。1-1。クロアチアのディフェンス陣はしばらく呆然としていた。
「そんな馬鹿な!」
グバルディオラは天を仰いだ。目の前にいたはずの龍永が消えたように見えた。
(あの低いボールをダイビングヘッドで後ろに反らしただと?)
気づいた時にはボールがネットに刺さっていた。実況もこの連係に混乱していた。だが日本ベンチは理解していた。あの1回だけの仕掛けが成功したと。
リプレー映像が出された。中盤でボールを奪った日本は素早く左へ。三浦から 龍永へショートパス。龍永はグバルディオラを背負いながら一瞬力を抜き身体を前方へ沈める。一瞬の隙を作られ、後方にいる味方を信じる。後方には森崎の他、水野、越後、工藤も詰めていた。いち早く反応した森崎のシュートがゴール右隅へ突き刺さっていた。スタジアムが爆発した。龍永は叫ばない。ただ拳を握り、仲間の元へ走る。このゴールは、龍永がただのフィジカル型ストライカーではなく、世界レベルの駆け引きができるエースであることを証明した瞬間だった。この同点弾。龍永は互いに長身同士のバトルをどうやって制するか。前日のミーティングでの出来事がこのゴールに繋がった。センタリングでのエアバトルを捨て、たった1回のみ横からのグラウンダーを要求。それが、敵の長身ディフェンス陣の裏をつき、その長身ディフェンダーの目の前で自らが消えるかのごとく重心を低く落とし、意表を突く作戦。動き回って消えるより、相手の目の前で消える事を考え出した。そしてその意見をチームメイトが実現させてくれた。だが、ここからが本当の勝負。もうこの手は使えない。しかし、とっくに覚悟は出来ている。龍永は静かに呟く。
「4年前の続きを終わらせるために、俺達日本はここまで来たんだ。」
その後、後半は一進一退の攻防となった。クロアチアは粘る。日本も攻め続ける。日本は3人の交代カードを一気に切る。森崎に代えて中西、越後に代えて五十嵐、水野に代えて杉山を投入。ワンボランチに武藤を置き、3-1-5-1のフォーメーションに変わる。工藤は時折シャドーの一角に入る変則的なフォーメーションにクロアチア陣営は慌てる。日本はとにかく攻めの姿勢を崩さなかった。龍永の前線でのポストプレーから日本オフェンス陣がシュートを狙う。工藤が、三浦が、五十嵐が、中西が、杉山が。クロアチアディフェンス陣はキーパーリブコビッチを中心に粘りに粘った。クロアチアディフェンダー数名にイエローカードが乱発し出した。
だが90分では決着がつかず。延長戦へ突入。スタジアムの空気が変わる。4年前と同じ展開。だが日本は、あの時とは違う。延長前半から激しい日本の攻撃。だが、ゴールは依然として割れない。ここで日本は勝負に出た。延長前半14分。日本は左サイドから崩す。中西からのクロスが弾かれ、ゴール前でこぼれ球になる。激しい混戦の中、長い脚が伸び、ボールを掻き出す。龍永が身体をねじ込み、ボールを味方の走るスペースへ落とす。ここにトップ下のポジションに入った五十嵐が走り込み、右足で強烈なシュート。ゴール。2-1。日本逆転。龍永は無表情で天を仰ぐ。逆転したが、龍永は何故か1人重い空気だった。
そして延長後半。交代でピッチに送り込まれたのは、4年前にクロアチア戦でゴールを決めた本田だった。彼はスピードが自慢の選手で、今期は調子を落としていたが、持ち前のスピードと運動量を買われて、トップ下工藤に代わり交代出場した。
スタミナが十分な彼は延長後半開始から猛烈なプレスを相手に仕掛けていた。疲労が見えている相手には、今日の本田は驚異だった。
そして延長後半ロスタイム、左サイド中西からの突破に龍永が敢えて左サイドへ流れ、中西をフォロー。俊足の本田にスペースを作っていた。そして中西からのマイナスのセンタリングから、途中出場した本田が身体ごと投げ出すダイビングヘッド。本田は迷わず全速力で飛び込む。体を投げ出し、地面すれすれで頭を合わせ、ボールを叩きつけるようなヘディングシュート。ボールは矢のように豪快にゴールへ突き刺さった。このトップ下での起用が当たった。本田がスプリントの連続のように走り続けた結果だった。本田はこの相手の疲労を突くための隠し札だった。クロアチアにとって、スピード狂の本田は悪夢だった。3-1。スタジアムが揺れた。
このゴールによりクロアチアディフェンス陣は完全に崩壊していた。日本のベンチも沸いた。クロアチアの最後の猛攻を耐え切り、試合終了の笛が鳴る。日本ベンチが飛び出す。先輩達は安堵の表情を浮かべる。まだ4年前の借りを返しただけ。本当のスタートラインを走り出しただけ。本当の戦いはこれからだと。龍永は静かに呟く。
「これで、やっと本番が始まった。」
ゴールを決めた本田は、涙をこらえながら龍永に抱きついた。龍永は言う。
「何やってんすか?これから始まるんじゃないっすか。」
彼は震える声で答えた。
「そうだ、そうだったよな!」
延長戦の死闘を制し、日本はついにクロアチアを倒した。4年前のヒーローが再び決め、龍永が同点弾で流れを作り、チーム全員がゴール前に詰める執念を見せた。これはただの勝利ではない。日本サッカーが過去を超えた瞬間だった。3-1。延長後半ロスタイムのゴールで辛くもPK戦を免れた。死闘とはこういうものなのかと。ほっと胸をなで下ろした。
試合後のロッカールーム。日本代表は重かった空気から解き放たれた様子だった。そして、さらなる試練が日本代表にのしかかる。準々決勝の相手は開催国の1つ、メキシコ。完全アウェー、高地の劣悪な環境、そしてこの死闘の疲労。更に5年前、地元日本で開催された五輪でメダルを目前に取られた相手でもある。今回の日本代表のほとんどがその悪夢を経験している。因縁の戦いはまだまだ続いていく。
その頃日本では、龍永の母、京香が自宅で日本戦を観戦していた。そこには静香や淀川も一緒に観戦していた。龍永の戦う険しい表情がアップで映し出されると、京香は目を覆うほど怖くなる。京香は心の中で思う。
「あの子、何て苦しい顔を・・・見ていられない。」
淀川が龍永の上げた1点目のアシストを見て仰天、歓喜するも、部屋の片隅で京香は奮えていた。息子のプレーは京香の目には何かを振り払うかのような悲痛の顔に映った。
動き続ける日本代表。未だ動かない京香の過去。そして、裏で動いている敬助の仲間達。時間が刻々と流れる中、日本代表は敵地、メキシコのモンテレーに向かう。




