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転移したのに遅刻⁉ 獲得したスキルは《迷子》 〜方向音痴、異世界でも迷います〜  作者: 有馬 茶


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第2話 荷物持ちですが、 就業規則を確認してもいいですか

はじめまして。

数ある作品の中から、 この物語を開いてくださって、 ありがとうございます。


こちらはゆっくり投稿していくので、読者の皆さまも肩の力を抜いて、

ゆっくりででもついてきていただけたら嬉しいです。

ブックマークや評価、 感想が、 何よりの励みになります。

 目を覚ますと、 見慣れない天蓋が目に入った。

 一瞬、 ここがどこか分からなくなる。


 ああ、 そうか。

 異世界だった。

 夢じゃなかったらしい。

 上半身を起こして、 首元に手をやる。

 砂時計は、 ちゃんとそこにあった。

 上のガラスの砂は、 昨夜より少しだけ減っている気がする。

 ……気のせいだろうか。

 手帳を開いて、 昨日の記載を確認する。

 僕は小さく息を吐いて、 万年筆を取った。


 【今日の予定】不明

 【確認事項】山積み

 【最優先?】専務の原本


 鞄から、 原本を取り出す。

 角が折れている。

 総務の腕の見せどころだ。

 部屋の隅に水差しとタオルがあった。

 折れた角に、 軽く湿らせたタオルを当てる。

 書き物机の上にあった分厚い本を、 重しにして載せる。

 ……よし。

 これで、 夜までには平らになる。

 異世界で、 僕は何をしているんだろう。


 コンコン、 とノックの音がした。

「失礼いたします」

 入ってきたのは、 白髪の老執事だった。

 背筋がまっすぐで、 銀のトレイに朝食を載せている。

「お目覚めでございましたか。 執事のハンスと申します。

 お二方のお世話を、 仰せつかっております」

「あ、 ありがとうございます。 浅野巡です。

 あの、 すみません、 机の上の本を、 勝手に重しにしてしまって……」

「これは、 王国の暦書でございますね」

 ハンスは本をちらりと見て、 穏やかに微笑んだ。

「千年の歳月を記した、 大変貴重なものでございます。

 ……ですが、 重しに使われたのは、 おそらくこの千年で、 お客様が初めてでしょう」

「すみません! 今すぐ!」

「いえ、 構いません。 面白いお方だ」

 朝食は、 見たことのない丸いパンと、 湯気の立つスープと、 瑞々しい果物だった。

 食べながら、 ハンスに聞いてみる。

「あの、 今日の予定は……」

「勇者様は、 午前に国王陛下との謁見でございます。

 アサノ様も、 後方に控えるようにと仰せつかっております」

「後方に」

「はい。 後方」

 やっぱり、 そういう扱いか。

 隣の部屋の扉が開いて、 ヒカルくんが顔を出した。

「アサノさん、 おはようございます! 俺、 全然寝れなかったっす。 ベッドがでかすぎて!」

 その割に、 顔色はいい。

 若さだ。

 ハンスが下がって、 二人きりになると、 ヒカルくんはパンをちぎりながら、 ふっと声を落とした。

「……実は、 昨日の夜、 ちょっとだけ泣いたっす」

「え」

「母さんに連絡できないんだなって、 思ったら。 部活の遠征、 来週だったのに」

 ヒカルくんは、 笑っていた。

 でもその笑顔は、 昨日より少しだけ、 ぎこちなかった。

 十八歳。

 僕が十八のとき、 何をしていただろう。

 少なくとも、 世界を救えとは言われていなかった。

「……分からないことがあったら、 一緒に聞きましょう」

 口から出たのは、 そんなありふれた言葉だった。

「僕は、 聞くのが苦手なんですけど」

「アサノさんが言うと、 説得力ないっす」

「ですよね」

 二人で、 少しだけ笑った。


◇


 謁見の間は、 昨夜の広間よりもさらに広かった。

 高い天井。 赤い絨毯。 左右に並ぶ、 甲冑の騎士たち。

 その奥の玉座に、 昨夜の壮年の男性が座っていた。

 アルベルト・ローデリア国王。

 四十代だろうか。

 整った顔立ちだが、 目の下に濃い隈がある。

 疲れているのだと、 ひと目で分かった。

 ヒカルくんは玉座の前で、 ぎこちなく片膝をついた。

 僕は、 その後方、 壁際の一段下がった場所に立たされている。

 「後方」とは、 文字どおりの意味だったらしい。


「勇者よ。 よくぞ来てくれた」

 国王の声は、 低く、 穏やかだった。

「異世界の者に、 世界の命運を託すこと。

 王として、 恥ずべきことだと思っている。 だが、 我々には他に道がない」

「あの、 魔王って、 実際どれくらいヤバいんすか」

 ヒカルくんが、 おずおずと尋ねた。

 国王は、 一瞬だけ目を伏せた。

「……北の地を、 見たことはあるか」

「いえ」

「ここ数年、 北の空から朝が遠ざかっている。

 かつては毎朝のぼっていた日が、 月に一度、 二度と、 昇らぬ日が増えた。

 今では北の果てに、 夜が明けぬ土地がある」


 謁見の間に、 重い沈黙が落ちた。

「民は、 それを『永夜』と呼んでいる」

 永夜。

 夜が、 終わらない。

 想像して、 僕は背筋が寒くなった。

 残業が終わらない夜なら、 毎週経験している。

 けれど、 朝が来ない夜は、 さすがに経験がない。

 ……いや、この人たちの悩みと比べたら些細なことか。

「魔王を討てば、 夜は明ける。 千年前も、 勇者がそうしてくれた」

 国王は、 ゆっくりと息をついた。

「頼む。 どうか、 力を貸してほしい」

「……俺で、 できるなら」

 ヒカルくんは、 まっすぐに頷いた。

 まぶしい子だな、 と思う。

 宰相のグレイヴが、 一歩進み出た。

「勇者様には、 王国最高の装備と、 専属の教官をご用意いたしました。 そしてアサノ様には」

 宰相は、 ちらりと僕を見た。

「こちらを」

 侍従が運んできたのは、 簡素な麻の背負い袋だった。

 中には、 水筒と、 干し肉と、 銀貨が数枚。

「荷物持ちとしてのお務めの、 支度金でございます」

 ……荷物持ちの、 お務め。

 ここで、 僕の中の何かが動いた。

 総務を六年やっていると、 条件の曖昧な依頼を受け取るときに、 反射的に確認する癖がつく。

 口が、 勝手に開いていた。

「あの、 すみません。 質問をしても、 よろしいでしょうか」

「……何でしょう」

「荷物持ちの、 契約条件を確認させていただきたいのですが。

 まず、 雇用主はどなたになりますか。 王国でしょうか、 勇者様でしょうか」


 謁見の間が、 静まり返った。


「それから、 給与の額と支払い時期。 勤務時間と休日。 残業の扱い。

 あと、 怪我をした場合の労災補償は、 どうなりますでしょうか」

「……ろうさい、 とは」

 宰相が、 初めて、 微笑みを崩した。

「労働災害です。 業務中の怪我や病気について、 雇用主が負担する補償のことです。

 要は……その、 働く人を守るための制度というか……」

 説明しながら、 なぜか僕の方が冷や汗をかいていた。

 言ってしまった。

 やってしまった。

 異世界の謁見の間で、 就業規則の確認をしてしまった。

 数秒の沈黙。

 そして、 後ろの方で誰かが、 ぶっと吹き出した。

 それを皮切りに、 騎士たちの肩が震え出す。

 ヒカルくんが、 小声で言った。

「アサノさん、 マジですげえっす」

 褒められている気が、 全くしない。

 宰相は咳払いを一つして、 微笑みを貼り直した。

「……合理的にお答えいたしましょう。 給与は月に銀貨三十枚。

 勤務時間は、 勇者様のお傍に控えていただく間」

「控えている間、 ですか。 それは、 一日あたり、 何時間くらいの想定で」

「昼夜を問わず」

「…………昼夜を、 問わず」

「勇者様に、 いつ何が起こるか分かりませんので。 合理的に申しますと、 そうなります」

 二十四時間待機。

 休日なし。

 残業代は、 おそらく、 存在しない。

 僕は、 静かに天井を仰いだ。

 異世界でも、 ブラックだった。

 その様子を、 玉座の国王が見ていた。

 疲れた目が、 ほんの一瞬だけ、 同情するように細められた気がした。

 けれど王は、 何も言わなかった。


◇


 午後。

 僕は、 王宮魔術師長の研究室に呼ばれた。

 円形の部屋だった。

 壁一面が本棚で、 天井から吊るされた無数のガラス球が、 ゆっくりと回っている。

 床には、 昨夜の広間のものより小さな魔法陣が刻まれていた。

「座れ」

 オズワルドは、 椅子を指して言った。

 愛想は、 全くない。

「そなたのスキルについて確認する。 これは、 王宮魔術師長としての務めである」

「よろしくお願いします」

「まず、 そなたはこの世界の魔法について、 何も知らぬであろう」

「はい。 全く」

「ならば、 基礎から話す」

 老魔術師は、 杖の先で空中に円を描いた。

 光の線が、 くるりと環になる。

「魔法は三つに大別される。

 一つは、 火・水・風・地・光の属性魔法。

 二つ目は、 神から授かる『加護』。 勇者殿の聖剣がこれに当たる。

 そして三つ目が、 個人に宿る『スキル』。 そなたの《迷子》はこれだ」

「加護とスキルは、 違うんですか」

「加護は世界に属し、 スキルは個人に属する。

 ……と、 学説上は言われている。 実際のところ、 境界は曖昧だがな」

「転移魔法とか時間停止、みたいな強力そうなものもありますか」

「転移魔法は、 空間を渡る魔法に限られる」

 オズワルドは、 きっぱりと言った。

「そして、 これは魔法の大原則である。 時間に干渉する魔法は、 存在しない」

「存在しない、 んですか」

「存在せぬ。 時は、 一本の川のようなものだ。

 誰にも堰き止められず、 遡ることもできず、 先回りすることもできぬ。

 過去、何人、何千人と天才魔術師たちが研究を重ねたが、誰も切欠の一かけらも掴めなかった」

 老魔術師は、 杖で環を断ち切るように振った。

「過去へ戻る魔法だの、 時を止める魔法だのは、 子供向けの童話にしか登場せん。

 まぁ理論上、 あり得ませんな。 だからこそ童話に出てくることも多いのですが」

 時は、 一本の川。

 その言い回しが、 なぜか耳に残った。

「さて。 そなたの《迷子》だが」

 オズワルドは、 昨日の古書を開いた。

「発動の条件が、 記録に曖昧だ。 『迷いし者の足元に、 道は開く』とある。

 意志で発動するのか、 そもそも迷ったときに自動で発動するのか。 確認するしかない」

「確認、 ですか」

「試してみよ。 ここで、 『転移』と念じてみるがいい」

「……分かりました」

 僕は、 目を閉じた。

 転移せよ。

 転移せよ。

 転移、 してください。

 お願いします。

 ……何も、 起きない。

 目を開けると、 オズワルドが眉間に深い皺を寄せていた。

「念じ方が悪いのか」

「すみません」

「謝るな。 そなたのせいではない」

 意外にも、 老魔術師はそう言った。

「では、 『迷う』ことが条件か。 変な質問だが、そなた道に迷うのは得意か」

「……はい。 かなり」

「執事から聞いた。 今朝だけで、 廊下を三度、 間違えたそうだな」

「四度です」

「正直でよろしい」

 オズワルドは、 ほんの小さく、 口の端を動かした。

 笑った?

 まさか。

「ならば、 迷えば開くのやもしれぬ。 だが、 迷って発動して、 どこに飛ぶのかは、 記録にない。

 三分で戻されるとあるが、 その三分間に何が起きるのかも」

「三分で、 何ができるんでしょうか」

 つい、 口に出た。

「……何もできぬ」

 オズワルドは、 即答した。

「三分で何ができる。 茶を一杯、 飲む時間だ」

「……カップ麺はできる時間、 ですね」

「かっぷ、 めん?」

「あ、 いえ。 僕の世界の食べ物です。 お湯を注いで、 三分待つと、 食べられる」

「待つだけで食えるのか。 便利な世界だな」

「はい。 ただ、 三分が、 やけに長く感じるんです。 空腹のときは」

 老魔術師は、 数秒、 黙った。

「……三分が長いか短いかは、 待つ側の心持ち次第かもしれんな」

 その言葉は、 説教くさくはなく、 ただ静かだった。

 オズワルドは古書を閉じて、 僕を見た。

「一つだけ、 言っておく。 魔法の理に、 時間への干渉はない。 だが、 スキルは魔法ではない」

「魔法では、 ない」

「魔法の理の外に生まれる、 個人の力だ。 理論では測れぬ。 ……だから厄介なのだ」

 老魔術師は、 そこで言葉を切った。

 それ以上は、 何も言わなかった。


◇


 研究室を出たのは、 夕暮れだった。

 客室に戻るだけ。

 簡単なはずだ。

 ……はずだった。

 十五分後。

 僕は、 見知らぬ回廊に立っていた。

 長い石の廊下。

 左右にアーチ形の窓が並び、 夕陽が、 橙色の光を床に落としている。

 人の気配は、 ない。

「また、 やった」

 これで、 本日五度目だ。

 人に聞けばいい。

 分かっている。

 けれど、 近くに誰もいない。

 いや、 いたとしても、 聞けただろうか。

 王城で、 荷物持ちの身分で、 迷子になりました、 と。

 窓際に寄って、 外を見た。

 眼下には、 城下町の屋根が広がっている。

 その先に城壁。 さらに先に、 北へ続く街道。

 空の北のほうだけ、 夕焼けの色が、 妙に暗い。

 まるで、 そこだけ先に夜が来ているみたいに。


 永夜。


 国王の言葉を、 思い出す。

 と、 視界の端に、 何かが映った。

 城の外れ、 切り立った崖の上。

 一本の細い塔が、 ぽつんと立っている。

 塔のいちばん上の窓に、 小さな灯りがともっていた。

 夕暮れの空の下で、 そこだけが、 やけにはっきり見えた。

 ……どこかで、 見たことがあるような。

 いや、 そんなはずはない。

 昨日、 この世界に来たばかりだ。

 それでも、 目が離せなかった。

 その灯りが、 一度だけ、 ゆらりと揺れた。

 まるで、 誰かがこちらを見ているみたいに。

「——お若い方」

「うわあっ!」

 真後ろから声がして、 僕は文字どおり飛び上がった。

 振り返ると、 灰色の質素な服を着た、 小柄な老婆が立っていた。

 いつからそこにいたのか、 全く気配がなかった。

 深い皺の刻まれた顔。

 けれど目だけは、 不思議と澄んでいる。

 エプロンのポケットから、 栞のはみ出した小さな本が覗いていた。

 老婆は、 ゆっくりと頭を下げた。

「旦那さまが、 お呼びです」

「……旦那さま、 とは」

 老婆は答えなかった。

 ただ、 窓の外の、 あの塔の方向を、 静かに見つめた。

「お茶が、 冷めますよ」

 それだけ言って、 老婆はくるりと背を向け、 歩き出した。

 僕は、 しばらくその場に立ち尽くしていた。

 迷子になったら、 その場を動くな。

 けれど、 迎えが来たようだ。

 ならば。

 僕は、 老婆の背中を追った。

 今度は、 迷子ではなく。

 誰かに、 呼ばれて。意思をもって僕は動く。

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