第16話 有給休暇を取った
はじめまして。
数ある作品の中から、 この物語を開いてくださって、 ありがとうございます。
こちらはゆっくり投稿していくので、読者の皆さまも肩の力を抜いて、
ゆっくりででもついてきていただけたら嬉しいです。
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翌日の昼過ぎ。
里の入口に、 一台の荷馬車が到着した。
御者台に、 二人の男。 荷台に、 山のような本と、 巻物と、 羊皮紙。
そして、 その荷の間から、 ひょこっと、 栗色の頭がのぞいた。
「ア、 アサノさーん!」
「リエナさん!」
リエナさんは、 荷馬車から、 転げ落ちるように飛び降りた。
眼鏡が、 ずれている。 髪が、 乱れている。
けれど、 その目は、 きらきらと輝いていた。
「着きました! ちゃんと、 一日で!」
「お疲れさまです。 揺れましたよね」
「はい! 酔いました! でも、 大丈夫です!」
リエナさんは、 荷物の間から、 大量の巻物を引っ張り出した。
「石守の遺跡の、 古代文字の資料を、 図書院から持ってきました!
これで、 台座の文字が、 読めるはずです!」
「それは、 助かります」
「あの、 こちらは、 図書院のオルド先生です」
荷馬車の御者台から、 白髭の老人が、 のそりと降りてきた。
背は低く、 眼鏡は分厚く、 手には杖を持っている。
「やれやれ。 若い者の勢いには、 かなわんわい」
老人は、 僕を見て、 目を細めた。
「ほう、 お前さんが、 アサノ殿か。 リエナが、 毎日のように話しておるぞ」
「せ、 先生!」
リエナさんが、 真っ赤になった。
「そ、 そんなに話してません!」
「三日で、 十回は聞いたわい」
「…………」
リエナさんが、 顔を覆った。
……あ、 いい人だ、 この先生は。
僕たちは、 里の人たちにも挨拶をして、 そのまま、 石守の丘へ向かった。
石守は、 昨夜の位置から、 丘の中腹まで、 自らの足で引き返していたらしい。
ガロ爺が、 そう教えてくれた。
「でも、 また夜には、 動き出すかもしれねえだ」
「……そのときは、 線が止める」
ドルガンが、 低く言った。
丘の頂上。
台座の前に、 リエナさんは立った。
そして、 一つ、 深呼吸した。
「……始めます」
人が、 変わった。
さっきまでの、 おどおどした彼女は、 そこにいなかった。
眼鏡の奥の目が、 鋭く、 真剣に、 台座の文字を追っていく。
指が、 一文字ずつ、 なぞる。
「古代語の、 中期の字体。 ……ここは、 千年前の、 北部方言の影響が」
ぶつぶつと呟きながら、 羊皮紙に、 すらすらと書き留めていく。
速い。
手が、 止まらない。
その横顔を見ながら、 僕は思った。
この人は、 本当に、 文字の専門家なのだ。
誰にも評価されていなかった、 力。
けれど、 確かに、 ここにあった。
半時間後。
リエナさんが、 顔を上げた。
「……読めました」
「本当っすか!?」
「はい。 ……皆さん、 聞いてください」
彼女は、 羊皮紙を読み上げた。
「『石守は、 この里を守るために築かれた。 夜が千日続く時代に、 魔の者から、 里を守るために』」
「夜が、 千日」
ヒカルくんが、 呟いた。
「それって、 今の永夜と」
「……はい。 似ています。 ……千年前にも、 夜が長く続いた時代が、 あったのかもしれません」
リエナさんの声が、 少しだけ低くなった。
「続けます。 『石守は、 線の内を守り、 線の外を追わず。 線は、 里の外周に、 六角の石を並べて引くものとする』」
「……線」
僕は、 息を呑んだ。
「それと、 ここ。 工房の署名があります。 『築き手、 ヘルガ』」
ヘルガ。
……ヘルガ。
その名前を聞いた瞬間、 胸の奥が、 ざわりと揺れた。
どこかで、 聞いた名前。
いや、 違う。
聞いた、 というより。
……呼んだ、 ような。
けれど、 記憶は、 霧の向こうに隠れていた。
首を振る。
気のせいだ。
◇
「それから」
リエナさんが、 台座の最後の行に、 指を滑らせた。
それは、 他の行とは、 少し違っていた。
彫りが、 浅く、 粗く、 まるで、 あとから急いで足したように。
彼女の指が、 ぴたりと止まった。
「…………」
「リエナさん?」
「……これ」
リエナさんの声が、 震えていた。
「これだけ、 別の手で彫られています。
……他の文字と、 同じ時代の、 同じ工房の人が、 あとから書き足した」
「何て、 書いてあるんですか」
リエナさんは、 ゆっくりと、 僕の方を見た。
「『線を引く言葉は、 迷子の旅人より授かった』」
……え。
その場の全員が、 動きを止めた。
僕も、 動けなかった。
「……迷子の」
「旅人」
ミーネが、 呟いた。
「……おじさん、 じゃないの」
「え」
「だって、 昨夜、 おじさん、 言ったでしょ。
工房の人たちに、 『線を引いて』って。 それ、 そのまんまじゃない」
「でも」
僕は、 慌てて首を振った。
「僕は、 昨日、 初めて、 この丘に来たばかりで。 それに、 この刻印は、 どう見ても、 千年は」
「待ってください」
リエナさんが、 手を挙げた。
「落ち着いて。 ……文字は、 嘘をつきません。 でも、 文字が示す『迷子の旅人』が、 アサノさんだとは、 限りません」
彼女は、 眼鏡を押し上げて、 冷静に続けた。
「アサノさんは、 昨夜、 転移先で、 『線を引いて』と言った。 そして、 この刻印には、 『線を引く言葉は、 迷子の旅人より授かった』とある。 ……偶然の一致にしては、 できすぎています」
「……ええ」
「でも、 説明は、 つきます」
リエナさんは、 一枚の羊皮紙を取り出した。
「王宮魔術師長様のメモを、 見せていただきました。 《迷子》というスキルは、 『ずいぶん昔の、 転移系スキルの一種』と、 記録されている、 と」
「……はい。 ありました」
「つまり、 昔にも、 《迷子》の持ち主がいたんです。 ……この像を築いた、 千年前の人たちの時代に」
……昔にも。
僕の、 先達が。
「その人が、 工房に、 線のアイデアを授けた。 そして、 アサノさんも、 同じ《迷子》の力で、 偶然、 同じ工房へ転移して、 同じ助言をした」
「同じ工房に……」
「《迷子》の転移先は、 完全にランダムだと聞いています。 でも、 同じスキルの持ち主が、 同じ場所に引き寄せられることが、 あるのかもしれません」
リエナさんは、 そう言いながら、 どこか、 自分でも納得していない顔をしていた。
「……そう考えるのが、 一番、 筋が通ります」
筋が。
通っている、 のだろうか。
僕の胸の奥で、 小さな違和感が、 くすぶり続けていた。
けれど、 他に、 説明がつかない。
「……荷物持ち」
ドルガンが、 低く言った。
「……先達が、 いたのだな」
「……そうみたいです」
「……そして、 お前は、 その先達と、 同じことを言った」
ドルガンは、 ほんの少しだけ、 口の端を上げた。
「……いい血だ」
「血、 ですか」
「……違うか」
「いえ。 ……ありがとうございます」
僕は、 台座の最後の一行を、 見つめた。
この世界の文字で彫られた、 その一行。
僕には、 読めない。
けれど、 その意味は、 分かった。
迷子の旅人より、 授かった。
……誰が、 彫ってくれたのだろう。
「あの石に、 あんたの言葉を刻んでおく」。
工房の親方の声が、 よみがえる。
あの、 豪快な笑顔。
名前は、 何と言ったか。
……ヘルガ。
やっぱり、 そうだった気がする。
そのとき、 僕は、 ようやく理解した。
記憶は、 溶けても。
言葉は、 残る。
先達の言葉が、 石に刻まれて。
千年を超えて。
今、 ここに、 残っている。
……僕と、 同じ言葉が。
文字は、 嘘をつきません。
リエナさんの言葉が、 胸に沁みた。
◇
その夜、 僕たちは、 里の広場で、 焚き火を囲んだ。
灯りの道が、 里の路地を、 橙色に染めている。
石守は、 丘の上で、 静かに眠っている。
リエナさんは、 焚き火の向かいで、 膝を抱えて座っていた。
オルド先生は、 ガロ爺の家で、 すでに休んでいる。
「……あの」
リエナさんが、 口を開いた。
「皆さんに、 お話ししたいことが、 あります」
「何っすか?」
「わたし」
リエナさんは、 ぎゅっと目を瞑った。
それから、 一息に言った。
「皆さんの、 旅に、 同行させてください!」
焚き火が、 ぱちぱちと音を立てた。
静寂。
「…………」
「…………」
「……え」
最初に声を出したのは、 僕だった。
「リ、 リエナさん?」
「わたし、 休暇を取りました!」
リエナさんは、 目を開けて、 僕を見た。
「初めての、 有給休暇、 です! アサノさんの手紙で、 知りました!
働く人には、 休む権利があるって。 大司書長様に、 言ったんです。
『わたしにも、 休暇をください』って。 そしたら、 大司書長様、 すごく驚いた顔をして」
「…………」
「でも、 許可してくださいました。 『お前が、 初めて、 自分の言葉で何かを求めた。 ……好きにしなさい』と」
リエナさんの目が、 潤んでいた。
「だから、 わたしは自由です。 ……どうか、 皆さんのお役に、 立たせてください」
「リエナさん」
僕は、 慎重に、 言葉を選んだ。
「危ないですよ。 魔物も、 います。 今日の石守みたいなことが、 また、 あるかもしれません」
「わ、 分かってます!」
「ヒカルくんたちは戦えますが、 僕は戦えません。 リエナさんも」
「わたしも、 戦えません。 ……でも」
リエナさんは、 拳を握りしめた。
「わたしには、 読む力が、 あります。 千年前の、 古代文字。 禁書庫の、 未解読の記録。 ……そして、 アサノさんの、 手記」
「…………」
「アサノさんの手記を、 読ませてください。 約束、 しましたよね。 最初の読者に、 なりたいって」
……そうだった。
門の前で交わした約束。
「それに、 石守の遺跡で、 分かりました。 アサノさんの力は、 千年前と、 繋がっている。 ……わたしの知りたいことと、 同じ場所に」
リエナさんの声に、 熱がこもった。
「文字は、 嘘をつきません。 でも、 嘘をつかない文字を、 誰かが読まないと、 意味が失われてしまう。 ……わたしは、 読み手に、 なりたい」
焚き火の光が、 彼女の眼鏡に揺れていた。
「……俺は、 賛成っす」
ヒカルくんが、 真っ先に手を挙げた。
「リエナさん、 遺跡で、 めっちゃ、 かっこよかったっす! あんなの、 俺たちには、 絶対できないっす!」
「ヒカルくん……」
「……」
ドルガンは、 腕を組んで、 黙っていた。
「……非戦闘員が、 二人は、 重い」
「……やっぱり」
リエナさんの肩が、 しゅんと落ちた。
「……だが」
ドルガンは、 続けた。
「……使えるか、 使えんか。 それだけだ。 ……お前は、 今日、 石守の台座を、 半時間で読んだ」
「は、 はい」
「……使える」
ドルガンは、 ふいっと顔を背けた。
「……理屈は、 いい。 ……荷物持ちが面倒を見るなら、 好きにしろ」
「ドルガンさん!」
リエナさんの顔が、 ぱあっと明るくなった。
ミーネは、 膝を抱えたまま、 むすっとしていた。
「……ミーネさんは」
「別に、 反対してないし」
ミーネは、 ぷいっとそっぽを向いた。
「ただ、 その」
「はい」
「あんた、 手紙、 毎回、 長いし」
「す、 すみません! 短くします!」
「……短くなくて、 いいし」
ミーネの声が、 小さくなった。
「ちゃんと、 読むし」
「……ミーネさん」
リエナさんの目が、 うるうるしている。
「で、 でも! おじさんは、 あたしの荷物持ちだし! 取らないでよね!」
「取ってません!」
「取ってるし!」
「と、 取ってません!」
……なぜ、 二人は、 そこで揉めているのだろう。
ヒカルくんが、 腹を抱えて笑っていた。
ドルガンの口の端が、 ほんの少し緩んでいる。
「じゃあ、 決まりっすね!」
「……荷物持ち。 契約は」
「え?」
ドルガンが、 僕を見た。
「……お前の仕事だ」
そうだ。
新しく人が増えるなら、 契約が要る。
総務の、 出番だ。
僕は、 手帳を取り出して、 ペンを走らせた。
【臨時解読官・リエナ・ファーレンに関する雇用覚書】
一、 雇用主は、 勇者パーティ。
二、 勤務時間は、 日の出から日没まで。
三、 休日は、 七日に一日。
四、 業務中の怪我・病は、 王国が負担する(労災)。
五、 新しい発見があった場合、 優先的に読む権利を有する。
六、 手記を読む権利を有する。
最後の一行を書くとき、 少し、 手が震えた。
それを、 リエナさんに差し出す。
「どうぞ。 ……読んでください」
リエナさんは、 紙を受け取って、 目を走らせた。
この世界の文字ではない。 僕の、 日本語の文字だ。
けれど、 彼女は、 ゆっくりと、 一行ずつ、 指でなぞっていった。
「……もちもの。 しゅうごうじかん。 ……ろ、 う、 さ、 い」
一文字ずつ、 声に出して。
やがて、 彼女は、 最後の行で、 目を見開いた。
「……て、 き、 を、 よ、 む、 け、 ん、 り、 を」
「はい」
「……!!」
リエナさんの目から、 ぽろりと涙がこぼれた。
「ぜ、 ぜんぶ、 読めました……っ」
「すごいです」
「アサノさんの文字が、 初めて、 全部、 読めました……!」
リエナさんは、 泣き笑いの顔で、 契約書を胸に抱きしめた。
それから、 ペンを受け取った。
署名欄に、 たどたどしく、 丸い文字を書いていく。
『りえな』
三文字。
ひらがなで、 丁寧に。
「……これで、 いいですか」
「完璧です」
焚き火の向こうで、 ヒカルくんが拍手をした。
ドルガンも、 ミーネも、 小さく手を叩いた。
……こうして、 僕たちのパーティに、 五人目が加わった。
◇
その夜。
みんなが眠ったあと、 リエナさんが、 そっと、 僕の隣に座った。
「……アサノさん」
「はい」
「手記、 少しだけ、 見せていただけますか」
僕は、 少し迷って、 それから、 手記帳を取り出した。
最初のページを開く。
彼女が渡してくれた栞と、 手紙が挟まっている。
その下に、 僕の、 初めての記録。
【持ち物】手帳、 万年筆、 砂時計、 手記帳
【集合時間】明朝、 王立図書院
【所感】迷いの塔の賢者は、 変な人だった。
リエナさんは、 一行ずつ、 慎重に、 目で追っていった。
それから、 ゆっくりと顔を上げた。
「……やっぱり」
「え?」
「……いえ」
リエナさんは、 首を振って、 微笑んだ。
「何でもありません。 ……ありがとうございます。 読ませてくださって」
その笑顔が、 どこか切なげに見えたのは、 焚き火の揺らめきのせいだろうか。
僕は、 手記帳を閉じた。
首元の砂時計は、 今夜は空っぽだ。
けれど、 明日の朝には、 また満ちている。
僕の三分間は、 毎朝、 戻ってくる。
そして、 今度は。
それを、 読んでくれる人が、 隣にいる。




