第15話 迷った先は巨像の工房で
はじめまして。
数ある作品の中から、 この物語を開いてくださって、 ありがとうございます。
こちらはゆっくり投稿していくので、読者の皆さまも肩の力を抜いて、
ゆっくりででもついてきていただけたら嬉しいです。
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落ちる。
歯車。 砂。 光。
もう慣れたはずの感覚なのに、 今夜は、 胸がひどく苦しかった。
ナナちゃんは、 逃げ切れただろうか。
ヒカルくんたちは、 無事だろうか。
石守の拳は、 僕に届いただろうか。
……分からない。
足の裏が、 床を踏んだ。
光が消える。
……暗い。
けれど、 すぐに、 目が慣れた。
巨大な空間だった。
天井が、 見えないほど高い。
壁際に、 無数の松明が灯されている。
床には、 木の足場と、 石材と、 縄と、 滑車。
そして、 中央に。
横たわる、 巨大な石の騎士。
……石守だ。
いや、 違う。
石守は、 丘の上に立っていたはずだ。
これは、 横たわっている。 苔も、 蔦もない。 まだ磨かれたばかりの、 新しい石の肌。
顔には、 目も、 鼻も、 口もない。
けれど、 その石の面は、 白く、 滑らかに輝いていた。
……もう一体、 いるのか。
同じ形の巨像が、 別の場所に。
それとも、 これは幻だろうか。
遺跡に残った、 記憶の映像のような。
首元の砂時計を見る。
砂が、 さらさらと流れ始めている。
三分。
足場の上で、 十数人の男女が、 慌ただしく動いていた。
皆、 古めかしい麻の作業着を着ている。
腰には、 道具袋。 髪を布で束ね、 腕まくりをして。
その中心に、 一人の女性が立っていた。
四十歳くらいだろうか。
陽に焼けた肌。 鋭い目。 太い腕。
両手に、 巨大な鑿と槌を握っている。
「親方! 最後の命令石、 準備できました!」
若い職人が、 駆け寄ってきた。
手に、 掌ほどの大きさの黒い石を、 恭しく捧げている。
「よし」
親方と呼ばれた女性は、 石を受け取った。
「これを、 胸に嵌め込めば、 石守は動き出す」
「親方、 命令は、 どうします?」
「『守れ』だ。 里を守れ。 それだけでいい」
「……ですが」
若い職人が、 言いにくそうに口を開いた。
「もし、 里の者が、 間違って像に近づいたら。 あるいは、 里から出て行く者が、 いたら。
『守れ』とだけ命じた像は、 どこまで追いますか」
「…………」
「あれだけの力です。 一度動き出したら、 誰にも止められません。
……もし、 里を守るつもりが、 里を踏み潰したら」
親方の手が、 止まった。
作業場が、 静まり返る。
職人たちが、 不安そうに顔を見合わせていた。
……問題が、 あるのだ。
この人たちは、 とても腕のいい職人だ。
けれど、 完成を前にして、 大きな不安に襲われている。
止め方が、 分からない。
どこまで動いていいのか、 決まっていない。
……それは。
僕が、 毎日見てきた景色だった。
仕事を始める前に、 終わり方を決めない。
どこまでやるのか、 誰も決めないまま、 走り出す。
そして、 止まらなくなる。
僕は、 一歩、 前に出た。
砂は、 もう半分近く落ちていた。
一度だけ。
僕が言えるのは、 一言だけ。
僕は、 総務だ。
現場の安全柵を、 作る側の人間だ。
……言おう。
僕は、 足場の上に、 声を張り上げた。
「あの!」
作業場の全員が、 振り向いた。
松明の明かりの中、 鋭い目が、 僕を射抜く。
「……誰だ、 お前」
親方が、 槌を構えた。
「旅の者です。 すみません、 突然。 ……一つだけ、 言わせてください」
「何だ」
「線を、 引いてください」
「……線?」
「ここから先には、 入らない。 ここから先には、 出ない。
そういう、 目に見える線を、 先に決めておくんです」
親方の眉が、 ぴくりと動いた。
「動かす前に、 止まる場所を決めてください。 里を守る範囲を、 石で囲んで。
その内側だけを守る。 その外には、 追わない。
……始める前に、 終わり方を決めるんです」
一息に、 言い切った。
自分が何を言っているのか、 よく分からなかった。
けれど、 それは、 僕がずっと言いたかった言葉だった。
誰かに言ってもらいたかった言葉だった。
作業場が、 しんと静まり返った。
やがて。
「…………線、 か」
親方が、 ゆっくりと呟いた。
「里の外周に、 石を置いて。 その内側を、 守るべき場所と定める。 ……像は、 その線を越えぬ」
親方の目に、 光が灯った。
「……思いつかなかった。 守ることばかり考えて、 止まることを、 考えていなかった」
彼女は、 振り向いて叫んだ。
「聞いたか! 境の石を作るぞ! 里の外周に、 等間隔に、 六角の印を刻んだ石を並べる!
像は、 その輪の内側だけを守り、 輪の外には、 決して出ぬ!」
「はい、 親方!」
職人たちが、 一斉に動き出した。
歓声。 号令。 槌の音。
それまでの不安が嘘のように、 作業場に活気が戻っていた。
「旅の人」
親方が、 僕の前に歩み寄ってきた。
「恩に着る。 ……あんた、 名は」
「名乗るほどの者では、 ありません。 ……ただの、 迷子です」
「迷子の旅人、 か」
親方は、 豪快に笑った。
「迷子に、 一番大事なことを教えられたな。 ……礼をしたいが」
足元から、 光の砂が立ちのぼり始めた。
「ああ、 もう行くのか」
「はい。 ……そうみたいです」
「旅の人。 最後に、 一つだけ」
親方は、 鑿を僕に向けて、 にやりと笑った。
「あの石に、 あんたの言葉を刻んでおく。 いつか、 誰かが読むだろうよ」
「え」
「達者でな、 迷子の旅人」
視界が、 光に呑まれた。
◇
気がつくと、 僕は、 瓦礫の中に倒れていた。
土の匂い。 夜の冷たい空気。
遠くで、 悲鳴と怒号。
……戻ってきた。
顔を上げる。
目の前に、 巨大な石の足があった。
石守の足。
僕のすぐ前で、 動きを止めている。
……止まっている?
足は、 地面から数十センチの高さで、 宙に浮いたまま静止していた。
まるで、 見えない壁に阻まれたように。
その足の、 すぐ手前の地面に。
月明かりを受けて、 小さな石が一つ、 光っていた。
苔むして、 半ば土に埋もれた、 丸い石。
表面に、 六角形の印が、 かすかに刻まれている。
……あれ。
どこかで、 見た。
「アサノさん!!」
背後から、 ヒカルくんの声がした。
駆け寄ってくる三人の姿。
ドルガンも、 ミーネも、 傷だらけだ。
けれど、 全員、 立っていた。
「アサノさん! 無事っすか!」
「……荷物持ち。 ……生きてたか」
「バッカじゃないの! どこ行ってたのよ! あたし、 あんたがまた、 いなくなったと思って……!」
「す、 すみません」
僕は、 立ち上がった。
身体の節々が痛むけれど、 大きな怪我はない。
「あの、 これは、 どうなっているんですか」
「分かんないっす!」
ヒカルくんが、 石守を見上げた。
「巨人が、 いきなり止まったんす! アサノさんが、 瓦礫の中で消えて、 その直後に」
「……そうだ」
ドルガンが、 低く言った。
「……荷物持ちが消えた直後に、 像が足を止めた。 見えない何かに、 阻まれたように」
「あたし、 見たし。 おじさんが消える瞬間、 足元が光ってた」
ミーネが、 僕を見つめた。
「あんた、 また転移したんでしょ。 ……何、 したの」
「……分かりません」
僕は、 手帳を開いた。
【どこへ行ったか】
大きな工房。 同じ形の、 石の騎士。
【誰がいたか】
職人たち。 女性の親方。
【何をしたか】
……
……ペンが止まる。
何かを、 言った。
何を?
「線」という言葉が、 頭の隅に残っていた。
線。
引く。
止まる。
目を閉じる。
断片が、 浮かんでは消える。
松明の光。 鋭い目の女性の、 笑顔。
その人に、 僕は、 何かを渡した。
……言葉を。
【何をしたか】
線を引く、 と言った。 ……止まる場所を決めるように。
そこまで書いて、 顔を上げた。
「線を引く、 と言ったんです。 その工房の人たちに」
「線?」
「はい。 守る範囲を石で囲んで、 その外には出ない、 と」
ミーネが、 足元の苔むした石を見下ろした。
「……石の、 輪」
「え」
「丘から見たでしょ。 里の外側に、 石の輪があったし。 ……この石、 それと同じ印じゃない?」
僕は、 手帳の、 昼間に描いた六角形の印と、 足元の石の印を、 見比べた。
全く、 同じだった。
台座の端に刻まれていた、 工房の印と。
里の外周に、 輪になって並ぶ石の印と。
背筋が、 ぞくりと震えた。
「……石守は、 この線を、 越えられないんですね」
「たぶんっす!」
ヒカルくんが、 目を輝かせた。
「だって、 ほら! ここで、 完全に止まってますし!」
僕たちは、 石守を見上げた。
巨大な石の騎士は、 里の外周、 石の線のぎりぎり手前で、 足を止めていた。
赤い目が、 ゆっくりと光を失っていく。
やがて、 完全に暗くなった。
石の騎士は、 そのまま、 動かなくなった。
月明かりの下、 里の人たちが、 おそるおそる引き返してくる。
「と、 止まった……?」
「石守が、 止まっただ!」
「勇者様が、 止めてくださっただ!」
歓声が、 夜に響いた。
「え、 いや、 俺じゃなくて、 アサノさんが」
「いえ、 僕は、 ただ」
「アサノさんっす! アサノさんが、 迷子になったから、 止まったんす!」
ヒカルくんが、 嬉しそうに、 僕の背中を、 ばしばし叩いた。
「……訳が、 分かりません」
「でも、 結果オーライっす!」
僕は、 苦笑した。
けれど、 笑いの奥で、 一つだけ、 腑に落ちない感覚があった。
なぜ、 同じ印の石が、 ここにあるんだろう。
なぜ、 あの工房の親方は、 同じ印を刻むと、 言ったのだろう。
あの工房は、 どこにあったんだろう。
遠い国の、 同じ形の巨像の、 工房。
そう思うしか、 なかった。
◇
夜が明けた。
里の人たちは、 総出で、 壊れた家々の片づけをしていた。
けれど、 誰の顔も、 暗くはなかった。
怪我人は、 数人の軽傷だけ。
死者は、 一人も出なかった。
「ありがとうございますだ、 勇者様。 ……そして、 旅の人」
ガロ爺が、 僕たちの前に、 深々と頭を下げた。
「石守が、 里の線の外に出られんと、 知らんかっただ。
ご先祖さまは、 『線の石には触れるな』と、 言い伝えとったが、 理由は、 誰も」
「いえ、 僕たちも、 偶然で」
「偶然じゃなかべ」
ガロ爺は、 首を振った。
「迷った者が、 線を引いた。 ……そんな、 ありがてえ話が、 あるもんだべか」
「……迷った者が、 線を」
「そうだべ。 おらの、 勘だども」
老人は、 そう言って、 皺だらけの顔で笑った。
ドルガンが、 腕を組んで、 低く言った。
「……対の巨像、 だな」
「ツイ?」
「……古い魔導具には、 対になっている物がある。
片方に命令を足せば、 もう片方にも、 同じ命令が届く。
……荷物持ちが見た工房は、 おそらく、 この像の片割れの工房だ」
「あ、 あたしも、 聞いたことあるし!」
ミーネが、 手を挙げた。
「双子の魔導具、 って言うんだし。 離れてても、 繋がってるの」
「つまり、 もう一体、 石守が、 どこかにいるんすか!?」
「……可能性は、 ある」
僕は、 手帳に書き込んだ。
【仮説】対の巨像。 遠い国に、 同じ形の像がもう一体あり、 その工房で、 僕は、 線を引くように助言した。
……辻褄は、 合う。
合う、 はずだ。
それなのに、 どこか、 しっくりこない。
なぜ、 あの工房の親方は、 「あの石に、 あんたの言葉を刻んでおく」と言ったのだろう。
あの石、 とは、 どれのことだろう。
……思い出せない。
そのとき、 里の入口が、 騒がしくなった。
「手紙だ! 王都からの、 早馬便だ!」
駆けてきた若者が、 一通の封書を掲げていた。
「勇者様一行に! 図書院からだそうで!」
僕は、 封書を受け取った。
宛名の筆跡に、 見覚えがあった。
丁寧で、 少しだけぎこちない字。
「リエナさんからだ」
「へー、 また手紙っすか!」
「ヒカル、 うるさいし」
封を開ける。
この世界の文字で、 びっしりと書かれている。
「ミーネさん、 読んでもらえますか」
「……しょうがないし」
ミーネは、 紙を受け取って、 目を走らせた。
「『アサノさんへ。 石守の遺跡の件が、 王都に届き、 図書院は、 調査員を送ることに決まりました』」
「調査員」
「『古代文字の読める者が必要なので、 わたしが志願しました。 大司書長様には、 初めて反論しました。 少し、 怒られました。 でも、 行くことにしました』」
ミーネの声が、 少し柔らかくなった。
「『明日、 そちらへ着く予定です。 ご迷惑でなければ、 現地で、 お手伝いさせてください。 ……あ、 それから』」
ミーネが、 紙の端を指さした。
「ここ、 おじさんに、 読めるやつだし」
見ると、 手紙の最後に、 丸い文字が並んでいた。
『あした、 いきます。 りえな』
ひらがなだった。
三文字目の「た」が、 少し歪んでいる。
けれど、 一画ごとに迷いのない、 丁寧な字。
……日本語だ。
この世界で、 初めて、 誰かが、 僕に、 日本語で手紙を書いてくれた。
胸の奥が、 じんわりと熱くなった。
「アサノさん、 顔が、 緩んでるっす」
「え」
「……荷物持ち」
「ええ」
「……顔が」
「うるさいし! 顔、 見ないでよ!」
なぜか、 ミーネが怒っている。
僕は、 手紙を丁寧に畳んだ。
それから、 手記帳を開いて、 栞の隣に、 そっと挟んだ。
【所感】
「あした、 いきます」と、 読めた。
日本語で。 彼女の字で。
……明日が、 少しだけ、 楽しみになった。
窓の外では、 夜明けの光が、 石守の背中を、 白く照らしていた。
巨大な石の騎士は、 線の手前で、 静かに眠りについていた。




