第12話 定時で帰ると言ったら……
はじめまして。
数ある作品の中から、 この物語を開いてくださって、 ありがとうございます。
こちらはゆっくり投稿していくので、読者の皆さまも肩の力を抜いて、
ゆっくりででもついてきていただけたら嬉しいです。
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旅の初日は、 驚くほど平和だった。
街道は広く、 空は青く、 魔物の気配もない。
馬車に揺られて半日。 それから、 徒歩で北西へ。
目指すのは、 辺境の「イサの里」
王国の地図の端のほうにある、 小さな集落だ。
そこで、 北の地から流れてくる魔物の被害が出ているらしい。
「いやー、 旅って、 気持ちいいっすね!」
ヒカルくんが、 大きく伸びをした。
「空気が、 おいしいっす! 体も、 すげえ軽い!」
「十四時間も寝ましたからね」
「それは言わないでくださいっす!」
夕方が、 近づいてきた。
空が、 橙色に染まり始める。
僕は、 ハンスから借りた携帯用の砂時計暦で、 日没までの時間を確認した。
「日没まで、 あと三十分です」
「え、 もう?」
ヒカルくんが、 空を見上げた。
「まだ、 全然、 歩けるっすよ? あそこに、 次の村が見えるし」
確かに、 遠くに、 小さな村の屋根が見える。
あと一時間ほど歩けば、 着きそうだ。
「……歩けるな」
ドルガンが、 低く呟いた。
「ヒカルくん、 約束ですよね」
「うっ」
ヒカルくんが、 僕を見た。
「……定時、 っすか」
「はい」
「でも、 俺、 疲れてないっす。 全然、 元気で」
「だから、 です」
僕は、 手帳を開いた。
「疲れていないと『感じる』ことと、 疲れていないことは、 別です。 ……ドルガンさんの、 言葉です」
「…………」
ヒカルくんは、 しばらく黙っていた。
それから、 ゆっくりと、 剣の柄から手を離した。
「……分かったっす。 今日は、 ここまで」
「ありがとうございます」
「アサノさんに言われると、 なんか、 ちゃんと従いたくなるんすよね」
「それは光栄です」
ミーネが、 退屈そうに、 足をぶらぶらさせた。
「ていじ、 って、 結局、 何なのよ」
「働く時間の区切りです。 時間が来たら、 その日の仕事は終わり。
……『帰る』ことが、 できるように」
「帰る?」
「はい。 宿でも、 焚き火のそばでも。 一日の終わりに、 戻る場所です」
ミーネの動きが、 ぴたりと止まった。
「……帰る家なんて、 ないし」
小さな声だった。
僕は、 彼女を見た。
ミーネは、 空を見上げたまま、 続けた。
「孤児院は、 十六になったら出ないといけなくて。
魔導学院の寮も、 卒業したら追い出されて。 ……あたし、 帰る家、 どこにもないし」
「…………」
「だから、 定時って言われても、 よく分かんない」
焚き火の準備をしていたドルガンの手が、 止まった。
ヒカルくんも、 黙っている。
僕は、 少し考えた。
それから、 言った。
「じゃあ、 作りましょう」
「え?」
「帰る場所を。 ……宿でも、 焚き火でも、 どこでも」
僕は、 荷物から、 小さなランタンを取り出した。
「今日の、 僕たちの家です」
ランタンの灯りが、 ぽっと、 夕闇に浮かんだ。
「ここが、 今日の『帰る場所』。 みんなで囲んで、 ご飯を食べて、 眠る。
それが、 パーティの定時です」
ミーネは、 しばらく、 ランタンの灯りを見つめていた。
それから、 ぽつりと言った。
「……バッカじゃないの」
「すみません」
「……でも」
ミーネは、 小さく笑った。
「悪く、 ないし」
◇
夕食は、 焚き火を囲んで食べた。
ドルガンが、 手際よく、 干し肉と野菜のスープを作ってくれた。
意外にも、 料理が上手い。
「……軍の野営で、 覚えた」
それだけ言って、 器を、 僕に差し出す。
一口すすると、 身体の芯が、 じんわりと温まった。
「おいしい、 です」
「……そうか」
ドルガンは、 そっぽを向いた。
耳が、 少しだけ赤い。
ヒカルくんは、 スープを三杯、 おかわりしていた。
「うまいっす! これ、 毎日食べたいっす!」
「……毎日、 作ってやる」
「マジっすか!」
「……ただし、 お前が、 定時を守るなら、 だ」
「守るっす! 絶対!」
焚き火が、 ぱちぱちと音を立てる。
火の粉が、 夜空に舞い上がっていく。
ミーネは、 焼き菓子をかじりながら、 火を眺めていた。
それぞれが、 それぞれのやり方で、 くつろいでいる。
……これが、 「帰る場所」の、 始まりなのかもしれない。
食後、 僕は、 手記帳を開いた。
一日の記録を、 書き込んでいく。
【持ち物】水筒、 ランタン、 手記帳、 栞
【集合時間】日没(パーティの定時)
【所感】
……と書いて、 ふと、 手が止まった。
手記帳の、 最初のページ。
リエナさんがくれた栞の下に、 小さく折りたたまれた紙が、 挟まっていた。
「……あれ」
開いてみる。
この世界の文字で、 びっしりと書かれていた。
僕には、 読めない。
「ミーネさん、 これ、 読んでもらえますか」
「えー、 めんどくさいし」
「お願いします」
「……ま、 しょうがないし」
ミーネは、 紙を受け取って、 目を走らせた。
「えっと。 『アサノさんへ。 まず、 ご無事なご旅行を、 お祈りしています』」
「ありがとうございます」
「『手記の見出しについて、 質問です。 【もちもの】【しゅうごうじかん】【しょかん】。
この三つは、 アサノさんの国の、 決まりごとですか』」
「ああ、 それは、 新人研修で習った書き方で」
「続きがあるし。 『この三つの見出しを見ていると、 なぜか、 古い記録を読んでいるときと、 同じ気持ちになります。 理由は、 わかりません。 でも』」
ミーネは、 そこで、 少し声を止めた。
「『文字は、 嘘をつきません。 だから、 たぶん、 気のせいでは、 ないのです。 ……リエナ』」
僕は、 栞を、 じっと見つめた。
古い記録を読んでいるときと、 同じ気持ち。
……どういう意味だろう。
「へー、 リエナさんからっすか!」
ヒカルくんが、 にやにやと、 顔を突っ込んできた。
「アサノさん、 モテるっすね!」
「い、 いえ、 そんな」
「手紙、 最初の日にくれるなんて!」
「ちょっと、 ヒカル。 うるさいし」
ミーネが、 ぷいっと、 紙を僕に突き返した。
「べ、 別に、 何とも思ってないし! ただ、 手紙が長くて、 読むの、 疲れただけだし!」
「は、 はい、 ありがとうございました」
「…………」
「……ミーネ」
ドルガンが、 低く言った。
「……お前、 顔が」
「うるさいし!」
ミーネは、 毛布をかぶって、 横になってしまった。
……何か、 まずいことを、 したのだろうか。
ヒカルくんが、 肩をすくめて笑った。
焚き火の向こうで、 ドルガンが、 ほんの少しだけ、 口の端を上げていた。
◇
みんなが寝静まったあと、 僕は、 一人、 焚き火の番をしていた。
ヒカルくんは、 ドルガンの指示で、 毛布にくるまっている。
眠れなくても、 横にならせる。
それが、 定時のルールだ。
……ちゃんと、 目を閉じている。
寝息のような、 浅い呼吸。
少なくとも、 身体は休んでいるはずだ。
僕は、 手記帳に、 続きを書いた。
【所感】
今日、 初めて、 「定時」で一日を終えられた。
ミーネさんが、 「帰る家がない」と言った。
それを聞いて、 胸が痛かった。
僕も、 ずっと、 帰る場所がなかったから。
会社と、 一人暮らしの部屋。 その往復で、 「帰る」と言える場所は、 どこにもなかった。
……でも。
焚き火の灯りが、 眠る三人の寝顔を、 ほんのり照らしている。
【所感】
帰る場所は、 作れる。
誰かと、 一緒に。
それを作ることが、 僕の仕事かもしれない。
賢者の声が、 蘇る。
——お前は、 帰れる場所を、 持っておらねばならん。
……はい。
僕は、 小さく頷いた。
首元の砂時計の砂が、 焚き火の光を受けて、 金色に輝いていた。
明日の朝には、 また、 全部、 戻っている。
そんな気がした。
北の空は、 今夜も、 黒い。
けれど、 そのふもとに、 ほんの小さな光が灯っていた。
焚き火の灯り、 だろうか。
それとも。
……僕は、 その光を、 しばらく見つめて、 それから、 目を閉じた。




