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転移したのに遅刻⁉ 獲得したスキルは《迷子》 〜方向音痴、異世界でも迷います〜  作者: 有馬 茶


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第10話 魔物の大群に飲まれた荷物持ちが

はじめまして。

数ある作品の中から、 この物語を開いてくださって、 ありがとうございます。


こちらはゆっくり投稿していくので、読者の皆さまも肩の力を抜いて、

ゆっくりででもついてきていただけたら嬉しいです。

ブックマークや評価、 感想が、 何よりの励みになります。

 出発を二日後に控えた、 夜明け前だった。

 カン、 カン、 カン、 と、 激しい鐘の音が、 王都中に響き渡った。

 緊急招集の鐘だ。

 飛び起きて、 窓の外を見る。

 北の空が、 墨を流したように黒い。

 その手前、 王都の北門の向こうの地平線が、 ざわざわと波打っていた。


 ……動いている。

 あれは、 全部、 魔物だ。

「アサノさん!」

 ヒカルくんが、 部屋に飛び込んできた。

 すでに、 革の胴着と剣を身につけている。

「魔物が、 北から、 大量に! ギルドが、 緊急依頼を出したって!」

「ヒカルくん、 ちょっと待って。 いつから起きて」

「え? 俺、 寝てないっすよ? ずっと、 素振りしてて」

 ……昨夜から、 一睡もしていないのか。

 昨日、 ミーネが言っていた。

 夜通し剣を振っている、 と。

 背筋が、 冷たくなる。

「ヒカルくん。 水は」

「あ、 飲んでないっす。 喉、 渇いてないんで」

「飲んでください」

 僕は、 荷物から水筒を取り出して、 ヒカルくんの手に押しつけた。

「アサノさん、 今は、 それどころじゃ」

「それどころです」

 自分でも驚くほど、 強い声が出た。

 ヒカルくんは目を丸くして、 それから、 水筒に口をつけた。

 ごくごくと、 飲み干す。

「……あれ。 俺、 すげえ、 渇いてたっす」

「でしょう」

「アサノさん、 マジで、 よく気づきますね」

「総務ですので」

 それしか、 言えなかった。

 北門前の広場には、 すでに、 大勢の冒険者と兵士が集まっていた。

 ドルガンが、 大剣を背負って、 僕たちを待っていた。

 隣には、 眠そうな目をこすりながら、 魔導士のミーネ。

「……来たか」

「状況は」

 ヒカルくんが、 駆け寄る。

 ドルガンは、 低く言った。

「……北から、 魔物の群れ。 数は、 数千。 ゴブリン、 魔狼、 オーガ。 種族が、 混ざっている」

「混ざって?」

「……普通は、 群れない。 種族が違えば、 争う」

 ドルガンは、 北の空を睨んだ。

「……何かに、 追われている」

「追われて……」

「……そして、 眠っていない」

「え?」

「……見ろ。 目が、 おかしい」

 遠くに見える、 先頭の魔狼の群れ。

 目が、 赤く、 血走っていた。

 足取りはふらついているのに、 止まらない。

 まるで、 止まれないみたいに。

「……眠らん魔物は、 暴れる。 ……疲れ切って、 それでも、 動き続ける」

 僕は、 息を呑んだ。

 眠れない。

 止まれない。

 疲れ切っているのに、 動き続ける。

 それは、 まるで。

 僕の前の職場の、 誰かの顔みたいだった。

「……北門前の橋で、 食い止める。 勇者、 前に出ろ。 ミーネ、 後ろから狙え。 荷物持ち」

「はい」

「……お前は、 補給と、 負傷者の運搬だ。 前には出るな」

「分かりました」

「……必ず、 地図を持て」

「はい」

 ドルガンが、 ちらりと僕を見た。

「……迷っても、 呼べ。 ……必ず、 誰かが行く」

 それは、 賢者の言葉と、 同じ響きをしていた。

 僕は、 強く頷いた。



◇



 北大橋は、 王都の北門から続く、 石造りの大きな橋だった。

 幅は、 馬車四台分。

 長さは、 百メートルほど。

 川の向こう岸に、 魔物の波が迫っていた。

「来るぞ!」

 誰かが叫んだ。

 地鳴りが、 足元を揺らす。

 数千の足音。 うなり声。 牙の軋む音。

 橋の袂に、 ドルガンが立った。

 大剣を、 地面に突き立てる。

「……動かん」

 それだけ言って、 彼は、 石像のように、 微動だにしなくなった。

 魔物の第一波が、 ドルガンに殺到する。

 ゴブリン。 魔狼。

 剣が、 牙が、 爪が、 容赦なく、 ドルガンの身体に叩きつけられる。

 けれど。

 ドルガンは、 動かなかった。

 ただ、 立っていた。

 叩きつけられるたびに、 火花が散る。

 しかし、 彼の身体には、 傷ひとつ、 ついていない。

 不動。

 動かない間だけ、 防御力が数倍になる、 彼の力。

「うおおおお!」

 ヒカルくんが、 ドルガンの横から飛び出した。

 《聖剣・暁》が、 金色の光を放つ。

 一閃で、 魔狼の群れが吹き飛んだ。

「大丈夫、 行ける!」

 その叫びが、 戦場に響き渡った。

 僕は、 橋の後方の、 臨時の救護所で、 水と包帯と薬を配っていた。

 負傷した冒険者が、 次々と運び込まれてくる。

「水をください!」

「包帯が足りない!」

「こちらです! 順番に!」

 総務で、 災害時の備蓄管理を担当したことがある。

 誰に、 何が、 どれだけ必要か。

 どこに、 何を置いておけばいいか。

 それを、 頭の中で組み立てる。

 手が、 勝手に動いていた。

「薬草は、 この箱に、 傷の深さ別に並べてあります。 赤い札は重傷、 青い札は軽傷」

「ありがてえ! 誰だ、 こんな整理したのは!」

「荷物持ちの兄ちゃんだ!」

 ……僕の名前も、 知らないのに。

 それでも、 嬉しかった。

 戦いは、 一時間、 二時間と続いた。

 ミーネが、 橋の後方の高台に立っていた。

 杖を高く掲げ、 目を閉じて、 長い詠唱を唱えている。

 足元に、 青白い光の円が展開していた。

 円の縁に、 小さな星の形が、 一つ、 また一つと浮かんでいく。

「……星よ、 降れ」

 ミーネが、 目を開けた。

 夜明け前の空から、 いくつもの光の筋が、 流星のように降り注いだ。

 魔物の群れの、 ど真ん中に。

 爆発。

 轟音。

 土煙が、 空高く舞い上がる。

「うわあああ! すげえ!」

 冒険者たちが、 歓声を上げた。

 ミーネは、 肩で息をしながら、 小さく呟いた。

「……一発、 目」

 詠唱中、 何もできない彼女を、 ヒカルくんとドルガンが守っていた。

 三人の連携が、 戦場の中心で輝いていた。

 けれど。

 僕は、 気づいていた。

 戦いが三時間を超えたころから。

 ヒカルくんの動きが、 少しずつ、 鈍くなっていることに。

 剣の光が、 かすかに揺らいでいる。

 それでも、 彼は笑っていた。

「大丈夫、 行ける! 大丈夫!」

 ……大丈夫、 じゃない。

 だって、 彼は、 昨夜から一睡もしていない。

 感じないだけなのだ。

 疲れを。

 痛みを。

 限界を。

「ヒカルくん!」

 叫んだ。

 けれど、 戦場の轟音に、 かき消された。

 僕は、 薬の箱を投げ出して、 前線へ走った。

 ……前に出るな、 とは、 言われたけれど。



◇




 走って、 走って。

 橋の中ほどで、 僕は立ち止まった。

 視界が白かった。

 土煙と、 魔法の閃光。 砕けた石。 飛び交う怒号。

 ヒカルくんの姿が、 見えない。

 周囲に誰がいるのかも、 分からない。

「ヒカルくん! ドルガンさん!」

 叫んだ。

 返事は、 ない。

 煙が、 濃くなっていく。

 右も左も、 前も後ろも、 分からなくなっていく。

 橋の上で、 僕は、 完全に迷っていた。

 地図は、 手の中にある。

 けれど、 こんな煙の中では、 何の役にも立たない。

 喉が、 カラカラに渇く。

 心臓が、 耳の奥で、 うるさく鳴る。

 ……迷った。

 その瞬間だった。

 煙が、 一瞬、 薄れた。

 十メートルほど先に、 ヒカルくんの背中が見えた。

 剣を構えて、 前を向いている。

 その、 さらに前。

 巨大な影が、 立っていた。

 オーガだ。

 三メートルを超える、 灰色の巨体。

 筋肉の塊のような腕に、 丸太のような棍棒を、 振りかぶっている。

 ヒカルくんは、 気づいていない。

 別の魔狼と戦っていて、 背後ががら空きだった。

 棍棒が、 振り下ろされる。

 ……間に合わない。

「ヒカルくん!!!」

 喉が裂けるほど、 叫んだ。

 けれど、 声は、 届かない。

 足が、 動かない。

 身体が、 凍りついたように。

 そのとき。

 首元で、 さらり、 と音がした。

 砂時計が、 光を放っていた。

 上のガラスから、 砂が、 滝のように流れ落ちていく。

 足元の石畳に、 青白い円が広がった。

 ……来た。

 視界が、 光に呑まれる。

 歯車の回廊。 砂の滝。 浮遊感。

 落ちる。

 落ちる。

 そして——

 足の裏が、 石を踏んだ。

 光が、 消える。

 目の前に、 ヒカルくんの背中があった。

 手を伸ばせば、 届く距離に。

 視界の端に、 巨大な棍棒が、 振り下ろされるのが見えた。

 ……間に合った。

 僕は、 迷わず、 動いた。

 ヒカルくんの背中に、 全体重で、 ぶつかった。

「うわっ!?」

 ヒカルくんの身体が、 横に吹っ飛ぶ。

 その一瞬前まで、 彼が立っていた場所に。

 轟音とともに、 棍棒が叩きつけられた。

 石畳が、 砕け散る。

 破片が、 僕の頬を切り裂いた。

 ……痛い。

 けれど、 それよりも。

「ヒカルくん! 無事ですか!」

 地面に転がったヒカルくんが、 目を白黒させて、 僕を見上げた。

「あ、 アサノさん!? い、 今、 どこから」

 その問いに、 答える時間は、 なかった。

 足元から、 光の砂が、 渦を巻いて立ちのぼる。

 砂時計の砂が、 一気に、 全部、 落ちていく。

 ……これで、 終わりなのか。

 彼が助かったと、 見届けて。

 僕の身体は、 ふわりと浮き上がった。











◇


 気がつくと、 僕は、 橋の上に立っていた。

 さっきまでいた、 煙の中。 同じ場所。

 けれど、 戦場の音は、 少し遠くなっていた。

 ……戻ってきた?

 足元に、 ヒカルくんの姿は、 ない。

 煙は薄れ、 戦場の喧騒が、 まばらになっている。

 ドルガンの野太い声が、 聞こえた。

「……最後の一体だ!」

 大地が、 揺れた。

 そして、 静寂。

 戦いは、 終わっていた。

 ……また、 遅刻した。

 その事実に、 僕は苦笑した。

 けれど、 笑いは、 すぐに消えた。

 何かが、 頭の奥で、 溶けていく。

 オーガの、 巨大な影。

 棍棒の、 風を切る音。

 ヒカルくんの、 背中。

 ……何を、 した?

 僕は、 慌てて手帳を開いた。


 【どこへ行ったか】


 橋の上。 同じ場所?


 【誰がいたか】


 ヒカルくん。 巨大な魔物。


 【何をしたか】


 ……何か、 した。 たぶん、 ヒカルくんを助けた。



 そこまで書いて、 手が止まった。

「アサノさん!!」

 橋の向こうから、 ヒカルくんが駆けてくる。

 泥だらけで、 あちこちに傷を作りながら、 それでも笑っていた。

「アサノさん! さっき、 ありがとうございました!」

「え」

「いきなり、 後ろから、 どーん、 って! あれ、 アサノさんっすよね!?

  俺、 オーガの棍棒、 まともに食らうとこだったっす!」

「……あ、 はい。 たぶん」

「たぶん!?」

「ええと、 その、 記憶が」

 ヒカルくんの後ろから、 ドルガンとミーネが、 近づいてきた。

 ミーネは、 目を丸くして、 僕を見つめている。

「おじさん、 あんた、 どうやって、 あそこに」

「あたし、 見てたし! 後ろの救護所から、 おじさんが前線に走っていくのを。

  ……そしたら、 ヒカルの前に、 ぱって、 現れて!」

「ぱって」

「そう! 転移したのよ! あんたの、 スキル『迷子』の力で!」

 ミーネの声は、 興奮と、 少しの震えを帯びていた。

「あんたが、 後ろで見えなくなったのと、 ヒカルの前に出てきたの、 ほとんど同じだったし。

  ……あたし、 ほんとに、 びっくりしたし……!」

「……ミーネ」

 ドルガンが、 低く言った。

「……荷物持ち」

「はい」

「……お前は、 前に出るなと言った」

「す、 すみません」


「……だが」

 ドルガンは、 僕の肩に、 ぽん、 と大きな手を置いた。

「……よくやった」

 それだけだった。

 けれど、 その手の重みは、 どんな賛辞よりも、 深く胸に染みた。

「あの、 ヒカルくん」

「はい?」

「水は、 飲みましたか」

「え? あ、 さっき、 アサノさんに言われてから、 飲んでない、 かも」

 ヒカルくんは、 笑って、 一歩、 踏み出そうとして。

 足が、 もつれた。

「あれ」

 身体が、 ぐらりと、 傾いた。

「ヒカルくん!」

 ドルガンが、 素早く、 その身体を支えた。

 ヒカルくんは、 ドルガンの腕の中で、 目を見開いたまま、 呟いた。

「……あれ、 俺。 なんか、 手が、 動かない」

「……言ったろう」

 ドルガンの声が、 低く震えた。

「……疲れを、 感じないだけだと」

「だい、 じょうぶ、 行ける……」

 ヒカルくんの瞳が、 ゆっくりと、 閉じていく。

「ヒカルくん!!」

 僕の叫びが、 夜明けの空に、 吸い込まれていった。

 北の地平線が、 わずかに白んでいた。

 けれど、 その向こうの空は、 まだ、 夜の色を引きずっていた。

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