第096話:盾花、単独で動く
その数日後、盾花のもとに、実家の母から一本の電話が入った。
『――盾花。おかしな話なんだけど、うちの炉の設計図を、なぜだか防具メーカーの調達担当だっていう人が欲しがっていて……。しかも、ずいぶん強引な口ぶりで』
「え……」
電話を切った後、盾花はしばらくの間、部屋で一人考え込んでいた。
(――工房のデータが流出したのは、私が部室に出入りしているせいかもしれない)
そんな考えが、頭から離れなかった。
* * *
翌日の放課後。
「――すみません、今日は一人で用事があるので」
盾花は、部室のみんなにそう告げると、一人で外出した。向かった先は、業界誌の取材で知り合った、防具メーカーの担当者との待ち合わせ場所だった。
「戌井さんの工房の技術、我々としても大変興味がありまして……。ぜひ、詳しい資料をご提供いただけないかと」
慇懃な態度の担当者に、盾花は毅然と言い返した。
「工房の技術は、母が長年かけて積み上げてきたものです。簡単にお渡しできるものではありません」
「そう仰らずに。悪いお話ではないと思いますが」
粘る担当者を前に、盾花は僅かに気圧されながらも、決して引かなかった。
「――何度言われても、答えは変わりません。失礼します」
盾花はそう言い切ると、席を立った。担当者は苦い顔をしながらも、それ以上は引き止めてこなかった。だが、店を出た後、盾花の足取りは、思いのほか重かった。
(――これで、本当に良かったのかな。強引に断って、また何か、工房に嫌がらせをされたりしないかな)
一人で抱え込んだ不安が、じわじわと胸を締め付けていく。
* * *
その夜、少し疲れた様子で部室に戻ってきた盾花を、トールが静かに出迎えた。
「……無茶をしたな」
「――ばれてました?」
「イシュラーナが位置情報を追っていた。心配だったのでな」
トールの素っ気ない一言に、盾花は苦笑した。
「すみません。私、あの時、決めたはずなんです。ただの親友としてここにいるって。でも、実家のことになると、どうしても、一人で抱えたくなってしまって」
「一人で背負う必要はない」
トールは、いつになく真っ直ぐに盾花を見据えた。
「お前の母君の工房は、お前一人の問題ではない。俺たちの、この部室の問題でもある」
「――トールさん」
盾花の瞳に、じわりと涙が浮かんだ。
「それに」
トールは、僅かに口の端を緩めた。
「無茶をするなら、一人でするな。誰かと共に無茶をしろ。その方が、よほど強い」
その言葉に、盾花は小さく頷いた。かつて選び取った「ただの親友」としての在り方に、また一つ、確かな芯が加わった夜であった。
「――それに」
トールは、少し離れたところで様子を見守っていた蓮司へと、ちらりと視線を向けた。
「一人で背負って潰れるのがどれほど愚かなことか、俺はよく知っている。……だからこそ、お前には、二度とそうはさせん」
その一言に籠められた重みに、盾花だけでなく、蓮司もまた、僅かに目を伏せた。誰も詳しくは語らなかったが、そこには、かつて異世界の戦場で、それぞれが一人で何かを抱え込み、失ってきた過去の記憶が、確かに横たわっているようだった。
「――さて、辛気臭い話はこれくらいにしておこう」
トールがそう言って空気を切り替えると、白石さんが新しいお茶とお菓子を運んできた。
「皆さん、夜も遅いですし、温かいものでも召し上がってください」
その一言に、部室にはいつも通りの、穏やかな笑い声が戻っていった。
「――今度から、一人で抱え込まずに、ちゃんと皆さんに相談します」
「それでいい」
トールが短くそう答えると、後ろで様子を見ていた氷華が、そっと盾花の肩に手を置いた。
「当然ですわ。わたくしたちは、そのためにここにいるのですから」
その言葉に、盾花はようやく、安堵の笑みを浮かべることができた。
* * *
その夜遅く、部室に残っていた鯖江とイシュラーナは、密かに例の防具メーカーについて調査を進めていた。
『――鯖江くん、少し妙なことが分かりましたわ』
「なんスか」
『先程の担当者が名乗っていた会社、登記上は実在しますけれど、ここ半年ほどの間に、複数の小規模な工房や町工場に対して、同じような強引な技術提供の打診を繰り返しているようですの』
「マジっスか……。それって、単なる商売っていうより」
『ええ。誰かに依頼されて、動いているようにも見えますわ。もっとも、まだ確証は持てませんけれど』
鯖江は、モニターに映る調査結果を見つめながら、静かに拳を握った。
「盾花さんの工房だけじゃなく、他にも被害者がいるかもしれないってことッスよね。……絶対に、突き止めてやるッス」
『頼りにしておりますわ、鯖江くん』
イシュラーナの声に、鯖江は珍しく真剣な面持ちで頷いた。部室の平穏な日常の裏側で、静かに、しかし確実に、何かが動き始めていることを、この時点で気づいていたのは、まだごく一部の者だけだった。窓の外には、初夏の澄んだ星空が、静かに広がっていた。




