第095話:蓮、ダンジョンに立つ
「――今日は洗濯物を乾かす魔石が切れたんスよ。ちょっと第31層まで行ってきてもいいっスか、ボス」
日曜日の昼下がり、鯖江の申し出に、トールは寝転がったまま「好きにしろ」と短く答えた。
「俺も行っていいか。この街のダンジョンとやら、まだ実際に見たことがなくてな」
蓮司が興味深そうに手を挙げると、氷華と盾花も「では皆でまいりましょう」と支度を始めた。
* * *
学園地下ダンジョン、第31層【結晶と鉱石の洞窟】。
「――ほう。こいつは、なかなか綺麗な洞窟だな」
蓮司が壁面の結晶を興味深そうに眺めていると、物陰からクリスタルアントの群れが襲いかかってきた。
「来たか」
トールが動くより早く、蓮司が抜刀し、流れるような太刀筋で群れを一閃した。
「――ほう」
トールが僅かに目を見張る。異世界の戦場で鍛えられた剣技は、五年の空白を経てもなお、些かも鈍っていなかった。
「悪くない腕だな」
「お前ほどじゃないさ」
二人の息の合った連携に、氷華と盾花は目を丸くした。
「す、すごいですわ……! お二人とも、初めて組んだとは思えない連携ですのに」
「いや、あの、なんかもう、以心伝心って感じっスね……」
鯖江が呆然と呟く横で、当の二人はいつも通りの涼しい顔をしていた。
「わ、私も負けていられませんわ!」
氷華の絶対零度の氷結魔法が、残った敵の足元を凍てつかせ、盾花の絶対障壁が、味方を寄せ付けぬ盾となって前線を支える。
「これなら、俺たちの出番、あんまりなさそうっスね……」
鯖江が苦笑しながらドローンを飛ばし、周囲の状況を逐一記録していく。
* * *
その後も、一行は奥へと進んでいった。第31層の最奥部には、結晶を守るようにして、やや強めのボスモンスター――クリスタルゴーレムが待ち構えていたが、トールと蓮司の連携剣技の前には、ものの数分で沈黙することとなった。
「――やはり、お前と背中を合わせて戦うと、どこか懐かしい感覚があるな」
「奇遇だな。俺もだ」
二人が短くそう言葉を交わす様子を、氷華はどこか羨ましそうに眺めていた。
「わたくしたちも、もっと連携の練度を上げませんと。置いていかれてしまいますわ」
「そうですね。今度、氷華ちゃんと二人で連携の特訓、しましょうか」
盾花の提案に、氷華は嬉しそうに頷いた。二人はその場で早速、簡単な連携の型を確認し合い、息を合わせて次の雑魚敵の群れを難なく片付けてみせた。
「――ほう、なかなか様になってきたな」
トールが感心したように呟くと、氷華は誇らしげに胸を張った。
「当然ですわ。わたくしたちだって、日々鍛錬を怠ってはおりませんもの」
* * *
だが、その帰り道。
「――む。この魔道具、動かん」
蓮司が、鯖江の貸した簡易型の魔道ライトを手に、困惑した様子で首を傾げていた。
「あ、それスイッチ、逆側っスよ」
「……こういう文明の利器は、どうにも慣れんな」
異世界仕込みの剣技とは裏腹に、現代の家電にはからきし弱いという蓮司の意外な一面に、部室の面々は思わず笑いをこぼした。
「蓮くん、剣は凄いのに、魔道ケトルの使い方も分かりませんでしたものね」
「うるさいぞ、氷華とやら」
「今度、俺が家電の使い方、一から教えてやるっスよ。任せてください」
鯖江が胸を張ってそう申し出ると、蓮司は渋々といった様子で「……頼む」と頭を下げた。その素直な一面に、部室の空気はまた一段と和んでいった。
* * *
ダンジョンから戻った夜、ペントハウスのリビングで、蓮司は改めて鯖江の家電講座を受けることになった。
「――いいっスか蓮さん、このスイッチは長押しで電源、短押しで切り替えっス」
「……長押し、短押し。ふむ、覚えたぞ」
蓮司が真剣な表情で魔道ケトルのスイッチを何度も押し込む様子に、トールはソファーから半眼でその光景を眺めていた。
「――お前、戦場では俺よりよほど的確な判断を下していたはずだが」
「うるせえ。文明の利器は専門外だと言っただろう」
蓮司がむっとした様子で言い返すと、鯖江が横から楽しげに口を挟んだ。
「蓮さんの意外な弱点、見つけちゃいましたね。これ、部室のみんなにも自慢していいっスか」
「――やめろ、絶対にやめろ」
珍しく慌てた様子を見せる蓮司に、その場にいた全員が声を上げて笑った。強者揃いの部室の中で、蓮司のこうした人間らしい一面は、瞬く間に皆から愛される種になっていった。
「――ふん。戦場では、こんなもの必要なかったんだがな」
蓮司がぼそりと悪態をつくと、トールが珍しく笑いを堪えきれないといった様子で口を挟んだ。
「お前が魔道具に苦戦する姿、なかなか見られるものではないぞ。もっと堪能させてもらおう」
「――お前まで乗っかってくるのかよ」
蓮司が呆れたように肩を落とす様子に、部室にはまた新しい笑いの渦が生まれていった。氷華も盾花も、堪えきれずに笑い声を上げ、鯖江も満足げに何度も頷いている。異世界の戦場で幾多の死線を潜り抜けてきた二人の男が、こんな些細なことで肩を並べて笑い合っている――その光景は、部室のこれまでの日常の中でも、ひときわ温かなものだった。
いつも通りの賑やかな笑い声が、ダンジョンからの帰り道に響いていった。




