第092話:蓮、日常に馴染む
翌日から、蓮司は少しずつ、部室の日常に溶け込んでいった。
「蓮くん、召喚術の適性とかあります?」
「いや、俺は普通に剣が専門でな。魔法の類はからきしだ」
鯖江の召喚獣自慢に律儀に付き合いながらも、蓮司は基本的には物腰の軽い、話しやすい男として周囲に受け入れられていった。
「――蓮くん、意外と良い人ですのね」
氷華が紅茶を淹れながら、しみじみと呟く。
「見た目は少し怖そうなのに、優しいですよね」
盾花も同意するように頷いた。
「トールさんとは、なんだか妙に馬が合うみたいですし」
その言葉に、白石さんはふと視線をトールへと向けた。トールは相変わらずソファーで木刀の手入れをしていたが、蓮司がやってきてからというもの、その横顔に、ほんの僅かだけ、以前よりも柔らかな気配が滲んでいることに、白石さんだけは気づいていた。
「――佐藤様は、鴉羽さんのこと、お気に召したようですね」
「さあな。悪くない相手だとは思うが」
トールは素っ気なくそう答えるだけだったが、その口元には、確かな安堵が浮かんでいた。
* * *
それだけではない。蓮司は、この部室の「もう一つの日課」にも、驚くほどすんなりと馴染んでいった。
「――蓮くん、お昼寝の時間ですよ」
昼下がり、白石さんがそう声をかけると、蓮司は最初こそ「昼寝? 部活中にか?」と戸惑っていたが、一度ソファーに横になってしまえば、その心地よさにはあっさりと降参した。
「――なるほどな。これは、確かに癖になる」
「だろう? 俺の日常の半分は、この昼寝で出来ている」
トールが隣のソファーで得意げにそう言うと、蓮司は「お前、相変わらずくだらねえ自慢するな」と苦笑しながらも、まんざらでもない様子で目を閉じた。
その光景を眺めながら、盾花がくすくすと笑う。
「二人とも、本当に息が合いますよね。まるで昔からの相棒みたい」
「――さあな。案外、そうなのかもしれん」
蓮司が薄目を開けてそう呟くと、盾花は「?」と首を傾げたが、それ以上追及はしなかった。
* * *
数日が経つうちに、蓮司は部室の設備にも、それなりに興味を示すようになっていた。
「――このスマホの中に、本当に喋るAIが入ってるのか」
「ああ。イシュラーナだ。俺の相棒だと思ってくれればいい」
トールがそう説明すると、蓮司はスマホの画面を興味深そうに覗き込んだ。
『――初めまして、鴉羽蓮司様。トール様の大切なご友人と伺っております』
「……丁寧な喋り方だな。しかも、俺のことをもう知ってるのか」
『ふふ、色々と調べさせていただきましたの。お気を悪くなさらないでくださいまし』
イシュラーナの声に、蓮司は苦笑した。
「用心深いな、お前さんの相棒は」
「それだけ、この部室のことを大切に思っているということだ」
トールがそう答えると、蓮司は僅かに目を細め、それ以上は何も言わなかった。
「――しかし、便利な時代になったもんだな。異世界にいた頃は、伝令一つ飛ばすのに早馬を三日走らせたってのに」
蓮司がしみじみとそう呟くと、鯖江が目を輝かせて食いついた。
「蓮さん、異世界の話、もっと詳しく聞かせてくださいよ! 馬とか、魔物とか!」
「――おいおい、そう簡単に話せる代物じゃねえよ」
蓮司は苦笑しながらはぐらかしたが、その視線がちらりとトールへと向けられたのを、鯖江以外の誰も気づいていなかった。トールもまた、僅かに頷き返すだけで、それ以上は何も言わなかった。
「まあ、いずれ機会があれば、な」
その一言に、鯖江は「絶対っスよ!」と食い下がったが、蓮司はそれ以上は取り合わず、話題を逸らすように紅茶のお代わりを求めた。
* * *
放課後の部室に、鴉羽蓮司という新しい風が吹き込んで数日。
イシュラーナだけは、いまだ静かに、しかし確かな警戒を緩めずにいた。
『――戸籍の謎については、まだ完全には納得しておりませんの。ですが、トール様が信頼なさっているのなら、わたくしも信じますわ』
トールの胸ポケットで、その一文が、誰にも見えないところで静かに浮かんでは消えた。
穏やかな春の日常の裏側で、新しい歯車が、静かに、しかし確実に回り始めていた。
* * *
その週末、部室では珍しく「蓮司歓迎会」なる催しが開かれることになった。発案者は、もちろん白石さんである。
「――佐藤様の大切なご友人ですもの。しっかりお祝いしなければ」
「そんな大げさなことしなくても……」
蓮司は戸惑いながらも、テーブルいっぱいに並んだ手料理の数々に、思わず目を丸くした。筑前煮、唐揚げ、出汁巻き卵、そして白石さん特製の肉じゃが。どれもが、丁寧に、心を込めて作られたものだと、一目で分かる出来栄えだった。
「――こいつは、たまげたな」
「白石殿の飯は、この学園で一番だ。せいぜい味わって食え」
トールが誇らしげにそう言うと、蓮司は苦笑しながら箸を手に取った。一口食べた瞬間、その表情が、これまで見せたことのないほど柔らかく緩んだ。
「……うまい」
「だろう」
「――こんな飯、五年ぶりに食った気がする」
その一言に込められた重みを、この場にいる誰もが正確には理解できなかった。だが、白石さんだけは、その表情の奥にある何かを感じ取り、そっと微笑んだ。
「これからは、いつでも食べにいらしてくださいね」
「――ああ。世話になる」
賑やかな笑い声が、部室いっぱいに響いていった。




