第091話:再会、静かな刃と静かな涙
その夜、ペントハウスには、トールと蓮司の二人だけが残っていた。白石さんも結衣ちゃんも本邸に、氷華も盾花も自宅に、鯖江も別荘の点検に出ている。イシュラーナだけが、胸ポケットの中で静かに息をひそめていた。
「――さて」
トールが湯呑みを二つ、卓に置くと、蓮司はようやくいつもの飄々とした表情を崩し、深く息を吐いた。
「まさか、生きてお前と再会するとはな」
「それは、こっちの台詞だ」
トールの声に、僅かな震えが滲んだ。
「あの最終決戦で、お前は――魔神の最後の一撃を、俺の代わりに受けた。あの場に倒れ伏したお前の姿を、俺はこの目で見た」
「ああ、見ただろうな」
蓮司は自嘲するように笑うと、静かに続けた。
「だが、死ななかった。虫の息のまま、戦場の外れまで這いずって、気づけば――お前と同じ、この現代日本とやらに流れ着いていた。理由は分からん。あの魔神の最後の力が、そういう気まぐれを起こしたのかもしれんし、俺たちを故郷に帰そうとした何かの意志だったのかもしれん」
「……五年前、と聞いたが」
「ああ。お前より、少し遅れてこっちに来た。言葉も分からず、身元もない。しばらくは、その日暮らしの荒れた生き方をしていたよ」
トールは湯呑みを握る手に、僅かに力を込めた。
「――すまなかった」
「よせ」
蓮司は即座にそれを遮った。
「お前が謝ることじゃない。あの一撃は、俺が自分の意志で受けたものだ。仲間を、友を守るためにな。後悔なんぞ、これっぽっちもしちゃいない」
「だが……」
「それに」
蓮司は、窓の外に広がる渋谷の夜景に目を細めた。
「お前が向こうで斬り伏せた魔神のあと、あの世界がどうなったか、聞きたくないか」
トールの肩が、僅かに動いた。
「……聞かせてくれ」
「戦は終わった。お前が最後に流した血のおかげで、あの荒れ果てた大地に、少しずつ緑が戻り始めている。俺が流れ着く直前、風の噂で聞いた話だが――お前の名は、もう化け物としてではなく、"静かなる剣聖"として、静かに語り継がれているそうだ」
「……そうか」
トールは短くそう答えると、湯呑みの中身を、ゆっくりと飲み干した。
「あんたらの分まで、俺は食っている――そう誰にともなく呟いていた日々があった。だが、まさか、その"あんたら"の一人が、こうしてまた俺の前で軽口を叩くとはな」
「悪いか」
「いいや」
トールは、珍しく、心の底からの穏やかな笑みを浮かべた。
「――良かった。本当に、良かった」
その一言に、蓮司もまた、僅かに目を潤ませながら、それを隠すように湯呑みを呷った。
「――なあ、トール。お前、この五年、こっちでどう生きてきたんだ」
蓮司が、湯呑みを見つめながらぽつりと尋ねた。
「見ての通りだ。学園に通い、飯を食い、昼寝をし、時折ダンジョンに潜る。それだけの、ただの日常だ」
「……ただの日常、か」
蓮司は、部屋の中を見渡した。上等な調度、賑やかな仲間たちの気配が残るソファー、キッチンから漂う出汁の香りの残滓。
「悪くないな、それ」
「ああ。悪くない」
トールは静かに頷いた。
「戦場で流した血の分だけ、この平穏には価値がある。俺は、そう思っている」
「――俺も、そう思うようになったよ。この五年で、少しずつな」
蓮司は、窓の外の夜景に目を細めながら、静かにそう呟いた。
「なら、お前もこの部室に加われ。お前の居場所は、もうここにある」
トールの率直な言葉に、蓮司は一瞬だけ言葉を詰まらせた後、小さく笑った。
「――ああ。厄介になる」
* * *
湯呑みが空になった頃、蓮司はふと、部屋の隅に置かれた木刀立てへと目をやった。そこには、トールが普段使いのそれとは別に、決して手にすることのない一振りの刀――鞘に禍々しい紋様の刻まれたそれが、静かに佇んでいた。
「――それが、例のカタストロフか」
「知っているのか」
「戦場で、何度か噂を聞いた。持ち主の魂を喰らう呪いの魔剣、とな。よくもまあ、そんな物騒な代物を後生大事に持ち歩いてるもんだ」
「――こいつは、俺の戦友たちの想いが宿った剣でもある。手放す気はない」
トールが静かにそう言うと、蓮司は僅かに目を細めた。
「相変わらず、律儀な奴だな。……だが、悪くない」
「お前こそ、その剣はどうした。異世界にいた頃と、変わらぬ得物のように見えるが」
「ああ。こっちに流れ着いた時、なぜか一緒に持ち込まれていてな。理由は分からんが、腐れ縁ってやつだろう」
蓮司はそう言うと、腰に差した剣の柄に、そっと手を添えた。
「――なあ、トール。もう一つ、聞いておきたいことがある」
「なんだ」
「お前、まだ戦うつもりか。この平穏な暮らしの裏で」
トールは、しばしの沈黙の後、静かに答えた。
「望んではいない。だが、この日常を脅かす者が現れれば、迷わず剣を取る。それだけのことだ」
「――そうか。なら、俺も同じだ」
蓮司は、不敵に笑ってみせた。
「五年前とは違う。今度は、隣に立って戦える」
その一言に、トールもまた、確かな安堵を胸に、小さく頷いた。
窓の外の夜景が、二人の再会を、静かに、しかし確かに照らしていた。




