第088話:二学年、新たな顔ぶれ
四月。
渋谷代々木学園の校庭には、今年もまた真新しい制服に身を包んだ新入生たちの姿があった。緊張と期待の入り混じった彼らの顔つきを横目に、二年生になったEクラスの面々は、正門をくぐる足取りからしてすっかり余裕綽々である。
「――新学期っつっても、正直あんまり実感湧かないっスね」
登校しながら鯖江が呑気にそう呟くと、隣を歩く盾花も苦笑した。
「わかります。制服も教室も、去年とほとんど変わりませんし」
「唯一変わったのは、わたくしたちの学年が一つ上がったことくらいですわね」
氷華が澄まし顔でそう付け加える。彼女の隣を、トールがいつも通りの緩慢な歩調でついていく。眠そうな目つきも、木刀の入った布袋を担いだ後ろ姿も、去年の入学式の頃とまるで変わっていなかった。
「――佐藤様、今年度も、お弁当の量は変わらずでよろしいですか?」
少し後ろから歩いてきた白石さんが、いつもの穏やかな声で尋ねる。
「うむ。いや、少し増やしてくれても構わん。二学年になったのだ、腹の減り方も相応に増すだろう」
「ふふ、佐藤様らしい理由ですね。畏まりました」
そんな他愛のないやり取りを交わしながら、一同は賑やかに校門をくぐっていった。
* * *
「――クラス替えはなし。お前たちは引き続き二年Eクラスだ」
放課後、部室の扉を開けるなり、凪教官が抑揚のない声でそう告げた。
「おお、まあそんな気はしていたッスけど」
鯖江が特に驚く様子もなく相槌を打つ。実技の成績が異常すぎるせいで、事務手続き上「動かしようがない」というのが本当のところらしいと、部室の誰もがうっすら察していた。
「それと、今日は伝えることが二つある」
凪教官は、手にした書類を一枚ずつめくりながら続けた。
「一つは、新技術対策室の定期視察は、今年度も継続される。担当は引き続き東城主任だ」
「――東城さん、また来るんですのね」
氷華が僅かに表情を引き締める。あの丁寧すぎる物腰の奥にある底知れなさを、この部室で忘れている者はいなかった。
「案ずるな。あくまで正規の手続きだ。粗相のないようにな……とは、お前たちに言うだけ無駄か」
凪教官は小さく息を吐くと、もう一枚の書類を取り出した。
「もう一つ。来週、この学園に転入生が加わる。名前は――鴉羽蓮司。編入試験の成績は、悪目立ちしない程度に平凡だそうだ」
「かわばね……?」
盾花が首を傾げながら復唱する。
「鴉に、羽根の鴉羽だ。詳細は追って伝える。以上だ」
凪教官はそれだけ言うと、いつも通り踵を返して部室を後にした。
「――そういえば教官、去年より心なしか肩の荷が軽そうでしたわね」
氷華がその後ろ姿を見送りながら呟くと、鯖江が訳知り顔で頷いた。
「そりゃそうッスよ。去年一年、俺らのせいでどれだけもみ消し業務に追われたと思ってるんスか。今年は探索者ギルドへの転職も視野に入れてるらしいっスよ」
「――お前、なぜそんなことを知っている」
トールが怪訝そうに尋ねると、鯖江はにやりと笑った。
「イシュラーナさん情報っス」
* * *
「転入生、っスか。この時期に珍しいッスね」
鯖江が呑気にそう呟く横で、ソファーに寝転がっていたトールは、木刀の手入れの手を止めることなく、小さく「ほう」とだけ返した。
「佐藤さん、興味なさそうですわね」
「興味がないわけではない。ただ、名前を聞いただけでは、飯が美味そうかどうかまでは分からんからな」
「そういう基準で人を測るの、佐藤さんくらいですわよ……」
氷華が呆れたように呟くと、部室に小さな笑いが広がった。
「まあ、誰が来ても、うちの部室のまったりしたペースを崩すような人じゃなければいいんですけどね」
盾花が紅茶を淹れながらそう言うと、白石さんも柔らかく微笑んだ。
「きっと、大丈夫ですよ。この部室の空気は、そう簡単には崩れませんから」
その言葉に、皆が頷き合う。だが、トールの膝の上に置かれたスマホの画面には、誰にも見えないところで、ほんの一瞬だけ、文字が浮かんでは消えていた。
『――鴉羽、蓮司。……ふふ、懐かしい響きの苗字ですこと』
その一文に気づいた者は、この部室に一人としていなかった。トール自身、視線を落とすことすらせず、いつも通りの気だるげな顔で木刀の手入れを続けている。だが、その指先が、ほんの僅かに強張っていたことにも、やはり誰も気づいてはいなかった。
「――佐藤様? どうかなさいましたか」
白石さんの声に、トールは一拍置いてから、いつも通りの調子で答えた。
「いや、何でもない。……そういえば、今夜の夕飯は何だ」
「ふふ、今夜は筑前煮ですよ。佐藤様の好物ですから、たっぷりご用意しますね」
「――それは楽しみだ」
いつも通りの、何気ないやり取り。だが、その裏側で、何かが静かに動き始めていることを、この部室で唯一気づいていたのは、やはりトールだけだった。
窓の外では、桜の花びらが数枚、遅れて舞い落ちていく。新しい一年の、静かな幕開けであった。




