第084話:新技術対策室の来訪
バレンタインの浮かれた空気が落ち着き始めた、二月下旬のある日。
「――というわけで、来週、学園に外部からの視察が入る」
放課後の職員朝礼を終えたばかりの凪教官が、部室の扉を開けるなり、そう切り出した。
「視察、っスか?」
「内閣府直轄の『新技術対策室』とやらだ。表向きは『ダンジョン安全視察プログラム』。学園内のダンジョン運用体制と、生徒の安全管理状況を確認しに来るらしい」
「内閣府……」
盾花が僅かに緊張した面持ちで呟く。氷華も、いつもの明るさを潜め、真剣な表情で耳を傾けていた。
「案ずるな。あくまで正規の行政手続きだ。学園側にも、拒否する理由も権限もない」
凪教官は淡々とそう言うと、一枚の書類を机に置いた。
「担当者の名前は、東城冴子。三十歳手前の若手主任だそうだが……まあ、会えば分かる」
その言葉の端に滲む、僅かな含みに、部室の空気が微かに引き締まった。
「トール、お前たちの活動が目立ちすぎた結果だ。今更どうこう言っても仕方あるまい。粗相のないようにな」
凪教官はそれだけ言い残すと、踵を返して部室を後にした。
* * *
「――国家機関、本当に来るんですのね」
氷華が、いつになく神妙な声で呟く。
「む。前に鯖江が独力で追い返した、あの探りの本体か」
トールが木刀の手入れの手を止め、珍しく真剣な表情で顎に手を当てた。
「たぶん、そうだと思うッス……。あの時の手口、素人じゃなかったっスから」
鯖江も、緊張気味に頷く。部室に、僅かな沈黙が落ちた。
「大丈夫ですよ、皆さん」
白石さんが、努めて明るい声で場を和ませるように口を開いた。
「正式な手続きを踏んだ視察なんですから、変に身構える必要はありません。いつも通りにしていれば、それが一番です」
「白石殿の言う通りだな」
トールが小さく頷く。
「相手が誰であろうと、俺のやることは変わらん。定時退社と、うまい飯。それだけだ」
その、あまりにもぶれない一言に、張り詰めていた部室の空気が、僅かに緩んだ。
「相変わらず、佐藤さんはそうですわよね……」
氷華が呆れ半分、安心半分の笑みを浮かべる。
「あの……もし、何か聞かれたりしたら、どこまで話していいんスかね」
鯖江が心配そうに尋ねると、盾花が腕を組んで考え込んだ。
「基本的には、聞かれたことに正直に答えていいと思う。私たちがやましいことをしているわけじゃないもの」
「その通りだな」
トールが即座に頷く。
「隠し立てするから、余計に怪しまれる。堂々としていればいい」
「トールさんがそう言うと、なんだか本当にそんな気がしてきます」
盾花が苦笑しながら呟くと、部室の空気は、いつもの調子を取り戻していった。
その一方で、トールの膝の上のスマホには、誰にも見えない小さな一文が、静かに表示されていた。
『――東城冴子。以前、別荘のサーバーへ探りを入れてきた発信元と、所属部署が一致しますわ。おそらく、同じ組織の人間で間違いありません』
『表向きは丁寧な視察担当者ですけれど……油断はできませんの。ただし』
『ここで慌てて隠し立てをするのは、かえって悪手ですわ。堂々と、いつも通りにお過ごしになるのが、一番の防御だと思いますの』
「……分かっている」
トールは短く答えると、木刀を鞘に収めた。
* * *
視察当日。
制服姿の学生たちが行き交う渋谷代々木学園の廊下を、一人の女性がまっすぐな足取りで歩いていた。
年齢は三十手前だろうか。きっちりと結い上げた黒髪と、隙のないパンツスーツ。手にした革製のファイルには『内閣府 新技術対策室』の刻印が控えめに入っている。
「――失礼いたします。本日、安全視察でお伺いいたしました、東城冴子と申します」
部室を訪れた彼女は、深々と丁寧なお辞儀をした。物腰は柔らかく、声にも刺々しさは一切ない。だが、その双眸だけは、部室の隅々まで静かに見渡すように、微かも動きを止めなかった。
「よろしくお願いいたします、東城様」
白石さんが代表して応対すると、東城は柔らかく微笑んだ。
「白石様ですね。事前資料で拝見しております。……こちらが、話題の魔道具研究会の皆様ですか」
視線が、順に部室の面々を巡っていく。氷華、盾花、鯖江、そしてトールへ。
「……」
トールと目が合った瞬間、東城の微笑みは、僅かも崩れなかった。だが、その一瞬だけ、彼女の瞳の奥で、何かが静かに計算されたような気配があった。
「本日は、学園内のダンジョン運用状況を確認させていただくだけです。皆様には、普段通りにお過ごしいただければ結構ですので」
「うむ。承知した」
トールが素っ気なく頷くと、東城は小さく頷き返し、手元のファイルに何かを書き込んだ。
「では、さっそくですが――地下ダンジョンの、いつも活動なさっている階層をご案内いただけますか」
「いつも活動している階層は、少々刺激が強いかもしれません」
白石さんが控えめに答えると、東城は柔らかく首を振った。
「もちろん、安全に配慮した階層で結構です。皆様の普段の実技活動を、そのまま拝見できれば」
「承知いたしました。それでは、第二十層へご案内いたします」
白石さんが丁寧に応じると、東城は小さく頭を下げ、手元のファイルに視察日時を書き込んだ。その筆致は、驚くほど整然として乱れがなかった。
「本日はよろしくお願いいたします」
もう一度深く一礼した東城を先頭に、一同はエレベーターへと向かった。その丁寧すぎるほど丁寧な物腰の奥に、部室の全員が、言葉にならない緊張を感じ取っていた。
新技術対策室の本格接触は、こうして、静かに、しかし確実に幕を開けたのであった。




