第008話:空き部室の不法占拠と、氷点下の魔道具研究会
昼休みの購買部でのパン争奪戦から数時間後。
放課後のチャイムが鳴り響いた渋谷代々木学園の一年E組の教室は、動物園のような騒がしさに包まれていた。
エリートであるAクラスの生徒たちを妬む声、次回のダンジョン実習への愚痴、あるいは放課後に渋谷の街へ遊びに行く相談。底辺の吹き溜まりであるEクラスの生徒たちは、良くも悪くもエネルギーを持て余している。
「……五月蠅いな。これでは落ち着いて仮眠もとれん」
教室の最後列、窓際の特等席で腕組みをしていた佐藤通は、深く溜息をついた。
彼の目的はただ一つ、この学園で面倒事を避けて「平穏なスローライフ」を送ることである。そのためには、昼休みのパンを堪能した後、白石が夕飯(今日はハンバーグの予定だ)を作って待っているペントハウスへ帰るまでの間、誰にも邪魔されずに昼寝ができる「静かな寝床」が必要不可欠だった。
トールがスッと立ち上がり、教室の後ろ扉から廊下へ出ようとした、その時である。
「お、お待ちになさい! どこへ行くつもりですの!」
凛とした、しかしどこか必死さを孕んだ声が彼を呼び止めた。
振り返ると、銀髪を揺らす“氷の女王”こと神宮寺氷華と、その背中に隠れるようにして特大の盾を背負った戌井盾花(タンク娘)が立っていた。
「……ん? 俺はただ、静かに休める場所を探しに行くだけだが。何か用か?」
「よ、用というわけではありませんわ! ただ……その、昼休みのメロンパンの恩を、神宮寺の女として早急に返さねばならないと思いまして! 決して、貴方の周りが妙に静かで居心地が良いからとか、そういうわけではありませんのよ!」
氷華は顔をほんのりと赤くしながら、腕を組んでツンとそっぽを向いた。その実、Aスタイル(絶壁)を気にして周囲の視線から逃れるため、堂々としていて誰も寄り付かないトールの背後が一番安全だと気づいてしまったのだ。
「氷華ちゃんが行くなら、私も護衛としてついて行きます! さあ佐藤さん、どこへでも案内してください!」
盾花が「えへへ」と無邪気に笑う。
『キタ――(゜∀゜)――!! ヒロイン二人を引き連れての学園探索! トール様の無自覚なタラシっぷり、マジでエモすぎますわーッ!』
ブレザーの胸ポケットで、スマホ(イシュラーナ)がけたたましくバイブレーションを鳴らす。
「やかましいぞ、イシュラーナ。……まあいい、勝手についてこい」
トールは制服の上からスマホを軽く叩き、二人の同行をあっさりと許可した。武士は細かなことにはこだわらないのである。
* * *
三人が向かったのは、新鋭の設備が整う本校舎から少し離れた、蔦の絡まる薄暗い「旧校舎」だった。
新興メジャーが最新の魔石設備を整える中、使われなくなった古い機材が放置されているこのエリアには、生徒はおろか教師すら寄り付かない。
「佐藤さん、なんだかお化けが出そうな場所ですわね……」
「む。ここなら静かで誠に良い」
トールがいくつかの空き教室を覗いていくと、一番奥の突き当たりにある部屋の前で足を止めた。
色褪せた木の表札には、かすれた文字で『魔道具研究会』と書かれている。
「魔道具研究会……。旧エネルギーメジャーの基幹技術であった『魔石からのエネルギー抽出』を研究していた、由緒正しき部活のはずですわ。新興メジャーの独立型魔石電池が主流になった今、廃部になってしまったと聞いていましたが……」
氷華がポツリと呟く中、トールは迷うことなくスライド式の扉をガラガラと開けた。
中は少しカビ臭く、長年人が立ち入っていないためか、埃っぽいむっとした熱気がこもっていた。部屋の周囲にはよくわからない古びた機械や魔石の残骸が散乱している。
だが、トールの目は部屋の中央に鎮座する「あるモノ」に釘付けになっていた。
「ほう……」
それは、年季が入っているものの、黒い本革で作られた立派な「特大アンティークソファー」だった。
トールは吸い寄せられるようにソファーに近づくと、どっこいしょと腰を下ろし、その弾力を確かめるように何度かバウンドした。
「……白石殿のいる我が城のソファーには劣るが、沈み込みの深さといい、背もたれの角度といい、昼寝をするには申し分のない業物だ。よし、ここを俺の学園での陣地にしよう」
「じ、陣地って……勝手に不法占拠するつもりですの!?」
氷華が呆れたように声を上げる。
「でも佐藤さん、ここすごく暑いですよ。ほら、あそこにある備え付けの魔道エアコン、魔石が切れてるみたいでウンともスンとも言いませんし」
盾花が大盾を下ろしながら、壁掛けの古いエアコンを指さした。窓を開けても風は通らず、このままでは昼寝どころか熱中症になってしまう。
「む……確かに。初夏とはいえ、これでは涼がとれんな」
トールが額の汗を拭おうとした、その時だった。
「ふふん。お困りのようですわね」
氷華が、待ってましたとばかりに胸を張り(※なお、物理的な膨らみはない)、得意げな笑みを浮かべた。
「昼休みのメロンパンのお礼ですわ。わたくしの『氷魔法』で、この部屋を快適な温度に冷やして差し上げます! これでも神宮寺の最高傑作と呼ばれた魔力を持っていますのよ」
「おお! 頼む、氷華ちゃん!」
盾花が目を輝かせる。トールも「それは助かる」と素直に頷いた。
氷華は目を閉じ、優雅な所作で両手を前に突き出した。
「大気中の水分よ、我が魔力に応じ、涼やかなる氷の息吹へと変われ――『フリーズ・ブリーズ』!」
ヒュゴォォォォォォォォッ!!
「ぬぉっ!?」
「ひゃあああっ!?」
次の瞬間、氷華の両手から放たれたのは「涼やかな息吹」などという生易しいものではなかった。
規格外の魔力が狭い部室の中で暴走し、猛吹雪となって吹き荒れたのだ。壁の古びた機械は一瞬で霜に覆われ、窓ガラスには分厚い氷が張り付く。室内の気温は瞬く間にマイナス二〇度を下回り、空気中の水分がキラキラとダイヤモンドダストになって舞い散り始めた。
「さっ、寒ぅぅぅぅぅぅっ!!? 氷華ちゃん、やりすぎ! やりすぎですぅぅっ!!」
盾花が大盾の裏に隠れながら、ガチガチと歯の根を鳴らして悲鳴を上げる。
「あ、あれっ!? わたくし、ほんの少し魔力を込めただけですのに……っ! なぜこんな威力に……っ!」
自身も寒さに震えながら、氷華は真っ青になってパニックに陥っていた。旧メジャーの令嬢として強大な魔力を持つ彼女だが、その精密なコントロールには致命的な欠陥を抱えていたのである。
「……異世界の氷竜のブレスよりはマシだが。これでは昼寝どころか、冬眠(永眠)してしまいそうだな」
トールはソファーの上で胡座をかき、真新しいブレザーの袖に腕を引っ込めながら、真顔で白い息を吐いた。
『ギャアアアアア!! 氷華様のポンコツ可愛いクーラー魔法キターーッ! でもこれじゃトール様が風邪を引いてしまいますわ!!』
トールの懐で、スマホが寒さによるバッテリー低下の警告音と共に激しくバイブレーションを鳴らした。
「やれやれ。魔石が切れていると言っていたな」
トールは立ち上がり、懐からコロンと小さな石を取り出した。いつぞやの初心者エリアの散歩の折に、靴の裏に張り付いていたスライムのドロップ品(ハズレ魔石)だ。
それを壁掛けエアコンの魔石スロットに無造作に放り込む。
『ちょっ、そんな超低級魔石では、旧式の大型エアコンはピクリとも動きませんわよ!?』
「そこはお前の『からくり』で何とかしろ」
『無茶振りですわーっ! 仕方ありません、わたくしが裏から手を回して、空調の魔力回路をこの低級魔石に合わせて極限まで最適化――ついでに、この部屋の手続きも終わらせておきますわ!』
「手続きとは何だ?」
トールが首を傾げた直後。イシュラーナのハッキングにより、部室の魔道エアコンが突如として「ピピッ」と電子音を鳴らし、温かな暖房の風を吹き出し始めた。
さらに、トールのスマホ画面に『( ¯﹀¯ )ドヤッ』というアスキーアートと共に、一枚の公文書の画像が表示される。
『学園の生徒会データベースにアクセスし、廃部扱いになっていた【魔道具研究会】の復活申請を提出・承認させておきました! 部長はトール様、部員は氷華様と盾花様です! これで不法占拠ではなく、学園公認の正式な拠点ですわ!』
「なんと……。相変わらず、誠に有能なからくりだ」
トールは感心したように頷き、スマホを懐に戻した。
「えええええっ!? わ、わたくし、いつの間に入部届を出したことになっていますの!?」
暖房のおかげで徐々に溶けていく氷の中で、氷華が信じられないものを見たように目を丸くする。
「わーい! ということは、明日からここが私たちの放課後の溜まり場になるんですね! お茶菓子の持ち込みも自由ですか!?」
盾花はすっかり喜んでおり、すでに部室の隅にあった小さな給湯室(流し台)を物色し始めている。
「そういうことだ。お前たちも、ここなら周りの目を気にせず過ごせるだろう。……それに、白石殿の弁当を食うのにも丁度いい」
トールはソファーの上でゴロリと横になり、持参した水筒から温かい緑茶を湯呑みに注いだ。
ズズッ、と一口すする。
「……うむ。極楽である」
窓の外では、新興メジャー系のエリート生徒たちが厳しいカリキュラムとタイムアタック実習に追われ、汗水流してダンジョン攻略に励んでいる。
しかし、学園の片隅にある「魔道具研究会」の部室では、ポンコツなお嬢様と不器用な盾持ち少女、そしてマイペースすぎる武士による、誰にも邪魔されない至高のスローライフ空間が、たった今、正式に産声を上げたのであった。




