第075話:パシリと盾、酉の市の一幕
第075話:パシリと盾、酉の市の一幕
十一月の酉の日。渋谷の外れにある小さな神社で、商売繁盛を願う『酉の市』が開かれていた。
参道には威勢のいい手締めの声が絶えず響き渡り、色とりどりの熊手を掲げた屋台が、隙間なく軒を連ねている。焼きそばの香ばしい匂いと、甘酒の湯気、そしてどこからともなく漂う焼き団子の香りが、夜の冷たい空気に混じり合っていた。
「――というわけで、今日は皆さんで熊手を買いに来た次第でありますッス!」
鯖江が、境内にずらりと並んだ、色とりどりの縁起熊手の屋台を指さして胸を張る。
「熊手……?」
「はい! 商売繁盛や幸運をかき集めるっていう、縁起物なんです! うちの実家の工房でも、毎年小さいのを一つ買って玄関に飾ってるんですよ」
「ほう。実家の工房、か」
「はい……その……」
盾花の声が、少しだけ弾んだ。
「最近、注文が増えてきてて。母から『今年は少し大きめの熊手にしようかしら』なんて、電話で嬉しそうに話してたんです」
トールは、盾花のその言葉に、ふと目を細めた。何かを思い出したような、それでいて何も言わない、いつも通りの真顔で。
「そうか。それは、めでたいことだな」
「はいっ!」
盾花が満面の笑みで頷く横で、鯖江が少し切なそうに屋台を見つめていた。
「いいなあ……。俺の家は普通のサラリーマン家庭なんで、熊手買っても特に増えるものもないんスよね」
「鯖江くんの分の福は、召喚獣がいっぱい懐いてくれることじゃないですかしら?」
氷華がからかうように言うと、鯖江は「それは否定できないっス!」と自虐気味に笑った。
* * *
「せっかくですし、屋台も色々見て回りませんこと?」
氷華の提案に、一同は熊手の並ぶ通りから外れ、境内をぶらぶらと歩き始めた。
「――お、おみくじの屋台があるッス!」
鯖江が真っ先に駆け寄り、小さな木箱から一本の棒を引き抜いた。
「え、えっと……『中吉』。まあまあっスね」
「わたくしも挑戦しますわ!」
氷華が続いて棒を引くと、その顔がみるみる曇っていく。
「……『末吉』」
「氷華様、どんまいっス」
「うるさいですわ! 運勢なんて、あくまで参考程度のものですもの!」
むきになって言い張る氷華の隣で、白石さんが静かに棒を引き、そっと目を細めた。
「あら、『大吉』でした」
「な――!」
悔しそうに声を上げる氷華をよそに、トールも興味なさそうに一本引く。開いてみると、そこには『大吉』の文字が躍っていた。
「ほう。悪くない日らしいな」
「佐藤さんまで……! わたくし、絶対に納得いきませんわ!」
地団駄を踏む氷華の姿に、盾花がくすくすと笑いながら、自分も一本引く。
「わたしは……『吉』でした。まあまあですね」
「皆で並べると、なかなか壮観だな」
トールが素朴な感想を漏らすと、鯖江が「これもう完全に俺と氷華様が貧乏くじ引いてるだけの構図っス」とぼやき、部室の面々らしい笑いが境内に響いた。
* * *
「――あ、りんご飴の屋台がありますわ!」
氷華が声を弾ませて指さした先には、真っ赤に艶めくりんご飴が、ずらりと並んでいた。
「わたくし、これも挑戦してみますわ!」
早速一本買い求めた氷華だったが、いざかぶりつこうとして、その飴の硬さに苦戦し始める。
「……む。取れませんわ」
「氷華様、力任せに噛みつくんじゃなくて、端から少しずつ削るように……」
盾花が助言しながら自分のりんご飴を綺麗に食べ進める横で、氷華は悪戦苦闘を続けていた。見かねたトールが、素早く木刀の鞘尻でりんごの表面に浅く切れ込みを入れてやる。
「これで多少は齧りやすくなっただろう」
「――さ、佐藤さん、器用ですのね……! ありがとうございますわ」
照れ臭そうに礼を言う氷華に、鯖江が「ボス、そういう地味な特技いっぱい持ってるッスよね」と感心したように呟いた。
* * *
「これなんてどうだ。やけに立派だぞ」
トールが指さしたのは、屋台の中でも一際大きく、金銀の縁起物がぎっしりと飾られた特大サイズの熊手だった。値札には、桁の大きな数字が並んでいる。
「さ、佐藤さん! それはさすがに、いくらなんでも大きすぎますわ!」
「かまわん。皆で担げば運べるだろう」
トールがあっさりと財布を取り出そうとするのを、盾花が慌てて止めた。
「ト、トールさん、お気持ちだけで十分です! こんな高いの買っていただくわけには……!」
「そうか? お前の実家が繁盛するなら、安いものだと思うが」
あまりにもさらりと言われたその一言に、盾花は一瞬、言葉を失った。
「……ありがとうございます。でも、今日のところは、いつもの小さいサイズで。……この続きは、また今度のお楽しみにしておきますね」
盾花はそう言って、いたずらっぽく笑った。
結局、いつもの手のひらサイズの熊手を一つずつ買い、皆で威勢のいい手締めの拍子を浴びながら、屋台の間を練り歩く。焼きそばや甘酒の香りが漂う参道を歩きながら、鯖江が召喚獣自慢を始め、氷華がそれに張り合い、盾花が仲裁に入る――そんな、いつも通りの騒がしい光景が、夜の境内に温かく響いていた。
帰り際、白石さんが焼き団子を一皿買い、皆で分け合って食べた。甘辛いタレの香ばしさに、結衣ちゃんの分も忘れずにと盾花が二本余分に包んでもらう気配りを見せる中、小さな熊手を手にした盾花の表情は、いつにも増して晴れやかだった。
実家の工房に、確かな『福』が少しずつ舞い込み始めている――そのことを、まだ本人自身も、半信半疑のまま噛み締めているようだった。
だが、その小さな『福』が、思いもよらぬ形で大きく育っていくことを――このときの盾花は、まだ知らない。




