第074話:氷の女王の、不器用な独占欲
その日の朝、神宮寺本邸の自室で、氷華は姿見の前で一人、腕を組んで唸っていた。
(……昨日の白石さんとトールさんの雰囲気。あれは絶対に何かありましたわ)
根拠はない。ただの勘だ。それでも、長年培った『氷の女王』としての観察眼が、確かにそう告げていた。
(このままでは、いけませんわ。わたくしも、わたくしなりの一手を打たなければ)
姿見に映る自分に向かって、氷華は小さく気合を入れるように頷いた。
「今日という今日は、しっかり佐藤さんに構っていただきますわよ……!」
そうして選んだのが、学園近くの人気店の、期間限定マロンパフェだった。我ながら分かりやすい作戦だとは思ったが、他に思いつくものもなかったのだから仕方がない。
* * *
翌日の放課後。
「――お邪魔しますわよ、佐藤さん!」
いつも通りの元気な声と共に部室の扉を開けた氷華だったが、トールと白石さんの間に漂う、いつもより少しだけ穏やかな空気に、ふと足を止めた。
「……? どうかしましたの、二人とも。何やら今日は、雰囲気がいつもと違うような」
「気のせいだろう」
トールは素っ気なく答え、木刀の手入れに戻った。白石さんも「ふふ、そうですよ」と微笑むだけで、詳しいことは何も語らない。
(……やっぱり。何か、ありましたわね)
朝の予感が確信に変わり、氷華は内心で小さく身構えた。
「そ、そういえば佐藤さん!」
氷華は誤魔化すように、努めて明るい声を上げた。
「今日はわたくし、新しい魔法陣の練習用に、極上の氷菓を持ってまいりましたのよ! 学園近くの人気店の、期間限定マロンパフェですわ!」
「ほう。悪くないな」
トールが興味を示すと、氷華はここぞとばかりにパフェの箱をテーブルに広げ、率先してトールの隣に腰を下ろした。
「さあさあ、召し上がれ! 今日はわたくしが取り分けて差し上げますわ!」
いつもより、ほんの少しだけ距離が近い。氷華自身も気づかないまま、無意識に白石さんへの対抗心が滲み出ていた。
「氷華様、少々気合が入りすぎておられません……?」
スマホの中からイシュラーナが、面白がるような声色で茶々を入れる。
「う、うるさいですわ! わたくしはただ、佐藤さんに美味しいものを食べていただきたいだけですの!」
顔を赤くして反論する氷華だったが、その手はすでに、マロンパフェの一番大きな栗を選び出し、トールの取り皿へと運んでいた。
「あ、それわたしが取ろうと思ってたやつです!」
横から覗き込んだ盾花が、思わず声を上げる。
「な――盾花には別の栗がありますでしょう! これは佐藤さんのですわ!」
「氷華ちゃん、いつも佐藤さんにばっかり一番いいところあげますよね……」
「べ、別に、いつもというわけでは……! た、たまたま今日はそういう気分だっただけですわ!」
しどろもどろに言い訳する氷華の隣で、鯖江が我が意を得たりとばかりに頷いた。
「氷華様、それもう三日連続っス」
「鯖江くんは黙っていてくださいまし!」
いつも通りの賑やかなやり取りに、白石さんはただ静かに微笑みながら、皆の分の紅茶を淹れ続けている。その様子に、氷華はふと視線を向け――そして、ほんの一瞬だけ、悔しさとも羨ましさともつかない複雑な表情を浮かべた。
* * *
パフェを食べ終え、盾花と鯖江も合流して部室がいつもの賑わいを取り戻した頃。
氷華は一人、窓辺に立って、夕焼けに染まる渋谷の街並みをぼんやりと眺めていた。
(……悔しいですわ)
白石さんのように、自然体で寄り添うことができない。気づけばいつも、対抗心か、意地か、空回りばかりが先に立ってしまう。今日のパフェだって、本当はただ純粋に、皆で美味しく食べたかっただけのはずなのに。
(わたくしは、わたくしなりのやり方でしか、佐藤さんの隣に立てませんの。……それでも)
振り返ると、トールが盾花の淹れた紅茶に「渋いな」と真顔で唸りながらも、律儀に飲み干している姿が目に入った。その、いつもと変わらない、少し間の抜けた横顔を見ているだけで、胸の奥がふわりと温かくなる。
白石さんのような静かな温もりは、自分には真似できないかもしれない。それでも――
(それでも、この場所に、佐藤さんの隣に、わたくしなりの形で在り続けたい。そう思うのは――誰に強制されたことでもない、わたくし自身の意志ですもの)
その結論に辿り着くと、氷華の胸のつかえは、不思議と少しだけ軽くなっていた。誰かと同じである必要はない。ただ、自分らしくあればいい。それだけのことに、今更ながら気づかされた気がした。
「氷華ちゃーん、パフェのおかわり届きましたよー!」
盾花の呑気な声に呼ばれ、氷華は小さく笑って窓辺を離れた。
「今行きますわ!」
振り返った氷華の顔は、いつも通りの、少し勝気で、少し不器用な『氷の女王』の顔に戻っていた。
だが、その頬には、夕焼けのせいだけではない、微かな赤みが残っていたことに――気づいたのは、部室の隅で密かにカメラを構えていたイシュラーナだけだったのかもしれない。
その夜、本邸に戻った氷華は、自室のベッドに寝転がりながら、スマホに届いた盾花からのメッセージを眺めていた。
『今日のパフェ、すごく美味しかったです! また今度、一緒に選びに行きましょうね』
その、何の裏もない素直な一文に、氷華は思わず頬を緩めた。
「……ふふ。盾花は、本当にずるいですわね」
誰かと張り合うでもなく、ただ自然体でいられる盾花のことを、少しだけ羨ましく思いながら、氷華はスマホの明かりを消し、静かに目を閉じた。明日もまた、いつも通りの騒がしい一日が待っている。それだけで、十分だった。




