第070話:鯖江録郎、覚醒す
深夜。渋谷代々木学園、地下第40階層に完成した『魔道具研究会・秘密のダンジョン別荘』。
トールたちが定時退社した後も、この別荘の設備管理は、パシリこと鯖江録郎の仕事だった。
「今日も異常なし、っと」
誰もいないリビングで、鯖江は自作の監視用タブレットを操作しながら、自走ドローンの充電状況や、自動収集マジックバッグの容量、そしてイシュラーナが間借りさせてくれている簡易ネットワーク回線のログを、一つひとつ確認していく。
召喚術のガチャを回しても、SSRの神話級モンスターすら「マスター」とはトールにしか懐かない。パシリとして扱われることにも、正直ずいぶん慣れた。だが、この地味な設備点検の時間だけは、鯖江が誰の代わりでもなく自分の役割としてこなしている、数少ない時間だった。
「……ん?」
ログの片隅に、見慣れない挙動が記録されていた。
外部からの、極めて巧妙なアクセス試行。学校のネットワークに偽装した経路を通り、別荘の簡易サーバーへ、パターン化された探りを繰り返し入れてきている。
(これ……ただの悪戯にしては、手口が丁寧すぎる)
鯖江は、思わず居住まいを正した。
トールなら「五月蠅い羽虫だ」と一蹴して終わりだろう。氷華なら「無礼者ですわ!」と魔法で消し炭にしてしまうだろう。だが、この手のデジタルな探りに対しては、剣も魔法も意味をなさない。
必要なのは、地道な観察と、根気だけだ。
「よし……やってやる」
鯖江はタブレットを両手で構え直した。
彼にできることは、召喚したモンスターで殴り合うことでも、氷の魔法を操ることでもない。だが、部室の面々の誰よりも長く、この地味な監視業務に付き合ってきた自負だけはあった。
アクセスパターンを一つずつ洗い出し、偽装経路の切り替わるタイミングを予測し、次に来るであろう探りの矛先を先回りして塞いでいく。
三十分後。
「……もらった」
鯖江は、偽装経路の奥に隠されていた、たった一つの本当の発信元――どこかの省庁の管轄下にあるとおぼしき、匿名化された固定回線の痕跡を突き止めた。
同時に、それ以上の深追いは危険だと判断し、すべてのアクセス経路を静かに、しかし完全に遮断する。
ピロン、という軽い電子音と共に、監視ログに「侵入試行:完全ブロック」の表示が浮かんだ。
「や、やった……! やったぞ俺ぇぇぇっ!」
誰もいない深夜のリビングで、鯖江は一人、拳を突き上げて叫んだ。
* * *
翌日の部室。
「――というわけで、昨日の夜、なんかの機関? みたいなところが、こっそりこの別荘のサーバーを探ってきてたんスけど、俺が全部叩き返しておきました」
鯖江が努めてさりげなく報告すると、部室の空気が一瞬止まった。
「……鯖江くん、それ、詳しく聞かせてくださいまし」
氷華が目を丸くして身を乗り出す。
「い、いやその、大したことじゃないっスよ。ただのログの確認と、経路の遮断っていうか……」
「大したことですわ! 国家クラスの相手からの探りを、独力で気づいて、しかも完封したということですわよね!?」
「……ほう」
特大ソファーで木刀の手入れをしていたトールが、珍しく興味深そうに顔を上げた。
「鯖江。剣も魔法も使わずに、敵の攻撃を防いだのか」
「え……あ、はい。俺にできるのはこれくらいなんで……」
鯖江が卑屈に肩をすくめると、トールは真顔で首を横に振った。
「侮るな。剣で斬れる敵ばかりではない。姿の見えない敵の気配を読み、先んじて道を塞ぐ――それは、俺の得意とする間合いの外にある戦い方だ。見事だったな」
「ボ、ボスぅぅぅっ……!」
鯖江の目に、じわりと涙が浮かんだ。
これまで散々「パシリ」だ「荷物持ち」だと扱われてきたが、こうして正面から自分の働きを認められたのは、思えば初めてのことだった。
『鯖江くんの初めての男の顔、しっかり見せていただきましたわ。……よくやりましたわね』
いつもなら大げさな絵文字と共に無音シャッターを乱射するはずのイシュラーナが、今日はそれだけを短く呟いて、静かにスマホの画面を消灯させた。
「あれ……? イシュラーナさん、今日はやけにあっさりしてません……?」
鯖江が少し拍子抜けしたように首を傾げる。
「まあ、俺のプリンのおかわりくらいは寄越せ。今日の働きの分だ」
「よ、喜んでッス! ボスぅぅぅ!」
涙目で敬礼する鯖江に、氷華と盾花も温かい拍手を送る。
賑やかなその輪の中心から少しだけ離れたトールのポケットの中で、イシュラーナは誰にも見えないところで、そっと沈黙を続けていた。
(今回は、鯖江くんが気づいてくれたから良かったですけれど……。もし、あのログの経路を辿られていたら。今まで自分がネットの裏掲示板に面白半分で流していたあの動画たちが、逆に手繰り寄せられていたとしたら――)
国家クラスの何者かが、静かにこちらの様子を窺い始めている。その気配の重みを、今この部室で本当の意味で理解しているのは、あるいはイシュラーナただ一人だったかもしれない。
だが、そんな彼女の胸中など知る由もなく、部室にはいつも通りの、騒がしくも平和な空気が流れていくのであった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この日を境に、鯖江録郎という一人のパシリが、召喚獣にも見放され続けた冴えない少年から、部室になくてはならない『もう一人の盾』へと、静かに、しかし確実に成長を遂げたのだった。
そして、もう一つ。
誰にも気づかれないまま、限界オタクAIの胸の内にも、小さな、しかし確かな変化の種が、静かに蒔かれた日でもあった。




