第063話:マンドラゴラの悲鳴と、究極の魔境ポークカレー
第一学期の中間実技テストの舞台となった、第30階層【深緑の地下密林】。
学園の宣伝によって「自分たちはレベル20を超えたからやれる」と勘違いし、意気揚々と密林へ足を踏み入れたC〜Eクラスの一般生徒たちは、開始数分で完全な地獄に陥っていた。
「ひぃぃぃっ! オークの斧が重すぎる! 盾が持たない!」
「キラーマンティスの動きが見えない! 誰か回復を――ぐああっ!」
数値上のレベルだけが上がり、実戦経験と装備が全く伴っていない彼らにとって、第30階層の凶悪なモンスター群は文字通り「手も足も出ない」絶望の壁であった。
次々と防具を破壊され、泥にまみれ、全滅は時間の問題かと思われた。
――だが、その阿鼻叫喚のジャングルの中心で。
「ギャァァァァァァァァァッ!!」
突如、密林全体を揺るがすような、鼓膜を破る致死性の『悲鳴』が木霊した。
カレーのスパイスを探していた佐藤通が、足元に生えていた奇妙な草を無造作に引っこ抜いた音である。
「な、なんだ今の音は!?」
生徒たちが耳を塞いで蹲る中、信じられない現象が起きた。
彼らを襲っていたオークやキラーマンティスたちが、マンドラゴラの放った強烈な呪いの悲鳴を至近距離で浴びた結果、次々と白目を剥き、口から泡を吹いてバタバタと気絶し始めたのだ。
さらに。
「……うるさい根菜だ。コンッ」
トールがマンドラゴラの頭を木刀の柄で叩いて悲鳴を止めた瞬間、彼から無意識に漏れ出した『早くカレーが食いたい(腹減った)』という極上の殺気が、波紋のように密林一帯へと広がった。
「キュゥ……」
マンドラゴラの悲鳴に耐え切った残りのモンスターたちも、トールの放つ異次元の覇気に完全に心を折られ、次々とその場にひれ伏して気絶(あるいは降伏)してしまったのである。
「えっ……? て、敵が全部倒れたぞ!?」
「今だ! トドメを刺して素材を回収しろ!」
絶体絶命の危機から一転。
一般生徒たちは、なぜか周囲一帯で白目を剥いて気絶しているモンスターたちをタコ殴りにし、無事にテストの合格ラインである素材の回収を達成していくのであった。
「よし。カレーの具材は完璧に揃った。定時退社するぞ」
当のトールは、自分が同級生数百人の命を無自覚に救い、第30階層の生態系をパニックに陥れたことなど一ミリも気付かず、絶対防音結界の中で時計を見て颯爽と帰路についていた。
* * *
その日の夜。ペントハウスの広大なダイニング。
「お待たせしました! 特製・魔境ポークカレーです!」
エプロン姿の白石さんが、大皿に盛られたカレーライスをテーブルへと運んできた。
その瞬間、トールの鼻腔を、暴力的なまでの『スパイスの芳香』が強襲した。
「……ッ!!」
トールの目が、驚愕に見開かれる。
深みのあるブラウンのルーの中に、ゴロゴロと惜しげもなく投入された『極上霜降りオーク肉』。
通常のカレーの匂いに加え、トールが持ち帰った『マンドラゴラの根』を白石さんが絶妙な火加減でローストし、すりおろして隠し味に加えたことで、香りの次元が完全に宇宙へと到達していた。
「いただきます」
トールは祈るようにスプーンを手に取り、オーク肉とルー、そして神域の白米を一緒に掬い上げて口へと運んだ。
「…………!! 美味い!!」
トールの脳髄に、美味の落雷が直撃した。
オークの霜降り肉が、噛む必要すらないほどトロトロに煮込まれており、口の中で雪のように溶けて濃厚な豚の甘い脂が広がる。
そして、マンドラゴラのスパイス。致死性の悲鳴を上げる化け物植物だったはずのそれは、熱を加えることで『脳の報酬系を直接刺激する究極の旨味成分』へと変化していた。
複雑なスパイスの刺激と、タマネギの深い甘み、オーク肉の脂。すべてが完璧な黄金比率で絡み合い、トールの味覚を完膚なきまでに蹂躙していく。
「なんという破壊力だ……! 異世界で俺が泥水で煮込んでいた謎の肉シチューなど、ただの生ゴミだったと思い知らされる! このカレーの前では、魔神の首すらも安い添え物に過ぎない……!」
トールは目から一筋の涙を流しながら、神速のスプーンさばきで無限のモグモグタイムへと突入した。
「うおおおおおっ! なんスかこれ! スパイスが五臓六腑に染み渡りますぅっ! 飲むように食べられますよボスゥ!」
向かいの席では、パシリの鯖江が涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながらカレーを飲み込んでいる。
「お肉が……お肉が甘くてとろけますの……! スパイスのおかげで、なんだか身体の中から魔力が湧き上がってくるような気がしますわ!」
「おかわり! 白石さん、私特盛りでおかわりお願いしますぅっ!」
氷華(氷の女王)と盾花(タンク娘)も、エリートとしての矜持など完全に忘れ去り、顔を火照らせながらカレーの虜になっていた。
「ふふっ。マンドラゴラのおかげで、市販のルーが高級レストランみたいになっちゃいました。皆さん、たくさん食べてくださいね」
汗ばんだエプロン姿の白石さんが、楚々とした大人の色気を漂わせながら、オカンのような慈愛の笑顔で鍋の前に立っている。
その豊満な胸元をチラリと見て、トールは真顔で確信した。
(……俺の定時退社とこの食卓を邪魔する奴は、やはり全員、木刀で星にしてやるべきだな)
* * *
翌日の放課後。魔道具研究会の部室。
「おい、お前ら……昨日の第30階層のテスト、一体何をやらかした……」
新担任の凪教官が、死んだ魚のような目にさらに濃いクマを作り、フラフラと部室に現れた。
「何故か、テスト開始数分で密林のモンスターの大半が白目を剥いて気絶していたという報告が上がってきてるんだぞ……っ! 俺がどれだけ徹夜で『未知のウイルスのせいだ』ってもみ消し(捏造)報告書を書いたと思ってるんだ……!」
「……五月蠅いな。俺はただ、カレーの具材を拾いに行っただけだ」
特大ソファーで昼寝の態勢に入っていたトールが、鬱陶しそうにタッパーを一つ差し出した。
「白石殿が、世話になっている教官にもと言って、昨日のカレーの余りを持たせてくれたのだ。食うか?」
「はぁ!? お前なぁ、俺はそんなもので買収されるほど安い教師じゃ――」
言いかけながらも、凪教官はタッパーを開け、冷たいままのカレーを一口かじった。
「…………ッ!!?」
次の瞬間、凪教官は滝のような涙を流し、その場に崩れ落ちた。
「う、美味すぎる……っ! 冷めても豚肉の脂が全く固まっておらず、スパイスの香りが脳を突き抜ける……! 俺の荒んだ社畜人生が、この一口で浄化されていくぅぅぅっ!!」
「うむ。タッパーの底にこびりついたルーに白米を入れて食うのも、また一興だぞ」
「一生……一生お前らのパシリ(もみ消し役)をやらせていただきますぅぅっ!」
事無かれ主義の教官は、究極の魔境ポークカレーの前に完全に陥落し、もはや学園のシステムに背くことになんの躊躇もなくなっていた。
中間テストの過酷な壁も、同級生たちの絶望も、すべてはマイペースな武士の「カレーへの執念」によって粉砕(解決)された。
今日も魔道具研究会の部室には、スパイスの残り香と、最高に平和なスローライフの時間が穏やかに流れていくのであった。




