第006話:入学式と、凍てつくAスタイルのお嬢様
四月六日。春のうららかな陽光が、ペントハウスの広大なリビングに差し込んでいた。
日本の一般的な高校では、四月といえば入学式や新入生オリエンテーション、部活動紹介などが行われる慌ただしい季節である。
着流しから真新しいブレザーの制服に着替えた佐藤通は、玄関の全身鏡の前で不満げに首を回していた。
「やはりこの『ネクタイ』という装具は慣れんな。首を絞められているようだ」
「もう、佐藤様。入学式なんですから、シャキッとしてくださいね」
エプロン姿の白石さんが、トールの正面に立って手際よくネクタイの結び目を直す。先日デパートの試着室で起きたハプニングを少し思い出したのか、彼女の耳はほんのりと赤かったが、オカン特有の世話焼きスキルが勝っているようだ。
「はい、完璧です。とってもお似合いですよ」
白石さんは満足げに微笑むと、水筒と、桜の柄があしらわれた可愛らしいお弁当箱が入ったトートバッグをトールに手渡した。
「今日は入学式とオリエンテーションだけで午前授業かもしれませんが、お友達ができたら一緒にお昼を食べてきてくださいね。唐揚げと、甘めのだし巻き卵を入れておきましたから」
「おお……! 感謝する、白石殿」
トールは呪いの魔剣よりも重々しく弁当箱を受け取ると、武士のように深く一礼した。
「では、行ってくる。夕飯までには戻るゆえ」
「はい、いってらっしゃいませ」
白石さんの温かい見送りを受けながら、トールは渋谷代々木学園へと向けて歩き出した。
* * *
新興ダンジョンメジャーが設立した特区の学校『渋谷代々木学園』は、桜並木の奥にそびえ立つ近代的な要塞のような作りをしていた。
巨大な体育館で行われた入学式では、校長が「新興メジャーの誇る魔石電池の未来」について延々と語っていたが、トールは立ったまま目を開けて器用に眠っていた。
『キタ――(゜∀゜)――!! 学園モノの定番イベント、入学式! トール様の制服姿、マジでエモすぎますわーッ!』
ブレザーの胸ポケットに忍ばせたスマホ(イシュラーナ)が、バイブレーションと共にテキストを流して荒ぶっている。
「やかましいぞ、イシュラーナ。早く教室という場所に行って座りたいのだが」
『トール様が配属されたのは、学園の最底辺クラス【一年E組】ですわ。目立たず様子見をするには最高の環境ですのよ!』
式が終わり、トールがE組の教室に入ると、そこにはすでに数十人の生徒たちが集まっていた。
トールは迷うことなく、教室の一番後ろ、窓際という「目立たず外の景色が見える特等席(いわゆる主人公席)」を確保し、どっかりと腰を下ろした。
周囲の生徒たちは、特区のエリートであるAクラスやBクラスに上がれなかった落ちこぼれの吹き溜まりだけあって、どこか覇気がない。しかし、トールのすぐ隣の席だけは、周囲の空気が異様に張り詰めていた。
「……」
トールの隣の席に座っていたのは、誰もが見惚れるような銀髪に、氷のように冷たく青い瞳を持った美少女だった。
背筋をピンと伸ばし、近寄りがたいオーラを放っている。彼女の後ろの席には、小柄な体格に似合わない巨大な大盾を背負ったボーイッシュな少女が、なぜか周囲を威嚇するように睨みつけていた。
周囲の生徒たちが、ヒソヒソと陰口を叩くのがトールの耳に入る。
『おい、見ろよ。あれ、旧メジャーの神宮寺家の令嬢だろ?』
『ああ。氷魔法の威力は凄いらしいが、詠唱が長すぎて使い物にならない欠陥品だってよ』
『ウチの学園のタイムアタック実習じゃ、永遠にEクラスのままだな。旧メジャーも落ちぶれたもんだぜ』
ドロドロとした企業間の覇権争い。旧メジャーの令嬢に対する陰湿な視線。
しかし――トールは「誠に面倒だ」と欠伸をかきつつ、隣の銀髪の少女(氷華)を横目で観察し、ある違和感に気づいた。
彼女は周囲の嘲笑を冷たい表情で受け流しているように見えたが、実はブレザーの下の「自分の胸元」をチラチラと見下ろし、かすかにプルプルと震えていたのだ。
(……なぜ胸を気にしているのだ?)
トールが訝しんでいると、後ろの盾持ちの少女(盾花)が、氷華の耳元でコソコソと囁いた。
「大丈夫です氷華ちゃん! 私、新興メジャーの最新の『寄せて上げるパッド』の情報を盗み出してみせますから! そうすれば、氷華ちゃんのAスタイル(絶壁)もきっと……!」
「ッ!? ば、馬鹿ッ、声が大きいですわ盾花ッ! 誰かに聞かれたらどうしますの!」
氷華は顔を真っ赤にして、小声で盾花をポカポカと叩いた。
「わたくしは旧メジャーの令嬢……! 高校生になったのだから、今年こそは自然な成長で……少しは膨らむはずですわ……っ!」
「でも氷華ちゃん、お腹空いたからってすぐ甘いもの食べるじゃないですか。それ全部お腹のお肉にいってますよ」
「うぅぅ……っ」
氷華は机に突っ伏し、絶望に身を震わせた。その拍子に、彼女から漏れ出した微弱な魔力が周囲の空気を凍らせ、教室の温度がスッと二度ほど下がった。
(……なるほど。企業間の争いなどではなく、己の体型のことで悩んでいたのか)
トールは呆れると同時に、異世界の狂気に満ちた陰謀に比べれば、あまりにも平和で人間くさい悩みに、少しだけ口角を緩めた。
* * *
昼休み。
オリエンテーションが終わり、多くの生徒たちが学食や購買へと向かっていく中、トールは自席で白石さんの弁当箱を開いた。
フタを開けた瞬間、甘辛い唐揚げと、黄金色に輝くだし巻き卵の匂いがフワリと教室に漂う。
「……誠に美味そうだ」
トールが箸を手に取った、その時。
――きゅるるるる。
隣の席から、とても可愛らしい腹の虫の音が鳴り響いた。
見れば、氷華が顔を真っ赤にしてお腹を押さえている。実家への重圧(と胸へのコンプレックス)から、どうやら彼女はお弁当を持たずに登校してしまったらしい。おまけにプライドが高いため、周囲から浮いている状態では、一人で購買に行くこともできないようだった。
「……」
トールは無言でだし巻き卵を一つ箸でつまむと、氷華の目の前にスッと差し出した。
「食うか?」
「えっ……?」
氷華は驚いてトールを見上げた。エリートぶることもなく、嘲笑することもなく、ただ純粋に「飯を分ける」というトールの真っ直ぐな瞳。
「わ、わたくしは神宮寺家の人間ですわよ!? どこの馬の骨とも分からない殿方の恵みなど……っ」
「美味いぞ。白石殿の卵焼きは絶品だ」
「ご、ごくり……」
氷華は少し震えながら、トールが差し出した卵焼きをパクッと口に含んだ。
瞬間、カツオ出汁の優しい旨味と、ほんのりとした甘さが彼女の口いっぱいに広がる。
「……っ!! な、なんですのこれ! わたくしが普段食べている高級フレンチよりも、ずっと心に染み渡りますわ……!」
クールな「氷の女王」の仮面が音を立てて崩れ落ち、年相応の少女のような輝く笑顔を見せた。
「あっ、ずるい! 私にも一口ください!」
後ろから盾花が身を乗り出してきて、トールの唐揚げを強奪して口に放り込む。
「んまーっ! 何これ、お肉がすっごく柔らかい!」
『トール様、入学初日から見事にヒロインたちの胃袋を掴みましたわーッ!!///』
懐のイシュラーナが激しく明滅して実況する中、トールは騒がしくなった隣席を眺めながら、自分用の唐揚げを頬張った。
(騒がしいが……まあ、悪くない)
巨大企業の覇権争いや、新興メジャーの思惑など知ったことではない。
Aスタイルに悩むポンコツクールなお嬢様と、不器用な盾持ちの少女。そしてマイペースな武士による、平和で少しおかしな「Eクラスでのスローライフ」が、ここに静かに幕を開けたのであった。




